691.次代の光景
ラーニャ歓待の催しである三年生による演劇のカーテンコール。
観客席からの惜しみない拍手が終わり、アルム達が舞台袖に掃けると幕も落ちていく。
なおも続く拍手の渦を止めたのは勢いよく開かれた扉の音だった。
「ん?」
「なに?」
拍手も上書きするような大きな音に舞台袖から顔を覗かせるエルミラとベネッタ。
反対側の舞台袖に掃けたアルムも様子を窺うように講堂の入り口に視線をやる。
講堂の扉を勢いよく開けたのは治癒魔導士のログラだった。
この時間、ベラルタ魔法学院の教師は学院全体の警備を行っているはず。ログラが入ってきたという事は何か事件が起こった可能性が高い。
「緊急事態です! 情報封鎖一時解禁! ベラルタ西部に魔法生命出現!!」
「!!」
「なに!?」
ログラの声でアルム達は舞台袖から飛び出す。
観客席ではエリンとラーニャの護衛の魔法使いが険しい表情へと変わる。
「魔法生命……?」
「何だ……?」
観客席にいるほとんどの生徒はログラの報告の重大さがわかっていない。
魔法生命の情報はマナリルでは上級貴族、しかも当主の間でしか共有されていない情報。聞いていたとしても本当に情報だけでどれだけの脅威かは実感も薄い。
ラーニャの護衛を任されているロベリアとライラックは互いに顔を見合わせて頷く。
「現在、ヴァン殿とファニア殿が中心となって住民の避難誘導を行い、オウグス様が対応に向かっています! 皆様も避難に移って下さい。ラーニャ様を優先に! 私ログラが誘導致します」
ログラは扉の前からどくように講堂に入りながら指示を下すと、舞台上のアルム達のほうへと目をやった。
「そしてヴァン殿から言伝です。三年生十一人には増援を願いたいとの事ですが……ヴァン殿を始めとした教師陣が直接指揮を執ることが難しい状況です。そこで……指揮する人物としてアルムさんを指名されています」
「自分ですか?」
怪訝な表情を浮かべながらアルムは自分を指差す。
驚いているのはアルムだけではなく、観客席の大半の生徒もだった。
ミスティやルクスという四大貴族がいる中……わざわざアルムを何故選ぶのかと。
「落ち着いてください。他に相応しい人物がいると思うようなら指揮権を譲渡しても構わないと言っています。緊急事態ゆえに迅速に判断してください。時間がありません。あなたが指揮を執りますか? それとも別の方に?」
アルムはログラの問いに数瞬、悩んだように空を見つめて、力強く答えた。
「いいえ。俺がやります」
観客席がどよめく中、隣で聞いていたルクスは嬉しそうに頷く。
反対側の舞台袖にいるミスティ、エルミラ、ベネッタも互いの顔を見て笑い合う。
自分の意思で上に立とうとするアルムの姿に観客席の生徒達の大半は不満そうな表情を浮かべていた。ラーニャの前で野次を飛ばしたりはしないが、不可解さは隠せない。
何故、四大貴族を差し置いて平民を――?
「ヴァン殿もお喜びになるでしょう」
「ありがとうログラ先生」
アルムは一度目を閉じると深呼吸をして、覚悟を決めたように目を開けた。
三年生達の注目が集まる中、演技の熱を閉じ込めたかのようにいつもの無表情へと戻った。
「フロリアとネロエラ、グレースの三人は一、二年生と一緒に避難。フロリアは演出でほぼ魔力切れだが……対人相手の搦め手ならまだ出来る。ネロエラはグレースと一緒に万が一の時に備えてラーニャ様を避難する際の逃走経路を確認してラーニャ様の護衛の方達と情報共有しておいてくれ。グレースは敵魔法使いの対応もこなしてほしい。魔力が余ってるだろうからな」
「そうさせてもらうわ。へろへろなの私」
「わかった」
フロリアとグレースは素直に従い、ネロエラもこくこくと頷く。
グレースはラーニャのほうに目配せをして、エリンと一緒に頷いていた。
「ヴァルフト、フラフィネは教師陣と合流して避難を手伝え。ヴァルフトは俺達の戦況を見て血統魔法で避難効率を上げてくれ。フラフィネの魔法は対人に長けているから魔法生命よりパニックを狙って襲撃してくる可能性がある敵魔法使いの対応を任せたい。できるな?」
「はっはー! てめえに指示されるのは妙な感じだが悪くねえな?」
「任せるし。うちは魔法生命と相性悪いから妥当って感じだし」
ヴァルフトはにやにやしながら、フラフィネも予想外に素直にアルムの指示を受け入れる。
誰一人として異を唱えようとしない三年生に観客席からは戸惑いの声が漏れる。
誰か一人くらい不満を持つ者はいないのかと。
そんな観客席の戸惑いを他所に、アルムはキョロキョロと天井を見上げる。
「クエンティ! 来い!!」
「ここに。アルム様」
戸惑いから驚愕へと変わる。
突然水のようなものが落ちてきたかと思ったら、アルムの足元で膝をつくアッシュブラウンの髪をした女性が現れたのだから無理もない。
「クエンティって……カンパトーレの『見知らぬ恋人』……?」
「あの平民……いや、あ、アルム先輩って何者……?」
クエンティがかつて王都に侵入した事件が有名なせいかクエンティの名を知っている生徒はちらほらいる。
カンパトーレの魔法使いが何故? 本物なのか?
クエンティの登場を機に、観客席の生徒達のアルムを見る目が何者なんだ、という目に変わっていく。
「学院のほうは任せていいか? ログラ先生が信仰だ。お前と合わせればよほどの相手じゃない限りは複数人相手できる。ラーニャ様を護衛するネロエラとグレースの負担を減らしてやってくれ」
「お任せを」
「魔法生命には近づかなくていい。辛いだろ」
「ご心配ありがとうございます。ですが……私には生徒の統制がとれません。ログラという教師だけでこの人数は……」
「その点は心配ない。ロベリア! ライラック! いるな!!」
アルムは次に観客席のほうに向かって名前を叫ぶ。
名前を呼ばれた男女の二人組、特に少女のほうが勢いよく立ち上がった。
「はいはい! いますよアルムせんぱーい!!」
「なんでしょうアルムさん」
「ログラ先生と一緒に生徒達の誘導を頼む! 被害が出る前に中庭まで脱出させてくれ。その後は状況を把握し次第、ログラ先生やネロエラ達と連携をとって判断を任せる!」
「うちに任してください!」
「任されました」
ロベリアどころかライラックまで素直に指示を受け入れる姿を見て、アルムと二人が交流がある事を知らない生徒達は絶句する。ロベリアのほうは嬉しそうですらある。
あれは何なんだ。
カンパトーレの魔法使いや気難しい事で有名なパルセトマ家のライラックまで。
一体この学院に通いながらアルムという平民は何をしてきたのかを想像する事もできない。
アルムの視線が再び舞台のほうへと戻る。
「ベネッタとサンベリーナは逃げ遅れた人達の捜索と……魔法生命の破壊規模に合わせて俺達の援護と防御だ。戦闘に絡むか絡まないか微妙な判断が難しいだろうが……こればかりは二人にしか任せられん」
「オッケー! ボクの得意分野だ!」
「何故私がその役目に?」
サンベリーナが疑問を問う。
「サンベリーナは魔法のバリエーションが豊富なのとカリスマ性があるからな。避難に遅れた人がパニック状態でも上手く誘導できるだろうし、魔法生命相手でも粘れる防御力がある。ベネッタの包容力とは別の意味で適任なんだ」
「……なるほど、悪くない判断ですわね」
アルムの淡々とした説明にサンベリーナは納得し、お気に入りの扇を開いた。
恐らくは承ったという意思表示なのだろう。
「エルミラは――」
「はいはい、どっちも待機できるようにあんたの後方で……」
「何言ってる?」
魔獣討伐の時と同じような指示を貰うと思い込んでいたエルミラ。
しかし、アルムの表情は予想に反して厳しいものだった。
「お前は対魔法生命戦における要だろ。俺の後方に下げる理由がない。一緒に来いエルミラ」
「……わ、わかった」
エルミラの全身を巡るような衝撃が走る。
ずっとアルムに負担をかけた事を気にしていた。苦しいのも痛いのも、責任も全て背負わせて……自分の弱さに歯を食いしばっていた。
そんなアルムが自分の力を認めて一緒に来いと言ってくれている。
エルミラは唇をぎゅっと強く閉ざす。
やっと、やっと追い付いた。そんな実感がエルミラの涙腺を刺激していた。
「ルクスもだ」
「勿論だよ」
ルクスはエルミラの背中をぽんぽんと擦りながら、当然のように応える。
「ミスティは――」
「三人のすぐ後ろから援護、そして魔法生命による街への攻撃の防御……ですわよね?」
「ああ、今までの魔法生命の破壊規模を考えるとミスティくらいしか全部に対応できそうな人がいないからな」
「いつもの実地依頼を考えれば当然の割り振りですわねアルム」
ミスティが笑顔を見せると、アルムは意表を突かれたように目を見開く。
恥ずかしそうに頬を掻いたかと思うと、わざとらしく咳払いをして覚悟を決めたような表情で舞台から降りた。
それに続いてミスティやルクス、他の三年生も舞台の上から下りていく。
舞台の上の幻想は幕を閉じ、魔法使いという夢を現実にするべく動き出す。
「行くぞ」
観客席の真ん中に空けられている通路をアルムは行く。
ミスティ、ルクス、エルミラにベネッタそして他の三年生も。この学院で生き残った十人がアルムに続く。
四大貴族に上級貴族、宮廷魔法使い候補から国王直属部隊の隊長……確実に一流の魔法使いとなるだろう精鋭の十人を率いるのは、学院唯一の平民。
観客席の生徒達はその様子に……次代のマナリルの姿を見た。
この世代を中心に魔法大国マナリルは次の時代へと進んでいく。
「俺も……俺もあの人と……!」
誰かがそう呟いた。
堂々と先頭を歩くその背中に憧れを抱く。
自分が貴族であの背中が平民だなんて関係ない。
その背中にあるのは輝かしい功績と名だたる貴族達からの絶大な信頼。
この人と一緒に見る景色はどれだけ素晴らしいものだろう。どれだけ、誇らしいのだろう。
近い未来、あの背中と一緒に弱きを救う姿を……その誰かは夢見ていた。




