683.呪われた魔法使いとお姫様6 -夜想曲-
「予定通りに進んでるのか?」
舞台袖で雪を落とすアルムが、傍で見ているだけのグレースに尋ねる。
ネロエラとのシーンはアルムにとって驚きの連続だった。
まずはネロエラが血統魔法を使ったエリュテマの姿で出てきた事。
アルムはあの姿がネロエラだと知っているから何でもない顔が出来たが、内心では何故かもよくわからなかった。
そして別れ際前のネロエラの台詞。やけに耳に残ったあの言葉は朝やったリハーサルでは予定にない。
何より……演技では無かったような気さえした。
「ええ、問題ないわ」
「聞かされてないぞ……? 直前で変更したって事でいいのか?」
「私も聞いていなかったわ」
「……それは予定通りと言うのか?」
グレースは頷く。
誤魔化している様子も無ければ、てきとうを言っている様子でもない。
「舞台に上がったネロエラが決めたのよ。あれ以上に正しい選択は無いわ」
「そうか。確かにこの舞台がより良くなるなら練習のままじゃなくてもいいわけか……奥が深いな」
俺には難しいが、と付け加えてアルムは再び舞台に戻ろうとする。
その背中に、グレースの声がかかる。
「いいえ、あなたも考えないと駄目よアルム……ネロエラの、そしてこれから一緒に舞台に上がるみんなの言葉を読み取って。何故台本に無い言葉を口にするのかを……それが、この舞台に立ち続けるあなたのやるべき事よ」
「人の気持ちを察するのは苦手分野なんだが……」
「苦手なだけで、無理なわけじゃない。そうでしょ? あなたは周りを見る事に関しては一級品なんだから」
「わかった。座長命令とあらば頑張ってみよう」
アルムは頭をひねりながら暗闇に包まれた舞台へと進む。
次のシーンにリベルタの旅路を作るために。
グレースはアルムの背中を見送ると、次の演出のために照明用通路に梯子を使って昇っていった。
暗闇の中、薄っすらと上から見えるアルムを見下ろす。
「気付きなさいアルム……あなたは、どこにいるの?」
その問いを投げかけるように、グレースは魔法を唱えた。
「わぁ……」
観客席から感嘆の声が漏れる。
舞台の暗闇を照らしたのは夜空だった。
否。舞台だけではない。
舞台上という枠を飛び出して、前方の観客席付近まで広がる突然の夜空に観客席は舞台と頭上のどちらにも視線を奪われた。
現れた夜空は星の天蓋。その瞬きはリベルタの旅路を祝福するかのよう。
そんな夜空に相応しい少し冷たい風が吹いた。
『冷えるな……』
声と共に観客席も舞台の中央を歩く主人公リベルタに気付く。
リュックを背負って歩く姿は旅の途中を思わせる。
寒さに両手で腕を擦りながら、リベルタは上を見上げた。
観客席の人々も釣られて上を見る。
『でも、綺麗だ。故郷でわざわざ星を見るなんて事したことなかったな』
リベルタと観客席の人々の瞳に同じ夜空が映る。
今まで見なかったのが勿体ない、というリベルタの思いを共有しているかのようだった。
リベルタの旅路を邪魔するものはない。
荒ぶる野犬の唸り声も、人の怒号も、背中を指差す嘲笑も、人間の矮小さを笑う自然の脅威もここには無く……リベルタはただ歩く。
リベルタの歩く場所は街道のようだ。
少し歩くと、リベルタの隣に木の看板が現れる。
リベルタ演じるアルムは舞台の中央を歩くように足を動かしていただけ。にも拘わらず、歩いた先にあったようにその看板が舞台に突然現れたのを見ると、どうやら今まで魔法で隠されていたらしい。
『さて……どっちに行けばいいんだろうか』
『こっちね!』
元気のいい声と共に舞台袖からマントを羽織った女性が現れた。
赤みがかった茶髪に燃えるような赤い瞳をしており、片手で荷物を背負いながら身軽そうにリベルタのほうへと歩いてくる。
『あら、あなたも旅人? 言っておくけど、私が来た道はオススメしないわ。馬鹿な領主がやらかして治安が不安定になってたの。あんたが来たほうは?』
『山だな。少し前には雪も降っていた』
『それは勘弁したいわね。だったら……二人共こっちの道かしら』
そう言ってエルミラ演じる女旅人エルミラは観客席のほうを指差す。
話は決まったと言わんばかりに二人は横並びに歩き出す。
街道で偶然出会った旅の道連れの登場。静寂な夜には不似合いな人物の登場と同時に、観客席に吹く冷たい風もなくなった。
『私はエルミラ。見ての通り旅人よ。ねぇ、あなたどこから来たの?』
気さくに話しかける女旅人エルミラ。
夜空の下、リベルタが一人で歩いていた時とはまた別の趣がある。
『俺はリベルタ。東のほうにある呪われた国って呼ばれてる国から来た』
『え、あの年中黒い霧が出てるっていう?』
『ああ、その黒い霧が出てる国だ』
『ふーん……? 私は西のほうから来たの。旅人になりたかったんじゃなくて、気付いたらなっていたのだけれどね』
『そうなのか』
『そうそう。親も故郷も糞でさ。いたくなかったから飛び出してこんな感じよ』
初めて出会った相手に話すには重い話を、軽く話す女旅人エルミラ。
それは旅人同士の出会いが一時のものであるからか。それとも本人が吹っ切っているのか。
前のシーンで現れた魔狼ネロエラやリベルタと同じように、理不尽な現実を味わった者にしては表情が明るかった。
『そういうあんたは? 呪われた国って言うくらいだからあんたも自分で出てきたの?』
『俺は追い出されたんだ』
『追い出されたぁ? 何かやらかしたの? それでそんなに落ち込んでるってわけか』
『落ち込んでる? いや、そんな……そう見えるのか?』
『ええ、私からはそうとしか見えないけど』
女旅人エルミラの言葉にリベルタは立ち止まる。
自分が何に落ち込んでいるのか考えるように俯いた。
その瞳に夜空は見えていない。
『俺は……母さんから教えてもらった魔法の研究をしていたんだ』
『うんうん、話しちゃいなさい。楽になるわよ』
『その魔法は故郷では魔法と認められてなくて……でも母さんに教えて貰った魔法が俺の魔法なんだ。だからずっと続けてた。そうしたら……"呪いの子"だなんて呼ばれて、俺はそれを理由に追い出されたんだ』
『へぇ、ひどい話もあったものね?』
リベルタとエルミラは再び歩き出す。
星が見守る中、短い旅路を。
『……俺は間違っていたのかな』
『何言ってるのよ。やりたい事をやろうと思うのは当然じゃない』
『慰めてくれてるのか?』
『いんや? 私はそう思うってだけ。私だってやりたい事をやってるだけだから。当然それがうまくいかない事だってあるけどね』
星空の下を並んで歩く二人は仲睦まじい姉弟のような。昔からの友人のような。
先程会ったばかりにも関わらず、会話の中にそんな雰囲気を漂わせていた。
それでいて、すぐに別れるから互いに自分の身の上話をしているんだろうなと見ている者に確信させるような。
『やりたい事そのものが間違いかどうかなんてのはわからないものよ。そのやりたい事で何を為すのかが大事なんじゃない? 自分の選択が正しかったかどうかなんてきっと後になってからしかわからないのよきっと』
『そういうものか』
『そういうものよ』
エルミラは少し考える素振りを見せて、ひらめいたと言わんばかりに手を叩く。
『つまりだ、リベルタは故郷を思い出して落ち込んでたんだ。本当は帰りたいのね』
『え?』
『故郷の事を思い出してたから落ち込んでたんじゃないの?』
『そう……なのかな……。そうなのかも、しれないな』
『だったら一度帰ってみたら? 一目見るだけでも何か違うんじゃない?』
『でも、俺は追放されたのに』
『国が勝手に追い出したんだもの。だったらリベルタだって勝手に帰って一目見るぐらいしたらいいじゃない。それに……何かあの国大変な事になってるらしいわよ?』
『なに? そうなのか?』
『ええ、なんでも王様が捕まったとか何とか……? 詳しい事は知らないけどね、呪われてる国なんて行こうとは思わなかったし。あんたに出会って興味はわいたけど』
リベルタは前を見据える。
観客席が主人公リベルタと目が合ったような錯覚を起こすほど、力強い瞳だった。
『行ってみる。すぐに追い払われる事になっても』
『そう? でも……そんな理不尽な目に遭ってもそう思えるって凄い事だと思うわよ。あなたの何がそうさせるの?』
『それは……』
リベルタが言いかけると、またも看板が現れる。
左右で別の方向を指している。
『あんたの国に行くならあっちね』
エルミラは右を指差した。
リベルタはエルミラが指差す方向を見る。
『私はこっち』
エルミラは次に左を指差した。
リベルタはそちらを見ない。
『私達は違う道を歩いてる。それでも……間違いなんかじゃない。きっと、どっちも正しいのよ。あんたのお母さんの魔法がどれだけ変わっていたって関係無いわ』
『……そうだな。そうだ。エルミラの言う通りだな』
この会話を最後に女旅人エルミラと別れる。
そのはずだったが、エルミラは続けて口を開いた。
「あんたは自分で自分がどこにいるかわかってないわ。気付いて。あんたはもっと自由なんだって……私は、そんなあんたに追い付きたくて走ってきたの」
「え……?」
「一度立ち止まって周りを見てみて。あんたは世界のどこにいる? 前だけ見てたら……見逃しちゃう事もあるものよ」
エルミラは手を広げる。舞台と観客席両方を見せるように。
『じゃあねリベルタ。またどこかで会いましょう』
『ああ、また会おうエルミラ』
エルミラは舞台袖へと。
それを見送って――実際には驚いていたアルムはエルミラとは反対側への舞台袖へと歩いていく。
舞台の上に二人が歩いてきた道に立つ看板だけを残して、舞台は暗転した。




