692.次代への階
「化けたな……」
街の一角を避難し終えたヴァンはログラの通信用魔石を通じて聞こえてきたアルムの声に嬉しそうに呟いた。
遠くに見える蛇のような魔法生命がまだ健在だと言うのにそんな笑みを浮かべたヴァンにファニアは疑問に思う。
「ヴァン殿?」
「あいつに足りないものは一つだけ。あいつは魔法使いになるための覚悟ができてるつもりだったんだろうが、自分を卑下してなんでもない人間みたいに思い込んでいた……それじゃあ駄目なんだ。
弱者を助けようって人間自身がなにもできないと思い込んでるなんて馬鹿げた話もないだろ? 魔法使いが強くあろうとしないでどうする? 人は力の有無に関わらず、自分がやり遂げるという覚悟をもって行動を起こすんだからな。
平時に自分が出来ることや立ち位置を自覚するのは必要な事だが、過小評価し続けるならそりゃ判断力が無いってことだ。あいつは自分に対してだけ目が曇ってた。周りの人間に対する目は人一倍正確だってのに」
アルムの功績に問題は無い。
アルムの実力に問題は無い。
アルムの人柄に問題は無い。
アルムの在り方に問題は無い。
だがたった一つ……魔法使いという超越者を目指していながら、自分自身がなにもできない平民だと思い続けている事だけが問題だった。
……ヴァンはひたすらに待っていた。
アルムが自分自身を魔法使い足り得る人間だと思えるこの時を。
「ヴァン殿はずいぶんアルムに入れ込んでおられますね」
「ああ」
ヴァンが否定しない事に驚くファニア。
そんな事は無いと言われると思っていた。
今は周りに人がいないからだろうか。アルム達がいる前で肯定するとは思えない。
「忘れもしない。初めてミレルで魔法生命と遭遇した時のことだ」
二年前……マナリルで初めて魔法生命が観測された事件。
トラペル領の町ミレルの霊脈ミレル湖を狙って現れた大百足の一件はマナリルに魔法生命の危険度を知らしめた。
ヴァンはその場に居合わせていた幸運と不運を噛み締める。
不運は当然、大百足という災厄の存在。
そして幸運は、一人の平民の存在。
「事前に何が起こるかを全てを知っていたシラツユという女性が自身の罪を吐露した。俺達を騙し、ミレルの住民を騙し、大百足の出現の時を待ったのだと……そのシラツユは自害を求めた。俺達は何も言えなかった。大百足の宿主でもない自分が悪いと泣くそいつを前に立ち尽くし、肯定も否定もすることができなかった」
シラツユという女性の名前はファニアも知っている。
魔法生命や常世ノ国についての情報をマナリルに提供する代わりに現在トラペル領で監視されている情報提供者だ。
ガザスの大嶽丸戦ではアルムの助けになるならと解毒剤の護衛を買って出た魔法使いでもある。
ファニアは大百足の事件の時の事は情報しか知らない。だが、ヴァンの顔を見れば当時切羽詰まった状況だったのは見てとれた。
「だがあいつの一言で空気が変わった。慰めるわけでもなく、打算も無いアルムの一言であの場の空気が変わった瞬間を覚えている」
貴族として、魔法使いとしてシラツユに責任を求めようとするも言葉が出なかった自分達。
全員がどう声をかけたらいいかわからない中、アルムだけは違った。
貴族も平民も無い、命に持つ当然の責任とアルム自身の価値観でシラツユを踏みとどまらせた。
そして当たり前の事を言い放った。
悪いのはあの怪物だと。
目の前の凄惨に気を取られ、責任の所在を思考停止で投げ捨てようとしていた事に気付けなかった。
『助けて』という悲鳴を聞き取ろうともしなかった。
シラツユも怪物に人生を狂わされた被害者なのだと気付けなかった事……これが魔法使いにとってどれだけの恥だろうか。
「あいつが俺達を纏めた」
アルムだけが悲鳴を聞いていた。
「あいつだけが、あの場で"魔法使い"だった」
アルムだけが在り方を示していた。
「あいつだけが、ここで戦わなければ取返しがつかないと見抜いていた。あいつは魔法使いになりたいっていう熱い夢がありながら、現実を正しく見れる冷静さを兼ね備えてる」
アルムだけが、冷静だった。魔法生命という未知に対しても。
思えば、ヴァン・アルベールという人間はあの時アルムに期待していたのだ。
「馬鹿な貴族共にこんな事言ったら、狂ってるだのおかしくなっただの言われるだろうよ……だが俺は確信してる。あいつには……人の上に立てる才能がある!」
アルムの入学を手助けしたのは気まぐれだった。
美点は魔力量が多いだけ。途中で消えるならそれはそれ。
貴族に混じった異端がどんな効果を及ぼすかの実験程度で入れたはずの少年。
確かに、アルムに魔法の才能は無かったけれど。
「あいつには魔法の才能は無かった。だが仲間も纏め上げる将器がある!!」
王のようなカリスマ性ではなく、その在り方によって人を率いる器量。
才能が無いからこそ他人の力を誰よりも羨み、認める事が出来る視点。
魔法生命という未知の前であっても揺れず、惑わず、為すべき事を示す背中。
そして誰よりも魔法使い足らんとするその在り方が今……今だからこそ必要なんだとヴァンは叫ぶ。
「次の世代を纏めるのはミスティじゃない。ルクスでもない。次の世代を纏めるのはあいつしかいない……アルムしかいないんだ!!」
ファニアはその叫びを驚愕しながら聞いていた。
ベラルタ魔法学院の教師として、ヴァン・アルベールは未来を見る。
権力も立場も無く、家柄すらも乗り越えて――その在り方だけで先頭に立つ魔法使い達の理想の光景を。
「避難を急げ!!」
ずるずる。ずるずるずる。
身の毛がよだつ侵略の音を聞きながら、学院長オウグス・ラヴァーギュは兵達に指示を出す。
『我等の餌を逃がすか。人間』
背筋に寒気が走る声。
鬼胎属性の魔力が音に乗って人間の精神を逆撫でする。
遠くに見えるその不快の原因を見ながら、こんな化け物がどこから現れたのかとオウグスは舌打ちする。
いつもの余裕ある笑い顔はどこにもない。
何せ突如ベラルタ西部に現れたのは怪物。
倒壊する建物を乗り越えて並ぶ鱗は死の紋様。
ギョロリとこちらを向く黄金の目は命を舌なめずりしているように動き、肌に感じる鬼胎属性の魔力は霧のように肌を撫でる。
口の中に見える暗黒と巨大な二本の牙は直結した命の終わり。
蛇だった。
その姿は常識を超えた大蛇。
巨大な体は文明を蹂躙する激流。黄金の目は決して逆らえぬ神の威光。
体に纏う黒い魔力は紛れもなく、魔法生命の証だった。
『不敬な。我等を前にして贄を逃がすとは……生命として恥を知るがよい』
ずるずる。ずるずる。
不快な音が建物を踏みつけて進行する。
その動きは緩慢だが、止まらない。止められるはずがない。
オウグスは魔法生命との相性も良いわけではない。圧倒的に戦力が足りなかった。
ただ近付いてくるのを警戒しながら住民を避難させる事しかできない。
「オウグス・ラヴァーギュ!!」
「……ん? 誰だ……?」
自身の無力を痛感するオウグスの前に一人の女性が現れる。
濁った橙色の瞳と真っ白な髪を持つ女性――一月前からベラルタに侵入しながらも捕まらずに逃げ切り続けていた侵入者のチヅルだった。
その表情は何故か怒りに満ちている。
「あの蛇は君が手引きしたのかい?」
「断じて違うね! 提案をしにきた! どうか受け入れてほしい!」
「提案……?」
アルムの報告でチヅルは分身を使う事はわかっている。
オウグスは他の分身による奇襲を警戒しながらも聞き返した。
チヅルはオウグスから少し離れた位置で突然膝をつく。
「あの蛇は私達にとっても敵! 勝手に侵入し、情報収集していた私が身勝手な事を言っているのはわかっているのね。でも、どうか協力体制をとらせてほしい!」
「なに……?」
あの魔法生命とチヅルは協力関係に無いのかとオウグスは一瞬、蛇の魔法生命のほうをちらっと見る。
「手始めに私に関する情報を全て差し出すね! 私はチヅル・モチヅキ! 魔法生命に滅ぼされた常世ノ国の残党の一人! 今はとある方の手足として動いているね! 魔法生命の脅威に対抗するために!
血統魔法は自身と同じ分身を生成すること! 分身の身体能力は自分と同じで、分身が得た記憶の共有条件は分身と本体が触れる事! 分身が使えるのは無属性魔法だけだね! 疑うようなら呪法も受け入れる! お願い……救出や避難活動だけでも手伝わせて欲しいんだよね!!」
「ふぅん……? 避難活動ねぇ……? 何故そこまで……?」
オウグスが問うと、チヅルはきっと蛇の魔法生命を睨みつける。
「あの糞蛇……! 子供を狙いやがったんだよね……! 敵だろうとなんだろうと子供を殺すのだけは許せない! あんな糞にいいようにやられるのが我慢ならないんだよね!」
「…………」
「元々、ベラルタかマナリルとの交渉材料を手に入れて協力関係にもっていく算段だったんだよね……けど、あれが来たならもうそんな事は言っていられないんだよね!!」
嘘を言っているようには思えない。
それに敵であれば、ここで自分の前に出てくる理由もわからなかった。
話した情報が全て嘘であったとしてもメリットが無さすぎる。
この街が狙いなら勝手に殺しまわればいいし、情報目的なら今のうちに盗めばいい。
なにより……子供を狙われて許せないという理由がオウグスは少し気に入っていた。
「仕方ない……避難誘導と救助だけだよ? あの魔法生命との接触は許さない。君が宿主で一体化する可能性もあるからねぇ」
「いや、それはないね! あれは――」
「君の口から何を言われようとこちらは真偽を問えない。わかるね? それと、終わった後にこちらに投降して貰う。いいかな?」
「それでいい! 子供を助けられるなら!」
オウグスの出した条件にチヅルは頷き、すぐに街へと飛び出す。
そしてそのまま口を開いて――
「【忍法・分身の術】!!」
歴史が重なる声を響かせる。
チヅルはまるで分身したかのように六人に分かれた。
そのまま避難が終わっていないだろう区域に向けてあちこちへと散っていく。
「変わった響きがする魔法だねぇ……常世ノ国の魔法はみんなあんな感じなのかな?」
オウグスは珍しいものを見たな、と六人に分かれたチヅルの背中を見送って……蛇の魔法生命のほうへと視線を向ける。
「んふふふ。さて、私は何分もつかなぁ……?」
戦力が足りない。
ならば、魔法生命の足止めをするのは自分以外には有り得ない事をオウグスはわかっている。
ベラルタ魔法学院学院長として、オウグスは蛇の魔法生命へと向かっていった。




