679.呪われた魔法使いとお姫様2 -前奏曲-
場面は変わり、照明用魔石の光が舞台を照らす。
先程の玉座の間とは違い、今度はこじんまりと、それでいてみすぼらしさすら感じる小屋のようだった。
アルムが演じる町外れに住む少年リベルタは椅子を拭いていた。
リベルタの服は少し薄汚れていて、いい生活をしていないのは明白だ。
リベルタは椅子を拭くが、その掃除した椅子とは別の椅子に座る。
そんなリベルタを見て観客が想像するのは二つ。
家族のいない寂しさか、来客用の椅子を掃除していたか。
リベルタの境遇に同情した者であれば後者であってほしいと願うだろうか。
『おはようお母さん』
淡々とした声で口にした挨拶は観客に彼の境遇を容易に想像させる。
誰もいない椅子はかつて母親が使っていたものなのだろう。
リベルタは空席の椅子に向けて朝の挨拶をしたかと思うと机に積み上げられた本を開いた。
掃除して本を読む。それが朝の日課であるように。
静寂。孤独。
本をめくるリベルタの様子はただそれだけを伝えているようだった。
ドンドンドン!!
そんな静寂を裂くようにどこからか扉を叩く音が鳴る。
ノックにしては激しい。
リベルタは戸惑うように舞台袖のほうを見ながらゆっくりと立ち上がる。
『……? どうぞ?』
本を閉じてリベルタは入るように促す。
すると、舞台袖からゆっくりと現れる黒いローブ。長い杖を持った魔法使いフラフィネだ。
その後ろに騎士甲冑を着た護衛と魔法使いフラフィネと同じように杖を持つ目に布を巻き、白いローブを羽織った女性を率いていた。
その後ろには複数の人型の影だけが並んでいる。
まるで騎士団を率いてきたような大所帯。
リベルタは戸惑いのまま後退る。
『我々は偉大なるサンベリーナ王の使者である。ここに住むリベルタという少年……"呪いの子"の住処はここか』
魔法使いフラフィネの声が響く。
がたん、と椅子を蹴って倒したリベルタは戸惑いを隠せぬ様子でその場に跪いた。
『確かにここは私、リベルタの家でございます。偉大なるサンベリーナ王の使者様をもてなせるようなものはござい――』
『ほう。認めるのだな"呪いの子"リベルタ』
リベルタの声を遮って前に出る魔法使いフラフィネ。
その悪辣さが台詞からにじみ出ているようだった。
普段のフラフィネを知っている者からすれば驚愕してもおかしくない。
フラフィネはそっけなくとも、悪意を剥き出しにするような少女かと言われれば間違いなく違う。
面倒だ、と言っておきながら裏でよほど練習したのがわかる。
事実、観客席のほうを見れば魔法使いフラフィネに苛立っているように眉間に眉を寄せる者が何人かいた。
『自身をリベルタと。"呪いの子"だと認めるのだな?』
『……リベルタは確かに私の名前です。"呪いの子"というのは他者が――』
『いいや、もういい。君がリベルタだというのなら話は早い。偉大なるサンベリーナ王からの王命を読み上げよう』
『私のような者に、王命……ですか?』
魔法使いフラフィネは懐から巻物を取り出し、勢いよく広げた。
そして意気揚々と読み上げる。
『我が国に呪いを蔓延させる呪いの子リベルタを国外追放とする。以上だ。偉大なるサンベリーナ王は慈悲深い……荷物を纏める時間を用意してくださっている』
『な、なにを!? まさか……私がこの国の呪いの原因だとでも!?』
『その通りだ。我々の調査の結果……貴様の汚らわしい研究が呪いの原因だとわかった。本来なら何年も美しきこの国を呪いで苦しめた貴様は斬首が当然だが……偉大なるサンベリーナ王は慈悲深い。なにより呪いは意図しないものだったのだろう? わかっている。わかっているとも……なればこそ国外追放で済ませてやろうというのだ。寛大な判決に感謝しなさい』
反論は聞かないと言わんばかりに背を向ける女魔法使いフラフィネ。
背後に控えていた目に布を巻いた白いローブを羽織った女性――盲目の魔法使いベネッタが口を開く。
『本当にこのような少年が我が国の呪いを?』
『その通りだ。私とて信じられないが……事実だ。本人ですら自覚がない。だからこそサンベリーナ王は国外追放という慈悲深い決定を下したのだ』
『……リベルタ。ここでは何の研究を?』
盲目の魔法使いベネッタの問いに魔法使いフラフィネは舌打ちする。
リベルタは呆然としながらも、答える。
『魔法の才能無き者でも魔法を使う研究です。別の魔法形態を作り出せればと……亡き母の研究を引き継いでおります。で、ですが断じて呪いなど……!』
『ベネッタ。罪人が真実を喋るとでも思っているのか? これは王命だ。しっかり見ろ……っと、貴様には見えなかったか。ふふふ』
魔法使いフラフィネの嫌な笑いが観客の神経を逆撫でする。
盲目の魔法使いベネッタは顔をしかめながら背後に控えているもう一人、騎士甲冑を着る男に声をかけた。
『……騎士ルクス。私に代わって王命の確認を』
『はっ』
ルクス演じる護衛騎士――騎士ルクスが魔法使いフラフィネに一礼して書状を受け取る。
魔法使いフラフィネはにやにやと笑みを浮かべていた。
騎士ルクスが書状を見ている間、誰かがごくりと生唾を飲んだような気がした。
『王命の内容に間違いはありません』
『そう、ですか……』
衝撃を受けたように怯む盲目の魔法使いベネッタ。
『もういいかな?』
『……ええ、時間を取らせましたフラフィネ』
『いいや、いいとも。疑い深いのはいい事だ。魔法の探究とは常識を疑う所から始まる。今は常識が正しかっただけのこと』
魔法使いフラフィネは跪いているリベルタのほうに向き直る。
『明日の朝までには荷物を纏めたまえ。この騎士ルクスが迎えに来る。知人に別れでも告げてこの美しい国で過ごす最後の日を楽しむといい』
『お待ちを! 何かの間違いでは――』
『くどいな。王命が間違いだと?』
『い、いえ……ですが……』
『これは決定だ。偉大なるサンベリーナ王の慈悲に感謝しなさい』
最後にそう告げて、魔法使いフラフィネは舞台袖に掃けていく。
付き従う騎士ルクスと人型の影もまた舞台袖に消えていった。
『……心中お察し致します』
盲目の魔法使いベネッタは膝をつくリベルタの肩を優しく叩いて、舞台袖に掃けていった。
一人取り残されるリベルタ。少しの静寂の後、立ち上がる。
『……仕方ない。逆らったら殺されそうだ。国外追放って事は殺されないって事だもんな』
リベルタは乱暴に椅子に座る。
『母さんも言っていたもんな。私達の魔法は異端として扱われるかもしれないって……でも呪いなんて知らないよ……』
リベルタは一人うなだれる。
だが、すぐに顔を上げた。
観客席に見せるその顔は悲しそうな笑みを浮かべている。
『ああ、でも……どうせこの国に俺を思ってくれる人なんていないんだから……出て行ったって一緒か……』
舞台を照らす照明が小さくなって、リベルタだけを照らすような光量にまで下がる。
観客の視線は嘆きながら前を向こうとする少年リベルタに集まった。
『家族もいないし、友達もいないし……研究ならどこだって出来るもんな。そうだ、今と大して変わらない。国外追放だなんて……ただの旅だと思えばむしろ、楽しそう……じゃないか』
悲愴な声を観客たちに残して舞台は暗転する。
何もしていない少年に降りかかる理不尽。
観客席に冷たい風が吹いた。
「よしよし……いいわよアルム」
舞台裏でガッツポーズするグレース。
その賞賛はアルムに届かせる気もなく、グレースはただアルムが役になり切っている事を確信する。
照明の調節も我ながら完璧だとグレースは自画自賛する。観客席に吹いた冷風はミスティによるものだ。その腕は流石というべきか、観客が不快にならない最低限の"現実への影響力"で主人公リベルタの心の寂しさを伝えるアクセントになってくれた。
隣で同じように照明を操作していたエルミラも順調な滑り出しに頷く。
「フロリアの『無意味な葬列』もいい味出してたわね。結構人型を出せてたわ」
「演者の少なさは演者でカバーすれば問題無いもの。フロリアの役は出番も少ないから」
「魔法の数を考えると裏で一番大変なのにねあいつ」
そう言うと、エルミラは照明操作用の足場から離れる。
「大道具動かすの手伝ってくる。そのまま私も準備に入るわね」
「任せたわ。それと……好きなようにね」
エルミラはそのまま舞台裏のほうへと降りていく。
次のシーンは照明の光量も一定にすればいいだけなのでグレース一人でも問題はない。
なにより……次のシーンは舞台に上がる演者の数も多い。演出での負担は最低限にしなければいけない。
「とりあえず……台本通りの所は問題無さそうね」
アルム達の演じっぷりからは今日までの練習の成果が表れている。
上から見える観客の反応も概ね悪くない。目が肥えているであろう貴族連中でも見れる舞台には何とか仕上がった。
次のシーンまでは恐らく台本通り。
そこから先は……ただの舞台では終われない。
舞台に配置する大道具の準備が終わったのを確認して、グレースは照明用魔石に一気に魔力を通した。




