695.似合わない事
「さて……予想通りか」
「まぁ、このタイミングで魔法生命だけでというのは有り得ないでしょう」
一方学院のほうでは、中庭に生徒を誘導させたロベリアとライラックが見知らぬ魔法使いの集団と対峙していた。
魔法使いの集団はまるで自分を魔法使いとアピールするかのようなローブを着ている。
ロベリアとライラックの二人が自分達の前に現れた魔法使い達を前にしても冷静だったのはアルムと同じく魔法生命以外の襲撃を想定していたからに他ならない。
学院は普段、学院長であるオウグスの感知魔法が強すぎて接近ができない。魔法生命の出現は混乱を招くのに都合がよすぎるイベントだ。他国の刺客の一人や二人が学院に視察に来たガザスの女王ラーニャかベラルタの生徒達を狙うのは想像に難くない。
「私達はカンパトーレの魔法使い……今この街におられる蛇神様を信仰する者である」
「蛇神を信仰……?」
魔法使いの集団のリーダーらしき人物の言葉をロベリアは訝しむ。
この世界で神を信仰するというのは前時代の習慣だ。王や貴族の血筋や自然の恵みに感謝するような事はあれ、神を信仰する人間は絶滅しているといってもいい。
ロベリアの記憶ではカンパトーレもまた同じなはずだ。そも蛇神という存在は魔法史は勿論、歴史の中にすら出てこない。
薬物依存の類か? とロベリアは一瞬疑うが、代表の魔法使いにそのような様子は見られない。
「私達の目的はガザス国女王ラーニャ・シャファク・リヴェルペラ。この学院にいるのはわかっている。大人しく差し出して貰いたい。であれば……ここにいる生徒達に危害を加えないと誓おう」
「……ずいぶん自信満々ね」
「このような状況は想定済みでね。ラーニャ殿を渡さないというのなら……仕方ない、ここの生徒を狙うとしよう」
中庭に集まっている生徒達はただ避難しただけでなく、ベラルタ魔法学院の教師の一人であるログラの半球体状の防御魔法の中にいる。
ログラはベラルタ魔法学院で治癒魔導士を任されている信仰属性の使い手。カンパトーレの魔法使いごときに突破できるとは思えない。
だが……その口ぶりにはどこか余裕があるように感じた。
「敵の魔法使い……? ほ、ほんもの……?」
「ば、馬鹿大丈夫だよ……」
「で、でも……向こうに見える怪物……」
背後の生徒達が恐怖する声がロベリアの耳に聞こえてくる。
いくら二流、三流と言われるカンパトーレの魔法使いといえど、相手は実戦に駆り出されている集団。大半の生徒よりは上であろう。
だが、遠くに見える蛇のような魔法生命の姿が心を恐怖で支配する。
特に……一年生は流石にまだ魔法使いとの実戦の準備など出来ていない。遠くに見える怪物と実戦への怯えが混ざり合い、恐怖は徐々に集団に伝染していく。
「ははっ! びびってるぜ……ここにいる奴等みんなエリートなんじゃねえのかよ」
「肩書きが立派でも所詮はガキってことだ、小便くさいガキの寄せ集めだ」
「たまんねえな、上手くいったらどれか貰っていいんだろ? 才能あるガキが俺達みたいな奴等に人生台無しにされると思うと快感だなおい」
ついに敵の代表以外の人間も口を開き、下衆な発言を聞こえるように話し始める。
「……っ!」
そこでようやく、ロベリアはカンパトーレの魔法使い達の狙いに気付いた。
すでにラーニャはネロエラとクエンティを護衛にここを離れさせているが……狙いはラーニャでもなければ、生徒達の命でもない。生徒達が防御魔法で守られていても関係なかった。
鬼胎属性の魔法生命は人心の恐怖によってその"現実への影響力"を増す。
目の前にいるカンパトーレの魔法使い達の目的は恐怖を煽ることだ。
ベラルタ中の恐怖を西のほうで暴れる魔法生命の力とする事が目的なのだろう。
遠くに見える怪物を想像させる蛇神というワードもそのために違いない。
(しまった……! 後手に回ったのが裏目に……!)
ログラの防御魔法があるから大丈夫だろうと高を括っていた自分をロベリアは恥じる。
様子を見るのではなく、姿を現した瞬間から排除にかからなければいけなかった。
隣のライラックも敵の目的に気付いたのか、ロベリアに横目で合図した。今からでも排除するべきだと言いたいのだろう。
「なに? 睨めっこでもしてるわけ?」
その目配せの合図を止めるかのように、生徒の集団の中から一人の女子生徒がゆっくりと歩いてくる。
ロベリアとライラックの間を通って、カンパトーレの魔法使い達の前に躍り出たのは三年生であるグレース・エルトロイ。先程まで三年生が演じる演劇を主導していた女子生徒である。
グレースは大きな眼鏡の位置を直しながら、カンパトーレの魔法使いを見渡す。
「なんだ……雑魚っぽいのばかりじゃない」
挑発にしか思えないため息と一緒に吐き、グレースはそのままロベリアとライラックにひらひらと手を振る。
「四大貴族がこんなの相手にする必要ないわ。もっと強そうなのが来た時用に温存しておいて」
「え、ちょ、ちょ――!」
グレースは制止も聞かずにログラの防御魔法の外へと出る。
敵の魔法使いの集団の視線がグレースに集まった。獅子の群れが放り込まれた牝鹿を凝視するかのように。
「ふむ……この人数を見て一人で防御魔法の外に出るとは……勇敢なのか馬鹿なのか」
「どっちでもないわよ」
代表らしき魔法使いは極めて冷静な態度だが、防御魔法の外に出てきたグレースを警戒するように上から下までを観察した。
カンパトーレの魔法使いは他国の危険視すべき人物達を危険指定と呼び、その特徴や情報を共有している。カエシウス家やオルリック家などの四大貴族はその筆頭だ。
だが、目の前の人物はマナリルで危険指定と呼ばれる人物の特徴のどれにも合致しない。なのに何故出てきた?
「リーダー! そいつこの学院の三年生だ……けど、成績最下位の雑魚だぜ」
「ほう……」
「しかも下級貴族だ。余裕見せてるだけのはったりだ」
仲間の一人の声に代表の魔法使いはにやりと笑みを見せた。
つまりこの命知らずの行動も、他の生徒を安心させるためのはったりという事か。
一人で矢面に立つ事で他の生徒達の恐怖を薄れさせたという事だろう。
確かに勇気ある行動だが利口ではない、と代表の魔法使いは内心でグレースを嘲る。
目的が戦闘ではないからこその心の余裕がカンパトーレの魔法使い達に拍車をかけていた。
「まぁ、そんなでけえ眼鏡かけたブスが上級貴族ってのも有り得ねえか」
「ははは! ちげえねえ!」
「眼鏡を叩き割れば少しは女っぽく見えるんじゃねえか? おい嬢ちゃん、いくらで買ってほしい!?」
「おいおい、ふふ……下品だぞお前ら。部下が失礼したなグレース殿? でいいのかな?」
誰が見ても部下を窘めるポーズだとわかる態度をとる代表の魔法使い。
グレースを嘲笑う十数人の笑い声が中庭に響く。
「あなた達の言う通り……私の眼鏡って大きくて変よね。バランスも悪いから何度も位置直さなきゃいけないし」
「おやおや、気にさせてしまったかな?」
「ああ、でも……すぐに眼鏡があったほうがよかったって思うようになるわよ」
グレースは気怠そうに、自然な動作で眼鏡を外す。
眼鏡というフィルターが外れ、直接見えるグレースの茶色の瞳。
その瞳に、一瞬……カンパトーレの魔法使い達は目を奪われた。
「【狂気満ちよ、この喝采に】」
嘲笑を塗り潰す歴史の声。重なる声は喝采のごとく。
白い魔力光が線となって瞳をなぞる。
不意に放たれる初手の必殺。静かに唱えられる血統魔法。
茶色の瞳を囲む白い光輪が、人を狂わす月のようだった。
「血統魔法……か……?」
代表の魔法使いは一瞬険しい表情を浮かべたが……特に変化は現れなかった。
グレースの瞳は魔力光を見せているものの、攻撃魔法のような光線が出るわけでもなければ防御魔法が新しく展開された様子も無い。
ただ、瞳を輝かせるグレースが不気味に佇んでいるだけだった。
こけおどしか不発かと代表の魔法使いはせせら笑う。
「ごぶっ……」
「……は?」
背後で、自分の部下が隣にいた仲間の首にナイフを突き立てるまでは。
「な、なにをしている!?」
「え、なにって……命令通り、敵を排除しただけですが……?」
「なにを……言ってる……?」
隣にいた自分の仲間を刺したというのに、その部下は全く悪びれている様子がなかった。
命令通り。グレース様。
その部下が裏切者でなければ説明がつかないような言葉を使って言い訳をしている不自然さに代表の魔法使いの背筋が凍った。
「『炎の閃刃』!」
「ぶぎ……!? おいてめえ何を……!?」
「『氷の針』!」
「あが!? 目が……!」
「いでえ……! てめえ!!」
「ごぶっ……お……ぼ……。があ……ちゃ……」
その凶行を皮切りに、他の部下たちも同士討ちをし始める。
それが当たり前で自分の使命であったかのように、容赦なく攻撃魔法を唱え、武器を振るう。
目の前で起こった事に代表の魔法使いの混乱は止まらなかった。
ここに来るまでに任務を共にし、作戦を話し合い、国に帰った時の誉れを語り合ったはずの部下が……今ではお互いを傷つけあっている。
生徒に向けるはずだった攻撃魔法は昨日寝食を共にした仲間に。
敵に奇襲するはずだったナイフは仲間の眼球に。
敵によって流れるかもしれなかった血は仲間によって。
隣り合っていた仲間を互いに警戒しているはずなどなく、やられる側も抵抗などほとんどなく……その場に倒れていった。
倒れていく部下達を見ながら、代表の魔法使いはショックからか膝から崩れ落ちる。
「なにが……起きて……」
「まぁ、こんなもんでしょ」
「!!」
あっさりとした声に代表の魔法使いは振り返る。
先程まで嘲笑っていたグレースの瞳が、輝き続けていた。
「さっきの……血統魔法か……?」
「ええ」
「なにを……した……?」
震える声で、代表の魔法使いはグレースに問う。
何故震えているのかは言うまでもない。
「大した事はしてないわ。私の血統魔法は魅了の魔眼の一種で……ただ"相手の精神に命令を一つ書き込める"ってだけの弱い魔法よ」
「命令……?」
「命令って言っても、無理な命令はできないから本当に大した事ないの。自決しろみたいな命令はできない。元々は魔獣相手に使う血統魔法だから単純で、その人がやりかねない事くらいしか書き込めない」
代表の魔法使いはグレースの瞳をもう一度見た。
茶色の瞳を囲む白い光輪。今思えば、一瞬この瞳に目を奪われたような――
「ほら、あなたは"止めろ"って指示を部下に出せなかったでしょ? その程度よ」
「あ……」
代表の魔法使いははっとした表情を浮かべる。
そうだ。何で自分は……同士討ちを始めた部下を前にして、何も言わなかった?
「混乱してると咄嗟に言葉が出なくなる事ってあるでしょ。私の血統魔法はそんな何気ない動揺をさらに揺さぶったり、その人がやりそうな事をやらせるくらいの"現実への影響力"しかない。一年の冬までうまくコントロールだってできなかったし……あなた達の言う通りこの学院じゃ最下位で、雑魚の下級貴族よ」
「あ……! あ……!」
「お仲間に躊躇なく攻撃している所を見ると……お互いに内心じゃ分け前が減るからとか出世の邪魔だとでも思っていたんじゃない? 私の血統魔法はやりたくない事を強制させるような力はないもの」
グレースは口元で笑う。倒れていくカンパトーレの魔法使いを嘲笑う。
だが目は少しも笑っていない。
何故、この女は牝鹿などと思った。
何故、自分達を獅子だと勘違いした。
代表の魔法使いはかちかちと歯を鳴らす。
一人、また一人と倒れていく惨劇の中、笑いかけてくるグレースこそがこの場に君臨する獅子だった。
「私の血統魔法は所詮はただの魔眼。ヴァルフトやネロエラのようにとある分野を極めたものではないし、フロリアのような血統魔法を見抜けるわけでもない」
グレース・エルロトイは理解している。
自分は三年生の中で最弱だという事を。
「サンベリーナの防御なんか貫けるわけもないし、フラフィネのような特異性もないし、ベネッタの魔眼の足元にも及ばない」
ベラルタの成績基準は公平ではないと言う人間もいるが、グレースはそうは思わない。
自分が教師だとすれば、自分を最下位に置くだろう。
自分はどこまでいっても踏ん張りながら平均以上をとって何とかしがみ付いただけの下級貴族。
血統魔法は本来魔獣相手を想定した魅了の魔眼であり、状況を打開できる切り札のような魔法などではない。
「エルミラのように頂点に手を伸ばせる力もないし、ルクスさんやミスティ様のような頂点にはかすりもしない」
戦闘能力は三年生の中では下の下。
血統魔法を絡めた戦闘では魔法生命はおろか対人ではフロリアに劣る可能性が高い。
光属性という比較的戦闘向きな属性でこれなのだから最下位という評価も納得している。
「アルムのような本物の意思は折れない」
間違いなくグレース・エルトロイという少女は二流の魔法使いだろう。
一流には――本物には程遠い。
「で?」
だからどうしたんだとグレースは笑う。
膝から崩れ落ちた代表の魔法使いに向けて。
「それが何?」
瞳に白い光輪を宿して、どちらが今上にいるかをわからせる。
確かに自分は二流だが……それでも、ここにいる。
「私があいつらに勝てない理由があるからって、あんた達が私に勝てる理由になるのかしら?」
グレース・エルトロイは三年生の中では最弱だ。
それでも、ベラルタ魔法学院で生き残った。
たとえ他の同期に劣ったとしても、彼女もまたベラルタで生き残った三年生。
こんな場所に使い捨てでこさせられているであろう連中に敗北する理由はどこにもない。
「ここにいる一年生や二年生の子達だってそう……今は恐がっているかもしれないけど、数か月後にはきっとあんた達を抜いているわ。今のうちに馬鹿にしておきたい気持ちはわからなくはないけど……それが、あんた達みたいな奴等の安っぽい限界ってわけ」
ベラルタ魔法学院は才能を研鑽する場所。
ここに通う生徒はみんな一流の魔法使いになる可能性を秘めている。
二流の自分が同期達のような本物の魔法使いと……三年生として肩を並べているように。
「わかったかしらド三流。これが一流の最低ラインよ。私のような雑魚を見上げなきゃいけない自分の位置を知るといいわ」
代表の魔法使いは口をぱくぱくさせながら、戦意を失う。
十数人いた部下は同士討ちで倒れる惨劇とその惨劇が自身を雑魚と認める少女に作られたという事実に完全に心が折れていた。
最後の意地か、攻撃魔法を放とうとグレースに手を一瞬向けるが……そのままその手は力無く地面に落ちる。
「ほら、終わったわよ。拘束しなくていいの?」
「あ、は、はい!!」
背後で呆然と見ていたロベリアにグレースが声をかけ、ロベリアが代表の魔法使いを捕縛する。
グレースの瞳は元に戻り、一度目頭を押さえると大きな眼鏡をかけ直す。
疲れた、とぼやきながらログラの防御魔法の中へと戻った。
「……ん?」
すると、防御魔法の中にいた一年や二年の生徒達の何人からかの視線を感じ……グレースは困惑気味にきょろきょろと見回す。
「な、なに……?」
「グレース先輩……」
「え」
一人の女子生徒が目を輝かせながらグレースをそう呼んだ。
後輩と関わった事など一度も無いグレースは、その呼ばれ方に思考が固まった。
「グレース御姉様!!」
「先輩! 先輩すげえ!」
「やっぱ三年ってやべえんだ!!」
「グレース先輩こええ! けどかっけえ!」
カンパトーレの魔法使いによって撒かれた恐怖は一気にグレースへの羨望の眼差しへと変わって、生徒達に伝染していく。
今まで褒められる事などほとんどなく、そんな眼差しで見られた事の無かったグレースは詰め寄ってくる後輩の勢いにたじろぐ。
「か、勘弁してよ……」
やっぱり似合わない事するもんじゃないわ、と後悔しながらも……グレースは頬を少し赤らめていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
唯一出ていなかったグレースの血統魔法でした。
強そうに見えますが、血統魔法にしては不便なので本人の言った通りあまり強くないです。




