664.どうせ君は君にしかなれない
「バーテンダー君、私にスローワルツ、この制服が似合う坊やにはグレープアップを頼むよ」
「かしこまりました」
一杯どうだ、と言われてオウグスに連れてこられたのは落ち着いた雰囲気の小さいバーだった。
黒で纏まったシックなミドルカウンターとバーテンの後ろにずらりと棚にボトルが並べられたバックバーという初めて出会う暗がりでありながら明るい世界は当然アルムにとって初めて見る光景であり、自分がどこか場違いである事を実感させた。
しかし、その場違いな空気がどこか好奇心を煽る。
慣れている風のオウグスに習ってアルムはキョロキョロと店内を眺めながら席に座った。
カウンターの中に立つバーテンダーは燕尾服のような黒で纏めた服装をしており、整った顎髭含めて清潔感を感じさせる。注文を受けるとバーテンダーは後ろのバックバーからボトルを取り、カクテルを作るためのシェーカーを振り始める。
静かな空間にシェーカーが振る音が鳴り響き、やがて注文した品が二人の前に出される。
「お待たせしました。こちらがスローワルツ、こちらがグレープアップでございます」
アルムは差し出されたグラスをすぐに取ろうとはせず、興味深そうにまじまじと見る。
そして浮かぶ疑問を好奇心のまま口にした。
「自分のは何となく名前で想像つくんですが……学院長のスローワルツというのは?」
その質問を待っていたと言わんばかりにオウグスがグラスを顔の辺りまで掲げ、口元で笑みを見せる。目の下の泣き黒子も相まって、奇抜な私服もこの空間ではどこかお洒落に見えた。
「君にはまだ少し早いが、人生のような甘酸っぱさを感じさせてくれるノンアルコールカクテルさ」
「おお……」
大人っぽい雰囲気にアルムが訳も分からず感嘆していると、すかさずバーテンダーからの補足が入る。
「クランベリージュースやレモンジュースなどを混ぜ合わせた品となっています。わかりやすく言えばミックスジュースでしょうか」
「あ、なるほど……」
「おいおいおい……もう少しかっこつけさせてくれよバーテンダー君……」
言葉の響きとは不思議なもので、ノンアルコールカクテルと聞くとどこか大人っぽく聞こえて、ミックスジュースと言われるとどこか親しみやすい。
アルムは万が一お酒だったらどうしようと考えていたが、そこは流石の学院長も配慮してくれているようである。
「お言葉ですがオウグス様……飲酒できない生徒をバーに連れてきている時点ですでに格好はついておりません」
「んふふふ。それを言われると痛いねぇ」
バーテンダーがオウグス相手に物怖じせずに意見している所を見ると、オウグスとの関係はそれなりに長いのだろう。オウグスはここの常連というやつかもしれない。
思えば、アルムはオウグスの事はほとんど知らない。
初めて見かけたのは入学式の挨拶だが……そこでは変態という印象を抱いていた。今はそんな事は無いが、依頼や王命の話以外では当たり前だが付き合いなどない。
わかるのは言動をわざと軽くしている印象を受ける事と、ヴァンが信頼する凄い魔法使いだったという事くらいだ。
「さて、学院長である私と長い時間一緒というのも気まずいだろう。何か悩み事があるなら話すといい」
「さっきも悩み事と言ってましたが……わかりますか……?」
「んふふ。生徒が悩んでいるかどうかくらいはわかるさ。学院長だからねぇ」
「そうですか……」
流石だ、とアルムは感心する。
尊敬の眼差しがオウグスに向けられる。
「というよりも、このタイミングで悩むなら私が押し付けてしまった演劇の件だろうから少し罪悪感がわいて仕方なくだね……飲み物くらいは奢らないとと思ったわけさ」
「……そうですか」
感心はすぐに引っ込んだ。
尊敬はすぐに瞳から消え失せる。
しかし、悩み事を聞く気は本当にあるようでオウグスは完全に聞き手の姿勢をとっている。
注文した飲み物を優雅に飲みながら、アルムが話し出すのを待っているようだった。
「……実は」
どうせ誰かに相談する気だったんだから言ってしまえと、アルムはのどに詰まっていたものを吐き出すように自分を悩ませていた事についてを話す。
主人公リベルタが追放された国を救いに戻ってきた事がわからず、全く演技にならない事、クライマックスのシーンでお姫様と語り合う愛がどういうものかわからない事……そのせいか、周りの熱量に自分が追い付いていない事まで。
バーテンダーは聞かない振りをして、オウグスはアルムが話し終わるまで何も言わず聞き続けた。
「というわけでして……」
アルムは一気に話しきり、オウグスが注文してくれたグレープアップという飲み物で乾いた喉を潤す。
ブドウの甘さとグレープフルーツのほどよい苦みが合わさったフルーティな味わいを実感しながら、アルムはオウグスのほうを向いた。
「おお……」
オウグスは悩み事を聞いたとは思えない呆れたような表情だった。
アルムは自分の不甲斐無さに呆れられたのかと思ったが、そうではない。
「凄いな君……自分の事が全く見えてないんだねぇ……」
「それはグレースにも言われましたが……」
アルムは視線を下にして自分の体を見る。
「ちゃんと見えています」
「んふふ。そういう意味じゃないとも言われなかったかい?」
「コメディ向きだと」
「んふふふ! それは間違いないねぇ!」
オウグスはグラスに口を付けて、少し間を置くと口を開いた。
「いいかいアルム。今回の演劇の主人公リベルタは……君をベースに書かれているんだよ」
「そう、らしいですね」
「なら少なくとも一つ目の悩みは簡単だ。何故自分を追放した国を救いに戻ったかって? 君……そういう損得を考えて誰かを助けたことあるのかい?」
言われて、言葉が出なかった。
アルムが主人公に抱く疑問はそのままブーメランのように返ってきて。
誰かを助ける時に、何故という問いが出たことがあっただろうか。
「計算して戦闘するタイプではあるだろうけど、打算で動くタイプではないだろうに」
「いや、魔法使いになるためにと……」
「それは打算ではなくて、ただの在り方さ。助けてと誰かの声が聞こえたのなら……君は君を捨てた両親でさえ助けに行ってしまうと思うけどねぇ」
そんなはずない、と即座に言わない時点で答えは決まっていた。
アルムは自分自身が見えていない。ゆえに、今回の演劇の主人公であるリベルタの事がわからなかった。この演劇の主人公は、アルムを基に作られていたから。
「演じるからといって、わざわざ全く違う他人を演じる必要は無い。君が演じる主人公は君が君のままでやれるように作られたものさ。少なくとも、グレースはそういう思惑で書いたはずではないのかな」
「あ……」
「どうせ君は君にしかなれないだろう? 平民で魔法使いになろうっていう世界一の我が儘を現在進行形で続けてるんだから」
オウグスにそう言われて、アルムは朝の練習に付き合って貰っていたファニアに言われた事を思い出す。
"自然体でもある程度できるようにしてくれているのだろう"
台本を読んだファニアの感じた通り、主人公リベルタはアルムがアルムのまま舞台に上がれるようにしている役。アルムは自分と違う誰かを演じる一点に思考が偏ってしまい、すでに言われていた正解に気付く事ができずにいただけだった。
「それに……んふふふ。周りに追い付いていないっていうのも君が今更気にする必要はないと思うねぇ。だって君は才能が無いという最も大きなハンデを物ともせずに今日まで走ってきた人間だ……今更他に少し追い付けない事くらい気にする必要ない。追い掛ければ間に合うような差ならなおさらさ」
自分が悩んでいた事が一気にわかりやすく、大した事の無い問題だったかを気付かされる。
全くわからない体験と焦りからただ思考が凝り固まっていただけ。
アルムを知っている者からすれば、なんてことのない悩み。
アルムは自分の体が軽くなったような気がした。
「ま……愛を語らうシーンは自分で気付くしかないからアドバイスはできないがねぇ。それだけは千差万別。求めるものも人によって違うものだから安易な答えは出せない。すまないね、締まらない大人で」
「いえ……ありがとうございます」
アルムはグラスに残るグレープアップを飲み干して立ち上がる。
「助かりました。ありがとうございます」
「おや一杯だけでいいのかい? せっかくの学院長様からの奢りだよ?」
「はい、自分にはまだバーは早かったみたいです」
「んふふふ。違いない。頑張りたまえ」
「はい、失礼します」
アルムはバーテンダーにも頭を下げて、足早に店から出て行く。
恐らくはオウグスからのアドバイスを参考に練習するのだろう。
そんなアルムの背中を見送って、バーテンダーが口を開いた。
「あれが噂の学院唯一の平民……。オウグス様のお気に入りの生徒ですか?」
「いいや、ヴァンのお気に入りさ」
「それはそれは……。ずいぶんと期待されておられるようで」
「ああ、本当に。さてバーテンダー君。生徒はいなくなった……大人の時間と行こうじゃないか。
若人のお悩み相談なんて、酒の肴にしようと思ってもできるものじゃないからねぇ」
「かしこまりました。では……何に致しましょうか?」
バーテンダーに注文を促され、オウグスはアルムの姿を思い出しながらカクテルを注文した。大人である自分にはもう似合わない味わいのものを。
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