675.今そこに立つのは誰だ?
「今日はありがとうございましたアルム様、ミスティ様……有意義な視察ができました。お二人に案内して頂いたお陰で」
「本当にいつも通りで夜までラーニャ様の時間を使っちゃったんですが……よかったんですか?」
「はい、問題ありません。私が望んだ事ですから」
ラーニャに学院を案内し、アルムやミスティがいつも通りの過ごし方を見学させていたらすでに日も落ちかけという時間になってしまっていた。
当然、到着したばかりのラーニャに日が落ちても自由などという事があるわけもなく、明日に備えてラーニャは用意された宿へと移動する事となった。
その宿の場所は漏洩防止のため、アルム達ですら知らされていない。
「明日は演劇を見せてくださるとか」
「はい、ラーニャ様への歓迎の催しとしてやる予定です」
「楽しみにしています。エリン共々」
ラーニャがエリンのほうを向くと、エリンは会話に入ろうともせずラーニャに耳打ちする。
「ラーニャ様、お時間です」
「……エリンたら。ごめんなさい、エリンは芸術よりご飯な人なんです」
「ラーニャ様、そんな事はありません。案内して頂いたお二人には申し訳ないのですが、本当に時間が無いだけですのでどうかご理解を」
「エリンは真面目なんです」
呆れながら言うラーニャに、ミスティは微笑んだ。
「うふふ、側近としてとても優秀という事ですね」
「そう言って頂けると助かります。ミスティ様」
本当に時間が無いのか、ラーニャの後ろに見える護衛の魔法使いも落ち着かない。
ミスティはそれを確認し、話を切り上げるべく静かに頭を下げた。アルムもミスティを真似して頭を下げる。
「それでは私達は失礼させて頂きます。慣れぬ地ではあるでしょうが、どうかラーニャ様の長旅の疲れがとれますように」
「はい……明日の催しを楽しみにしていますね。アルムさん、ミスティ様」
二人にそう告げて、ラーニャは護衛を引き連れて学院の中へと戻っていく。
簡単にラーニャが今晩泊まる宿を特定させないためだろう。
去り際にエリンがアルムとミスティに感謝を告げ、周囲を警戒しながら学院長室のある本棟のほうへと歩いて行った。
それを見届けてアルムとミスティは案内役としての役目を終えて、ただの学院の生徒へと戻った。
「ふう……何とかなったか。手伝ってくれてありがとうミスティ」
「こちらこそ、頼ってくださって嬉しかったですわ」
「一月前にエスコートに関しては任せて、と事前に聞いていたからな。遠慮なく手を借りようと思ってた」
「あれはエスコートの仕方を教えるという意味だったのですが……うふふ、アルムのお役に立てたのならどちらでもいいですね」
ラーニャもだが、アルムとミスティの明日も早い。
明日は本番前にリハーサルをするためにいつもより早く登校する予定なのだ。
二人もまた明日に備えて帰路に着く。
そこここに設置された街灯にぽつぽつと魔力が通り、次々と灯り始めていた。
「ふー……」
「あら、ため息? ですか?」
「いや、ちょっと緊張してきてな……」
「アルムが……緊張……?」
目をぱちくりさせるミスティ。
アルムが緊張している所などほとんど……いや、もしかしたら見た事が無いかもしれない。
言われてみれば、アルムの顔が少し強張っている気がした。
「アルムの新しい顔を見た気がしますわ」
「喜んでないか?」
「うふふ、ごめんなさい。でもアルムが緊張するなんて……王城に行く時もカエシウス家に招待した時もそんな素振りは見せませんでしたのに」
ミスティが言うとアルムは頬を掻く。
「うーん、王城ってよくわからなかったから緊張するも何も無かったしな……何か間違えたとしても、怒られるのは自分だけだし」
「今回は皆さんでやる事だから緊張なさっているのですか?」
「そうかもしれないな。しかも演劇の主人公って……俺が一番似合わないような役だからな。ラーニャ様の歓待目的だから勲章を貰っている俺がやるべきって理屈はわかるが、分不相応なのはわかりきっている」
「……何故ですか?」
その涼し気な声に、アルムは何故か力がこもっているような気がした。
隣を見ると、ミスティはじっとアルムのほうを真剣に見ている。
どこまでも広がりそうでいて、覗き続ければ吸い込まれそうな青い瞳。
夜の帳が下りてなお輝きを損なわないその瞳に気圧されたのか、アルムの声が一瞬遅れる。
続けて、ミスティが問う。
「何故、自分が劇の主人公に相応しくないと?」
「そりゃあそうだろ。南部に行った時に演劇をいくつも見せられていたが……どの演劇も主人公役の人には華があった。容姿が整っていたり、どこか目を惹きつけるっていうのかな。それこそミスティみたいな」
「うふふ、それは嬉しい褒め言葉として受け取っておきますわ」
「ああ、褒め言葉だ。ミスティは美人だからな。お姫様役だって似合っている。
だが……相手が俺だとな。演技が得意なわけでもないし、外見は大した事無いし、中身は田舎から出てきた子供だ。主人公ならやっぱりルクスが似合いそうだと思うんだよな……」
「……」
「男らしくありながら外見が綺麗って凄いと思うんだあいつ。騎士も似合ってたが、主人公でやるシーンも相当絵になるぞ」
アルムの心の底からの褒め言葉。美人でお姫様が似合っている。
普段ならば赤面し、跳び上がる心を抑えるのに必死になったであろう。
手放しにルクスという友人を褒める純粋さ。人の容姿を妬むこと様子など欠片も無く、自慢するように凄いと言ってのける無垢。
しかし、それは……アルムが頭の中で自分という異物を自らどけて出た言葉だった。
ミスティは泣きそうになりながら平静を装う。
何て、真っ直ぐ。
謙虚とも少し違って、卑下とも少し違う。
この世界の常識を、ここに来るまでの人生で培われた閉じた自己評価で補強した分厚い壁。
人生を夢を追うために捧げた結果出来上がった歪んだ価値観。
貫くのは自分の夢と背中を押してくれた恩人への感謝だけ。他は全て諦めて、削って、削ぎ落して……魔法使いになるまで解ける事の無い呪いに、今まで気づく事が出来なかった。
……いつだって、自分達の先頭にアルムが立っていたから。
毅然と立つその背中にいつも勇気づけられて、その歪みに気付けなかったのだ。
「……あなたじゃないと意味が無いんですよアルム」
「ん? そうなのか?」
「はい、あなたがやるから意味があるんです」
「まぁ、ラーニャ様の接待だもんな。わかってる。すまん、投げ出したいわけじゃないんだ」
「そういう意味ではありません。そういう意味ではないんですよ……アルム」
ミスティはアルムの隣からふっと離れて、いつもとは違う道を行こうとする。
普段ならばもう少し一緒に帰るのだが、急にいつもとは道を外れたミスティにアルムは首を傾げた。
「ミスティ? いつもと帰りが違うが……どうしたんだ?」
「はい、今日はここでお別れですアルム」
いつもとは違う道を歩いていくミスティ。
アルムに声をかけられても止まる事なく進んでいく。
「そうなのか? 何か用事でもあるのか?」
「はい、とても大事な用事があるんです」
「そうか、じゃあまた明日」
「はい、明日を楽しみにしていてくださいね」
「……? ああ、楽しもう」
ミスティと別れてアルムも自分の寮に帰ろうと、
「アルム!」
ミスティに呼び止められた。
澄んだ声で呼ばれたのは自分の名前。
アルム。それが、ここに立つ者の名前。
「どうした?」
ミスティは微笑む。
いつもと同じ顔、声色で問い掛けてくるそのアルムという少年に向けて。
「私は主役があなた以外だとしたら、お姫様役なんてしませんでしたよ」
「何でだ? あんなに似合ってるのに?」
「内緒です。明日まで考えておいてくださいね?」
「あ、ああ……わかった」
そう言うとミスティは手を振って自分の家の方向へと向かっていった。
アルムはそんなミスティの背中を見送ると、いつも通り第二寮に帰るべく歩を進める。
途中、ミスティに言われた事について考えた。
「ああ……ルクスが相手だとエルミラと気まずくなったりするから……か? エルミラの恋人だもんなルクスは……」
明日はベラルタ魔法学院祭。
練習してきた演劇の本番。
自分のために動く誰か達の事など知るはずもなく、アルムはその日を迎える。




