677.開演前の舞台裏
「全生徒が集まるとは壮観ですね。かのベラルタ魔法学院の生徒とあれば」
「んふふふ。光栄ですラーニャ様」
普段とは違って少し騒がしいベラルタ魔法学院の講堂。
学院長オウグスのエスコートでラーニャとエリン、そして護衛の魔法使い達は特別席へと案内される。
今日はベラルタ魔法学院祭当日。開会式を兼ねた開幕の催しは三年生による演劇だ。
講堂には朝から生徒達が集まってきており、各自席に座って幕が開くのを待っている。
待っている生徒達がちらちらとラーニャを見ており、ラーニャはその都度手を振って返した。
ラーニャの容姿はマナリルでも変わらず美人に分類されるだろう。
整った顔立ちは勿論、歩く姿や細かい所作まで優雅。
幼さの残る容姿ながらすでに漂う女王の風格のギャップもまた魅力の一つだ。
外見で特に目を惹くのはダークブラウンの髪。黒と同様マナリルでは珍しい髪色だが、厳かな服装の上に流れるその長髪は色気すら漂わせている。
そんなラーニャが手を振ってくれるのだから、男子生徒の一部はでれでれと鼻を伸ばすのも仕方ない。
「めっちゃ美人だ……」
「フィンくんの顔気持ち悪いね」
「リコミット、お前幼馴染だからって言い過ぎだぞ……」
「だって……いや、本当に気持ち悪いよ……鏡見る?」
「……遠慮しとく」
一年生席に座るフィンもまたラーニャに手を振り返されてだらしない表情へと変わっていた。
隣のリコミットが差し出す鏡を見て自分の表情が相当だらしない事を察したのか遠慮する。
そんなやり取りに、隣に座るセムーラはくすっと笑った。
「あれだけの美人だもの。男の子がでれでれするのは仕方ないんじゃない?」
「でもセムーラさん~……」
「フィンが悪いんじゃなくて、見た目もしっかり武器にしているラーニャ様が凄いのよ。同年代とは思えない色気もあって、ガザス国内の政争を勝ち抜いた猛者だって事を悟らせていないんだもの。ここにいる男の子なんて相手にされないから……安心していいんじゃない?」
「あ、安心とかは別に無いですけど……幼馴染としてですね……」
顔を赤くするリコミット。
配られたパンフレットを開きながら、妹みたいな子だなとセムーラは微笑む。
そしてラーニャのほうに目をやると、二年の先輩でありパルセトマ家の兄妹でもあるライラックとロベリアがラーニャの護衛の中に加わっていくのが見えた。
性別は違えど、どちらも同じ髪色をしているので遠目でもわかりやすい。
「二年ですでに王族の警護を任されてる……流石パルセトマ家……」
「てか、もっと護衛で固めると思ったんだけどそうでもねえな?」
「それだけあの側近の魔法使いの人の腕が優秀なんでしょう」
「あの片腕の女が?」
フィンは疑わしい目で常にラーニャの隣を陣取るエリンに目をやる。
「うお!?」
すると、途端にエリンはフィンのほうを振り向き、フィンを睨んだ。
だがすぐに危険が無いと判断したのか、エリンの視線は外れる。
数秒にも満たない動きだったが、それでもエリンの警戒心が凄まじい事だけは重々伝わる出来事にフィンは呆気にとられる。
「びびった……」
「女性で、しかも片腕でラーニャ様の側近をしている魔法使いなんて怪物に片足突っ込んでるに決まっているじゃない。マナリルの四大貴族クラスの実力はあるでしょう。私達にはわからないけど、あの人の感知魔法が講堂中にあるんじゃない?」
「そ、そりゃそうか……そりゃそうだよな……」
「一流の魔法使いにもなると、理解できない領域になるのよきっと」
セムーラは俯きがちに目を伏せる。
思い浮かぶのは毎日授業後に会えるほど身近で、それでいて遠い場所を進む人の顔。
「……私達の先輩だって、そういう人達ばかりじゃない」
「……だな」
思い出すは侵入者チヅルに襲われた際の記憶。
フィンもまたセムーラと同じ屈辱を味わった一人ゆえに、セムーラの言いたいことがよくわかった。
「まぁ、とにかく……未熟な私達がいくら手を振った所で名前も覚えてもらえないでしょうし、眼中にも無いでしょう」
「そうだよフィンくん、諦めようね」
「いや別に本気で惚れてるとかじゃないけどよ……」
セムーラとリコミットに諭され、ぶつくさと言いながらも肩を落とすフィン。
遠くに見えるラーニャは生徒達に手を振り終わると、席に着いた。
そしてパンフレットを開いたかと思うと、楽しそうに隣のエリンに見せている。
そんな歳相応な姿すら、女王という地位とのギャップを感じて魅力的に見えた。
「あの女王様が惚れる御方なんて……それこそ、自分を救ってくれるような王子様くらいしかいないんじゃない?」
「なんだそれ……それこそガキの妄想みたいな……」
「妄想を馬鹿にするの? 私達は、そんな理想を現実にできるものを目指しているんでしょう?」
セムーラにそう言われたかと思うと、フィンは黙ってパンフレットを見始めた。
これから現実で行われる……架空を描いた幻想のお話に目を向けるために。
「さて、ようやくと言うべきかもうと言うべきか」
ざわざわと生徒達が会話する客席の声が聞こえてくる暗がりの舞台裏。
大きな眼鏡を直しながら、グレースが舞台に上がる十人のほうへと向かい合う。
アルム達はすでに用意された衣装に身を包み、開演を待っている。
「そうですねー座長ー!」
「そうね座長」
「うんうん、いい気分にしてくれてありがとう。劇が終わるまでは私をトップとして扱いなさい」
グレースを座長と呼ぶベネッタとエルミラ。
珍しく嬉しそうに頷くグレースの様子を見るに、本当に呼ばれたかったらしい。
優越感に浸るグレースはわざとらしい咳払いを一つして話を続ける。
「緊張する必要なんて無いわ。見に来る客の数も、誰が見に来るかも事前にわかってる舞台……劇団の財政事情すらも気にする必要ないちょろい舞台だわ。強いて言うなら、不出来なものを見せてラーニャ様の機嫌を損ねたら私の家が潰されるくらいじゃない? 大した事ないでしょ?」
「大した事あるよ……」
「あらそう? ルクスさんにそう言って貰えるなんて光栄だわ。でも心配はないって言いたい事は伝わった?」
「それはまぁ……」
グレースは口元で笑う。
「誰かが失敗しても誰も死なないし、村は滅びないし、町が壊れることもない。
いつもあなた達がやってる事を考えたら……大した事ないでしょう? 私達は魔法使いの卵なんだもの。間に合わなかったり失敗したら誰かが死ぬようなことをずっと経験してきて、負けたら町が滅ぶような危機も見てきた」
グレースが開演前の緊張をほぐそうとしているのは間違いない。
この二年、自分達が遭遇した死地をアルム達に思い出させながら語る。
実際、そんな死線を潜り抜けていた。
それに比べたら、舞台の上で幻想を演じる程度で緊張する必要などないのだと。
「だから、私達は今日好きなようにやる」
それは誰に向けられた言葉だったのか。
アルム以外はその意図を受け取った。アルムは緊張をほぐす話の続きだと誤解した。
「私の欲望で作ったお話の中で、あなた達も好きなようにやりなさい。
今日この演劇は誰のためなのかを、もうあなた達はわかっているんだから」
続ける内にグレースの表情は真剣なものになり、それを聞いたアルム以外の九人の表情も変わった。
「私は今日、あなた達を通じてその誰かさんに恩を返す。頼んだわよ」
言い終わって、グレースは手を顔の横で挙げた。
察したベネッタが一番に飛び込む。
「任せてー!」
「ええ、任せたわ」
舞台の上に立たないグレースが、想いを託すためのハイタッチ。
ベネッタとグレースの手がぱちん、と音を立てた。
「こういう事やるんですのねグレースさん」
「似合わないし」
「自覚はあるわ」
サンベリーナとフラフィネ。
二つ手が鳴る音がする。
「よっ! 座長! いいお話だったわね」
「そういうグレースちゃんも嫌いじゃないぜ」
「どうも。でもあなたは黙りなさいヴァルフト・ランドレイト」
フロリアとヴァルフトもそれに続く。
「が、がんばってくるぞ」
「ええ、いってらっしゃいネロエラ」
か細い声のネロエラを勇気づけるように一言添えて、ネロエラとも。
少し勢いをつけて鳴らした手の音は小気味がいい。
「任せてグレース」
「僕達にも、言いたい事はあるからね」
「ええ、あなた達には世話になったから……好きなようにどうぞ」
エルミラとルクスとは軽く。
二人に取材して作ったのだからグレースにとっては共犯のようなものだ。
「グレースさん……改めて、この配役にして頂けてありがとうございます」
「……私はミスティ様を直接応援はできないけれど、それでもこれが正しいと思いました」
「だからこそ、感謝しているのです」
ミスティとは小さく手を合わせる。
音が鳴るか鳴らないかほどの、添えるようなハイタッチだった。
「あれ? 俺とは?」
「あなたとは無し」
「ええ……楽しそうだったのに……」
最後の一人であるアルムの番になって、グレースは手を下げた。
ぶっきらぼうにそっぽを向いて、拒否の意を背中で伝える。
アルムは不平不満を呟いていたが、グレースは無視した。
「そういえば、グレース……ラーニャ様に恩なんてあったのか?」
「は?」
「恩を返すって言ってたから」
「ああ……ラーニャ様じゃないわよ」
「……? この劇はラーニャ様を歓迎する演劇だよな?」
「見せる相手はそうかもね」
グレースの答えにアルムは首を傾げた。
アルムにはグレースが言っている意味がわからない。
「誰に見せるかと、誰の為に演るかは違うのよ」
「そういうものなのか……?」
「そういうものなの」
グレースは開演までまだ少し時間があるにも関わらずアルムを黙らせる。
そっぽを向いたその顔は舞台裏の暗がりでわかりにくいが、照れたせいか少し頬が赤くなっていた。
「準備はいいの?」
「ああ、当然」
「そう、なら……ちゃんと見てきなさいね」
「……? わかった……?」
……柄じゃないとわかっている。あなたのためなんて恥ずかしくて言えるはずもない。
これは正しい者が報われるべきという私の勝手な信念と私の小さな思い出が生んだ舞台。
忘れもしない。それはとある冬の帰路。初めて話した寒い夜。
悩みを抱えた私の前に現れた変な同級生。
あの日私を優しいと言ってくれたあなたへの、小さな小さな恩返し。
私は性格も面倒でひねくれていて、疑り深ければ口も良くなく、才能への醜い妬みだって持っている。
……それでも、あなたが私を優しいと言ってくれたから。
せめて私は、そんなお人好しの同級生に手を差し伸べられるような優しい人で在りたいと思えるようになったのだ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
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