662.その思いを分かつ壁はきっと無い
私の両親は私のようにひねくれていない真っ直ぐな善人だ。
貴族だからと平民に恭しくさせるのをよしとせず、身分を隠して町に降りるのを常としていた。
自慢になるが、私の父は顔が整っていて母もとびきり美人ではないが穏やかで人当たりのいい可愛らしい方だ。身分を隠して町に降りても町民と打ち解け、すぐに受け入れられている。
そんなだから、人間の善性を子供のように信じる人達だった。
「グレース、人間は誰でも人に優しくできるものだ」
そう教えられてきた。
だが、私はそうは思えなかった。
父のような整った顔立ちもなければ、母のように人当たりがいいわけでもない。
どちらかといえば無愛想で、物心つく頃からかけている大きな眼鏡は嫌でも目立つ。
口数が少なく、暗めで、あまりにからかいやすい私は格好の的だった。
親の方針で家庭教師ではなく金持ちの平民と同じ小等部に通うと、私はすぐにいじめの対象となった。
いじめてくる子供達いわく……テストの点で一番をとれば生意気らしく、運動ができれば調子に乗ってるらしい。
そんな言動は貴族の家に生まれた私からすれば馬鹿みたいだとしか思えなかった。貴族ではなくても馬鹿みたいと思う者もいるに違いない。
いじめてきた子供達は平民とはいえ、出資をしている家の子供もいたので、私は事を荒げずにてきとうにあしらいながら学校生活を送っていた。
平民とはいえ、学校の教育を受けられるくらいの裕福さはある子供達だ。少し常識を学べば飽きるか、そうでなくても自分達がいかに愚かで幼稚な事をしているのかわかってやめてくれるだろう……そう思っていた。
そんな日々が続いた頃、あまりに続くいじめから私をかばったクラスの子供が椅子で殴られた。
無視していた私の耳にゴン! という鈍い音が響き、その子は目の前で倒れて動かなくなった。
同じクラスでも名前は覚えていなかったが、印象には残っていた。
綺麗な水色の髪色をしていて、笑う顔は晴れた空みたいな平民の子供だった。私にボロボロの鉛筆を貸してくれた事もある。
そんな女の子が私の前で倒れて、頭から血を流していた。
そうなるのは本来なら、私だったのだろうと思った。
駆け寄る為に立ち上がると、殴った子供の声が横から聞こえてきた。
「邪魔するからだばーか」
それを聞いて、ぷちん、と頭の中の何かが切れた。
気付けば、私はその子供の顔がぐちゃぐちゃになるまで殴りつけていた。
私より体格も大きい男の子だったが、そんな差は魔法の前には関係ない。
魔法を使った私を見てようやく貴族だと気付いたようで、謝罪しようとしてたが……豚の泣き声にしか聞こえなかったから無視した。
自分達のやった事を悪いと思ったからではなく、貴族だと気付いて怖気づいただけの声に謝罪の価値など生まれるはずもない。
何度も何度も殴った。
殴っている私の手の皮が裂けて、血が出て、肉が見えても殴り続けた。
痛かったはずだが、恐らく怒りで麻痺していたようで何も感じなかった。
自分の血と相手の血が判断つかなくなるくらいまで殴っていると、集まった教員三人に押さえられてその場は終わった。
納得いかないのはその後だった。
私でもなく私をいじめていた子供でもなく……私を庇った女の子が学校に来れなくされた。
名目上は療養のためだったが、違うとすぐにわかった。
いじめをしてきていた子供の親の出資額が無視できないものだからだった。今の時代、平民でも貴族との繋がりを持てば稼ぐことが出来るからこそだ。
貴族である私の家……エルトロイ家に責を求めるのはリスクが高い。何より子供の顔をぐちゃぐちゃになるまで殴る私の話を聞いて、貴族からの怒りをこれ以上買わないようにと恐れたのだろう。
だからこの事態のきっかけを作った、私をかばった子供に全てを押し付けたという事だった。
幸いなのは私の両親までクズじゃなかった事だ。
私をいじめていた子供の親達との繋がりを放棄するのを両親は躊躇わなかった。
この出来事をきっかけに私へのいじめがあった事を知ったからという理由もあるらしい。
まさか、女の子をいじめるような人間がいる事に両親はショックを隠せないようだった。
「グレースはやりすぎた。けれど、やりすぎただけだ」
私がいじめてくる子供の顔面を殴りつけた事はやりすぎだと怒られはしたが、そこで怒れる子供でよかったとも言われた。
普段暗くて、周りの事がどうでもいいと思っているような子供だったからか……両親は私が誰かのために怒れる子供である事を喜んでいるようだった。
けれど、その時の私の中には私を庇って殴られた女の子の事しか頭に無かった。
女の子が目を覚ましたと聞いて、私はすぐに病院に行った。
雇うようになった家庭教師の課題も無視して、使用人に泣いて懇願して病院まで行った。
馬車で町を駆け、病院に着いた私は病室へと走った。
病室を扉を開けると……私を庇った女の子は頭に包帯を巻いて、ベッドの上でぼーっとしていた。
私は話しかけるのを躊躇った。私を庇ったせいで大怪我をして、学校に行けなくなった事に罪悪感を抱いたのだ。そんな風に心がもやもやしたのは初めての事だった。
私が話しかけるのを躊躇っていると、私に気付いた女の子が先に声をかけてきた。
「あ、グレースさん! 大丈夫だった!?」
女の子の最初の言葉がそれだった。
泣きそうになったのをぐっとこらえた。使用人に懇願した時は嘘泣きだったが、本当に泣いてしまいそうだったのを覚えている。
「どこか怪我してるの? お医者さんに診てもらったほうがいいよ」
「学校? 気にしないで、あんな人達がいるとこ行かなくても大丈夫」
「今までごめんね。助けてあげられなくて」
その女の子は愛想の無い私と普通に会話してくれた。
まだ痛むだろう自分の怪我よりも泣きそうになる私を心配して。
学校に行けなくなって辛いはずなのに何でもないように振舞って。
謝らなくていい謝罪までしてくれて。
そして――
「またねグレースさん。お見舞いに来てくれてありがとう」
自分に降りかかる理不尽を受け入れながら、また私に晴れた空のような笑顔を向けてくれた。
「なんで、私を助けたの」
気付けば、私はその女の子に問いかけていた。
女の子はにっこりと笑って答えてくれた。
「私はまだ勉強もお仕事も何もできないから、せめて誰かのためには動けないといけないでしょう?」
私はその女の子に手を振って、またお見舞いに来ると約束して病室を後にした。
胸の奥に何かが落ちた。
何故私がいじめてきた子供に初めて怒りを覚えたのかがわかった気がした。
これをきっかけと呼ぶのだと、後になって気付いた。魔法使いを目指すきっかけなのだと。
私は何よりも嫌悪する。
正しい人間が認められない世界を。
私は何よりも苛立つ。
自身の輝きに気付かない鈍い人間が。
私は何よりも、尊敬する。
誰かの為に正しき行動を選択できる人間を。
私は元々誰かを助けたいと思うような、高尚な人間ではない。
弱者のために魔法使いになろうと思うような人間だったわけではない。
私は目の前で倒れた平民の女の子から、その在り方を受け取っただけだ。
女の子は自分が何もできないと言っていたけれど、あの子は私が魔法使いを目指すきっかけをくれた。
そうやって世界は繋がっていく。いや、繋げなければいけない。
私はあの日、その繋がりを侮辱されたからいじめてきた子供に怒りを覚えたのだ。
……これは私の欲望。
正しい人間がその正しき行いに相応しい成果を受け取るべきと考える理想論。
台本に託した私の願望。私から彼へと送るお節介。
自分の価値を軽視する人間を、私は絶対に許さない。それが友人であるのならなおさら。
あなたの周りも全部全部巻き込んで……その呪いを今解きましょう。
気付いてほしい。
私達の間に身分という差はあっても互いを隔てる壁なんてなくて、貴族も平民も関係ないものがこの胸の中には確かにあるのだと。
身分を理由に感情や衝動が芽生えないなんて事は無い。
有り得ないなんてことは絶対に無い。
私のような人間が、誰かを助けたいと思うようになったように。
私があの日受け取ったものが確かに、あなたの周りの人達にもあるはずだから。
私達が言葉にするのは嫌味に聞こえてしまうかもしれないけれど……彼に気付いてほしい。
――世界はもっと、簡単だということを。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。明日は一区切り恒例の幕間となってます。
このお話に出てきた女の子はその後グレースのエルトロイ家に使用人として引き取られて今は幸せに暮らしています。




