669.学院祭に向けて
「ネロエラはどんな髪型がいーい?」
「ふ、フロリアに任せる」
「そーう?」
ベッドの上でネロエラの髪をいじりながらフロリアが問う。
少し長くなった髪を三つ編みにしてみたり、フラフィネのようなお団子にしてみたり、サイドテールを作ってみたり。ネロエラはされるがままに背を向けている。
それどころか、甘える妹のようにネロエラはフロリアに体重を預けていた。
今日はフロリアがネロエラの部屋に泊まっている。後でグレースも来る手筈だ。
フロリアは学院でも知り合いが多く、去年までは色々な相手と話していたりしていた。
それは進級できない時の保険として、家同士の繋がりのきっかけにしようという打算の下で色々な相手に話しかけ、容姿を活かしながらも着々と顔見知りを増やしたのだが……アルムやネロエラを馬鹿にする者とは縁を切ったり、三年生へ進級できない者がベラルタを去ったりしてそんな打算で繋がった相手は全員消えた。
なにより驚いたのは、自分が進級できてしまった事だった。
自分が愛想を振りまいていたそれなりに有名な家系の人間も、偉そうにアルムやネロエラの悪口も言ったりしていた者も……全員落ちたというのにだ。
ここは研鑽街ベラルタ。この街は腕を磨かなかった者を容赦なく振り落す。
つまるところ……才能があったにも関わらずふんぞり返っていた者達は、この二年でフロリアにすら追い抜かれてしまったという事だ。
「だからって私が進級できるとは思わなかったけどねぇ」
「んー……? なんの、話だ?」
「進級できてよかったなぁって。こうしてまたネロエラとお泊まりできるからね」
フロリアはネロエラの綺麗な白髪に櫛を入れる。
ネロエラは、ふわぁ……、と気持ちよさそうな声を漏らした。
小さく開かれた口から見える牙のような歯はネロエラのコンプレックスだが……フロリアの前ではもう隠す素振りも無い。
「私はお世辞にも強いわけじゃないし、三年生になれないって思っていたのよ」
「それは、私もだ」
「ネロエラは凄い獣化が使えるでしょう?」
「それでも、自信になるか、どうかは別だ。わ、私は……ずっと役目だけを、補佐貴族としての役目をこなして、あとはエリュテマの、保護のためだけに、一人で生きるつもりだったのが……いつの間にか、こんな事になっている」
ネロエラは自分の現状を見せつけるように手を広げる。
ベッドの上でフロリアに体を任せて、だらぁ、としている少女はそんな割り切った人生を送るつもりはもう無いのだろう。
そんなだらけた姿は、一人で生きるにはもう遅いと語るようだった。
「えー? ネロエラは凄いのになぁ。最初会った時はちょっと殺伐としていたけど……魔法を使う時は自信満々、やる気満々だったじゃない?」
「意欲はあっても、自信には、ならないんだ……アルムだって、そうだろう」
「あら、確かにそうか」
「なにもできない、なんて……有り得ないのに」
ネロエラは悲しそうにつぶやいた。
自分を変えてくれた人。自分の現状を作ったきっかけになってくれた人。全ての転機になった出会い。
貴族には獣化の研究を気味悪がれて、知らない平民には化け物のようだと石を投げられて……舐められないように男装をし、筆談で歯を隠すまで閉じこもっていたというのに、閉じこもっていた殻はその少年の一言であっさり破壊された。
なにもできない、なんて有り得ない。
一人だったネロエラ・タンズークという少女が今こうしていられるのは少なくともアルムという少年のおかげなのだ。
「……ネロエラはいいの?」
「いいの、っていうのは……なんだ?」
「……演劇。大丈夫なの?」
「あ、ああ……頑張るぞ」
「そう、頑張るんだね」
「く、くすぐったい」
後ろからネロエラの頬をぐにぐにと触るフロリア。
くすぐったいと言いつつも、抵抗はしていない。
牙のような歯がちらちらと見える。
「頑張るのはネロエラ自身のため? それともグレースが言うようにアルムのため?」
「どちらもだ。私は卒業したら、正式に輸送部隊の隊長になる……いつまでも、フロリアに頼り切って、しゃ、喋れないではな……。それとは別に、アルムのためにこの演劇をやりたいという思いもある。アルムは、恩人だから」
「……ネロエラ、もっと我が儘になっていいのよ」
「……ふ、フロリア?」
ネロエラの頬を捏ね繰り回していたフロリアはネロエラの顎を上げて、無理矢理自分と視線を合わさせる。
無理矢理といってもネロエラ自身がされるがままなのだが。
ネロエラの瞳は血のように赤く、肌は満月のように白く、顔立ちは動物のように無垢だった。
「ネロエラはアルムの事が好きなんでしょ?」
「あ、ああ……」
ネロエラの白い頬が桃色に染まった。
フロリアは続ける。
「これは女の勘だけど、今回の演劇が最後のチャンスになると思うの」
「最後……?」
「ええ、ネロエラが意識して貰えるチャンス」
「い、異性としてという、意味か?」
「そう。私達は卒業したら輸送部隊として王都に行く……今みたいに、この街で過ごせる時間は後一年しかない。そしてみんなで楽しめるような特別なイベントは……もう、こんな機会でもないと無いと思うの」
「それは、そうだな……」
目に見えてしゅんと落ち込むネロエラ。
元々友人のいなかったネロエラにとって、今のような時間が来年には無くなるというのが寂しいのだろう。
しかし、フロリアが言いたい所はそう言う意味ではない。
「私は今なら多分条件は五分だと思うのよ。アルムには悪いけど……アルムが自分は貴族の女性と結ばれるなんて有り得ないと思っている今だからこそ、ネロエラにもチャンスがあると思うの」
「意識して貰えるチャンスが、か……?」
「そう……逆に言えば演劇が終わって、グレースの目論み通りアルムが自分を肯定するように、自分の価値を確かに実感するようになったら……普段一緒にいる人達に真っ先に目が行くと思う。ベネッタや……ミスティ様に。
今アルムは自分を卑下していて、貴族と平民が結ばれるなんて本の中の出来事でしかないと思っているからこそ、今平等に戦える」
「……フロリアは、ミスティ様を応援していると、思っていた」
ネロエラが言うと、フロリアは愛しそうに笑ってネロエラの頭をゆっくりと撫で始めた。
「当然ミスティ様も応援している。けど、ネロエラの事だって応援している。仕えたい尊敬すべき人を応援するのと、大事な友達の恋が叶って欲しいと思うのは決して両立できない事じゃないわ。両立できないのは結果だけだもの」
「ふ、フロリアは、我が儘だな」
「ええ、ほら、私ってこの学院で二番目に美人で可愛いから。知らない? 綺麗で可愛い女は少しの我が儘は許されちゃうのよ?」
フロリアは今度は得意気な表情を見せて、ネロエラを起き上がらせる。
二人は向き合って、フロリアはネロエラの両手を優しく握った。
「恋が叶ったら心の底からお祝いして、叶わなかったら一緒に泣くわ。どっちがどっちになっても……両方の恋が叶わなかったとしても私は二人分泣くわ。私はそれくらい我が儘だから」
「そ、そういうのは……友達想いと言うんじゃないのか」
「あら、ずいぶん綺麗な言葉にラッピングされたわね」
くすくすと笑うフロリア。釣られて、ネロエラも小さく笑う。
「ねぇ、ネロエラ。あなたは私の大切な友達よ。これも私の我が儘だけど……あなたの背中を押さないとって思うわ。このまま卒業するまで何もしなかったら……後悔するんじゃない?」
「…………」
「お節介だと引っ掻いてくれても、噛みついてくれてもいいわ」
「そ、そんな事はしない」
「あなたは可愛くて綺麗よ。あなたは自分の事そう思ってないかもだけど、私はそう言い続けて、あなたの事を何度も抱きしめられる。
だから例え自信が無くっても、自分の恋の為に我が儘になってみない?」
「だ、だが……」
「恋はタイミングよ。先手をとれたらそれだけで、ライバルから一歩リードできるんだから」
フロリアから応援されて、ネロエラは意を決した表情でこくこくと頷く。
少し涙目になりながら頷くネロエラのその様子に少し心を痛めながらも、おどけるようにフロリアは手を広げた。
「ま、私恋したことないけど」
「い、今の経験豊富のようなアドバイスは……?」
「全部お母様の受け売りよ。私のお母様は超絶美人で百戦錬磨だから」
「き、綺麗だもんなフロリアのお母さんは。フロリアに似て」
目を輝かせてそう言うネロエラにフロリアは呆れたように手を横に振った。
「いやいや、逆よ逆。私がお母様に似てるの」
「あ、そうか……」
「そういうとこも可愛いわ、ネロエラって」
「わ、わわ!」
フロリアに抱き着かれ、ネロエラはそのままベッドに倒れ込む。
ぐりぐりと胸に頭を擦りつけるフロリアの頭を今度はネロエラが撫でていると……合流予定だったグレースが部屋に入った瞬間、その光景を見て一瞬固まる。
自分の視界を疑っているのか、大きな眼鏡をくいっと上げてもう一度ベッドを見て……変わらない光景にため息をついた。
「あ、グレースおかえりー」
「あなた達何して……。全く……今日はこういう場面ばっか出くわすわね……」
「あ、グレースもどう? ネロエラに撫でられると癒し効果があるのよ」
「な、撫でるぞ」
「いや、遠慮しておくわ……」




