648.一方その頃
「何か……胸がむかむかしますわね……」
ルクスとエルミラが街をぶらついているのと同刻。
練習の為に教室に残っていたサンベリーナの胸中に不快な感覚が沸き上がる。
台本片手に難しい顔をするサンベリーナをフラフィネが覗き込む。
「昨日油っぽいものでも食べたし?」
「いいえ、食べてないはずなのですが……」
「じゃあ甘い物食べ過ぎたんじゃない?」
「そうなのでしょうか……? 私は食べ物でお腹を壊したことや胸焼けしたことはないのですが……」
「サンベリっちって本当に人間だし?」
フラフィネの疑問を無視し、昨夜の夕食は仔羊のパイ包み焼きでしたわよね、などと思い出しているサンベリーナ。
その会話を座って聞いていたベネッタが心配そうに声をかける。
「サンベリーナさん医務室行きますかー?」
「いえ、大丈夫ですわ……それにしてもよかったんですのベネッタさん? アルムさん達は帰ってしまわれましたが……」
「ちょっと自分の役をどう演じればいいのか悩んでいて……他の人の演技を見たら少しはヒントになるかなってー」
「殊勝な心掛けですわね」
「えへへ……」
サンベリーナはちらっと教室の端に目をやる。
視線の先ではヴァルフトが机に突っ伏して寝息を立てていた。
「あれとは大違いですわ」
「ほんとだし」
「つ、疲れてるんですよ……」
先程までヴァルフトも練習に参加していたのだが、一度自分の出番が終わるとヴァルフトはそのまま眠ってしまった。
ベネッタの言う通り疲れているのか寝不足なのか。
その理由まではわからないが、サンベリーナとフラフィネからの視線が冷たいということだけは間違いない。そしてヴァルフトへの評価がどんどん下降していっていることも。
「さて……難しいですわね……」
サンベリーナは台本に視線を落とす。
どこかしっくり来ていないようで、くるくると自分の髪をいじっている。
「サンベリっちがそういうの珍しいし」
「誰かを演じるというのがどうも……この完璧で美しい私が誰かを演じてはそれはあえて不完全に落ちるという事にはなりません?」
「いや、それは何言ってるかわからないし……そんな真剣な表情で言われても困るし……」
馬鹿な事を言っているようだが、サンベリーナにとっては真剣で真面目な悩みだった。
サンベリーナの存在感はその自尊心。舞台に立てばそれは目立つだろう。
しかし、舞台に立っているのはサンベリーナではなく、サンベリーナが演じる役……今回は呪われた国の女王となる。しかも主人公を最初に追放してしまう準悪役。読み手からの印象は良くない。そしてその後は呪いの原因である悪い魔法使いによって娘を囚われてしまうため同情されるのだ。
「私、こんな感じではありませんもの」
「いや、わかってるし……これは演劇なんだし……」
「だからどう演じれば……輝きすぎてもいけないでしょう? 私は私というだけで美しく輝いてしまうのに」
「サンベリーナさんが言うと嫌味がありませんよねー」
「まぁ、こいつ他を見下してるとかじゃないし……」
目下サンベリーナを悩ませているのはその目立つこと。
サンベリーナは演劇は嗜む程度で詳しいわけではないが、自分の役が物語において主張する役でないことくらいは理解できていた。
目立てば舞台のバランスが崩れてしまう。次のシーンに影響してしまう。
役のキャラクターを立てて観客に少し不快に思われながらも、尾を引かないのが望ましい。
なにせ、呪われた国の女王が出るのは冒頭だけなのだから。
「主人公役は何せ平凡普通なアルムさん……私の輝きで主人公役の彼を霞ませるわけにはいきませんわ……!」
「あ、あの……ベネっち……悪口じゃないから許してあげてほしいし……」
「う、うん……でもミスティの前では言わないでね……」
サンベリーナの発言にひやひやするフラフィネ。
しかし、彼女に本当に悪気はなく……主人公であるアルムを立てようと本人は必死に悩んでいるのである。
「ふうむ……ネロエラさんはどう思われます?」
「!?」
突如、気配を消してサンベリーナの練習風景を見ていたネロエラに話が振られた。
見学のつもりだったネロエラは教室の端でびくっと体を震わせる。
ネロエラもまた役を貰っており、その練習をしているのだが……今日はもう一歩踏み込もうと他のみんなの練習を見るために教室に残っていた。
まさかこんな形で巻き込まれるとは思っていなかったようだが。
「……! ……!! ……!」
ネロエラは驚きながらも筆談用のノートを自分の鞄から急いで取り出す。
「そんな慌てなくてもよろしいんですのよ?」
「サンベリっちってネロエラさんと話した事あるし?」
「いいえ、今日初めて話しますわ」
「あ、そう……」
当然のように言うサンベリーナにフラフィネは呆れる
よくそんな元から友達だったみたいなノリで話しかけられるなと。
フラフィネが呆れている間にネロエラはペンを走らせたページをこちらに見せてきた。
《私は演技の良し悪しはわからないが、悪い人に見えない》
「ほう?」
「あー、確かにー。サンベリーナさんって悪人の感じ全くないもんねー」
ネロエラの意見にうんうんと頷いてベネッタは同意する。
先程ベネッタが嫌味が無いと言ったのと繋がるが、サンベリーナはそういう物言いが許されてしまう人物像なのだ。
妬まれることはあっても、あくどく思われることはない。これはサンベリーナのラヴァーフル家が上級貴族でありながらクリーンなイメージを保てている要因でもあった。
《悪い事をしているはずなのだが、仕方なく見えてしまうというか……サンベリーナさんならありかなと思ってしまうのが凄いなと思った》
「なるほど……なるほど!」
ネロエラの意見でサンベリーナは何かを思いついたのか満面の笑みを浮かべた。
「フラフィネさん!」
「なんだし?」
「あなたの出番を増やしましょう! 私をそそのかしてくださいな!」
「は?」
急な提案にフラフィネは首を傾げる。
フラフィネの役は悪い魔法使い。いわばこの物語の悪役だ。
国に呪いをばら撒き、お姫様を囚われの身にする張本人。
「そうすれば私は尊大でありながら物凄く軽い役として退場できますわ! 私の存在感を次のシーンに残さず、観客にあの王様騙されちゃったなという印象で終われます! 私の美しさと役の愚かさの融合……王様らしくも道化のような扱い……これこそ完璧ではないではないでしょうか!?」
「いや、それはグレースに相談しないといけないし……」
「では早速明日相談しなくてはなりませんわね……忙しくなりますわ!」
サンベリーナは悩みが晴れた記念なのか勢いよくお気に入りの扇を開く。
教室にばっと小気味いい音が響いた。
「素晴らしいご助言をありがとうございますネロエラさん! 私の美点を見抜き、問題を的確に解決する意見に感謝致しますわぁ!」
サンベリーナに感謝され、ネロエラは少し顔を赤らめながらノートにペンを走らせる。
《私の意見で役立てたのならよかった》
「ええ、それはもう素晴らしい意見でした! もう一つ興味ついでによろしいですか?」
《どうぞ》
ネロエラは何かと思って少し身構える。
「あなた入学した頃、男子の制服着ていらっしゃいませんでした? あれは何でしたの?」
《えっと……あ、あれはだな……》
「いや、今それ聞くし?」
「あー、そういえばネロエラ着てたねー! なつかしー!」
演劇の練習からサンベリーナの質問をきっかけに姦しい雑談へ。
一年の時にあったいざこざなんかを話しながら、四人は暗くなる直前まで教室で話し続けていた。




