番外 -姉ちゃんは聖女様2-
お母様が失神すると使用人に運ばれて自室に逆戻りしていった。
姉ちゃんがただ気を失ってるだけって言ってたから一応安心だろう。
けれど、俺の驚きと疑問はお母様が失神した衝撃では解消されない。
いや、それどころかマリツィアさんから話されても解消はされなかった。
お母様が気絶して、代わりに聞かされた話は騙されているのかと思う話ばかり。
マリツィアさんが敵国であるダブラマの貴族だという事。
姉ちゃんが秘密裏にマナリルの使者としてダブラマに送られていた事。
姉ちゃんの友達と一緒にダブラマで起きた事件に関わっていた事。
ダブラマ王家の正統後継者である女王様を救い、ダブラマでは英雄……聖女として呼ばれている事。
いつもと変わらず家で毎日を過ごした俺にはあまりに遠く、与太話にしか思えなかった。
「姉ちゃんが聖女って……はは……。か、からかってます?」
俺はいつの間にかからからになった喉を紅茶を一気飲みして潤す。
マリツィアさんも俺が飲んで落ち着くのを待っていてくれたようだった。
俺のようなガキにもそういった気遣いが出来るのが大人なんだろう。俺は自分の混乱をどうこうするので精一杯だった。
「いいえ。全てダブラマで現実に起きていた出来事です。ベネッタ様を筆頭にベラルタ魔法学院の中でも事情を知っている数人の方々が……私達ダブラマの魔法使いによる王家を取り戻すための反乱に参加されていました」
「いや、だ、だって……マナリルは関係無いでしょ?」
「普通ならそうなのですが……共通の敵である魔法生命という存在が確認された事により共同戦線を張ったのです。ベネッタ様は魔法生命という存在に以前から遭遇しており、使者として選出されてダブラマにお越しになりました」
「魔法生命……?」
「最近各国で起きている大きな事件にはこの存在が絡んでいるのです。去年のガザスの事件はご存じですか?」
それは知ってる。
姉ちゃんがガザスの留学メンバーに選ばれたってだけで驚いたのに、そのタイミングで起きていた事件だ。ガザスの王都に毒が撒かれて一区画が半壊したとかなんとか。
ベラルタ魔法学院の留学メンバーが協力したって話もあって、お母様が青い顔をしていたけど。
「カンパトーレに王都が襲撃されたのをマナリルと共同で撃退したっていう……?」
「それも魔法生命が主導となって起きた事件です。その時もベネッタ様はご友人の方々と共に魔法生命討伐に貢献なされました。詳細は言えませんが、魔法生命は人間を遥かに超える力を持つ存在です。相対すれば生き残るだけでも難しい。
ベネッタ様はそんな魔法生命と戦闘経験があり、なおかつ生存している貴重な人材なのです」
「えへへ……アルムくん達と違ってそんな大した事してないですけどねー……」
「私の故郷を救ってその物言いは少し謙遜が過ぎますねベネッタ様?」
褒められ慣れていないからか姉ちゃんは耳を赤くして照れている。
そんな姉ちゃんは姉ちゃんらしくある。
けれど、今聞かされた話は全く姉ちゃんらしくない。
「つきましてはベネッタ様のご実家であるニードロス家にもダブラマ王家から感謝の品をお贈りしたく今回のベネッタ様の帰省に同行させて頂きました。ベネッタ様のお母様が目を覚まされましたら改めてお話させて頂きたいのですが……」
「ボクがお母様を気絶させちゃったから……ごめんなさいマリツィアさん……」
「いえ、娘が両目を失ったと聞けば仕方ないでしょう……。私を恨んでもおかしくはありません」
マリツィアさんはそう言って、申し訳なさそうに口元だけで笑った。
姉ちゃんを巻き込んだ事に負い目を感じているのだろうか。
いや、それよりも――。
「姉ちゃん……本当に目無いのか……?」
「うん、さっき見たでしょー?」
無意識に、膝の上でぎゅっと拳を作っていた。
何で姉ちゃんはそんな当たり前のように笑っていられるのだろう。
本人じゃない俺がこんなに怒りが沸き上がっているのに。
普通に目が見えているはずの俺が、想像して恐怖を感じているのに。
「魔力全開で頑張ったらこうなっちゃってさー……やっぱり魔眼系の血統魔法だとやりすぎるとああなるんだねー? リュカは魔眼系の勉強はしてるよね?」
「は……? 誰かにやられたわけじゃないのか……?」
「うーん……難しいなー? 半分自分の魔法の反動で半分敵の力みたいな? 両方から負荷かけすぎて破裂しちゃったみたいー」
「そ、そんな馬鹿な……」
俺には姉ちゃんが何か誤魔化しているとしか思えなかった。
ニードロス家の血統魔法は魔力のある生き物の位置を捉えるだけの血統魔法だ。
確かに分類は魔眼系ではあるだろうが、"現実への影響力"で取得するのは視界ではなく座標だ。
どれだけ魔力を"充填"して発動したって眼球が破裂するような負荷がかかるはずがない。ニードロス家は強い弱いで言えば雑魚に数えられる家系なんだから。
まだ子供の俺には言えないような凄惨な戦いだったのだろうか。
また怒りが沸き上がる。何で姉ちゃんがそんな戦いをしなければいけなかったのか。
「何を……へらへら笑ってんだよ……」
「リュカ……?」
「何へらへら笑ってんだよ!!」
沸き上がった怒りで、俺は最低の行為をしてしまう。
気付けば、自分勝手な怒りを姉ちゃんに八つ当たりしていた。
まだマリツィアさんに怒鳴り散らすほうが許されそうなのに、俺はわざわざ自分でも許したくないような怒りのぶつけ方を姉ちゃんにしていた。
俺はガキだ。
わかってたつもりだったけど、俺は自分が思ってる以上に幼い。
「目……無いって……姉ちゃんがそんな事する必要無かっただろ……。ダブラマなんて……どうでもよかったろ……!」
「リュカ。マリツィアさんの前だよ」
「それがなんだよ!? 姉ちゃんは俺の姉ちゃんだろ!!」
俺は荒っぽく立ち上がるが二人共動じる様子は無かった。
姉ちゃんは俺と向かい合って、マリツィアさんは目を閉じて、カップを口に運んでいた。見ない振り、聞こえていない振りという事だろう。
姉ちゃんは真剣な表情だった。両目が残っていたら、きっと翡翠の瞳が俺を見つめていたに違いない。
でも、無いんだ。
姉ちゃんの目は閉じたままで。
俺を見つめる優しい眼差しは俺の知らない死地に置いてきてしまったんだと思うと悲しくなる。
「なんで……そんな何でもない感じでいられんだよ……! だから俺が怒ってんだろうが!!」
自分で勝手に沸きあがらせた怒りで八つ当たりして、怒る理由まで自分勝手に作り上げて。
わかっているのに止められない。止める気が無い。
感情のまま喚き散らすだけの子供……いや、子供以下か。
「後悔してないから」
「え……?」
俺の理不尽な怒りは、姉ちゃんの強い意志によって押さえつけられる。
その一言は俺が喚き散らした言葉なんかよりよっぽど強くて、逞しくて。
「ボクが戦いに行ったのも、両目を破裂させるまで魔法を使い続けたのも……全部ボクがやるべきだと思って選んだ事だもん。
確かに両目は無くなっちゃったけど……心から思えるんだ。あの日ボクがやった事は間違っていなかった」
「……」
この屋敷に住んでいた時とは別人のような姉ちゃんが目の前にいた。
断言する姉ちゃんに俺はそれ以上何も言う事ができない。
ただ消化できない怒りと、姉ちゃんが俺なんかじゃ想像もできないような体験をしたんだろうなという実感だけが残った。
どれだけの経験をすれば、あの姉ちゃんがこんな顔をするようになるのだろう。
俺は座って、何も喋ることができなくなってしまった。
「……お母様が起きたら詳しい話をするね。マリツィアさんは今日ボクの部屋で一緒に寝る? それとも客室がいいかなー?」
「ここに泊ってもよろしいのですか? リュカ様がご不快では……」
「えー? せっかくうちに来たんだからうちに泊まっていってくださいよー」
「ベネッタ様がそう仰られるのであれば……」
「やったー! じゃあ案内しますねー!」
姉ちゃんは俺の知ってる無邪気で優しい様子に戻ってマリツィアさんを案内するために客間を出て行った。
マリツィアさんが俺を気にするようにちらちらと見ていたが、俺は会釈する事もできない。
「なんだよ……勝手になくすなよ……」
気付けばいつの間にか怒りではなく、寂しさが込み上がってきていた。
お母様に貰った姉ちゃんと同じ翡翠の瞳。密かな俺の自慢だったのに。




