666.進歩
「どうですか?」
「……」
次の日の朝、アルムはまだ誰も来ていない教室でファニアに自分の演技を見せた。昨日の夜、オウグスに言われた事を参考にしながらだ。
ファニアは信じられないとでも言いたげな表情で目を丸くしている。普段のクールなイメージが崩れるくらいだ。
「ファニアさん?」
「あ、ああ……」
アルムに名前を呼ばれてファニアは我に返る。
そして笑ったかと思うと、アルムに向けて小さく拍手した。
その拍手の音に、アルムは安心したように顔を綻ばせる。
「見事だ。前のような不自然さがほとんどないな……君は器用な男ではないと思っていたから時間がかかると思っていたのだが、何かあったのか?」
「学院長に少し助言をして貰ったんです」
「オウグス殿に……?」
ファニアは訝しげな表情を浮かべて顎に手を当てて考え始める。
オウグス・ラヴァーギュという名前は色々な話が聞こえてくるが、演劇を嗜むという話は聞いたことがない。アルムにわかりやすい助言をできるほど精通していたのかと驚いたためだ。
しかし、よくよく考えれば元は現国王カルセシスの教育係。そういった知識もあるのだろうとファニアは自分の中で納得した。
「なんにせよやるなアルム。正直演技という感じは全く無かったが、明らかに不自然さが消えてよくなっている」
「ありがとうございます」
「しかし、体の使い方はまだまだだな。朗読劇ではないのだから、主人公役である君がほとんど突っ立っているだけというのはな」
「あ……」
「しかしそれを差し引いてもいいと思うぞ。少なくとも私は好きだ。君を知っているからかもしれないが……君らしさがありながら、違和感が無いというのは素晴らしい。
前半の放浪する主人公の雰囲気とも合っているように思える。観客は君と一緒に旅をするような……誰かに寄り添うような演技に見えた」
「はは……そこまでは考えていませんが……」
つらつらと褒め言葉を並べてくれるファニアにすこし照れたのかアルムは小さく笑う。
アルムは普段、無表情だからかその表情はファニアにとって珍しく見えた。
そしてそれがこの演劇の主題でもあるのかもしれないと思い至る。
人間味の薄い無表情な上に、追放も受け入れるような主人公が……放浪の旅と故郷を救う戦いを通じてどんな人間かを見せていくのがこの演劇のやりたい事なのかもしれないと。
そんなアルムを見て改めて、台本を書いたグレース・エルトロイという生徒に感心した。
まるで、"アルムのために書いた"ようだと。
「……そんなはずはないか」
今回の演劇はガザスの女王ラーニャの来訪に際して学院に課された命令。
台本も今回の事態で急遽作られたもののはず。いくらなんでもそんな重圧の中、アルム一人のために書くなどという方針で書くはずはない。
ファニアが何度か見かけたグレースという女子生徒の印象は大人しい子だ。そんな肝の据わったことができるとは思えなかった。
「ですが、やはり最後のシーンはよくわからなくて……」
「ミスティ殿演じる姫と愛を語らうシーンだな。その点に関しては私もな……恋愛経験があるわけでもないから前のように他の本や物語から吸収するくらいのアドバイスしかできんな」
「ファニアさん程の美人でもそうなのか……難しいな……」
何気なしに言ったアルムの言葉に驚いたのか、ファニアは一瞬言葉に詰まる。
一方、アルムはただ頭を悩ませているだけだ。この様子を見るとただの独り言であった可能性すらある。
「おや……ふふ、意外にやるなアルム」
「……? 何がですか?」
「私は恋愛の経験こそ無いが、男に言い寄られる事は多々ある。今のは中々ストレートながら見事な不意打ちで驚いたぞ。まさか君に美人と言われるとはな」
「ファニアさんが美人じゃないって思う人いるんですか?」
「いや、そういうわけではないのだが……ふふ、天然か。ミスティ殿は大変だなこれは。何にせよ美人と言われて悪い気はしないものだな」
途中から独り言に変わったファニアにアルムは訳がわからず首を傾げる。
わからなくていい、とファニアは手でアルムの興味を制すると少し考えてから口を開いた。
「私が思うに、愛とは互いに与え合うものだと思っている」
「与え合う……?」
「自分の中にいる相手、相手の中にいる自分……その相手は家族であったり友人であったり、恋人であったり……何か大切なものを貰っていたり、気付けば自分の中にあったり。
自分の中に誰かから貰った何かを見つけられる幸福を愛と呼ぶのだと私は思う。自分で他の誰かを演じる演劇と少し似ているかもしれないな」
「誰かから……貰った……」
アルムが呟くように言うとファニアは自分で恥ずかしくなったのか、少し顔を赤らめて咳払いをする。
普段きっちりとしているファニアの心が緩んだ姿は、もしかするとあまり見れないかもしれない。
「いやすまない。これではアドバイスになっていないな。男女の愛についてを助言しなければいけないというのに……かなり広義に話してしまった。趣味の演劇に関わる事からか私も少し浮かれていたのかもしれない」
「いえ、そんなことは……それに、何となくですがわかるような気がします」
「そ、そうか?」
アルムが柔らかく微笑んだのを見て、ファニアの頬の赤みも落ち着いていく。
何かを思い出しているのだろうか。誰かを思い出しているのだろうか。
それは家族か友人か。それとも……。
ファニアにはアルムの心中を知ることはできない。
「他には……そうだな……。有益なアドバイスになるかはわからんが、見る事は大事かもしれない」
「見る事?」
「ああ、ラストのシーンは二人の男女が愛を語らうシーンだ。つまりは互いに異性として興味を持っている状態と言ってもいいだろう。相手を観察して好きなところを自分の中で改めて整理してみてはどうだ?」
「相手……つまり、お姫様役のミスティという事ですね」
「ああ、そういう事だ」
アルムは、また怒られるかな、と難しい表情を浮かべた。
しかし、四の五の言ってられない状況なのも事実。せめて取っ掛かりは掴まなくては。
ミスティにまた怒られるまでやってみよう、と頷いた。
「やってみます」
「きっと君はこの場でもミスティ殿の好ましい所は挙げられるだろうが……それでも改めて考えて認識するというのは大事な事だ。これは恋や愛に関係無くだな」
「はい、それはわかります」
「改めて自分が相手をどう思っているか向き合ってみたまえ」
ファニアは立ち尽くすアルムにゆっくりと近付いて、胸に手を当てた。
「そうすれば何かヒントになるかもしれない。いやもしかしたら……答えがここにあると気付くかもしれないな」
そう言って、ファニアは優しく笑い掛ける。
アルムは手を当てられた自分の胸に視線を落とす。
するとアルムは何故か怪訝な顔をしながらファニアを見て、一歩後ずさった。
「どうした?」
「……み、ミスティの胸を、見ろってことですか……?」
「違う!! そんなわけあるか!! 人を変態みたいな目で見るんじゃない!!」




