71.少年少女
昼時のベラルタ魔法学院の食堂。
個々の訓練や実技を終えた生徒達のほとんどがこの時間にはここに集まる。未来を担う魔法使いの卵達が集まる姿は見る者が見れば壮観かもしれない。
生徒達が集まるこの場所は装飾の施されたバラストレードに、机に置いてある小物、魔石を使った照明の形状まで凝っている落ち着いた雰囲気を醸し出す生徒達の憩いの場でもある。
「アルムの嘘吐き」
「いや、嘘だったんならむしろ喜ばしいんだが……」
そんな落ち着いた雰囲気の一角でアルムはじとっと疑いの目を向けられていた。
今日の早朝に大通りであった出来事を話したのである。
真正面に座っているエルミラの視線がアルムに突き刺さっている。
「でも、アルムは誤魔化すことはあるけど、嘘を吐く時はわかりやすいからこれは嘘じゃないんじゃないかな?」
エルミラの隣に座るルクスからの援護。
普段アルムと過ごしていればアルムが嘘をつくのが上手くないのはすぐにわかる。
今のアルムは少し疲れているようではあるが、嘘をついている様子が無い。
「ええ、少し疲れているようですけど、それ以外に変わった様子はありませんし……いつもわかりやすくて今日だけ流暢に嘘をつくというのは不思議な話ではありません?」
アルムの隣に座るミスティもルクスの意見に賛成のようだった。
隣で少し疲れた様子のアルムの表情をミスティは首を傾けるようにして伺う。
髪が少し揺れ、薄っすらと花のような香りがアルムの鼻孔をくすぐった。
「アルムが器用な方でないのはエルミラも十分わかっていますでしょう?」
「そりゃそうだけど……道端で足下に滑り込んでくる女ってどんな事情よってならない?」
「確かにそのまま受け止めるのもおかしな話ではあると思いますけれど……」
「故意に見えただけと考えればまだ納得いきそうな話なんだけどね」
一緒に座る三人はアルムの話にあーでもないこーでもない。
魔法を研鑽して競い合う魔法学院の生徒とは思えない何でもない会話が繰り広げられていた。
そんな何でもない会話は聞き耳を立てられているようで、周りには耳を傾ける貴族が数人いた。
この場は魔法を高め合う場所とともに情報収集や貴族の繋がりを作る絶好の場である。
何せ今雑談に参加しているのはマナリル一の大貴族の次女ミスティ、魔法使いの名門オルリック家の長男ルクス、没落したものの才能は顕在のエルミラ。
平民のアルムはさておいて、他三人は繋がりを持てば何かしらのメリットは確約されるような面子だ。このように何気ない会話からでも切り口を見つけようとする姿勢はむしろ褒められるべきだろう。
しかし、今の所成果が得られるとは思えない。
彼らは魔法使いの卵で貴族だが、まだ少年少女。
魔法とは関係無さそうな話題だって面白そうならば興味津々なのである。
「そういえばベネッタは?」
出来事の張本人にも関わらずあまり話に入ろうとしないアルムは一向に来ない友人の名前を出す。
昼の時間はこうしてカフェテリアで雑談に興じるのが日課のようになっていて普段ならばいるのが当たり前なのだが、今日はその姿を見せていない。
ついきょろきょろと周りを見てみるもののやはりそれらしき人物は見当たらなかった。
「ああ、何か他所から来た魔法使いを案内してるらしいわよ」
「他所から来た魔法使い?」
「ええ、ガザスから来てるんですって」
「ガザスってカレッラの近くにある国か」
「ええ。小さい国だけど、一応友好国だからたまにこういうのがあるのよ」
聞いたアルムの心情は少し複雑だ。
他国の魔法使いに興味はあるものの、その他国の魔法使いに複数で襲われた記憶があまりにも新しすぎる。
一月前の【原初の巨神】の侵攻だってその魔法使い達によって起こされた災害だ。
ダブラマとガザスという国の違いはあれど、他国の魔法使いというのはアルムからするとトラブルのイメージが拭えない。
「やっぱり偶然転んでそうなったんじゃないかな?」
「あら、それでしたらその起き上がって謝罪するなり、アルムを責めたりしてもいいと思いますわ」
「ああ、そりゃそうだね」
「魔法使いなのかもわかりませんが、案外ただ強化魔法の練習をしていたというのはどうでしょう?」
「そうだとしても、わざわざ踏まれる意味はわからなくないかい?」
「そうですわね……考えれば考えるほどわかりませんわ」
そんなアルムを他所にミスティとルクスの議論は平行線。
どうでもいい話のはずではあるが、魔法使いという線を考慮しつつ真面目な意見を出し合っていた。
「お礼を言ったってのもおかしな話だね」
「その女性にとって踏まれる事が何か利益になっていたという事でしょうか?」
「アルム、その女性は他に何か言ってなかったのかい?」
「すまん、何か言っていた気もするが、恐くて礼を言われた後すぐに逃げてしまったんだ」
「ううん……踏まれる事に何の意味があったんだろう?」
「何かの風習なのでしょうか……?」
「そういう趣味なんでしょ」
予想以上に真面目に悩み始めた二人に対して面倒になったのか少し投げやり気味なエルミラ。
スプーンで紅茶をくるくると回しながら特に何も考えず、てきとうな意見を投げ入れた。
「趣味?」
「どういうことだい?」
「え」
しかし、そのてきとうな意見がこの場においてはまずい事を言ってから知る。
「趣味とはどういうことですか?」
斜めに座るミスティからの予想外の追及にエルミラは突如追い詰められる。
墓穴を掘るとはまさにこの事。
濡れるように輝く純真な瞳がこんなにも残酷だと感じるのは初めての経験だった。
助けを乞うように隣を見れば、ミスティどころかルクスまで疑問の表情を浮かべている。
そう、彼らは少年少女。
面白そうな話題には興味津々だ。
そしてその面白そうな話題に一石を投じたとあれば追及も当然といえる。
「あ、アルムが知ってる……わよ……」
エルミラは追及をかわすためにアルムへと無責任なパスを投げる。
わざわざ他人に説明させるのもおかしな話ではあるが、特に何の疑いもなくミスティの瞳はアルムへと向けられた。
「本当ですか?」
「いや、わからん」
「わからないそうですよ?」
その無責任なパスもエルミラに二秒ほどの猶予しかもたらさなかった。
再び全員の瞳はエルミラを捉えて逃がさない。
正面には無知な田舎者。隣と斜め前には箱入り貴族。
この場で中途半端に俗世の知識を持っているのは何を隠そうエルミラだけなのである。
「う……! そ、その……!」
説明しなければいけないのか?
真昼間にこんなにも大勢の貴族がいる中で?
"世の中には踏まれて性的に気持ちよくなる人もいるのよ"
そんな事言えるはずがない。
想像するだけで恥ずかしい。
恥ずかしさでエルミラの顔はわずかに紅潮していた。
エルミラとて年相応の乙女である。
周りの貴族達も聞き耳に余念がない。
無論、この会話を聞き耳している貴族達のほとんどはどういう意味か当然わかっている。
貴族といえど、いや、貴族だからこそ、そういった趣味にはある程度興味を持ち、理解があるものである。
少数派なのはあくまでミスティやルクス。
そんな希少な純粋さにエルミラは今追い詰められている。
「あ……う……」
エルミラは一緒に座っている三人どころか、この一角で最も注目されているといっても過言ではない。
どうにかこの場を切り抜けたい。
だが、誤魔化そうにも何も思いつかない。
長く感じる時間が過ぎる中、
「あ、みんなー!」
そんなエルミラに救いの女神が舞い降りる。
「ベネッタ」
「あら、ベネッタさん」
「よかったー、いたー」
ベネッタはいつも通り間延びした特徴的な声で四人が座る場所へと小走りで駆け寄ってきた。
「ガザスからの魔法使いを案内していたのでは?」
「うん、それはヴァン先生に引き継いでもらったのー。それでね、アルムくん見たいかなって探してたの!」
「見たい? 何をだ?」
「ガザスから来た魔法使いの魔法儀式ー。今からやるんだってー」
「なに……!」
ベネッタからの情報にアルムは勢いよく立ち上がる。
アルムは魔法の知識に飢えている。今日の朝もその飢えを満たす為に早起きしていたといっていい。
さらに言うならば、アルムは結局今日の朝目的の本を読む事ができなかったのだ。
早朝に変な女性と出くわした上に目的の本すら読むことができない精神的なダメージこそ今アルムが心なしか疲れている理由でもある。
そんなアルムがこんなおいしい話を見過ごすはずもない。
他国の魔法使いに対して微妙な感情はあるものの、見知らぬ魔法が見れるかもしれないとあれば些細な問題だ。
「とはいってもヴァン先生が見ながら軽くらしいんだけどねー」
「それでも見たい。すぐに行こう」
「私も興味ありますね……見れる機会も限られますし……」
「ねー、みんなで行こうよー」
「なら少し急ごうか。着いたら終わってた、なんてのは少し残念だしね」
先程までの会話を切り上げ、アルム達は立ち上がる。
「ガザスの魔法……私見たことないかもしれません」
「ガザスはそこまで特殊な魔法は無かったはずだけど……それでも戦闘以外で他国の魔法使いの魔法を見れる機会なんて無いからね、僕も見るのは初めてだ」
「ダブラマとはまた違うよな?」
「ふふ。ええ、属性は同じでも国によって主要な魔法が違ったりしますから」
すでにアルム達の興味は他国の魔法使いへと移っていた。
逸るアルムとそれに並ぶミスティを先頭にルクスが一歩後ろにつく。
呼びに来たベネッタも楽しそうな三人を後ろから満足そうに見つめるとそれに着いていった。
「ベネッタ」
「なにー?」
ベネッタは自分のさらに後ろを歩くエルミラの声に振り返る。
エルミラは振り返ったベネッタの手を強く握った。
「ありがとう。あなたが友達でよかったわ……」
「へ? 嬉しいけど……どしたの急に……?」
脈絡のない感謝に少し混乱するベネッタ。
エルミラの口から何に対してかが語られる事は無かった。