番外 -姉ちゃんは聖女様4-
「リュカったらまた怪我したのー?」
「友達と遊んでたら……」
「いいよ、おいで」
姉ちゃんはよくわからなかったけど子供の頃から優しかった。
魔法の訓練で俺が怪我して帰ってくると嫌な顔一つせずに治してくれた。
魔法の練習で遊びで、どんだけ小さな傷でも姉ちゃんの部屋に行くと勉強を切り上げて、治癒魔法をかけてくれるのだ。
「ねえリュカ……お友達と遊ぶの楽しいー?」
「え? そりゃ楽しいよ! あ、でもちゃんと勉強もしてるからな!」
「……そっか、いいね」
姉ちゃんが少し寂しそうな表情をしたのを今でも覚えている。
治癒魔導士が不人気な理由の一つとして、魔法と人体どちらの勉強もしなければいけないというのがある。必然、必要な知識が増えるので勉強時間も多くなれば金もかかる。
そんな苦労をしても魔法使いのように名声を得られるわけでもなく、医者のように称えられるわけでもない。
姉ちゃんも俺もニードロス家だ。特別才能があるわけでもないし、頭の出来がいいわけでもない。
子供の頃の姉ちゃんはそれを自覚してひたすらに部屋に籠って勉強をしていたのだ。それこそ友達を作る時間も無いくらいに。
今になってようやくわかる。あの寂しそうな表情は自分も友達と一緒に遊んでみたいという欲を我慢していた顔だった。
「ありがとう姉ちゃん!」
「あんまり危ない事しちゃ駄目だよー?」
それでも、俺を送り出す時は笑顔で見送ってくれた。
俺は治してもらうと姉ちゃんにお礼だけ言って飛び出していくんだ。
何度も何度も姉ちゃんの寂しそうな顔に気付かないまま……そんな事を子供の頃から何度も繰り返していた。
「はっ……はっ……!」
裏手の山に着いても姉ちゃんの事ばかり考えて集中できなかった。
元から魔法はうまくないほうだけど、今日はよりうまくいかない。
せっかく覚えたての中位の魔法を試そうとしたのに"放出"するので精一杯だった。
幸い、周りは森で囲まれていて不調な自分の様子など誰にも見られてない。
俺はいつも魔法の的にしているでかい岩にもう一回手を向けてみるが……色々考えている内にみるみるやる気もなくなっていった。
「くっそ……俺ってシスコンだったんかなぁ……」
意識しなかったが、そういう事もあるのだろうか。
いや……姉が両目を潰して帰ってきたらそりゃ頭もいっぱいになるだろ。
むしろ姉ちゃんが平気そうな顔をしているのがおかしいんだ。
「お母様だって倒れたくらいだ。普通普通」
とはいえ、集中できていないのは事実だ。
俺は光属性だからちょっと油断するとコントロールが利かなくなるし、"現実への影響力"も安定しない。
それに魔力切れが近いとさらに"変換"もてきとうになっていく可能性が高い。
質の悪い練習はよくないって本にも書いてあったし、今日は切り上げよう。
「こんなんでベラルタに入れんのかなあ……俺姉ちゃんみたいに勉強できるって感じじゃないから実技で頑張んないといけないのに……」
ローチェント魔法学院もあるけどあそこは南部だからなあ、と内心でぼやく。
南部は南部以外の貴族に冷たいという噂がある。南部の四大貴族であるダンロード家が元々そういう人達なのだとか。
「いや、でも最近ダンロード家がどっかの没落貴族の支援を約束したって話が……なんだっけ……ロードピス家? だっけ……? やっぱりただの噂か……な……?」
姉ちゃんの事とか自分の事とか。
ぐるぐる考えていた思考が止まる。
俺が魔法の的にしていた岩の裏から、目を血走らせた魔獣がこちらを見ていた。
知らないわけじゃない。猿の魔獣ヴァーナだ。
体長は一メートルくらいの小型の魔獣。一体なら大した事ない。武器を持った平民でもなんとかできるくらいだ。
「ギィ」
「え」
声に釣られて右を見れば、木の上には同じように目を血走らせたヴァーナが一匹。
二匹。三匹。夕暮れの光に照らされた逆立つ毛皮がいくつもある。
「ギイ」
「っ……!」
左を向いたら四匹、五匹……もっといる。全部で何匹だ。
十匹、いやもっと……いる。全員が目を血走らせて俺を見ている。
群れだ。魔獣ヴァーナの群れ。
「か、過剰魔力の暴走……? い、いや違う……? だ、だって霊脈なんてここには……」
そんな馬鹿な。ここは定期的に魔獣退治を行っていて住処にしてる魔獣はいないはずだ。
それに魔法の音を響かせていれば普通の魔獣は近寄ってこない。魔獣は魔力があるから魔法の危険度を理解できるからだ。
だから、ここをずっと練習場にしていたのに――
「ギイイイイイイイイ!!!!」
「ギイイイイイ!!」
「ギイイイイィィ!!!」
「ひっ……!」
ヴァーナの群れが騒ぎ始める。血走った目が一斉に俺に向けられた。
馬鹿でもわかる。あれは餌を見る目だ。
「誰か……! 誰か助けてくれええ!!」
貴族のプライドとかを一瞬でかなぐり捨てて俺は走る。
何で霊脈もないこんな土地に魔獣の群れが来るんだよ――!
「いかがでしょうレトラーシャ様?」
「ニードロス家にこのようなお話が……私ったらまだ寝ていますか? 夢?」
「ご安心ください。ベネッタ様が手に入れた現実でございますレトラーシャ様」
屋敷では目覚めたベネッタの母親――レトラーシャがマリツィアの話に混乱しているようだった。起きたばかりのベッドの上で息子の結婚話をしているのだから当たり前かもしれない。
レトラーシャはベネッタとは違って落ち着いた女性であり、ベネッタが成長して落ち着いたような雰囲気を持っている。
髪色はベネッタと違って銀髪に近いが、瞳の色は母親譲りだというのがわかるほど綺麗な目をしており、なにより寝間着のせいか強調するような胸部に血を感じさせる。
マリツィアはついベネッタの胸を見ていた。なるほどと納得するように。
「ニードロス家がダブラマの大貴族と婚姻……縁を結びたいなど……よいお話過ぎてつい夢かと……。マリツィア様はそれでよろしいのでしょうか?」
「はい、ダブラマの聖女ベネッタ様の家と繋がるのは私とダブラマにとって大きな意味を持ちます。こうして直接お伺いしたのもこのお話をするためですから」
「そうですか……」
レトラーシャは悩むように険しい表情で考える。
少しすると申し訳なさそうにマリツィアに頭を下げた。
「……マリツィア様。お話は大変ありがたいのですが、やはりリュカの意思を尊重したいのでリュカに直接話してからでもよろしいでしょうか?」
「はい、勿論でございます」
「家柄を考えればこちらが選ぶ立場ではないですし、マナリルのためにもよいお話なのは重々承知なのですが……リュカの人生ですから」
「うふふ」
レトラーシャの言葉にマリツィアはつい笑みが零れる。
レトラーシャはその笑みの理由がわかっていない様子だった。
「大変失礼致しました……ベネッタ様と同じ事を仰られるので微笑ましくてつい」
「あら……そうなのベネッタ?」
「えへへ」
「個々の意思を尊重する素晴らしい考え方だと思います。ベネッタ様がこのような人物に育ったのもレトラーシャ様の教えによるものなのですね」
マリツィアの隣に座るベネッタは褒められて照れるように右手で頭をかくと、レトラーシャはその手首に何も無い事に気付いた。
「ベネッタ……私があげた十字架は……?」
「あ……ごめんねお母様……少し前に戦った時に失くしちゃって……。その……探そうにも戦った所が地下で……崩れちゃったから……」
レトラーシャに言われてベネッタは右手の手首を触る。
ベネッタは長年右手にチェーンのついた十字架を補助具として使っていたのだが、ダブラマの地下遺跡での戦いで失くしてしまっていた。
母親であるレトラーシャに貰ったものなため、怒られるかとベネッタは少しびくびくし始める。
「もう……ああいうのが無くても大丈夫?」
しかし、ベネッタの耳に聞こえてきたのは優しい声だった。
レトラーシャの表情はわからないが、微笑んでいる事がわかるほどに。
「うん、もう大丈夫だよお母様……あれが無くてもボクはボクと選んだ道を信じられる」
「その目も……後悔はしていないのね?」
「うん、してない。ボクは間違っていなかった」
「そう……おいでベネッタ」
そう言ってレトラーシャは両手を大きく広げる。
ベネッタはマリツィアの前で恥ずかしいのかその胸にすぐ飛び込む事はできない。
「私は席を外しましょうか?」
「う、ううん、ただの親子のスキンシップだから! えいっ!」
ベネッタはそう言いつつも照れている様子だったが、そのままレトラーシャの胸に飛び込んで互いに抱きしめ合う。
「あなたの両目がなくなったと聞いて気を失うほどびっくりしてしまったけれど……あなたが選んだ事なら、あなたの言う通りきっと正しい事だったのね」
「うん、ボクってば凄い頑張ったんだよ……ダブラマで聖女様ーって呼ばれるくらい……。ちょっと照れくさいけど……」
「私はあなたが心配よ。あなたのお母様はあなたの事がとっても心配なの。いくつになってもあなたは私の可愛いベネッタだから。でも、あなたのやる事を否定しているわけじゃないって事はわかってね」
「うん、わかってるよお母様……」
「頑張ったのねベネッタ……本当に、頑張ったのね。自分の両目を失ってもいいって思えるくらい、大切な事だったのね?」
「うん、大事なね……大事な友達を助けたかったんだ……。その友達はボクの最初の友達で、ボクの"魔法使い"なんだよ」
「そう……あなたはずっと優しい子だものね」
しばらく続く親子の抱擁があまりに微笑ましく、マリツィアは優しい表情で見守る。
その抱擁はベネッタが子供の頃からどういう風に育てられたのかがわかるよう。
親子の時間が終わりベネッタがレトラーシャの胸から離れると、恥ずかしいのが戻ってきたのか顔を赤らめながら再びマリツィアの隣に座る。それがまるで小さな子供のようでマリツィアには少しおかしかった。
一方母親であるレトラーシャは恥ずかしがる様子も無い。愛情のこもった視線をただベネッタに注いでいた。
「それではマリツィア様、リュカに直接お話して頂いてもよろしいですか?」
レトラーシャに言われるとマリツィアは困ったような表情を浮かべた。
「それが先程お部屋のほうを訪ねたのですが不在でして……どこにいらっしゃるかご存じでしょうか?」
「ああ、それでしたら裏手の山に行っているのかもしれません」
「裏手の山……? もう夕方ですが……このような時間に?」
マリツィアは窓のほうを見る。
日はかなり傾いていて、橙色の光で空は埋まっている。
「ニードロス家の領地は霊脈ではありませんし、定期的に巡回もしているので裏手の山は魔獣の住処がないんです。広くて音を出しても迷惑にならないので、リュカの練習場になっているんですよ」
「お待ちくださいレトラーシャ様……ここは霊脈ではないのですか?」
「え、ええ……補佐貴族の時代からここを任されておりますが、元々カエシウス家の領地の中でも重要度が低いほうなんです」
突然マリツィアの声色が険しくなった事にベネッタは異変を感じた。
「ど、どうしたのマリツィアさん?」
「最近魔獣の動きが妙でして……霊脈のある土地を住処にしているはずの魔獣が霊脈の無い場所に移動する現象が確認されているのです。私が今回マナリルに来たのはニードロス家との婚姻の申し込みが半分、もう半分はこの情報をマナリルに伝えるためでして……とはいっても居住区域に近い場所には近寄らないので大丈夫だとは思いますが……」
「た、大変! 念のため探しに行こう!」
「そうですね。私の考えすぎであればいいのですが……」
いつも読んでくださってありがとうございます。
番外のこのシリーズは次でラストとなります。
 




