663.意外な誘い
「おはようございますアルム」
「おはようミスティ」
休日明けに学院に登校すると、ミスティはいつもと同じように校門前でアルムを待ってくれていた。
遠巻きに注目されながらもいつも通りのミスティにアルムは少しほっとする。
朝の挨拶を交わすと、ミスティはアルムの横について二人は門をくぐった。
「もう体調は大丈夫なのか?」
「はい、ご心配おかけしました。私とした事が体調管理もできておらず……」
「ミスティで体調管理できてないなら俺なんてしてない事になってしまう」
「うふふ。ではこれを機に読書で夜更かしは程々にしてくださいませ」
「……まさかそういう話に持っていかれるとは」
ミスティの欠席と休日があったせいかアルムは妙に久しぶりな感覚につい横に目をやる。
雪のような白い肌に宝石のような青い瞳、朝の清涼な空気を乱さない香りを漂わせながら水色がかった銀髪を後ろに流して歩くミスティがいる。
改めて確認すると、新鮮な気分だった。
じっと見つめるアルムの視線に気付いたのかそれともたまたまか、ミスティも横目にアルムを見てくる。
ミスティ自身見られてると思っていなかったのか、不意に合った視線に驚いたようにミスティは目を見開いた。
「も、もうアルム……人の事をじろじろ見てはいけないと昔から言っていますでしょう?」
「あ、そうだ……最近は直ったと思ったんだがついな……すまない」
「いいえ、謝る必要はありませんわ。私も今アルムの事を見ようとしましたから……今回はおあいこですわね」
「あ、やっぱり目が合ったのは偶然じゃないのか」
ミスティは頷きながら鞄を持つ手をぎゅっと握る。
「ええ、何か……ずいぶん会っていないような気がしてしまって……少し気になったといいますか……」
「俺もだ。それでミスティを見てた」
「本当ですか? ふふ、気が合いますね」
「ああ、本当にな」
二人は微笑み合って、アルムは久しぶりな感覚を忘れることができた。
思えば数日離れる事くらい今までにいくらでもあったのだが、何故今日はそんな感覚が顔を覗かせたのかはわからない。
しかし、改めていつも通りであるという事を認識して、アルムは安心して教室へと向かう。
だが……放課後になると、その安心が別の感覚に襲われて霞みのように消えてしまった。
普段ミスティ達と過ごしている時には無い何かを、アルムは放課後の演劇練習の中で感じるようになる。
「グレースさん、私の台詞なのですが……」
「グレースちゃん、俺様のシーンなんだけどよぉ」
「はい、それで問題ありません。ミスティ様のここは囚われる前の話ですし。ヴァルフトのこのシーンは派手にやられすぎないほうがいいからそのままで」
「フロリア! このシーンの黒い霧の演出ってあんたがやんの!?」
「ええ、『黒い夢霧』の"現実への影響力"をベネッタと一緒に下げてもらいながらやるつもり」
「舞台に使う照明用の魔石をこの私サンベリーナ・ラヴァーフルのコネで間に合わせるようにしておきましたからその点もご安心を!」
「あんま堂々とコネとか言うなし……」
「ネロエラくんのフェイスベールはどうしようか。僕はそのままでも味があっていいかなって思ってるけど」
《舞台ではとるつもりです》
演劇に向けて熱気に満ちた教室内。
演技の練習からシーン毎の演出の魔法のチェック、細かい小道具の提案まで……今まで演技だけで手一杯だったはずの三年生全員の動きが活発になっているような。
台本だけで手一杯、そうでなくても当然コネや設営のノウハウも無く、無属性魔法しか使えないアルムは手伝うことができない。
自分に出来ないことが浮き彫りになっているからだろうか。
いや、そうでなくても……どこかみんなとの熱量の差を感じ始めた。
休み前の練習からなんとなく感じ取ってはいたが、ミスティが加わってからというもののさらに加速したような気がする。
「あなたが、助けに来てくださるなんて……!」
ミスティが主人公リベルタの手によって解放された際の台詞を演じる。
信じられないというような表情、どこまでも透き通るような声。
感情の籠った声色と自然で優雅な所作はミスティがどれだけ力を入れてるかを感じさせた。
「アルム? どうしたの?」
「え? あ……」
エルミラに言われて、アルムは自分もミスティと同じように演技の練習をしていた事を思い出す。
自分は何をぼーっとしていたのか。今は主人公リベルタと囚われたお姫様が出会うシーン、その通しの練習中だ。
咄嗟に口から出てこなかった台詞はすでに台詞が決まっている場所であり、言い淀む理由は特にないはず。そのはずなのに。
「すまない。気が抜けていた」
「もうしっかりしてよね……今のミスティかなりよかったわよ」
「うふふ。練習の賜物です」
「本当に……休み前よりかなり役への解像度が上がっていますね」
グレースもミスティの演技に驚いたのか小さく拍手している。
休みに入る前の練習では、ミスティはラストシーンを上手く演じられない事でアルムとベネッタと共にポンコツ扱いされていたというのに。
褒められたせいか、ミスティは照れながら小さく笑う。
「やるべき事がわかったといいますか……定まりましたから」
その表情は穏やかながらも凛々しく。
アルムとのシーンでおろおろとしているミスティの姿はもう無かった。
「……」
反面、アルムの気持ちはどこか曖昧で。
舞台の上でやるべき事もわからなければ、定まるものも無い。
「大丈夫かい? アルム?」
「ああ……すまない。続けよう」
「休憩してもいいんだよ。まだ時間はある」
「いや、俺は出るシーンも多いからこうして数だけはやっておかないとな」
そうしてアルムは主人公リベルタの気持ちがわからないまま練習を続ける。
アルムの中の主人公リベルタは追放されたままの……英雄になれない旅人のまま放浪しているかのようだった。
演劇の練習後の一年生の指導も終わって……アルムは一人帰路に着く。
結局練習では思ったような成果は得られず、台詞を言い淀む事はなくとも演技がよくなることはついぞない。
アルムは考えながら、重い足取りで門のほうへと歩いていた。
(なんというか……俺だけがついていけてないんだな……)
練習中に感じる熱量を感じながらも、それに乗ることのできない自分に落ち込むアルム。
やる気はあるし、意気込みはある。ラーニャ来訪時に歓迎の余興としていいものを作りたいという気持ちはある。あるはずなのだが……今日の練習では他の三年生全員がそれ以上の何かをモチベーションにしているように見えた。
アルムがわからないのも無理はなく……アルム以外の全員は、アルムの認識を変えるためにという知るはずもない目的があるためだった。
当然、その思いから来る必要以上のやる気にアルムがついていけるはずもない。
それどころかアルムは自分の役についてもまだよくわかっていないのだから。
「俺のせいで何か言われたらみんなにも迷惑がかかるかもしれない……何とかしないとな……ファニアさんにもう一度相談してみるか……」
わからないのは二つ。
主人公が自分を追放した国に戻ってきた理由とお姫様と結ばれるシーン。
どちらもアルムには難題だった。前者はそれとなく理由をつけて無難に取り繕うことはできそうだが……そんな事をすればグレースに申し訳が立たない。そして後者に至ってはまるでわからない。
無難に演じることすらできず、台詞をなぞることしかできない。出口の無い迷路に入ったようだ。
お姫様と結ばれるという結末があまりに現実とかけ離れているように見えて、アルムの想像を阻んでいた。
……貴族や王族といった位の高い人間が、いくら助けたからといって位の低い人間と結ばれたいと思うなど有り得ない。アルムはそう思い続けている。
貴族に必要なのは領地含めた財産、そして何より才能。
魔法を使えることこそが貴族の条件。才能を残し続ける事こそが血筋の発展。
ならば……わざわざ位の低い人間と結ばれる意味が無い。有り得ない。
そしてなによりも、愛がわからない。
師匠やシスターを思う家族愛とは違う愛が、アルムにはわからない。
動物や魔獣は子孫を残すために番いを作る……そうなるとやはり話は戻って。
貴族として魔法使いとして、よりよい子孫を残すためには血筋や才能のよい相手を選ぶのが望ましい。ならば一般市民であり追放された人間でもある主人公リベルタがお姫様と結ばれることはやはり有り得ない。
しかし、幻想はその有り得ないを可能にしてしまうのだ。
そして自分はこれから幻想を演じなければならない。有り得ないからわからないですませるわけにはいかないのだ。
「ううん……頭痛くなってきた……」
アルムは頭を悩ませながら門をくぐる。
第二寮へと向かうべく大通りに出ようとすると、予期せぬ人物から声をかけられた。
「おやおや、珍しい所で会うもんだ」
「え」
「何か悩み事かい? アルム?」
門の前にいたのは奇抜な服装で佇む学院長オウグス・ラヴァーギュ。
学院以外では出会ったことのないあまりに珍しい人物との遭遇に、アルムは目をパチパチさせた。
「んふふふ。そういう時は一杯どうだい? 悩める若人に奢るのも、いい学院長アピールとして悪くはない」
「いや、学生を誘ってる時点でよくはないのでは……」
オウグスの急な誘いにアルムは至極真っ当なツッコミを入れる。
マナリルの飲酒は十八からだが、教育機関の生徒……つまり学院に通っているアルム達のような人間の飲酒を年齢問わず禁じている。当然誰かが飲ませるのも禁じている。
自分の事を誘ってきた学院長は檻の中に入りたいのかと、アルムは動揺で目が泳ぐ。
飲酒はその国の法律を守り、周りに迷惑がかからないように飲もう。違反駄目絶対。




