652.彼の事4
「ミスティ……」
「ミス……ティ」
心配そうに名前を呼ぶエルミラとベネッタ。
アルムとヴァンの足音が聞こえなくなったかと思うと、ミスティの瞳からは堰を切ったように涙が溢れだした。
声すら無くただ涙を流すミスティに、エルミラは後ろの席から机の上を跳んでミスティの隣へと座る。
「ほら男二人! 乙女の涙を見てんじゃないわよ!」
「すいません」
「わ、わりい……」
エルミラの剣幕にルクスとヴァルフトは目を逸らした。
特にヴァルフトは自分の発言がきっかけであの一言を引き出してしまったからか、一層気まずそうにしている。
「ミスティ……大丈夫じゃない、よねー?」
「よく我慢したわね……」
「片思いなのは、わかっていたのですが……」
両脇に座る二人に心配されながら、ミスティは絞り出すように口を開いた。
「もしかしたらと……少し、期待してはいたので……ああしてはっきり言われてしまう……と……辛い、ものですね……」
ミスティは堪え切れなくなった涙で頬を濡らし、声を震わせながらも心配するエルミラとベネッタに笑って見せる。
そんな風に強がるミスティの姿は今まで見たどんな姿よりもひどく痛々しい。
二人はそんなミスティの背中を優しく擦りながら寄り添う。
「っ……。う……! ふっ……!」
心配をかけまいと嗚咽の声を抑えようとするミスティの健気な姿に、二人もまた涙ぐんでいた。
「とりあえず私達はヴァルフト殺しとくし?」
「そうですわね。残念ですが、ランドレイト家にはここで途絶えてもらいましょう」
「賛成です」
《私もだ》
「う、ぐ……!」
フラフィネにサンベリーナ、フロリアとネロエラの視線が一気にヴァルフトに集まる。
四人の目は敵を認識した険しさであり、少し言葉を間違えれば本気でヴァルフトを殺しかねない迫力だ。特にフロリアは本気だろう。
話の流れも手伝っていたとはいえ、自分に非がある事を自覚しているのかヴァルフトは項垂れる。
「まじで悪かったって……こんな事になるとは思わなくてよ……。だってそうだろ? 普段あれだけ見せつけるみたいに二人で歩いてる癖に、あんな事言うと思うかよ!?」
ヴァルフトの言い分ももっともで、アルムとミスティが二人で歩く姿はここにいる全員も何度も見ている。グレースが二人を恋人だと勘違いしていたのもその為だ。
周りなど見えないようにお互いを見ながら談笑する二人を見かけるような事があれば勘違いしてもおかしくない。
「どうですフロリアさん?」
「その言い分を考慮して減刑した結果、死刑です」
「だそうです。残念でしたわね」
「その狂信者に判決を任せるんじゃねえよ!」
「あんたらうるさい」
涙ぐんだエルミラに睨まれ、口を閉じるサンベリーナとヴァルフト。
フロリアだけは黙りながらもヴァルフトを睨み続けていた。
空気を変える為にと茶番を演じていたサンベリーナは真面目な顔へと変わる。
「それにしてもあれだけ仲睦まじい様子だったミスティさんでお気に召さないとは……世界中にいるどの女性ならアルムさんのお眼鏡にかなうのでしょうか? ミスティさんより上となると私くらいしかいないのでは……?」
「さりげなく自分をトップにおくなし」
フラフィネはいつものようにサンベリーナのおかしな自己愛にツッコミを入れるが、サンベリーナの表情は真剣なままだった。
「あら何故ですの? 私は美しい自分自身を愛しておりますし、世界もまた美しい私を愛しております。そんな私の存在を頂点以外のどこに置けと?」
フラフィネですらそれ以上何か言うことができなかった。
自己愛を超えてもはや自己催眠の域にあるサンベリーナの主張。"存在証明"すら作り出す自己の肯定。
魔法使いとしてはこの上無く正しく、そして強い在り方だった。
「そう。そこなのよね」
意外にも、その話にグレースが口を挟んできた。
グレースはミスティにハンカチを差し出しながら。全員の注目を集めた。
「安心してください。あなたはフラれたわけじゃありませんから」
「え……?」
ミスティは涙でぐずぐずになった顔を上げてハンカチを受け取った。
そんなグレースの慰めにしか聞こえない言葉にルクスも同意する。
「……僕もグレースくんに同意見だ」
「ルクスまで……」
「慰めたいがためじゃないよ。あの一言は衝撃的だったからそのまま受け取りそうになったけど、話の流れを考えると少し妙だ」
「そう……彼はあなたが嫌なんじゃない。その逆」
グレースは教室の前に戻り、自分用の台本を全員に見えるように掲げた。
「そろそろ、話さなきゃと思っていたけれど少し遅かったわね。このお話を私が書いた経緯……そして、私の目的をみんなに話すわ」
「それは……今のミスティに関係あるの?」
「あるわ。むしろ、本題に近い……彼の事よ」
睨むエルミラにグレースは毅然とした態度で向き合う。
眼鏡の奥に見える瞳に嘘は無い。エルミラが顎を動かすとグレースは頷いた。
全員に注目される中、グレースは口を開く。
「今回、私は演劇のお話を書き上げるって無茶振りを受けて……アルムをモチーフにして主人公を書くために一日取材したわ。この演劇のそもそもの目的はガザス女王であるラーニャ様の接待と歓迎……ガザスと関係があるアルムを一番目立たせない手は無いからね」
その点は全員が承知だった。
今回の演劇の目的は友好国であるガザスの女王ラーニャの接待。直々に勲章を贈られているアルムを主人公にしない手は無い。
「その取材の時に、私はアルムの異質さに気付いたわ」
「異質ー?」
ベネッタが問うとグレースは頷く。
「ええ……私がどれだけアルムの事を聞いても、アルムは自分の事を話そうとしないのよ。いえ……本人は多分、話してるつもりなんでしょうね。出てくるのはアルムが出会った人の事ばかりだった」
「あ、もしかして……だから私やルクスに話を聞きに来たの?」
「ええ、そうよ。だってどれだけ自分の事を話してって言っても、シスターって人が、師匠って人が、ミスティがルクスがエルミラがベネッタが……そればかりで自分の事を話さない」
グレースは掲げた台本を強く握りしめ、台本の端がぐしゃっと潰れる。
その口から語られるのは、アルムを間近で見てきた人間にはわからないアルム自身の認識だった。
「彼はね……まだ自分を"何もない平民"だと思ったままなのよ」
「馬鹿な――! 今日までどれだけをアルムが救ってきたと……!」
「そう、普通は……あれだけの事をしてきていれば得意気になってもおかしくない。自分の行動を誇ってもおかしくない。けれど、彼はそうは思わなかった」
教室に設置されている長机を蹴るような勢いでルクスが立ち上がる。
慌てることなくグレースは諭すように言って、ルクスはもう一度座りなおす。
そう考えたら先程何故あんな言葉を言ったのか、辻褄が合うからだ。
ミスティとの仲を冷やかすヴァルフトに対してやめろと言い、その後有り得ないと否定する。
あの強い否定の一言はミスティに対してではなく、自分に対する言葉。
「きっかけは、魔法使いに夢見たことでしょうね。彼はその時に魔法の師に出会った……そうよね?」
「ええ、そうよ。平民じゃなれないって知って、その後泣いていた所を師匠に出会ったって……私やミスティ達もアルムの故郷で話を聞いたから知ってるわ」
「良くも悪くも、きっとそれが彼という人間の始まりだった」
グレースは二年同じ街で暮らしていた同級生についてを語り始める。
たとえ密接に関わってこなかったとしても、その在り方に辿り着いてしまったから。
「才能が無い彼が夢を叶えるには文字通り人生を捧げるしかなかった。来る日も来る日も訓練を続けて続けて、無属性魔法を使えるようになるのに何年もかかったって聞いたわ。……地獄だったでしょうね。
そして皮肉にもそれほどまでに続けた努力の日々が、彼にとっての呪いそのものとなった」
「ちょ、ちょっと待ってよ。地獄だの呪いだの……師匠さんに教えて貰った日々はアルムにとっては大切な思い出よ?」
「ええ、本人はそう言うかもしれないわね」
グレースの言い草にエルミラが苦言を呈するが、グレースは断言する。
そして言葉にするのも嫌そうなほど、顔をしかめた。
「でも、おかしいとは思わなかったの? 才能が無い事がわかっていて、なれないとわかりきったものを目指すために、何の糧にもならないかもしれない努力を普通の人間がまともな精神のまま続けられると思う?
たとえば……声の出せない人間が歌手になるって夢を思い描いて、自分の耳にすら届かない発声練習をまともに続けられる? 続けていれば歌手になれるって信じて、自分の半生を本気で捧げられる?」
言われて、声を出す事ができる者は一人もいなかった。
努力とは叶うかもしれない目標に向けて、自らを磨く行い。
しかし自分に才能が欠片も無く、なれない事がわかっていたとしたら?
その努力に意味を見出せるだろうか。
その努力を続けられるだろうか。
そう問われて、教室にいる三年生に答えが出せるはずもない。
彼らは貴族。平民ではない。
彼らは家柄や血筋の差こそあれど、魔法の才能を必ず有している。
貴族における最も大切な財産を先祖から受け継いでいるのだから。
「私だったら気が狂うわ。でも、彼は致命的な部分は壊れずに自分の人生を捧げ続けた。彼がする訓練は才能があって魔法の訓練をしていた私達とは根本的に違う。
彼がしてきたのは自分を支える夢の肯定でありながら自己の否定。救いであると同時に自分に才能が無いことを何度も何度も自分の心に刻み続けて、自分の精神を削り続ける拷問。
自分の夢と師匠という人の存在だけを支えに、まともな魔法を使える可能性が無かったとしても魔法を学び続けた。自分の心をボロボロにしながら耐えて、子供の頃から何年も自分の夢のためだけにそれを続けて……自分の夢だけが大切で、自分自身は無価値と思い込む人間が出来上がってしまった」
グレースの話を聞いて、ベネッタは魔法を使った後のアルムの姿と重なった。
一秒一秒が気絶する激痛に耐えながら誰かを救い、ボロボロになっていく自分を省みない。
思えば、最初からアルムはそうだったのかもしれない。
自分よりも大切なのは自分の夢。
「おいグレースちゃん……いくらなんでも……。あいつ結構凄い事してる上にそれで謝礼とか褒賞とか勲章とか提案されてるんだぜ? それで少しも自分の事を何ともってのは極端すぎないか……?」
ヴァルフトが口を挟むと、グレースは俯く。
「そうね。普通だったら、何か報酬として貰えれば自分のした事を誇れるのかもしれない」
「だったら……」
「けれど、この街に来た彼は普通として扱われなかった。魔法の才能を持つ貴族ばかりの学院に現れた学院唯一の平民……才能が無いという平凡が、この世界では逆に彼を特別にしてしまった。
彼はこう思ったでしょうね……自分は才能の無い平民だから過剰に持ち上げられている、って」
隔たれた貴族と平民の価値観の違い。
後天的にはどうする事もできない才能の有無。
この世界における絶対の仕組みに抗い、平民でありながら魔法使いを目指したアルムは折れずにここまで来た。
だが……折れなかったがゆえに、歪んでしまった。
自分が救われたように誰かを救いたい。
誰かが誰かに優しくできる世界のために戦いたい。
そんな願望を直視し続けて、自分を認める声が聞こえなくなってしまうほどに。
「ではミスティさんがフラれたわけじゃないというのは……」
「彼は誰よりも才能の大切さを知っている。何もない自分と才能溢れるミスティさんがなんて、彼からすればそんな関係になれるわけがないし有り得ないもの」
「言葉が足りない男ですわね……」
「だから、安心していいのよ」
グレースは涙が止まらないミスティに柔らかく微笑みかける。
それはグレースが初めて見せるほど優しく、羨望の入り混じった笑顔だった。
「彼はね、あなた達が大切で仕方ないのよ。師匠という人に繋げてもらって、何もない自分を受け入れてくれたあなた達が本当に好きで……そんなあなた達と一緒に入れる時間が心地よくて仕方ないの。自分の事を話してって言われて、あなた達が思い浮かぶほど自分より大切なのよ」
「ありがとう、ございます……!」
上擦った声でグレースの声に応えるミスティ。
グレースから手渡されたハンカチは水に浸したように濡れていて、それでもなお涙が止まらない。
自分の想いに望みがないと思い込んだ悲しい涙から嫌われていないという安堵へ。
両脇に座るエルミラとベネッタに頭と背中を撫でられながら、ミスティはアルムを想って涙が枯れるまで泣き続ける。その顔は凛々しい貴族のものではなく、年相応の少女のものだった。
「そして……私はそんなアルムへの苛立ちでこれを書いたわ」
「何故苛立ち……?」
フロリアが首を傾げる。
「だって、むかつくじゃない? 私達はみんな彼に一度救われている。一年生の時に彼が【原初の巨神】を破壊してくれなかったらこの街は破壊されつくして、きっと今日までの日々は無い。こうして、私達が集まる事だって無かった……それなのに、あの男ったら自分は何もしていないみたいな体で話すんだもの。それに自分の事を話さないから取材にもならなくていらっとしたし」
「どっちかというと二個目の理由のがでかそうだなおい……」
「黙りなさいヴァルフト・ランドレイト。口を縫い付けるわよ」
グレースはきっとヴァルフトを睨みつける。
大きな眼鏡の奥の瞳には、お前のせいでややこしくなったんだぞ、と文句が言いたげな怒りがこもっていた。
「みんなの舞台を私物化するような真似をしてごめんなさい。台本の台詞部分に所々空白があるのも……彼の話をしてから決めようと思っていたからなの。きっとこのお話に対する解釈が変わってしまうから。
このお話は彼をなぞった物語。子供の頃から呪われたままの彼を……どうしてもそのままなのが許せなくて書き殴った台本。普通に言ってもどうせわからないでしょうから、彼が好きだっていう物語を通じてわからせてやろうと作ったのよ。
彼がどれだけ自分を無価値だと思っていても、私達にとってはそうじゃない。違う?」
「うんうんー!」
口元だけで笑うグレースに、ベネッタが元気よく頷く。
グレースは大きな眼鏡を左手で少し上げて、掲げていた台本を教壇に叩きつけた。
「この演劇はただの演劇じゃない。私達が彼という恩人の呪いを解くための旅路。
さあ、呪われた魔法使いを人間に戻しましょう。ええ、だって……貴族が平民を助けるのは、当たり前の事でしょう?」
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。




