659.報われてほしい
「チヅルに会った!?」
「ええ、夕方頃に尋ねてこられましたよ」
橙色の空は夜闇に変わり、どの家庭でも夕飯を楽しむ頃。
テーブルの上に四人分のアップルパイを並べながら、ラナは夕方にあった事をさらっとミスティ含めた四人に報告する。
テーブルを囲むのはミスティ、ルクス、エルミラ、ベネッタの四人。珍しくアルムを除いたメンバーだ。
「な、なんで私に言わなかったの!?」
「ミスティ様のお休みを邪魔したくなかったもので……私にとってはミスティ様の体調が戻るのが優先ですから」
ラナはさらっとミスティの事を優先させたことを伝えるとエルミラは苦笑いしながら額を手で覆った。
「そうだった……ラナさんはそもそもベラルタの住民じゃないから優先順位が違うんだ……」
「私は最悪ベラルタどころかマナリルがどうなろうと、ミスティ様優先ですから」
「外で言ってないでしょうねそれ……?」
ミスティはおろおろとしながらラナの体をぺたぺたと触る。
まさか自分が寝ている間にそんな事があったとは気付かなかったからだろう。
「ら、ラナ……何かされなかった……?」
「別に何もありませんでした。ミスティ様はお休み中なのでお帰り下さいと言ったら素直に帰ってくださいましたよ」
「そうなの……? 案外、お話がわかる方なんですね」
ミスティは何故かラナの有り得ない説明に納得していたが、他三人はそんな言葉で騙されるはずもなく。
(嘘だな……)
(嘘ね……)
(ミスティってなんでラナさんには簡単に騙されるんだろー……?)
ラナに怪我が無い事に安心したミスティとにこにことしながら手際よくフォークを用意するラナを見て、ツッコミと疑問を呑み込むことにした。
ラナにとっては本当に何も無く、ミスティにとってもラナが何も無かったというのなら追及する理由も無い。二人の関係はそんな風なのだろう。
「ですけど、侵入者が来ていた事はしっかり報告しないと駄目ですよ?」
だが報告を怠ったという点はやはり問題視なようでミスティは、めっ! とラナを叱る。
ラナもそのお叱りを受けて深々と頭を下げた。
「はい、申し訳ございませんでしたミスティ様、罰は後程何なりと」
「罰は今行います。このアップルパイにアイスを付けなさい。勿論人数分です」
「かしこまりました。急いで保冷庫よりお持ちします」
「それ罰? いや、なんかもういいか……」
ラナへの罰という名目でまだほんのりと温かいアップルパイに冷たいアイスが乗り、豪華さを増したデザートに。
溶け始めるアイスとアップルパイが混じり、生地のサクサク感としっとりした甘さにミスティ達四人が酔いしれる中……ラナはそんな光景に一欠片の物足りなさを感じる。
「先程から気になっていましたが……アルム様がいらっしゃらないという事は、やはり昨日からのミスティ様の不調は彼が原因なのですね」
何気ないラナの言葉にミスティ以外が固まる。
まずい、と判断したエルミラは音もたてずにフォークを置き、猫のような俊敏さで即座にラナの背後に回った。
そしてエルミラは即座にラナの背後から腕ごと抱き着き、ラナを拘束する。
「え、エルミラ!?」
「な、な、な!?」
「させないわ!!」
「何ですか!? これ何ですか!?」
「今日のアルムの場所は絶対言わない! そしてラナさんも行かせない!!」
理解が追い付かないラナを置いてけぼりにしてさらに畳みかけるようにベネッタが前からラナに抱き着く。
口元にパイの皮の欠片をつけながらも、表情は真剣だった。
「これには事情があるのよラナさん! アルムを殺しに行くのは待って!!」
「そうそうー! ラナさん! アルムくん殺しちゃ駄目だからねー!」
「皆さまは私は何だと思われているのですか!? そんな事致しません!!」
「エルミラもベネッタも落ち着いてください!!」
「二人共……気持ちはわからなくもないけど流石に……」
あたふたするミスティと苦笑いを浮かべるルクスによって二人を引き剥がされ、困惑気味だったラナは解放される。
貴族二人に取り押さえられるただの使用人というあんまりな状況を経てエルミラとベネッタはラナに謝罪し……昨日起きた出来事をラナにも話した。
ミスティが泣いた経緯、そしてアルムについてを。
ラナは想像よりも静かに話を聞き、そして納得したように頷いた。
「ああ、なるほど……あの方ならそうおっしゃるでしょうね」
「あれ……? 意外に怒らないー……?」
「馬鹿ねベネッタ。これは私達を油断させる作戦よ。キッチンに行かせないよう注意しなさいよ。きっと今に包丁持って街に繰り出すわ」
「私ってそんなに凶暴なイメージなんですか?」
「君達、流石に失礼だからやめなね」
ひそひそ話をするエルミラとベネッタをルクスが軽く叩いてもう一度謝罪させる。
しかし、ラナがミスティに関して少々過激なのも事実。ここまで落ち着いているのはルクスにも予想外だった。
「確かにミスティ様を傷付けたのはアルム様の言葉でしょうが、その真意をわかれば仕方のないことです。今も変わっていないという点に驚きこそありますが、そういった言動をするのはある程度納得ですね。彼は出会った時からそうでしたから」
ラナがそう言うと、ミスティは懐かしい記憶を思い出す。
それはアルムがダブラマの密偵三人を戦闘不能にし、初めてミスティの家に来た時の事。
"確かにいきすぎた遠慮は美点とはいえませんが……彼の場合は少し違うと思われます"
確かに、ラナはアルムをそう評していた。
アルムの振る舞いは遠慮とは少し違うと。
「ラナは最初から……アルムが自分の事をどう思っているのか気付いていたのですか……?」
「そんな大層なものではありません。平民にはたまにいる考え方ですから。自分みたいな人間が、自分のような身分が、自分の価値なんて。
大体は家族の存在や仕事の成果などで考え方が変わったりするのですが……アルム様は少し極端な印象を受けましたね。あの時も私はミスティ様に言い寄るつもりかと問いましたが、彼は否定していましたから」
その場にいたのはミスティとエルミラだけ。
二年前の事なので朧気だが、確かにそんな事を話していた記憶は薄っすらとあった。
言われて……アルムの自分に対しての認識はそんなに変わっていないのかと気付かされる。
「トランス城ではイヴェットも同じ質問をしたそうですが、同じような返答をされたそうです。
自分がそんな風に思われるはずがないし、有り得ない……と」
「カエシウス家の使用人はやはりミスティ殿に近付く男性を警戒するよう教育されるんですね」
ルクスが興味本位で使用人の方針を聞くと、ラナは頷く。
「はい、生半可な御方では認めません。使用人を少しでもぞんざいに扱うようなカエシウス家に相応しくない人柄であれば、即刻ノルド様にご報告して候補から蹴落とします。ざまあみろ」
「これはもうやった事ある言い方だわ……」
「カエシウス家なら婚約者なんて決めなくても向こうからバンバン来るもんねー……相応しい人が来るまでいくら蹴落としても問題ないから贅沢だー」
次期当主が確定しているミスティに未だに婚約者がいない理由に納得がいく一同。
現当主であるノルドは選び放題、使用人は蹴落とし放題というなんと贅沢なふるい落としだろうか。
そんな実情を語って、ラナは言いにくそうに目を逸らしながら咳払いをする。
「アルム様はその点に関しては……まぁ、及第点と言った所でしょうか」
「おお!」
「ラナさんがそんな事言うなんてー! 血涙流しても言わなそうなのにー!」
「私の意見ではありません。トランス城滞在時にアルム様と関わっていた同僚のイヴェットと部下のジュリアの二人がアルム様を支持していたというだけの話です」
ラナ自身は面白くなさそうだが、事実は事実として受け止めているらしい。
隣のミスティはというと……その口元はによによと緩んでいた。
「周りが認めても、本人が自分をあんな風に思っていたら意味が無いよ」
しかし、そんなルクスの一言で現実に引き戻される。
緩みそうになった空気が一気に引き締まるようだった。
「ルクス、あんたね……」
「そうだろう。どういう形であれアルムが拒否しているのは変わらない。有り得ないとも思ってるんだから」
エルミラは何か言いたげに口を動かそうとするが、ルクスの言う通りだった。
グレースの予想が正しければ、アルムは自分の事を来た時と変わらない、何もできない平民だと思っている。
「やめやめ。ここでしんみりしても仕方ないわ」
「そうだね。グレースの案に乗るのは正直賛成だ。アルムは物語を通じて魔法使いに憧れた……なら同じように、物語を通じて伝えるっていうのはアルムには有効だと思う」
「付き合いの長いボク達が言葉で色々言っても気を遣われてるって思われそうだもんねー……」
「……」
話を聞いて、ミスティの表情に影が落ちる。
近くにいた。隣にいた。
そう思っていたアルムが、今は少し遠く感じる。
アルムは何も変わっていないというのに。いや、変わっていないという事実が余計にそう思わせるのか。
ミスティが気を落としたのに気付いてか、エルミラは少し話題を逸らした。
「そういえば、あいつ毎日熱心に一年生に教えてるわよね。あんなに面倒見よかったかしら?」
「元から人を気に掛ける性格ではあったけど……二年の時はそうでもなかったね」
「ねー……何かあったのかなー?」
「アルムはお優しいですからね」
新入生に何かを教えるアルムの姿は二年の時には無かったもの。
二年の時には当時新入生だったロベリアやライラックと一悶着あったくらいで、他の後輩を指導していたなんて話は聞かない。
教えを請われたからという理由もあるだろうが、それにしても熱心に教えているアルムの姿がミスティ達には少し意外だった。
「口を挟んで申し訳ありませんが……私は少しわかるような気がします」
理解を示したのは意外にもラナだった。
しかし、ラナの表情は難しく……苦しそうな悲しいような。
「アルム様は皆様のように……何かを残すことができませんから」
何を残すことができないのか、と聞く前に四人はラナの言葉の意味に気付く。
「アルム様が目指したのは魔法使い。ですが……その才能も、技術も次代に残すことができません。歴史も血筋も、血統魔法もありませんから」
そう、アルムには血筋が無い。歴史も無い。才能も血統魔法も当然なく。
次代にアルムの力を受け継ぐきっかけは何もない。
人間離れした膨大な魔力も"星の魔力運用"という技術も、努力と執念でしか手に入らない産物ゆえに。
「だから、自分の後に続く方々を少しでも手助けしたいのではないでしょうか。少しでも、志を同じくする新入生の助けになるようにと。
……目指す苦しみを間違いなく、アルム様は誰よりも知っている方でしょうから」
師匠との思い出を楽しそうに話すアルム。
だが、無謀な夢に人生を懸けた記憶が楽しいだけですむはずがない。
「案外……だからかもしれませんね」
「え?」
「アルム様は魔法使いを目指していますから……魔法使いになるまで、自分のやってきた事や自分の価値を認められないのかもしれません。それくらいの厳しさで臨まなければ自分の夢が叶えられないと幼少の頃に覚悟をしてしまったとしたら気持ちは少しわかってしまいます。辿り着くまで、決して気を抜いてはいけないと思い込んでいるのかも」
それもまた、呪いのように聞こえた。
自分で嵌めたはずの枷を忘れて歩き続ける苦行。
アルムは今も、そんな風に魔法使いへの道を歩いている。
その先に辿り着かなければ、自分には価値が無いと無意識に刷り込みながら。
そんなアルムを思ってか、ラナは少し悲しそうに俯いた。
「ラナさんにもあった……? 目指す苦しみっていうの……」
ベネッタに問われて、ラナの視線はミスティに向いた。
「私はもう、報われましたから」
ラナはミスティを見つめながら、普段より一層和やかな笑顔を浮かべる。
それはミスティ達にはわからない苦労の上に浮かぶ表情。
元貴族の使用人がひしめく中、若くして個人付きにまで成り上がるまでの血反吐も辛酸も主人には決して悟らせない。
もしアルムが自分の価値を認められて……それこそラナが言うように報われたのなら、彼もこんないい笑顔を浮かべるのだろうか。
ラナの笑顔を見たミスティは、そんなアルムを見たくなって……ぎゅっと両手を握りしめる。
アップルパイに乗せたアイスは話の熱に浮かされたように、全て溶けていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
何年前の話持ち出してんだと思った方もいると思いますが、ご容赦を……。




