645.君達が目指す日はいつだ?
「アルムを気に入るなんて見所ある子だなぁ……」
アルムとセムーラと別れ、まるで自分の事のように嬉しそうにしているルクス。
深夜の帰り道だというのに先程までとは違ってやけに足取りが軽かった。
「ん?」
「……」
そんなルクスの足が人影に気付いて止まる。
アルムを待っていたセムーラのように、第一寮への帰宅道にフィンが立っていた。
魔石の街灯の下に立っていたフィンは気まずそうにしているというよりも、こちらはどこか余裕が無いように見える。
無言のままのフィンにルクスは笑い掛ける。
「フィンくんだったね。どうしたんだい? またあの魔法使いが来ないとは限らない、早く帰ったほうがいいよ」
「……」
「なんてね。何かを言いたくて、僕を待っていたんだろう?」
「……感知魔法くらいは使えたもんで」
「それは何より。それで? 聞きたい事は何かな? 流石に僕も疲れているから手短に頼むよ」
ルクスはそのままフィンの言葉を待った。
少し待ってもフィンが口を開かなかったからか、ルクスは再び歩きだす。
フィンはルクスが動いたのを見てようやく、動かなかった口を開いた。
「何で、助けなかったんだよ」
「ん?」
「あんた……あの平民と戦ってる時も屋根の上にいたんだろ? 何で、助けなかったんだ」
フィンからの問いにルクスは困ったように頬を掻いた。
少し考えて、どう答えるのかを決める。
「それは、本当に僕に言っているのかな?」
「!!」
「僕には、自分自身に言っているように見える」
見透かしたようなルクスの言葉に、フィンはばつが悪そうに目を背ける。
何で助けなかったのか。
フィンが抱いた疑問はルクスに対してではなく動けなかった自分に対する自問なのではと見抜かれて。
「まぁ、質問されたのは僕だからあえて答えるのなら……僕はアルムを信じているし、アルムは僕を信じているからかな。結果は振るわなかったけれど、僕達の目的は侵入者の捕縛だったからね。あれが最善だった」
「あんなボロボロになってたのに……かよ?」
またフィンの問いは自分自身に返ってくる。
ボロボロになっていくアルムを見て、何故自分は何もしなかったのか。
「アルムが待機してほしいと言ったからね。勿論危なくなったら助けに入るつもりだったけれど」
「だ、だからって――」
「アルムは僕が潜むのが確実だと判断した。アルムの信頼に応えないなど僕には有り得ない」
これ以上は無意味とルクスはフィンの声を遮る。
表情は崩さぬまま……ルクスの瞳は強く、そして鋭い。
「僕も問おう。何故すぐに身を守る魔法を唱えなかった? アルムがあれだけの時間を稼いでくれたのに」
その瞳に何故かフィンは気圧される。
フィンは上手く受け答えする事もできず、
「し、仕方ねえだろ……まだ一年なんだからよ……」
言い訳のように、自身の未熟さを盾にするしかできなかった。
事実、敵魔法使いの対処はまだ一年生に求められるものではない。
ルクスも納得したようにうんうんと頷いた。
「君達は子供の声が聞こえたから助けに行ったって話だったね?」
「え? そ、それが……?」
突然チヅルと遭遇する前の経緯を聞かれて、フィンは間の抜けた声で答える。
「最初に走り出したのは誰だい?」
「え……カルロス、だったけど……」
「うん、だろうね」
何か変な言い回しな気がした。
しかし、その一言にフィンは苛立ちを覚える。
触れられたくない場所に自分の知らない間に触れられたような嫌な感覚がした。
「君達三人の中で彼は最初に動いた。動けた。自分がやるべきだと思った事をやったんだ。カルロスくんは素晴らしい、見所があるね」
「な……ふざけんな……! 少なくとも俺はカルロスより魔法が上手い! そりゃあんたらから見れば微々たる差かもしんねえけど――」
「なら君はいつ動けるようになる?」
それ以上、フィンは言葉を続ける事が出来なかった。
子供の声に一番先に走らなかった。アルムとチヅルの戦いを見て、自分達は後ろで足手纏い。
そんな中、カルロスは動いた。自分は動けなかった。
言葉にすればたったそれだけの事。たった、それだけの差。
「今年? 来年? 卒業した後? それとも、誰かが死んだ時かな? ……僕達にはきっと、そのどれもが遅いんだ」
的確に今の自分が触れられたくない事を触れてくる事にフィンは苛立つ。
しかし、何も言い返すことはできない。自身の感じる負い目を自覚しているからこそ、ルクスの言葉一つ一つが身に染みてしまう。
「あの場で"魔法使い"になろうとしているのはカルロスくんだけだった。君は動けなかった。その時点で君達には大きな隔たりがある。僕とアルムのようにね」
「はっ……あの平民より上って自慢でもしたいのかよ……」
苦し紛れに口から出た軽口にルクスの表情が変わる。
ずかずかとフィンの所まで歩いて行って、その胸倉を思い切り掴んだ。
「ふざけた事を言うな。僕が下に決まってる」
「は……?」
甘い笑顔が魅力的と女子生徒が噂する姿からは全く想像もつかないルクスの激昂。
耐え切れない怒りの原因は自分がアルムよりも上に見られた事に対するものだった。
下に見られたことではなく、上に見られて怒っている事にフィンはわけもわからず間の抜けた声を上げる。
「僕はずっとアルムの背中を追いかけている。彼の友人として恥じないよう……ずっと"魔法使い"で在り続けようとするアルムの隣に立つために必死に追いかけ続けている。その僕が上だなんてよくも勘違いできたもんだ。
この学院に入ったからと、アルムに教えて貰っているからとアルムの背中を見たつもりか? 君はアルムを追いかける僕の背中すら見る資格を持っていないんだ」
ルクスは怒りを帯びた声色でそう言うと、フィンの胸倉から手を放す。
そしてそのままフィンの横を通り過ぎていった。
「アルムは一年の時、ミスティ殿を助ける為にグレイシャ・トランス・カエシウスに立ち向かった。カエシウスの血統魔法……誰もが知る死の世界の前に立った」
フィンはその話を聞いてルクスのほうに振り返った。
噂に聞くカエシウス家の事件。その真相を当事者から聞いて、噂が事実だという事を知る。
「あの時の僕には、できなかった」
ルクスは歩きながら、驚いて固まったフィンに伝える。
自分もまた動けなかった人間だったことを。
自分が打ちのめされ、一度挫折したあの日の事を。
諦めた自分と諦めなかったアルム。どちらの意見も正しかったからこそ感じてしまったアルムとの差……才能とは別の所にある資質を。
「君はいつ魔法使いを目指すんだい?」
その問いを最後に、ルクスは振り返ることもせず帰路についた。
問いの意味がこれ以上無いほどわかってしまって、フィンはしばらくそのまま立ち尽くしていた。
「…………」
「…………」
アルムとセムーラは二人でセムーラの住む第五寮への帰路についていたが……二人の間に会話は無い。
アルムは自分から話を弾ませるタイプではなく、セムーラは何か話しかけることに抵抗があり、ただただ第五寮が近付いていく。
(何か、話さなくては……)
深夜の静けさがそのまま溶けるような空気にセムーラは何か話を切り出そうとするが、何故か何も話せなくなっていた。
訓練の時は何でも質問できたというのに、ただ帰っているだけのこの時間では何も思いつかない。
何か話題をと視線を忙しくしていると、やはり目に入るのはアルムだった。
(会話が無い気まずさは察してくれないけど……私の歩幅には合わせてくれてる……。しかもいつもよりゆっくりだというのに……)
無意識なのか、それとも慣れているのか。
どちらにしても、歩幅を合わせてくれるという何気ないことでさえセムーラは嬉しく感じてしまう。
オウグスにつけられた護衛は兵士ではあるものの、魔法使いには敵わない。
あのチヅルという魔法使いにまた出会ったらと思うと治ったはずの耳が痛む気がした。
近くにアルムがいるだけで安心している事に気付いて、
(私……かっこわるいな……)
セムーラは自分に嫌気がさして肩を落とした。
これがベラルタ魔法学院に入った貴族の姿なのかと。
「セムーラ」
「は、はい!!」
「着いたぞ」
「え? あ……」
セムーラが顔を上げると、アルムの言う通り目の前には第五寮があった。
いつの間に到着していたのかとセムーラはつい周りを確認する。
「お、送って頂きありがとうございます」
「気にしなくていい。どうせ大して変わらないからな」
「それと、お礼がまだでしたね……助けて頂きありがとうございます」
セムーラはそう言って頭を下げる。
アルムを門の前で待ち伏せしていたメインの用件はこれだ。
なぜか照れ臭かったのもあって遅くなったが、とりあえずセムーラはほっとする。
「そっちこそ気にしないでくれ。偶然だからな、俺も子供の声に釣られただけだ」
お礼を言えた事にセムーラが安心していると、言いながらアルムは何故か少し憂いた表情を見せる。
セムーラがその表情の意味がわからず困惑していると、アルムは申し訳なさそうに言った。
「耳、痛かったろう。感知が得意なベネッタとかだったらもっと早く助けに行けたんだろうがな……遅くなって悪かった」
「――――」
その謝罪にセムーラは絶句する。
思考ごと、固まったかのようだった。
「じゃあまた明日学院で。無理はするなよ」
セムーラの様子に気付くことなく、アルムは手を振りながらその場を後にする。
最後までセムーラを気遣った声をかけて、アルムもまた自分の寮に返っていく。
残されたセムーラは心ここに在らずといった様子で第五寮に帰った。
魔石で動く扉を開けて、玄関の先にある共有スペースには当然もう誰もいない。
しかし、誰がいようといまいとセムーラの心の中はそれどころではない。
脳裏に浮かぶのは別れ際に見せたアルムの表情。謝罪する顔だった。
「……違う」
違う。
違う違う違う。
違う違う違う違う。
「違う……!」
何で、あなたが謝るの。
何で、あなたが悲しそうなの、
そんな顔、しないでよ。
お願いだから謝らないで。
「ちがう……!」
謝る事なんて一つもない。あなたは私達を助けてくれたのに。
恐怖に怯えて動けなくなった私達の前に現れてくれたのに。
何でそんな顔するの。
あなたが悪いことなんて一つもない。
だって、あなたの背中はあんなにも――
「あ……。あ……!」
自分が何を言ったのかを思い出してしまった。
今になって、後悔する。襲われる前にしていた会話の中でした自分の声に。
「私……何を言ってたの……!」
何が、利用する。
「ただの小娘が、偉そうに……!」
何が、最低限の敬意。
「ごめんなさい……。ごめんなさい……!」
教えを乞う事を選んで利口になった気でもいたのだろうか私は。
他の奴等とは違うと。平民だからという理由で貶めるような奴等とは違うのだと。
まるで……自分が特別であるかのように。
――自分を犠牲にして守ってくれたあの人を見下しながら。
「ごめんなさい……!」
彼の耳に届かない卑怯な謝罪を私はずっと繰り返す。
襲われて恐怖を植え付けられた時は泣かなかったのに、今は涙が溢れて止まらない。
泣きながら階段を上って、暗い廊下を歩いて自分の部屋を目指す。
私は制服のまま、ベッドに飛び込んで枕に顔を埋めた。
部屋に置かれた鏡なんて見たら、それこそ死んでしまいそうだったから。
器の差を思い知って、自分の情けなさに涙が止まらなかった。
そうだ。私、本当に……何もできなかったんだ。
「何で……動けないのよ……!」
私はこの夜に自分を知ってしまった。
嫌っている兄や姉と同じ臆病者。私は違うと思い込んでいただけの愚者。
ああ、なんて惨めなんだろう。
魔法使いになるだなんて……結局私も、口だけの女じゃないか――!




