660.冗談は向いていない
「これってデートかしら?」
「グレースもそんな冗談言うんだな」
「あら、コメディもいける?」
「今の所は無理じゃないか、面白くはなかった」
「失礼ね」
「すまん」
ベラルタの西門近くに建つ落ち着いた内装のレストランにて。
アンティーク調の椅子とテーブルが並ぶ店内の一角に座る二人組はそんな会話を繰り広げながら夕食を楽しんでいた。
同じ制服を纏った男女だが、ロマンチックな雰囲気とは程遠い。
「ま、デートでこんなメニューを夕食にはしないわよね」
嘲るように笑って、グレースは目の前にあるきのこのアヒージョに切り分けられたバゲットを浸す。
グレースが頼んだのはきのこのアヒージョだ。
アヒージョのオイルに浸したバゲットを口に入れると、バゲットが吸ったオリーブオイルのいい香りとオイルに染み込んだきのことにんにくのうまみが口内に広がっていく。
グレースは幸せそうな表情でそのうまみを噛み締めていた。湯気で大きな眼鏡が少し曇ったのも気にせずに。
「ああ……背徳の味がするわ。明日が休みじゃないと食べられない美味しさよね」
「なんでだ?」
アルムが煮込みハンバーグにナイフを入れながらそんな当たり前の事を聞く。
グレースは呆れたようにため息をついた。
「そんなものにんにくの匂いが残るからに決まっているでしょう。最低限のエチケットよ。人と会う予定の無い休日前じゃないとこの味は味わえないわ」
「ああ、そういうことか」
「こんな制限がかかる食べ物なのにおいしいというのが問題よね。にんにくって本当に罪な食材だわ」
言いながらグレースはきのこにスプーンをぷすり。
口に運ぶとまた幸せそうに顔を綻ばせた。
「眼鏡は外さないのか? 曇って食べにくそうだが……」
アルムが言うと緩んだ表情がいつものような表情に戻った。
グレースのくすんだ茶色の瞳がこちらを向く。
「……ええ、これは外さないの」
「そうか」
「そうよ」
グレースは眼鏡の曇りを拭くとまた掛けなおす。
すると、またアヒージョからの湯気で再び少し曇る。グレースはやはり気にする様子もなく、二枚目のバゲットに手を伸ばしていた。
親切心のつもりだったが、余計なお世話という事だろう。
もしかしたら眼鏡に何か思い入れがあるのかもしれないとアルムは少し反省する。
「それで? 相談があるんでしょう?」
指についたオイルを舐めながらグレースは本題へと入る。
見るものが見ればどこか扇情的な仕草だが、アルムには特に刺さらない。
そもそも今日の夕食はアルムが相談があるとグレースを誘ったものだった。
グレースはあまりにも複雑な表情をしていたが、結果的にはこうしてオッケーを貰って食事をしている。勿論食事代は相談を持ち掛けたアルム持ちだ。
アルムはばつが悪そうな表情を浮かべながら口を開く。
「主人公リベルタの気持ちがよくわからなくてな」
「そうらしいわね」
「誰からか聞いたのか?」
「いや、演技見ればわかるわ。よくわからないままやってるんだろうなぁって」
「面目ない」
「謝られる事じゃないわ。得手不得手はあるもの」
グレースは布ナプキンで手を拭いて再びフォークに手を伸ばして食事を続ける。
どうやらアルムの相談はグレースには想像つく内容だったようだ。
「だから教えてほしいんだ。俺がやるリベルタはどんな気持ちなのか……それを聞いて何ができるかはわからないが、取っ掛かりが無い今よりはましになると思うんだが」
「嫌よ」
考える様子も無く、グレースはアルムの頼みを一蹴した。
アルムは食い気味に返ってきた返答を聞き、縋るような目を浮かべる。
「だ、駄目なのか?」
「駄目というか無理」
「無理っていうのは……?」
「もう台本は私の手から離れちゃってるから無理よ。他のみんなが自分なりのイメージを掴んで演技しているから、あなたにだけ私が考えるリベルタの気持ちとかを伝えてももう正解じゃないのよ。
もうこの役はあなたのものだから、あなたの解釈でやってくれないとこっちが困るわ」
「そう……か……」
アルムはわかりやすく肩を落とす。
自分が遅れていることを自覚しているからか、取っ掛かりだけでも思っていたがそれすらも無理なようだ。
「それに、私のイメージを伝えて意識したところで……わからないなら台詞をなぞるのと結果は変わらないと思うけれどね」
「……確かに、グレースの言う通りだな」
どこかで、台本を書いた本人から聞けば何とかなるかもという甘い期待を抱いていた自分に憤りを覚えるアルム。
これは相談ではなく、行き詰って正解に飛びつこうとした安易な思考の結果なのかもしれない。
それを実感したからこそ、こうして突き放してくれるグレースの対応に優しさを感じた。
「すまない。考えが足りなかった」
「初めてやる事でしょう。そんな事もあるわ」
「どんな事も……近道なんてあるはずないのにな」
当たり前だ、と力なく笑うアルム。
グレースはそんなアルムを笑う事はしなかった。
「台本を開くたびに、遠く感じるんだ。子供の頃に憧れた魔法使いを見た時と同じように……現実にも魔法使いはいるのに、本の中に、物語にいる魔法使い達は幻想とわかっているからか、より遠くに感じてしまう。
読めば読むほど、こんな自分が演じていいのかと考える。こんなにも自分が情けないと思わなかった」
「そうは思わないけれど」
「憧れるんだ。どうしようもなく。憧れるから、遠いんだ」
宙に浮かぶ星に手を伸ばすかのように、アルムは魔法使いに憧れた。
シスターが持ってきた本の上の魔法使いに憧れて、初めて抱いた夢を折られて、泣いている所に現れた本物の魔法使い――師匠に憧れた。
幻想にいる遠い理想。手を伸ばしても届かない場所。そして、もう会えない人。
子供の頃からずっとあった憧憬が、アルムの理解を阻んでいる。
「……難しいな」
演じるというのがいかに難しいかを実感する。
いやそれ以上に……アルムにとって本の上の魔法使いを演じるということは、理想に今すぐ追い付けと言っているのと同義なのかもしれない。
「すまない、愚痴みたいになってしまったな……気を悪くしたなら――」
「あなたもなるわよ」
グレースの力強い一言が、アルムの声を遮る。
アルムが顔を上げてグレースを見ると、大きな眼鏡の奥にある瞳は今までに見たことのないほどに、優しい色をしていた。
「そんな物語の魔法使いのように、あなたの事だっていつか本の上に書かれるわ」
「慰めてくれるのか? 珍しいな、罵倒されるかと思った」
「いいえ、慰めなんかじゃないわ」
グレースはゆっくりと首を振る。
否定を拒む意思が声に宿っているかのよう。
「あなたも魔法使いになったらいつか、そんな憧れた魔法使い達と同じように本となる日がくるわ。あなたのやった事が書かれて、あなたに憧れて魔法使いになろうという人がきっと現れる」
「……やっぱり慰めてくれてるじゃないか。ありがとう。だけど、今の所は俺はなにもやれていない。誰か一人でも助けたいが、それすらいまだにみんなの力を借りなきゃ満足にできない。みんなが俺の周りにいてくれるから何とかなっているだけで……ずっと曖昧なままだ」
「……」
アルムの言葉に、グレースはぱちくりと瞬きをする。
「……驚いた。あなたって本当に自分の事が見えていないのね」
「……?」
グレースに言われて、アルムは自分の姿を確認するように下を向いた。
「ちゃんと見えてるぞ?」
「はは……あなたのほうがコメディ向きね」
グレースは呆れた笑いを見せて、先程浮かべていた優しい目に再び戻る。
「私が書くわ」
「え?」
「誰も書かなかったのなら、あなたの本は私が書く事にする。あなたが物語の魔法使いに負けないような魔法使いになると信じる女が一人、執筆者として名乗りを挙げさせてもらうわ。そうなったら今度こそ……あなたのしてきた事をあなたの口から聞かせることね」
思っても見なかったグレースの申し出にアルムは呆気に取られて声を無くす。
平然と食事を再開するグレースを見て、アルムは乾いた笑いを浮かべた。
「さっきはああ言ったが訂正しよう。グレースは冗談が上手いな。やっぱりコメディもいけそうだ」
「いいえ、やっぱり無理みたい」
グレースはフォークを置いて、布ナプキンで口元の油を拭う。
「だって、今のは冗談なんかじゃなかったもの」
真剣な表情でそう言うグレースにアルムは何を言ったらいいのかわからなかった。
そこから会話らしい会話は無くなり、二人は第二寮へと帰っていった。




