643.侵入者チヅル
「分身……はー、厄介な魔法を持ったのが侵入者になったもんだねぇ」
ベラルタ魔法学院の医務室。
アルムとルクスはチヅルとの戦闘後ベラルタ魔法学院へと戻り、治癒魔導士のログラの治癒魔法を受けながらオウグスに先程起こった出来事を報告していた。
オウグスは椅子に座ってくるくると回りながら心底面倒臭そうにため息をつく。
「分身が感知魔法に反応してるってわけだ……なるほど、ファニア殿が悩むのも無理ないねぇ。これは発見に骨が折れそうだ」
「服や武器までその魔法の分身の範疇のようで……戦った場所には何も残ってなかったです。残ったのは相手につけられた傷だけですね」
「ログラ、傷に何か異常はあるかい?」
アルムの腕に治癒魔法をかけるログラは首を横に振る。
普段は垂れ目で柔らかい雰囲気のログラだが、アルムの傷を見ているその目は普段とは違って険しい。
「いいえ、ごく普通の切り傷のようです。刃渡りの短い刃物で斬りつけられたとしか……」
「傷に魔法の痕跡すら残ってない……属性の判別もできないねぇ」
「魔力光すらありませんでした」
「すごいなぁ……マナリルにスカウトできないかなその子……」
オウグスはいつもの冗談のような事を口走るが、その表情は真剣だった。
長く魔法使いをやっているオウグスでもそう思うほど稀な魔法らしい。
「属性は不明。分身は少なくとも二人。本体と合わせて三人になれるって事でしょう。それで動きだけならマリツィアくらい動けると見ていいかと」
「それだけ聞くと冗談みたいだねぇ……私は嫌だよ、ダブラマの『蒐集家』クラスを何人も相手するなんて」
「全員嫌だと思います」
ルクスは苦笑いを浮かべる。
マリツィアほど動ける魔法使いが何人にも増えるなんて想像はしたくない。
だが、アルムについた傷の数と血だらけの制服は説得力を持たせていた。
(魔力を湯水のように使うアルムは、勘違いされがちだけど戦い方は堅実だ……一年生三人を庇っていたとはいえ、あの短時間でここまで傷を負わせるのか……)
アルムの痛々しい姿を見てルクスは敵の腕前がアルムの見立て通りだと確信する。
上から見ていてもマリツィアほどの手数は無いにしろ、動きはかなり近いものがあった。
何故今になってあの腕前の使い手がベラルタに侵入してきたのか。
「報告に上がっていた路地で頭を殴られて気絶してた兵士も、いなくなった子供もその魔法使いの仕業とみてよさそうかなぁ……。子供の声が通信用魔石から聞こえてきてたって話だよね?」
「ええ……助けないといけませんね」
「それは君達の仕事じゃない。ベラルタの住民の事はベラルタに任せたまえ」
念のためにとオウグスに釘を刺されるアルム。
アルム自身、自分が人探しに向いていない事は自覚している。
無属性魔法には感知魔法が無い。子供を探すとなると声を頼りにするしかないのだが……それならばベラルタの兵士が探すのと変わらない。
生徒への協力要請があったとしても、少なくともアルム以外に求められるだろう。
「一応、他に気になった部分を聞いておくとしようか。何かあるかい?」
「俺と戦う際、属性魔法を一度も使っていなかったのが気になりますが……」
「使えなかったのか、それとも使わなかったのか。これはどちらの可能性もあるから使えないと憶測で決めつけるのはよそうか。潜伏した魔法使いが属性を隠しながら戦って一時撤退するってのはよくある手だからねぇ」
「そうですね。魔法の分身が魔法を使えないからかとも考えましたが、武器まで分身させられる血統魔法に安易に当てはめるのは危険――」
「アルムくん、少し横を向きたまえ」
「あ、はい。危険だと思います」
ログラの指示でアルムは素直に横を向く。
アルムの体には至る所に傷があり、一つ一つの傷は浅いが傷の箇所が多いせいか治癒魔導士のログラでも少し時間がかかっているようだ。
「女性で君達と同じくらいの年代の魔法使い……どこの国かもわからない。勝ってわかる事がこれくらいしかないとはねぇ……」
「その事なんですが……」
「ん?」
あまりの情報の少なさにオウグスが嘆いているとルクスが小さく手を挙げる。
「襲われた一年生がチヅルと名乗ったのを聞いたらしく、名前の雰囲気がトラペル領にいる協力者であるシラツユ殿に雰囲気が似ている所を考えると……恐らく元常世ノ国の魔法使いではないでしょうか」
セムーラ達三人からチヅルの名前を聞いた時、ルクスには確信があった。
母親と同じ常世ノ国特有の響きがその名前にはある気がして。
「ふむ、確かルクスの母親は常世ノ国の魔法使いだったねぇ……その君が言うならカンパトーレと断定してよさそうかな。というか、現状そう考える事にしよう。ガザスとダブラマの可能性を考慮に入れたらめんどくさくなりすぎるよ」
「オウグス様……職務放棄は……」
「んふふふ。うるさいよログラくん? ただでさえガザスの女王様が来訪するって胃痛イベントを控えてるんだ……そんな中ガザスが密偵を送る可能性なんて考えたらもう頭がおかしくなる。どうせわからないなら捕らえた後に考えようじゃないか」
「はい……確かにわかる事も少ないのでそれがいいでしょうか……」
オウグスは表情は笑っているが、目は笑っていない。
その圧に気圧されてログラはすぐに引っ込んだ。どうやらアルムの治癒に集中する事で逃げたようである。
しかしオウグスの意見も一理あるとルクスは頷いた。
「僕も今回はガザスやダブラマの可能性は切っていいと思います。いくら情報が欲しくてもあまりにも時期が微妙過ぎます。ガザスはラーニャ様の来訪前ですし、ダブラマは和平交渉の途中……この状況でここまで好戦的な密偵を送るなんて対魔法生命として手を結ぶ機会をわざわざ放棄しに来てるとしか思えません。ガザスもダブラマも魔法生命の影響で全体的に国力が落ちている時ですし、リスクが大きすぎます」
「そうそう、ルクスの言う通りさ。万が一ガザスかダブラマの刺客だったとしても馬鹿な貴族の暴走って線しかないんじゃないかなぁ。普段のカルセシスはそうだったとしても利用しそうだけど、流石に互いに足を引っ張ってる余裕がないからねぇ」
魔法生命を復活させた組織が潜伏しているであろうカンパトーレ以外はどの国も魔法生命については情報不足。
残存する魔法生命の数や強さ、そして魔法生命に与する魔法使い達の戦力もわからない今、国同士で足を引っ張っている余裕は無い。
国内で足を引っ張った結果がネレイア・スティクラツの事件の際に起きたミスティとルクスの軟禁だ。
欲にくらんだ人間のいざこざのせいで一歩間違えばマナリルは津波に呑まれるところだったのだから。
「特にダブラマは国内情勢的にも……ダブラマ国民からのベネッタ人気が凄まじいですからね。ベネッタのいるマナリルとの関係が悪くなろうものなら新王権になって早々、躓きかねません。こんなリスクの高い手は打ってこないでしょう」
「んふふふ! いやぁ、流石は聖女様って感じだねぇ。王城の連中はしばらくベネッタに足を向けて眠れまい」
ベネッタの名前は今ダブラマにおいて大きな力を持っている。
ダブラマ中に流れたアブデラ王との決戦の様子は人々の心を未だに掴んで離さず、こうして影響を与えていた。
「所属はとりあえず断念するとして……その分身の魔法だけは無視できないねぇ……。目的はわからないが、その分身を学院にでも送られたら私の感知魔法で捕えた所でひたすら教師や生徒の情報だけが奪取され続けてしまう……それだけは何とか避けたい所だが……」
「それは大丈夫だと思います」
「ん?」
オウグスが対策を講じるべく思考をめぐらせようとすると、アルムは断言した。
痕跡も残らず、魔法についてわかる事は僅かだったはずだが……アルムはまるで確信を持っているかのようだった。
「恐らくですが、それはできない」
「ほう……? それが本当なら嬉しいニュースになるけども」
「あくまで自分の推測になりますが――」
そう前置いて、アルムはチヅルの血統魔法についての推測を語り始めた。
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