650.困惑の返答
「ふむ……途中までは悪くない、というよりこの台本の構成のおかげか」
アルムが教室の前で自分のシーンを通してやり終わると、ファニアは忌憚のない評価を告げる。
悪くないと言われる部分すらグレースのおかげだと言われるも、アルムは納得するように頷いて台本に視線を落とした。
「元からアルムが淡々とした口調になるのを察していたのだろうな……主人公リベルタは国外追放をきっかけに人間と関わるのをやめたというのが君の抑揚の少ない喋り方と合っている。自然体でもある程度出来るようにしてくれているのだろう」
「グレースはこの台本書くのに結構頑張っていたようなので……一日自分の事を聞いてくれたりもしていましたし」
「ああ、主人公の設定と境遇のおかげか、君が演技しているように見える。アルムの喋り方は抑揚が少なく、一般的とは言いにくいからな。声量さえ上げればそういう役を演じているように捉えられなくもない。
とはいえ、流石に淡々とし過ぎているから感情を込められるようにして、間の取り方を考えて……体全体でもある程度表現したほうがいい。棒読みと捉えられるか微妙なラインではあるからな」
「はい」
アルムは台本にファニアから言われた事をメモしていく。
趣味が観劇だからか、アドバイスがつらつらと出てくるのは流石だと感心した。
「間違っても、本業の役者のような超人になろうなんて気持ちは捨てたほうがいい。せめて模倣をと中途半端に真似すれば鼻について逆効果になりかねない。今回の学院祭のようなイベントでは未完成の青臭さや自分達と近しい等身大の姿も観客にとっての見所だからな」
「つまり恥ずかしがるなという事ですか?」
「む、その通りだ。恥ずかしがって委縮するのは一番最悪だからな。最初から本業のように出来ないとわかっているならせめて大胆にやって観客に伝わるようにやるべきだ」
「なるほど……」
「それに……君が一番わかるのではないか? 超越者を目指す事の大変さは」
虚を突かれたようにアルムは声が出せなかったが、どういう意味かはすぐにわかった。
来る日も来る日もカレッラの白い花畑で魔法の練習をし続けた日々。
森と花の香りも、見ていた光景すらも鮮明に思い出せるほど脳裏にこびりついた記憶。
才能のある貴族が一月もあればできることを何年も続けた。
無属性魔法という欠陥をひたすらに……その欠陥ですら満足に使えない自分のことを。
「そうですね……はい……よくわかります」
「専門分野はある程度の領域まで行くとほぼ魔法と変わらんからな。だからこそ本業ではない君達は自分を曝け出すのが大切だ。気持ちを、というと精神論に聞こえてしまうが、拙くても感情が伝われば観客はある程度舞台に没入できるものだよ」
最後に、私の意見に過ぎないがな、と付け加えるファニア。
そのアドバイスからは趣味に対するファニアのスタンスが窺える。
「それにしても……放浪の旅を再現しているからかやけに二人でのシーンが多いな。森で出会う白い女に道端で会う女旅人、呪われた国の門を守る騎士に牢獄に閉じ込められた盲目の魔法使い……最後に囚われたお姫様を入れると結構な数だが……」
自分用に作って貰った台本を確認しながらファニアは指で二人でのシーンを数える。
どこか間延びしてしまいそうだと思ったが、商業用なわけでもないから別にこれでいいのかとすぐに自分で納得した。
ファニアの役目はラーニャ来訪までのベラルタの警備強化と演技指導……台本にケチをつけに来たわけではない。
「所々の台詞の空白はどうするつもりだ? 一度話し合ってしっかり決めたほうがいいと思うが?」
「そこなんですが、俺達のシーンはグレースが止めていて……」
「なに……?」
どういう事だ、とファニアの眉間に皺が寄る。目付きが鋭いのもあってここに誰かがいれば怒られると誤解されそうだ。
ラーニャ来訪まで後三週間。ただでさえアルムはラーニャの接待の準備があるので他より時間が少ない。本来、そんな余裕は無いはずなのだ。
「大丈夫なのか? 確かに本業ほどの出来は難しいと思ってはいるが……そもそも今回の学院祭は友好国の女王の接待のための場だ。ある程度のレベルにはならないと困るぞ」
「大丈夫だと思います。何も言わずに滞っているならともかく、意図的に止めていますから何か考えがあるんじゃないかと思います」
「まぁ、意図的というのなら何か狙いがあるのだろうが……」
教師陣はベラルタの警戒に当たっているせいで演劇の進行は一生徒であるグレースに一任してしまっている状況。舞台美術や大道具などは王城が派遣する事が決まっているが……そもラーニャの来訪が予想外なのもあって通常では有り得ない大役だ。
普通なら必死に焚き付けそうなものだが、意図的に止めているという事は何か考えがあるらしい。
「ここの生徒は……相変わらず読めないな。まぁ、オウグス殿が任せた生徒ならば私も心配するのはやめておくことにしよう」
「グレースは投げ出すタイプじゃないので……何のために止めてるのかとかはよくわかりませんが、サンベリーナとかフロリアとかのシーンは台詞が無い場所も徐々に埋まっているので大丈夫かと」
「そうか。それなら私も何も言うまい。演技指導という点だけを心配するとしよう」
ファニアはよぎった不安を一旦頭の隅に追いやって少しそれかけた話を元に戻す。
今はアルムの演技についてだ。
「問題はやはりラストのシーンについてだな……ううむ……」
改めて口にして、ファニアは困ったように唸る。
ファニアが通しで見た結果、一番の問題はここだった。
わざとらしく咳払いをすると、向かい合いながらも台本に目を落としているアルムにファニアは問う。
「まず確認なのだが……ラストのシーンがどういうシーンかはアルムはわかっている……よな?」
「はい、主人公リベルタがお姫様を解放して結ばれるシーンですよね」
アルムの答えにファニアは一先ずほっとする。
「そうか……よかった、そこから説明しなければいけないと思っていた所だからな。つまりラブシーンという事だ」
「ラブシーン」
「そうだ。ラブシーンだ」
未知を見つけた子供に教えるように繰り返す。
「ここは流石に感情を最大限表現できなければ難しい。劇の一番の盛り上がりにもなるからな……だが、君が読むここのシーンの台詞は……うむ、率直に言って下手過ぎる」
「すいません……」
「あ、いや、仕方ないことだ。君は本業ではないからな」
アルムの一番の課題であるクライマックス。
主人公リベルタの手によって悪い魔法使いからお姫様が解放されて二人が結ばれるシーン。
アルムはこのシーンがあまりに壊滅的だった。そこらの一年生を連れて代わりに読んでもらってもまだましだと思うほどに。
「それでもここは頑張らなければいけない。君も本が好きならわかるな? 盛り上がりのシーンでこければそこまでの流れも台無しになりかねない」
「はい……」
「何が難しいのか自分でわかるか? わかっているのなら教えて貰いたい。ラブシーンは普遍的ではあるが、難しいのは私とて承知だ。せめてアルムが何故つまっているのかを知りたいのだ」
ファニアに言われてアルムは少し考え込む。
「……家族愛はわかるのですが、多分このシーンは違いますよね」
「そうだな。男女間に芽生える愛だろう」
「性愛という事でしょうか」
「ううむ……間違ってはいないが、解釈が生物的な本能に寄りすぎているな。作品にもよるが、このシーンは男女間の心の繋がりという意味での愛を表現する所だろう。恋人というのがわかりやすいだろうか」
「……それがよくわかりません」
アルムは困ったように俯く。
「だが君は本が好きなのだろう? 物語でそういうシーンは今までもあったはずだ」
「いえ、自分は魔法使いの話しか読まなかったので……大体魔法使いが誰かを救って……それからの話は大体まとめられて終わりというのが当たり前なんです」
「なるほど……確かに童話や伝承はそういったパターンが多いな。魔法使いの話で恋物語がメインになる作品が出てくるのは近代だからな」
「一応そういう本も読んで参考にしようと思ったんですが、結局わからなくて……話の流れはわかるんですが」
「……君は若い。恋人が欲しいと思ったり、想いを寄せる人物がいたりはしないか? それを自覚できれば糸口になりそうなものだが」
ファニアは誰の名前が出てくるのかをあらかじめわかるような質問を投げかけた。
すでにカエシウス家とアルムの関係については調べてある。
アルムは去年の帰郷期間ではカエシウス家にプライベートで呼ばれており、そしてファニアがここに滞在している時もミスティと二人で仲睦まじい様子を何度も見ている。
その際のアルムの顔の穏やかさ、ミスティの幸せそうな表情を見てファニアは二人が互いに想い合っていると確信していた。
エルミラ達の話から、アルムは鈍いという情報はすでに得ている。
ならば、自覚させればラストのシーンも自然に演じられるはずだ。なにせお姫様役はそのミスティなのだから。
しかし――。
「いません」
「え……」
アルムは悩む様子も無く、そして簡潔に答えた。
ファニアは驚きから声が一瞬出なくなる。
「い、いや……勉学の為とはいえ同じ街で同年代の男女がこうして生活しているのだ。少しくらい何か無いのか?」
「……ありませんね」
アルムの表情は変わらず、声もそのまま。
悩む素振りすら見せなかった。照れている様子も無い。
ファニアは自分から個人の名前を出すのに少し躊躇ったが、もう少しだけ踏み込む事にする。
「君は去年の帰郷期間にカエシウス家のトランス城でミスティ殿と過ごしたと聞いたが……?」
「あれは友人としてミスティに呼ばれただけですよ。現当主のノルド様がグレイシャの時の恩返しを兼ねての配慮です。ミスティの所のメイドさんにも同じような勘違いをされましたが……」
アルムは思い出すように上を向く。
ファニアは新たな切り口を見つけて顔がほころんだ。
「そ、そうだろう? 君達は――」
「自分も本は好きなのでフィクションに憧れる気持ちはわかりますが流石に……自分がミスティとなんて有り得ません」
ファニアが何かを言う前にそう言い切るアルム。
そんな風に言われて囃し立てるわけにもいかず、出かかった声は引っ込んだ。代わりに形だけは納得したような声が出てくる。
「そう……なのか……?」
「……? 当たり前でしょう?」
「そう、か……」
まるでこちらの非常識を疑うかのようなアルムの目。
ファニアはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「すいません、自分が出来ない事を相談して貰っているのにこんな参考にもならない答えで……」
「あ、いや……謝る事は無い。この件は私も少し方法が無いか考えてみる。アルムも自分の中に何もないというなら他から吸収するしかない、恋物語を読めるようであれば読んでおけ」
「わかりました。お願いします」
「ああ……」
ファニアは何か言いたそうに口を開くが、そのまま声を出すことなく閉じた。
これ以上踏み込むのは過干渉だと判断した。
「では、そろそろ他の生徒も来る頃だろう……今日の所はここまでだ」
「はい」
「今日は全員で読み合わせもするのだろう? そこで何か掴めるといいな」
「はい、ありがとうございます」
アルムは深々とファニアに向かって頭を下げた。
ファニアはどこか腑に落ちないまま教室を出て、顎に手を当てる。
「ミスティ殿との空気は気のせいだったか……? 現実の恋愛については私も疎いからな……ううむ……」
ファニアはアルムの事は大してわからない。知っているのは彼の功績くらいなもの。
だが、わかる事がある。アルムの言葉はいつも正直で演技する時ですら若干言い淀む時がある。
あの拒絶にも似た否定が気持ちを隠そうとしての言葉でないと理解できてしまったゆえに、ファニアは余計にわからなくなってしまった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
こちらはもうすっかり夏ですね。体調に気を付けて頑張りましょう。




