653.いつも通り
いつも通りの時間。
いつも通りの朝。
アルムはいつも通りに起床する。今日はファニアとの練習も無い。
顔を洗うと手慣れた様子で燻製肉とチーズを一切れ分ナイフで削って朝食にし、歯を磨きながら制服に袖を通して部屋を出た。
生徒の部屋全てに備え付けられている姿見を見ようとしない詰めの甘さはまだ抜けない。
数か月前までそれなりに賑やかだった第二寮は今や見る影もない。
賑やかになっていた外の様子とは正反対で、大袈裟にしか見えない広さが静けさをより一層実感させる。
特に第二寮の男子棟はアルムしか住居者がいない。第二寮にいた他の男子生徒は全て脱落してしまった。
たまにあったすれ違い様の嫌味も、アルム越しの四大貴族との関係を持とうとすり寄ってくる空っぽな言葉も、周りを気にしながらこっそりとしてこられた応援の声も、もうここでは聞く事も無い。
「一人占めするには広すぎるな」
この静かな空間も、来年には新入生が入ってくればまた別物のように変わるのだろう。
賑やかで必死な生徒達を二年間を見守って、生き残った生徒に最後の一年を静かに過ごさせる。
ベラルタの寮はそんなシステムで回ってる。
「あら、おはようアルムくん」
「おはようございますトレニアさん」
一階の共有スペースに降りると、寮長のトレニアが掃除をしていた。
「朝から共有スペースの掃除ですか」
「三年目は生徒がいなくなるから掃除くらいしかやる事無いのよ。一年目の時はてんやわんやだったからほんっと楽!」
「そうなんですね」
「その分、寂しさもあるんだけどね……」
トレニアは遠い目でどこかを見つめていた。
第二寮にはもう生徒が四人しかいない。生徒を見てきた寮長には静けさが特に身に染みるのだろう。
「なんてね、いってらっしゃいアルムくん」
「はい、いってきます」
多くを語らず、トレニアはアルムを送り出す。
アルムもまたそのまま寮を出た。二年間続けたよう、いつも通りに。
「あ、アルムだ」
「おはようアルム」
「おはよう二人共」
一年や二年の生徒達も混じる中、アルムは学院前の通りでルクスとエルミラと鉢合わせた。
エルミラは今ルクスと一緒に学院に通うために朝早く出る。どうやら丁度良く時間が被ったようだった。
ルクスと同じ寮のベネッタも一緒にいる事が多いのだが、今日はベネッタは一緒では無かった。
「ベネッタは?」
「寄り道だから私達より早く出たわよ」
「寄り道? 朝に?」
「うん、後で来るでしょ」
「……そうか」
侵入者であるチヅルの一件もあって一瞬心配したが、ベネッタなら問題ないかとすぐに心配は無くなった。
常時発動型となった今のベネッタの眼の前では基本的に奇襲は難しい。不意打ちできるとすれば攻撃的な世界改変による空間掌握や自然災害の域に達する血統魔法くらいだが……そんな怪物のような使い手は限られるし、何日も潜伏して情報収集していた者がそんなやり方を選ぶはずもない。
ある意味、ベネッタは今のところ誰よりも安全かもしれないなとアルムは思った。
「昨日は何か決まったか?」
アルムが昨日の事を聞くと、ルクスとエルミラは一瞬表情が固まる。
ラーニャ来訪時の打ち合わせや手の取り方や笑顔の作り方などを色々と詰め込まれ、結局教室に戻ることはできなかった。
当然、アルムがいない間に教室で何が起きていたかなどわかるはずもない。
ルクスとエルミラは顔を見合わせると、何でもないような表情のまま答えた。
「別に? そろそろ空白だった台詞を作って、役同士の掛け合いをしっかり決めていこうってくらいかしら?」
「後はサンベリーナ殿とフロリアくんの演出についてくらいかな」
昨日あった事を正直にアルムに教えられるわけがない。
流石は貴族という所だろうか。二人は内心で昨日のグレースの話を思い出しながらも、アルムに一切違和感を抱かせなかった。アルムの鈍さなら多少の違和感はあっても問題無かっただろうが。
「そうか。悪いな抜けてしまって……それに俺の演技もまるで改善できていないっていうのに……」
「エルミラも言った通り、役同士の掛け合いをしっかり決めて行くのはこれからなんだ。まだまだ巻き返せるさ」
「ああ……うーん……。あ」
アルムは自分の演技について少し悩むと、隣を歩く二人に目をやって……名案だとばかりに顔を上げた。
「二人は恋人同士なんだよな? 二人の時はどんな感じなのか少し聞かせてくれないか?」
「嫌に決まってるでしょ恥ずかしい」
「ちょっと僕も抵抗あるな……友達に二人でのあれこれを話すのはね……」
「そうか……名案だと思ったんだが恥ずかしいなら仕方ない……」
ラストシーンについてを悩んではいるものの嫌がっているのを無理に聞き出そうとまでは思えない。
二人に言われて、アルムはあっさりと引いた。
「それに僕は独占欲もそれなりにあるから、二人の時のエルミラの様子は一人占めしたいな。悪いねアルム」
さらりと惚気たルクスの背中をエルミラは顔を赤くしながら思いっきり鞄で叩く。
遠目でアルム達を見ていた生徒達のざわつきがここまで聞こえてきた。
「いっつ……!」
「いかがわしく聞こえるからやめてよね。まだ何も無いんだから」
「あはは、ごめんごめん……」
「何が無いんだ?」
「うっさい!!」
純粋な問いにアルムをきっと睨みつけた。
これ以上踏み込んだらルクスのように殴られそうだったので、アルムは質問を重ねるのをやめた。
そんな会話をしながら、学院の校門前に到着する。
到着して……アルムはきょろきょろと辺りを見回した。
「どしたのよ?」
「いや、ミスティがいないなって思ってな……」
「ああ、ミスティ殿なら今日は休みだよ」
「え? そうなのか?」
ミスティが休みと言われてアルムはよほど驚いたのか少し声が大きくなる。
すぐに朝だという事を思い出して声量を元に戻した。
「うん、帰る頃に体調が悪くなったみたいでね。ベネッタはそれでミスティ殿の家に行ったんだと思うよ」
「そうか……」
勿論、ルクスの言っている事は嘘である。
ミスティは体調不良ではなく泣き腫らした目をアルムに見せたくないためにだ。
アルムは表情の機微はよくわからないが、怪我や体の変化には敏感だ。
昨日あんな事があった上に今日再び何があったかを言及されでもすれば、また取り乱してしまう事は想像に難くない。
昨日のショックの影響を落ち着かせるためにも、ミスティは事前に今日休むことをアルム以外には伝えていた。今頃はベネッタとラナに目の腫れのケアについてを学んでいる事だろう。
「大丈夫なのか……?」
「うん、帰る時もふらついたりとかはなかったし……なによりベネッタが行ってるんだから大丈夫さ」
「そうか、それならいいんだが……」
「生きてれば体調悪い事だってあるでしょ。それにミスティは女の子なんだから」
「女の子……? ああ、そういう事か……」
「実際どうかは知らないけどね。ほら行くわよ」
エルミラが門をくぐったのについていくようにルクスも門をくぐる。
アルムは少し立ち止まって、いつもミスティが待っている所を見た。
「そうか……今日はミスティは来ないのか」
今度は無意識にミスティの家がある方角を見た。
いつも通りの朝じゃなくなった事に、アルムは少しもやもやとして。
自分がいつの間にか、ここでミスティと顔を合わせる事がいつも通りになっていた事に気付いた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
第二寮は男子がアルムだけで寂しい。女子は三人いるのに……。




