690.解呪のカーテンコール
舞台は暗転する。
舞台の終わりは観客達にとっても衝撃を残していた。
「い、今……」
「え、演技だよな……?」
「素敵……!」
「羨ましいいい!!」
「いや、なわけあるか……だって、ほら、なあ?」
「じゃあ今の何なんだよ!」
「カエシウス家が……平民と……!?」
今の光景を見て黙っていられるわけもなく、生徒達は騒然としている。同じ観客席に国賓であるラーニャがいるというのに、それを忘れているかのようだった。
貴族の子としての礼節すらどこかに飛んでしまうほど、舞台の上で行われた出来事は衝撃だったのである。
四大貴族の頂点カエシウス家と平民の組み合わせ。
二人の仲睦まじい姿は学院に通っていれば嫌というほど見れるものだが……いざ実際に決定的な場面を見せられても、有り得ないとしか思えない者が大半だった。
「はあああ……」
そんな騒がしい観客席の一席……ラーニャの護衛として座っていたロベリアが全てを吐き出したような声を上げて顔を伏せる。
「やっぱそうだよねぇ……うちにもチャンスあるかもって思ったんだけどなあ……」
「……」
そんなロベリアを隣に座るライラックは茶化す事も元気づける事もなかった。
妹を元気づけるために道化になることは出来ても、傷心の女心を慰める薬になれない事は自分で一番わかっているようだった。
パチパチパチ。
そんな騒然とする観客席に、小さな拍手の音が鳴り響く。
拍手の音と、その出処である人物は観客席中の注目が集まっていた。
立ち上がって舞台に向けて拍手をするラーニャに。
「ラーニャ……様……」
「どうされました? 私を歓迎する素晴らしい催し……拍手が無くては終われませんでしょう?」
動揺する事無く、終わりを迎えた舞台に向けて笑顔で拍手するラーニャ。
そんな毅然とした姿に感銘を受け、他の者も続いて拍手をし始める。
消化しきれない事態に戸惑いながらも、全員がラーニャに続いて拍手の音を講堂中に響かせた。
「エリン」
「ら、ラーニャ様……」
拍手の音に包まれながら呼ばれた名前に、エリンはラーニャを気遣うように応えながら、恐る恐る横を見る。
「初めて失恋をしたみたいです。私」
沸き起こる拍手の中、ラーニャは清々しさすら感じる笑顔でエリンにそう告げた。
エリンは自分の心配がどれだけの侮辱になるかと自身を恥じて、より一層忠義をもって仕える事を誓った。
「よぉっしゃあ!」
「いっえーい!!」
舞台裏ではエルミラとベネッタがハイタッチ。
満面の笑みを浮かべてミスティの勇気と決意を喜んでいた。
見ていてやきもきしていた周りからすればようやく言った、という思いだろう。二人の興奮を表すようにハイタッチは小気味いい音を鳴らす。
「四大貴族となると大胆ですわね……これは私も負けていられませんわ……」
「いや、どこで張り合ってるし」
サンベリーナは目立つミスティに対抗意識を燃やし、フラフィネはそんなサンベリーナを咎めていると……舞台からミスティが帰ってくる。
アルムとは反対側の舞台袖に掃けたので、一緒ではない。
「ミスティ! 惚れ直したわよ!」
「うん! うんー! 凄かった!」
帰ってきたミスティに飛びつくエルミラとベネッタ。
あんな大胆な事をしてきたというのにミスティは驚くほど静かだったが……よく見ればミスティは顔を真っ赤に染め、涙目でぷるぷると震えながら自分の唇を押さえていた。
「あ、あそこまでするつもりは……。その、つい……気持ちが、抑えきれなくて……ですね……! あ、アルムとずっと目を合わせてたら、い、いつの間にか……! あんな、大胆な……!」
「つまり本能のまま接吻をしたという事ですのね」
「奥手の割に案外やる事やりたい獣みたいなタイプだし」
サンベリーナとフラフィネの冷静な言葉にショックを受けるミスティ。
「は、はしたない女だと……お、思われて、しまったでしょうか……? じ、自分でも、私が……あ、あんな……! き、き、きき……!」
「サンベリーナもフラフィネも黙りなさい! よしよしあんたは頑張った!」
自分のやった事に動揺を隠せないミスティをエルミラは思い切り抱き締め、甘やかすように頭を撫で続ける。
ベネッタはそんなミスティの様子を見て、
(ふふ! アルムくんのほうはどうなってるかなー?)
と、によによしながら反対側の舞台袖を確認した。
ベネッタの名誉の為に言うが、これは好奇心だけが理由ではない。
最後にもう一回、全員で舞台に上がる必要があるのだ。ベネッタはそのタイミングを確認しているだけ……のはずである。
「あんだよ……結局俺が言った通り……いででで!!」
「そういう問題じゃない。あなたは一回女心を勉強してから死になさい」
もう一方の舞台袖ではグレースがヴァルフトの頬を思い切りつねり上げていた。
その後ろではアルムが帰ってくるのを待ちながら、フロリアがネロエラを気遣うように肩を抱く。
「ネロエラ……大丈夫?」
「うん……強がりとかじゃなくて、よかった、って思える私になれて少し嬉しいんだ」
「そう……強いねネロエラは」
最後のシーンを終えて、舞台のほうからアルムが帰ってくる。
観客席のほうからは拍手が聞こえてくる所だった。
あんな事があったというのに、アルムはいつもと同じような表情で帰ってきた。
そんなアルムにルクスがいの一番に駆け寄る。
「アルム……お疲れ様」
「ありがとうルクス」
「その……ミスティ殿のあれは僕達も聞かされていない。でも……」
「わかってるよ」
アルムは口元で笑みを浮かべて、ルクスの声を遮る。
「俺は鈍いし、言われないとわからないが……あそこまでされたら流石にわかる。演技じゃないって事も、ミスティが本気だって事もな」
「アルム……」
「……みんなには迷惑かけたな。ありがとう」
ルクスを含めアルムが帰ってくるのを迎えてくれたグレース達にアルムは感謝を伝える。
しかし、グレースは呆れたようにため息をついた。
「全く……何終わった気でいるのよ」
「え? 終わったんじゃ……」
「ほら行くわよ。そんな仏頂面は許さないわ」
「い、行くってどこに?」
「そんなの……カーテンコールに決まっているでしょ」
ルクスとグレースがアルムを再び舞台に向かせて、その背中を押す。
暗転していた舞台の照明が再び、舞台の上を照らし出した。
背中を押されて再び舞台の上に姿を現すと、観客席からの拍手がアルム達を出迎える。
反対側の舞台袖からはアルムと同じようにミスティもエルミラとベネッタに背中を押されて舞台へと出てきていた。
アルム達十一人は舞台の上で、全員が横並びに並ぶ。
アルムとミスティは舞台の中央で再び顔を合わせる事になり……ミスティは顔を真っ赤にしながら目を伏せた。
並び終えると、まずはグレースが前へ出る。
「本日はありがとうございました。今回の舞台で台本を務めましたグレース・エルトロイと申します。最後に私の台本を素晴らしい舞台へと変えてくれた演者のご紹介をいたします。まずは女王を演じたサンベリーナ・ラヴァーフル」
グレースに紹介されたサンベリーナが前に出て観客席に一礼する。
拍手がより一層大きくなった。
次にフロリア、フラフィネ、ベネッタ、ヴァルフトと……順番に前に出て観客席に一礼していく。一礼するだけではなく、ベネッタやヴァルフトは観客席に向けて手を振ったりしたりもしている。
そんな光景に、アルムの目が見開いていく。
自分へのメッセージが込められた舞台。
最後の紹介に応える友人達。同じ舞台に横並びに立つ自分。
そして――自分達に向けて拍手を送る観客達の姿。
「ミスティ」
「は、はひ……」
「嬉しかった。そして、ありがとう」
あまりの動揺にアルムの顔を見ることもできず、観客席のほうを見続けるミスティ。
そんなミスティを横目で見るアルムの顔はまるで別人のように柔らかい。
「俺もだよ」
「……え」
「ずっと前から、多分、俺もそうだった」
魔法使いになりたい。
けど、何でなりたかったのだろう。
大勢からの拍手が送られる中、俺が思い出していたのは遠い昔の事だった。
覚えているはずのない記憶。ずっとずっと昔から、俺はこうなりたいと思っていたんだ。
"あんた……名前も無いのかい?"
生まれてすぐ死ぬはずだった。
衰弱して、あるいは食い散らかされて。
山の入り口でシスターに拾われたから生きられた。
"君だよ少年。全ては君がどうしたいかなんだ。周りの声の示す先が……君の言う憧れなのかい?"
生きる意味を失うはずだった。
死者のように、幽鬼のようにただ生きる肉の塊になりかけた。
あの花園で師匠と出会って、夢を歩めるようになった。
俺は、魔法使いになりたい。
みんなのおかげで何でなりたかったのかを思い出す事が出来た。
そうだ……そうだったんだ。これが俺の原点なんだ。
俺は助けを求めている誰かを……困っている誰かを、"見つけられるような人"になりたかったんだ。
俺を見つけて救ってくれた師匠とシスターという二人の母親のように。
そして――
"どうなさいましたの?"
ベラルタで迷子になった俺に声をかけてくれた。
身分など関係無い変わらぬ笑顔で。
"あ、見つけました"
ミレルの町で屋根の上でうずくまる俺を見つけてくれた。
友達を失う恐怖を弱さと言わず、優しさという名前を付けてくれた。
"今度は私に――あなたの魔法使いにならせてください"
津波を前に死を覚悟した俺を助けに来てくれた。
俺を不安にさせないように精一杯の強がりと共に、手を握ってそう言ってくれた。
……なんて馬鹿だったんだろう。
ずっと夢だけを見ていたはずなのに、こんな簡単な事にも気付く事ができなかった。
今までの俺はあの日と同じだった。師匠と出会った時と。
白い花園で、うずくまって泣いていた時と同じ……何も変わらないと思っていた時の自分。
"さあ、小さな箱庭から出る時だ"
師匠の声が頭の中で響く。
俺はとっくの昔に言われていた。カレッラだけが俺の世界だった時はあの日に終わりにするべきだったんだ。
何でもっと早く気付かなかったんだろう。
いや違う。
ミスティ達が、みんなが俺を受け入れてくれたから……こう思えるようになったんだ。
「でももっとわかりやすく言ってくれよ……師匠……」
八つ当たりと感謝の二つを込めて、俺は師匠に文句を言う。
自分のせいだっていうのはわかってる。それでも言いたくなったんだ。
もう俺はカレッラのアルムってだけじゃない。
ただの、田舎者のアルムじゃない。
俺の周りにいる人達はとっくの昔に、そう思ってくれていたのに。
「姫を演じてくれたミスティ・トランス・カエシウス!」
グレースがミスティを紹介して、ミスティが前に出る。
元から綺麗だと思っていたけど、昨日よりもずっと綺麗に見えるのは今までだったら有り得なかった感情からだろうか。
観客席から飛んでくる拍手はミスティをみんなと同じように包み込む。
「そして主人公リベルタを演じてくれたアルム!」
グレースの紹介で俺も同じように前に出た。
一礼すると、みんながそうだったのと同じように拍手が大きくなる。
みんなと同じ舞台に立って、みんなと同じように拍手を貰って。
ああ、そう思っていいんだ。
拍手の音が、まるで祝福のようで嬉しかった。
「そして監督台本は私グレース・エルトロイ」
最後にグレースが前に出て、隣に立っていたフロリアの手を取った。
それを真似るように全員が隣に立つ人の手を握って、俺達は握った手で全員が繋がる。
俺はきっと何かに縛られていたんだろう。
疲れているはずなのに、こんなにも体が軽い。
「ベラルタ魔法学院三年生十一人でお送りました! ありがとうございました!」
グレースの号令と共に十一人全員でもう一度観客席に向けて一礼する。
きっと、これがみんなが伝えたかった事。
俺の居場所はもうあの白い花園だけじゃない。
夢に絶望して、うずくまって泣いている子供はもういない。
俺はアルム。
ベラルタ魔法学院に通う三年生で、魔法使いの卵。
同じ志を持ったみんなと同じ場所にいる。同じ道を歩いている。
あなたの居場所はここだと手から伝わる温もりがそう伝えてくれていた。
「俺は、アルム」
小さな箱庭を飛び出して、みんなと同じ世界の中に。
――俺はここにいる。
いつも読んでくださってありがとうございます。
第九部エピローグまで後四話ほど……!




