番外 -とある冬の帰路-
時系列が少し未来となります。
このお話を読まなくても本編がついていけなくなるなんて事はありませんので、苦手な方は飛ばすのをオススメします。
「はぁ……」
息が白い。
長い間、屋内にいた私の肌は敏感に風を察知した。
昼に見せる比較的穏やかな一面から一転して、本気を出した夜風の冷気が私の頬に突き刺さる。
雪の気配がしないだけまだましだが、この分なら降る日も近い。
今日は一日灰色の厚い雲によって日の光は遮られており、冬はその力を存分に発揮していた。
ベラルタ魔法学院に入学してもうすぐ一年目を終える。
このマナリルでは色々な出来事が起こったが、一介の生徒である私にはほとんど関係ない出来事だった。
関係があるとすれば、スクリル・ウートルザの血統魔法がベラルタを破壊しかけた事だろうが、それも未遂で終わっている。
だからこそ、こうして私は図書館で遅くまで調べものが出来ていた。
度重なる魔法儀式や実技をそつなくこなしながら私は今日までやりきった。
それでも悩みと無縁というわけではなく、こうしてため息の一つくらいは出てしまうというものだ。
「おっと」
「どうも……」
夜も更け、私が図書館から門のほうへと行こうとすると、ある一人の男子生徒と出くわした。
今年入った新入生で彼を知らない者はきっといない。
名前はアルム。
家名を持たない学院唯一の平民。
無属性魔法しか使えない魔法使いとしては致命的な問題を抱えているものの、その魔力は学院一。
その魔力で無属性魔法の可能性を見せている存在だ。
とはいっても、その可能性には未来がない。
結局のところ、無属性魔法を使うには膨大な魔力が無いと使えず、彼だけがその可能性を見ることができるというだけの話。
しかし、その可能性の噂は学院にも広まっている。
最近……二か月前に起きたカエシウス家の領地で起きた内部分裂。
この学院でも目立っている生徒の一人であるミスティ・トランス・カエシウスの姉が起こした事件の解決の決め手となったのが彼だという。
噂では、入学して一か月頃に起きた……スクリル・ウートルザの血統魔法の侵攻を食い止めたのも彼だとか。
まぁ、後者は噂であって、魔法の核を学院長が破壊して収まったというのが真実らしい。
そんな噂が出来るほど、彼は何というか……ある意味目立つのだ。
「えっと……」
そんな色々な意味で注目されている彼が私のような凡人の名前を憶えてるはずもなく。
彼は私が普通に挨拶した事に悩んでいるようだった。
必死に私の名前を思い出そうとしているようだが、出るはずがない。
だって私はこの平民に自己紹介をしたことなどない。
話すのも今日が初めてだ。
クラスも違うし、時々食堂で見かけるだけ。
それでも彼は私を知り合いだと勘違いしたらしく、思い出そうと私をじっと見ながら眉間に皺を寄せている。
私がかけている無駄に大きなメガネを馬鹿にする気配が無いだけ初対面の印象としては悪くなかったが、こうしてじっと見つめ続けているのですでに彼に対する印象はマイナスへと突入している。
彼は似合ってない制服に、暖かそうなマフラーを巻いていた。
口には出さないけれど、制服もマフラーもどちらも似合っていないように見える。
これは私が彼を無意識に見下しているからだろうか?
特にマフラーは素材が滑らかで、彼が持つには高そうなのが見るだけでわかるほどのものだった。
「悩んでいるところ悪いけれど……私達は初対面よ、アルムくん」
「え? あ、そうなのか……すまない。ここで挨拶されるのは珍しいから知っている人間かと……話した事ある相手は大体忘れないのにおかしいなと思ってたんだ」
「ええ、おかしいわ。初対面の女性の顔をじっと見つめてくるあなたがね?」
「確かにそうだ。申し訳ない」
案外彼は素直で、私が指摘するとすぐに謝ってきた。
普段、彼の周りにいる人間が人間なので少し勘違いしているくらいに思っていたのだが、それを撤回するくらいには今の謝罪は悪くない。
「私の名前は"グレース・エルトロイ"よ。よろしく」
「さっき名前を言っていたから知ってるだろうが、アルムだ」
「ええ、知ってる。あなたは有名だもの」
「有名?」
「ええ、普段一緒にいるあなたの友人が友人ですもの」
入学当初から不思議がられていたが、何故か彼の周りには大物がいつもいる。
カエシウス家のミスティ・トランス・カエシウス。
オルリック家のルクス・オルリック。
どちらもマナリルの頂点と言っていい貴族の家系だ。カエシウス家は二か月前の事件で少し傾くかに思われたが、逆に後継問題が解決して確固たるものになっている。
そしてその真逆の位置にいるエルミラ・ロードピス。
先の二人とは違って、没落したロードピス家の一人娘だが、彼女も彼女で魔法の腕前が高く、かつてのロードピス家の才能を持つ者として注目され始めている。
比較的普通なのはベネッタ・ニードロスくらいだろうか。
しかし、彼女も二か月前の事件に関わっていたというからその実力は案外高いのかもしれない。
この五人は大体いつも一緒に学院内を行動している。
仲睦まじいのは大変いい事だと思うが、それだけに貴族の繋がりやら面倒な部分でこのアルムが恨みを買われているのも事実だった。
カエシウス家とオルリック家に利益の為に近づきたいと思う連中はいっぱいいる。
家名すら持たないアルムがその仲を深めているのが面白くないのだろう。
「ああ、ミスティ達は目立つからな」
あなたが一番目立ってますわよ、とは言うまい。
「じゃあ私は今から帰るとこなので」
「ああ、俺もそうだ」
彼が歩いてきた先は実技棟。
魔法儀式でもしていたのだろうか。
彼の表情を見るに魔法儀式をしたのなら勝利したに違いない。
「あら、奇遇ね」
「ああ、奇遇だな」
ついていないタイミングで出てきてしまったものだ。
ただでさえ最近上手くいっていないのにこのイベントは正直疲れる。
あろうことか、学院で最も目立つ平民と私は並んで帰路に着くことになってしまった。
今日は朝からずっと曇り。
寒さを加速させる曇天は私の憂鬱を演出してくれている。
すっかり冬だ。
息は白く、
隣のアルムは冬着の制服ではあるが、防寒具はマフラーだけ。
アルムはカレッラという田舎村――どこよそれ?――の出身らしい。
やはり季節や風は友達といった感じなのだろうか。
「さむ……」
……どうやら違うようだ。
「グレースはこんな時間まで何を?」
両腕を制服の上から擦りながらアルムはこちらに質問してくる。
厚い雲が無くても空が暗くなる時間だ。
お互い様ではあると思うが、この時間に学院にいる生徒は珍しい。
「図書館から出てきたの見てなかった? 本を読んでたの」
「そうか」
「あなたは?」
「魔法儀式だ。知らない人から申し込まれてさっき終わった」
「勝ったの?」
「ああ、勝った」
さぞ得意気な表情をしているかと思えばそんな事は無い。
どちらかといえば当たり前であるかのようにその表情は変わっていなかった。
「あまり嬉しくなさそうね?」
「うーん……勝った事は嬉しいんだけど、相手から卑怯だ、とか才能だけの底辺野郎、とかとか色々言われてしまって気持ちよく終われなかったんだ。
まぁ、負けると色々苛立つのはわかるから仕方のないことではあるんだが……」
何と自分の品位を貶めるような負け惜しみだろうか。
アルムの味方をするわけではないが、相手の程度がしれる。
話を聞くに、負けて相手を貶めているが、もし勝っていたら今度はアルムを少し持ち上げながら言いふらす気だったに違いない。
今話題になっているアルムに勝った、と。
まぁ、確かに強くはあったが、俺にかかれば大したことない、なーんて台詞が負け惜しみと同じ口から出てくるに決まっている。
「気にすることないわ。そもそも才能だけって……魔法使いは才能ありきの世界なんだから才能に頼るのは当然でしょう。才能無かったらそもそも魔法を使えないんだから」
「確かに……そうなんだけどな」
「意外に気にするのね。あなたは平民なんだからこういう心無い言葉には慣れてるかと思って……た……」
失言だった、と言ってから後悔する。
私も私で心の余裕が無いという事か。無自覚に最低だ。
平民なんだから、と元から平民はそういった言葉を向けられる存在なのだと言っているようなものだ。
性格が悪いと自覚はしているが、それを表に出してしまうほど浅慮だとは自分でも思わなかった。
これではアルムの話に出てきた魔法儀式の相手と何も変わらない。
「……ごめんなさい」
「はは……グレースは優しいな」
嫌味だろうか。
違う気がする。
「こんな事言ったやつが優しい?」
「謝ってくれた」
「私が悪いから謝っただけ」
「悪いと思えるのは優しいからだろう」
アルムはそれをわかっているかのように言いのけた。
……ちょっとむかつく。
何というか、純粋なのが。
自分の性格の悪さが浮き彫りにされたようでいらいらする。
だが、不快かというと少し違う気がする。
「グレースは何を悩んでるんだ?」
「私が? 悩む?」
「ため息をついてた」
それも聞かれてたとは不覚だ。
「あなたには関係ないわ」
「こちらは打ち明けてそっちは駄目なのか?」
「私も本を読んでた、と打ち明けたわ」
「む……確かに。なら聞ける材料はこちらに無いな」
馬鹿なのか。それとも天然なのか。
彼の理屈で言えば材料はあるだろうに。
彼が一度に対し、私が二度問いを投げかけたことに気付いていないのだろうか。
それとも、言いたくない事を無理に言わせないようにする彼なりの配慮なのかもしれない。
「コートが欲しいな……」
聞き出す事を諦めたのか、アルムは私の茶色のコートを見てそう呟いた。
私は隣の寒そうな恰好をしたアルムとは違い、お気に入りの兎毛の白い耳当てに赤のマフラーはもちろん、茶色いコートにミトン型の白い手袋と防寒は完璧だ。
秘密だが、靴下ももこもこのやつを履いている。
寒がりな私にはベラルタの冬でもこれくらいが丁度いい。
「あげないわよ」
「そういう事じゃない。流石に買うべきだと思っただけだ」
「ほんと、見てるだけで寒いわ、あなたの恰好……そうね、暖かそうなのはマフラーくらい」
「ああ。ミスティに貰ったんだ……マフラーなんて初めてだが、これはいい」
「へぇ……カエシウスのお嬢様から……」
「何故にやにやしている?」
「別に? 今度は手袋でも貰えばいいのにと思っただけよ?」
「いや、エルミラに教えた時と同じ笑顔だ。それだけじゃないのは学習したぞ」
「ならそのエルミラに聞きなさいな」
「なるほどその手が……む? いや、はぐらかそうとしてるな?」
「あら気付いた?」
「この一年の進歩だと思ってる」
「ふふ、なにそれ」
彼はそれっきり、本当に私のため息について聞こうとはしてこない。
ただ、何気ない話題を話すだけだ。
意外に話し上手なのだろうか。
いや、相手がいるから思った事を口にしているだけのような気もする。
それがため息の話題を振った事を忘れさせようとしてくれているようで、少し心が緩んだのだと思う。
学院の広い敷地を横断し、門をくぐった所で私はついに話してしまった。
「……上手く操れなくてね」
「操れない?」
「ため息の理由」
「……」
彼はこちらを見て私の言葉を待っているようだった。
「まぁ、詳細は言えないけど……私の家の血統魔法は自分の意思で操るタイプの魔法で……私はそれが上手く操れないの。
暴走してるわけじゃないのよ? 繊細さが足りないというか……大ざっぱになっちゃってね。
それでその改善方法を探して図書館にこもってたんだけど、何も有力な情報も無いからがっかりしてたってわけ」
「なるほど」
「魔法使いなんていっぱいいるんだから少しは上手く操れなかった魔法使いの記述だとか、制御できないとかそういうのがあると思ったのよ」
「確かにありそうなもんだ」
「でしょう? それなのに書いてあるのは自慢話ばっかり。私はすごい、私は優秀、私の属性は世紀の発見だ、って自慢話の展覧会よ。全く参考にならなかったわ、今日一日を無駄にした気分よ」
「自慢話をされても、こちらは得にならないからな。壁にぶつかった時の話もあるにはあるが……具体的な事は書かれてない。友人の励ましが自分を救ったとか、傍にいる恋人の存在が、とかな」
私が今日読み漁ったような本を読んだ事があるかのように語るアルム。
不思議そうに顔を向けた私の表情に気付いたのか、アルムはその疑問に問うまでもなく答えてくれた。
「俺も魔法使いの自伝は子供の頃読んでた。子供だったから最初のほうは魔法使いが凄いことに喜んでたし、そんな魔法使いの半生を知れるのは貴重だと思って読んでたが……結果、魔法使いの自伝は魔法の参考にならないという教訓が得られた」
「ほんとにね。そんなに優秀だっていうなら後世の悩める魔法使いに何かアドバイスを頂戴って話よ」
「はは、違いない」
悩みを打ち明けているというよりはすでに愚痴っているだけだ。
私達が歩くのはほとんどの店が閉まっている時間の大通り。
人通りは当然無く、明かりも少ない。冬の寒さが私達の帰路を邪魔してくるが、話し続ける私にはそのどれもが気にならなかった。
私の愚痴を嫌がる素振りも煩わしく思う素振りも無くアルムはずっと聞いてくれている。
一緒に帰るとなった際、私はついてないと思ったが、今の状況を見ればついていなかったのは間違いなくアルムのほうだ。
今愚痴っている私が言うのもなんだが、初めて話す相手の愚痴に付き合わされるなんて正直ごめんである。
「だから、どうすればいいのかなってね……少し憂鬱だったの」
ようやく愚痴から悩みへと戻ってくる。
「どうすればいいと思う?」
私としては割と真剣な悩み事だ。
血統魔法を満足に使えない魔法使いなど情けないと思ってしまう。
血統魔法はその血筋が発動を可能にする一族の証。
それを扱えないというのは、まるで一族として認められていないようではないか。
自分に卓越した魔法の技巧があるとは思っていない。
それでも、一族が唱えてきた魔法を扱えない自分はこの魔法を持つに相応しくない器なのでは、とつまらない卑下をしてしまうのが事実だった。
今まで話を聞いてくれたせいか、不覚にもすがるような声で聞いてしまう。
一体何て言ってくれるのか、恐らくは何かしらの期待を持っていた。
「さぁ? それはわからん」
そんな期待を砕くように、アルムはさらっとそう口にした。
悪気も無く、元から答えなんて持ってるわけがないと開き直るかのようにアルムは表情も変えない。
「そもそも俺は血統魔法が無いからな、参考になる意見なんて出せるわけがない」
確かにそうなのだが、少しがっかりしてしまう。
アルムが悪いわけじゃない。
同じ学院に通ってはいるものの、私は貴族でアルムは平民。
血統魔法から縁遠い相手にこんな相談をしたのが間違いだ。
高望みした私が悪い。
もしかすればこの憂鬱な気分を晴らしてくれるのでは、と期待した私の落ち度である。
「俺が言えるのは精神的な事だけだ」
「精神的? がんばれ、とか、気合が足りないーとか?」
それがわからないなりに絞り出した回答なのだとした虫唾が走る。
頑張ればなんとかなる、なんてのは言葉にすると何と薄っぺらい事か。
それは決意の言葉であって、慰めでも励ましの言葉でもないのだから。
「違う。グレースはできると思って血統魔法を使ってるのか?」
「はい?」
言っている意味がわからない。
いらついてつい感じの悪い声になってしまう。
「できないが続くと……次にやる時にもついできないと思い込んでしまう。
できなかったそれを繰り返してるうちに、今度も上手くいかない、やってもできない、時間の無駄……そんな邪魔者が次々と姿を現すんだ。
そうなると大体駄目になってしまう。自分ができないって決め付けてるから自然と力が入らなくなるんだ、今回もできないから無駄だってな……諦めてる、ってのが近いな」
「私が諦めてるって言いたいの?」
「無自覚にそういう状態になってないか、って事」
心当たりは無い……無いが、彼は彼なりにアドバイスを送ろうとしてくる事は伝わってくる。
心持ちの問題という事だろう。
精神の揺れは魔法の現実への影響力に強くあらわれる。
心当たりは無いが、精神的に参ってる事は否定できなかった。
だからこそ、私は図書館を出る時にため息をついたのだから。
「心当たりは無いわね」
それでも、強がってアルムのアドバイスだけは否定してみる。
嘘は言ってないのだからこれくらいの強がりは許されるだろう。
「そうか。実は恥ずかしい事に俺の話なんだ。魔法使いなんてなれないと思っていた子供の頃の体験談でな。
やっぱりグレースの悩みにはあてはまらないかもな」
そうだ……彼は平民。
今でこそこうしてベラルタにいるが、それ自体がイレギュラーであり、おかしい事だ。
平民は魔法使いになれないというのは常識。
普通なら平民が目指そうと思う事は絶対にないのが魔法使い。
もしかすれば……彼にもその夢を目指す事など出来ないと、絶望した時期があったのだろうか?
この短い時間、私と話していた姿からは想像がつかない。
「あなたはどうやってその状態を治せたの?」
「そういう不安みたいなのを払ってくれた人がいたんだ。出来損ないでも夢が見れる、と言ってくれた人がいた」
そう言って、アルムは遠くのほうを見た。
視線の先には変わらず厚く、灰色の雲があるだけだったが、その目は何かを懐かしんでいるかのようだった。
事情の知らない私からすれば、特別な言葉とは思えない。
何せ出来損ないでも、と言っている。
どちらかといえば貶すような言葉のように聞こえた。
それでも、彼にとっては大切な言葉だという事はその表情は物語っていた。
「力になれなくてすまない」
「ええ、ほんとに」
申し訳なさそうにするアルムの顔や鼻のてっぺんは寒さのせいか赤くなっていた。
そういえば腕をさすっていたな、と手をみれば指先も赤くなっている。
まぁ、防寒具がマフラーしか無いのだから当然だ。
ベラルタは特別寒い地域ではないとはいえ、冬になればそれ相応の寒さが訪れる。
冬着とはいえ制服とマフラーだけで乗り切れるわけではない。
「……まったく」
本当に何を血迷ったのか。
私はいつの間にか手袋を外してしまっていた。
「はい」
「ん?」
「はい」
「どうした?」
「だから手袋! 寒そうだからあげるって言ってるの!」
「いいのか? さっきコートが欲しいって言ったのは本当にグレースのを欲しがったわけじゃ……」
「いいからいるの? いらないの?」
「あ、はい。貰います」
アルムは私が詰め寄ると、大人しく手袋を受け取った。
案外押しには弱いのかもしれない。
私の手袋には元々大きさに余裕があった。男のアルムでも着けられるサイズだろう。
本当にどうかしてると思った。
私の悩みはなーんにも解決していないというのに、何を私は恩義に感じているのだろうか。
これは、そう……寒そうな人に対するただの優しさだ。
貴族の施しを寒さに震える平民に与えようというただの気まぐれなのだ。
あぁ、手が寒い。
「おお、暖かいな……ありがとう、グレース」
「そりゃ防寒具だからそうでしょ。いい? 私から貰った事は誰にも言わないって約束して」
「何故だ?」
「何でもよ。話したらそのマフラーをぶんどるわ」
「それは駄目だ。約束する、誰にも言わない」
「それでいいの」
変に勘繰られでもしてそのマフラーをプレゼントした人間に怒りを買われるのは怖すぎる。
念のために口封じをしたところで、私達の短い帰路は終わった。
もう一年近く住んでいる第二寮。
学院からここまでは十五分程度だ。
……それにしても手袋を渡すタイミングが遅すぎた。
まぁ、その手袋の活躍は明日からということで勘弁してほしい。
「え? あれ?」
何故第二寮に入っていくのかと不思議そうに第二寮と私を見比べるアルム。
まさか――
「あなた気付いてなかったの? 私達同じ寮よ?」
「なんと……」
「ずっと帰り道が一緒なのおかしいと思わなかったの?」
「いや、全く……」
……やっぱりただのお馬鹿さんなのかもしれない。
結局アルムがどんな人物なのか私の印象は定まらない。
悪い人ではないんだろうな、という感想だけを持ちながら寮の扉を開けた。
「お、アルムじゃん。おかえりー」
「おかえりなさい、アルム」
げっ、と言いたくなるのを抑える。
扉を開けてすぐの共有スペースにはミスティ・トランス・カエシウスとたまに寮で見かけるエルミラ・ロードピスが対面して座っていた。
カエシウス家のお嬢様は確かベラルタに家を買ったと聞いた。
ここにいるという事は遊びに来ているのであろう。
「じゃあ、話聞いてくれてありがとう。アルムくん」
「ああ、いや、こっちこそ聞かせてくれてありがとう」
「じゃあまた」
「ああ、また」
帰路は寮まで。となれば、私とアルムが一緒にいる時間もここまでだ。
アルムは二人と話すだろう、お礼だけ言って私はアルムと別れる。
あの二人がいる所に一緒に入っていこうとは流石に思えない。
話も終わっているし、寮に着いたのだから一緒にいる理由もない。
共有スペースにいる二人に会釈だけして大人しく階段へと向かった。
「グレースと知り合いだったの?」
「さっき知り合ったんだ。帰り道に付き合ってもらってた」
「へー、意外。まぁ、寮が一緒だから仕方なかったのかもしれないけど」
聞こえてくるエルミラの声につい頷きそうになる。
仕方ない、というのは半分当たりだったからだ。
「エルトロイ家の方ですよね? 何を話されていたんです?」
カエシウス家のお嬢様が私みたいな弱小貴族の事まで把握している事に少し背筋に寒気が走った。
アルムが余計な事を話さないように祈ったが、それは杞憂だったようで。
「最近寒いなって話だ。グレースは防寒がしっかりしている服装だったからな」
「あー、だから手袋買ったの? そんなの持ってなかったよね?」
「ああ、他の防寒具を買う金が無かった」
「ん……? まぁ、いいか」
「後は寒いからコート買わなきゃとか、このマフラーをミスティに貰ったとかそんな話に付き合ってもらってた」
約束通り私から貰った事を言わないばかりか、門を出てからの話をアルムは一切出さなかった。
どうやら相手がいつも一緒にいる友人であれ、約束はしっかり守るタイプらしい。
どうやら地雷を踏まずにはすみそうだ。
血統魔法に悩んでいるという私の悩みもアルムは話そうとしておらず、少し安心する。
「そ、そうですか……マフラーの事をですか……」
「よかったねー、ミースーティー?」
「な、何がですかもう! もう!」
今振り向けば世にも珍しい赤面するカエシウス家のお嬢様を見れただろうが、聞き耳を立てていると思われるのも嫌なので振り向くのを我慢して私は女子寮側の階段に足をかける。
図書館にこもって疲れていたのか、若干だるい足で階段を上り、共有スペースからの声が小さくなっていく。
その途中で、
「ああ、そうだ。エルミラ」
「んー?」
「何でにやにやしてたんだ?」
「……何の話?」
「にやにや?」
こんな会話が聞こえてきて、私は思わず噴き出しかける。
私の部屋は三階。
門を出る前、エルミラに聞け、と言った私の言葉を馬鹿正直に実行するアルムに笑いをこらえながら、そのまま階段を駆け上がる。
「あははは!」
三階までたどり着くと私の気は緩み、つい声を出して笑ってしまっていた。
廊下はいつの間にか顔を出していた月の光で明るく、一番奥にある私の部屋までを照らしていた。
「あー、おかしい」
よくぞここまで笑いをこらえた、と私は自分を賞賛しながら部屋へと戻るのだった。