665.女王と巫女の決意
ガザス首都シャファク。シャファク城ラーニャの私室。
マナリル来訪のために書類と睨めっこするラーニャの意識が遠のき、髪が流れるように揺れると椅子から落ちそうになった。
すぐさま専属護衛であるエリン・ハルスターが椅子の横に体を入れてラーニャの体をがっしりと支える。
「ラーニャ様!」
「大丈夫……大丈夫よ……」
ラーニャは青い顔をしながらも、椅子に座りなおす。
エリンは心配そうな表情でラーニャの肩を支え続けていた。
「やはり、ミレル湖の霊脈に干渉したのはまずかったようだわ……明らかに他の霊脈とは疲れが違うもの……」
ラーニャの周りを飛び交うのは羽のついた小人のような姿をした妖精達。
普段ラーニャに異変が起きれば止まり木のようにして集まるはずが、ラーニャに誰も寄り付かなくなっていた。
妖精を利用した霊脈干渉に加えて、あの地に残る魔法生命の魔力残滓がラーニャの体を蝕む。
その影響か、飛び回っていた妖精の一体が突然黒ずみ苦しむようにもがきながら床に落ちて……消えていった。
「大丈夫なのですか? この体調でマナリルに行くなど……」
「ええ、大丈夫。突然鬼胎属性の魔力が活性化しただけみたい……もう大丈夫よ。この子達が中和してくれるようだから」
飛び交っていた妖精達がラーニャの周りに再び集まる。
普通の人間には見えないが、淡い灯のような妖精達が集まる姿は幻想的だが、次には残酷な光景に変わる。
最初に床に落ちた妖精と同じように、ラーニャの体に触れた妖精数体の体が黒ずんで、もがくように床に落ちていった。
かつてアルムと模擬戦をした際に見せたように、妖精達には魔力を吸収する特性がある。妖精達はラーニャを蝕む鬼胎属性の魔力を吸収して、消えていっているようだった。
「ミレルの霊脈を調査したのは九日も前の事のはずです。それが何故急に……?」
「霊脈に何か異変があったのかもしれないわ。それか……これから何かが起こるのか。魔力残滓に残る魔法生命の意思が反応するほどの何かが」
「想像したくありませんね」
「想像したくなくても、目を背けるわけにはいかないでしょう。何のために危険を冒してまでマナリルの霊脈を調べに行ったと思っているの」
ふらつく体を椅子の背もたれに預けて、ラーニャは再び書類に向き合う。
「今マナリルでは確実に何かが起きようとしています。その為には情報を集めなくてはなりません。小国である私達ガザスはともかく、マナリルは何故か霊脈に関する技術がない。魔法大国であるはずなのに。
であれば、妖精達を介して霊脈に干渉できる私が代わりにやらなくてはいけません」
「ですが、どうかご自愛を……ラーニャ様が倒れては……」
「倒れられるわけがないでしょう。ガザスの長として、そしてアルムさんの友人としても。責務も恩返しもこなせなくて何が女王か。……それにあるとは思えません。時間の猶予など」
ラーニャは思う。
命懸けでこの国を救った彼に、自分は何も返せていない。
その一心でじくじくと鬼胎属性による痛みと疲労の残る体に鞭を打つ。
後ろ盾になる程度ではあの恩は返しきれない。少しでも彼の役に立てるように、動けるように準備しておかなくてはならない。
恐らく、もうすぐそこまで危機は来ている。
「去年訪ねてきた『蒐集家』マリツィア・リオネッタは言っていました。
"ダブラマにアポピス。マナリルに大蛇"。当時は意味が分からなかったけれど、先日ダブラマで起きた事件を引き起こした魔法生命の魔力残滓はアポピスという名前だった。順当に行けば今度はマナリルで同規模の事件が起きてしまう。
その時に備えて私が率先して情報を集めなくてはいけないのです……! 恩人が住む国を守るためにも!」
秘密裏に行っていた霊脈の調査は各地に残る魔力残滓への警戒。
アルム達が命を賭して倒し……それでもなおこの世界に魔力を残す魔法生命達の魔力。
マナリルで活性化し始めたその魔力残滓にラーニャは危機感を覚えていた。
ダブラマで起きた事件と同規模の……生命の理すら捻じ曲げるような魔法生命の復活を。
カンパトーレ首都フォビドウン。フルート宮殿。
氷でできたかのような水晶の大広間の中央で一人の女性が祈りを捧げるように手を合わせている。
女性の黒髪は流れるように美しく床に垂れ、幾重にも重なる鮮やかな色合いをした豪奢な民族衣装は大広間の雰囲気に合ってない。
だが口の広い袖は動かす度に優雅で、女性の所作も合わさって独特の美しさを水晶のような床に映し出していた。
「楔の人間がすでにベラルタに……。これじゃあもう声なんて届かない……!」
女性は悔しがるように下唇を噛む。
優雅さとはかけ離れているが、女性は取り繕う事も無い。
血を吐くような声は水晶の大広間に反響する。
今までは見えていた一人の少年の姿が暗闇に消えていく。いや、大きな影に隠されていく。
「モチヅキ家の交渉役も上手く入り込んでいるようだけど、事態の把握まで間に合わない……。一つ目は何とか乗り切ってもらうしか……それしかないっていうの?」
「カヤ様! 失礼致します!」
カヤと呼ばれる女性が無力を嘆いていると、勢いよく一人の女性が入ってきたかと思うと膝をついた。
入ってきた女性が着ているのは白い小袖に赤い袴の装束であり、やはりこちらもこの水晶の大広間の雰囲気とは合っておらず、文化圏が違う印象を抱かせる。
入ってきた女性は恭しく膝をついたかとおもうと、広間の中央に座る女性の返事も待たず急ぎの報告を告げた。
「『氷狼』グライオス様の主導でマナリルの霊脈地への工作作戦が決まった模様です……! 先遣隊としてすでにカンパトーレの魔法使い達はマナリルに向かったと……!」
「私が反対している意は伝えましたか?」
「はい、ですがネレイア様が亡くなってからというものの信者の数は急速に増え……かつては私達に賛同していたカンパトーレの貴族達も続々と意見を変え始めています。すでにカヤ様を支持する声はもう……!」
報告する女性が言いにくそうに目を逸らすと、カヤは目を閉じて頷く。
「そうでしょうね……。ネレイア様――水属性創始者という後ろ盾が無い今、"常世ノ国の巫女"などという肩書きは滅んだ国の意味無き称号……私にはアオイ様のような人を惹きつけるカリスマ性もありません。むしろここまで粘れたのが奇跡と言っていいでしょう」
自分に力が無いことを自覚しているのか、カヤという女性に動揺は無かった。
彼女はかつて国の頂点に立っていた……常世ノ国の巫女。
しかし彼女が今過ごす地は常世ノ国から離れた北国カンパトーレ。その称号にもう威光は無く、国を揺るがす力を持ってはいれど、その力は使わないと決めている。
故郷は滅び、自身を担ぎ上げようとしていた水属性創始者ネレイア・スティクラスもすでに敗北して死んだ。
カヤは自分が本当にそこらにいる女と変わらなくなったのだと実感して、覚悟を決めた。
「今すぐ準備を始めなさい。山を越えながら南下し、カエシウス領に向かいます。カエシウス家の捕虜になれば放たれるであろう追っ手からも逃れられるでしょう。
このままではカンパトーレの人間を効率よく信者にするための広告塔にされるだけ……贖罪の機会すら逃してしまいます。
私達は、私は償わなければなりません。異界の伝承、魔法生命をこの地に降ろした責任を取るためにも……もう操り人形にされるわけにはいかない!」
「仰せのままに!」
「もうカンパトーレにはいられない。信者達に悟られるな! わらわ……常世ノ国の巫女カヤ・クダラノの首を土産にマナリルに亡命する!」
彼女の名はカヤ・クダラノ。常世ノ国の巫女として今代の魔法生命の核をこの世界に引き上げた張本人。
マナリルに行けば八つ裂きにされてもおかしくないと理解しながら、彼女は決意する。
カンパトーレはすでに魔法生命を信仰する考えが浸透し始めている。ここにいては利用されるだけ。
ならば……魔法生命に空っぽの象徴として飼い殺されるよりも、同じ人間に罪人として八つ裂きにされる道を選ぶと。
「何とかしてわらわは会わなくては……あの方に……アルム殿に!!」
いつも読んでくださってありがとうございます。
以前から名前が出てた子も含め、散りばめてたあれこれを。




