642.残らぬ痕跡
「『隔絶の雷壁』!!」
「!!」
「!?」
チヅルがアルムにだけ集中したその一瞬の時だった。
意図せずではなかったが、その間隙を突いた形でアルムの背後で腰を抜かしていたはずのカルロスの声が路地裏に響く。
セムーラ達三人を包むのは雷属性の防御魔法。"充填"から"放出"までに有した時間は十秒前後。実戦で使えるはずもない情けない魔法の行使。
それでも、カルロスが揺らいだ精神で唱え切った精一杯の丁寧な構築だった。
「先輩! こ、こっちは俺が防ぐ! や……やっちまってくれえええ!!」
「か、カルロス……!」
「カルロスさん……!」
セムーラとフィンは驚愕の目でカルロスの横顔を見る。
大声で叫ぶカルロスの目の端には涙が貯まっていて、声だって震えたまま。
カルロスは情けない自分を取り繕うのをやめて本当の今の自分を曝け出す。
これが今の自分の精一杯。
今日まで生きてきた貴族や男としてのプライドをかなぐり捨てて、魔法を褒められた些細にしてたった一つの今日の記憶を寄る辺にして唱え切った紛れもない全力。
対魔法使いのデビュー戦にしてはあんまりな絵面だと自分でもわかっている。
この学院に来る前に想像していたような煌びやかでかっこいいものでは全くない。
暗い路地裏で腰を抜かしながら、誰かに敵を倒してくれと叫ぶなんてださすぎる。
――それでも。
「上出来すぎるぞカルロス」
この一言がアルムから飛んできただけでカルロスに後悔は無かった。
どれだけださくても、自分で選んだ選択肢を肯定してくれる人が目の前にはいる。
「まだ抵抗する気力が――!」
「【一振りの鏡】」
「!!」
三枚の魔鏡が一斉にアルムから離れてチヅルの背後に落ちる。
先程までには無い動き。だがその意図はすぐにわかった。
チヅルの背後には退路。大通りの方向へと続く道が続いている。
チヅルの背後に魔鏡が落ちたのはつまり、退路を塞いだという事。
そして――訪れるのは反撃の時間。
「何を――!」
「上!?」
アルムの体に輝くほど魔力が迸り、手を空に掲げた。
アルムの頭上からゆっくりと降ってくる魔力の塊に二人のチヅルは一瞬、視線が上に向く。
「使わせてもらうぞ」
「しまっ――!」
視線が上を向いたその一瞬だった。
アルムは体勢を低くし、一気にチヅルとの距離を詰めて懐へ。
その手にはチヅルがアルムに向かって何度も投げてきた短刀――!
「実はこういう短いのも得意なんだ。獲物の解体で使ってたからな」
「――!!」
アルムはチヅルの右肩から左腰にかけてを容赦なく短刀で斬りつける。
斬られたチヅルはその一瞬の出来事に抵抗らしい抵抗もできない。斬られた箇所から血が噴き出し、アルムを赤く染める。
(血の匂いがしない――! こっちは分身か――!)
しかし、瞬時にそのチヅルが本体ではない事に気付く。
自身にかかった赤い液体は血にそっくりではあるが有り得るはずのない無臭。
すぐさま体を反転させて、もう一人のチヅルのほうに狙いを定める。
「あ……! ああ……!」
「ん……?」
しかし、アルムの予想に反してチヅルはまだ降ってきているアルムの魔法を見ていた。
【一振りの鏡】によって降ってくる鏡の剣を見て何故か顔を青褪めさせている。
「あ、あの鬼の刀……!? な、なんで……!?」
(……? 大嶽丸を知っている……?)
いつからか大嶽丸が使っていた刀と呼ばれる武器の形状に変化した【一振りの鏡】の鏡の剣を見て、チヅルは怯えたように後退る。
アルムのこの魔法の本質はその鏡の剣ではないのだが、チヅルは何よりもその武器を恐れているようだった。
「っ……! 駄目だね……撤退だね……!」
アルムが降ってきた鏡の刀を掴むとチヅルは逃げるようにアルムから離れ、壁を蹴って屋根のほうへと逃げていく。
アルムが塞いだ退路など何のその。強化された身体能力とチヅル本来の身軽さで軽々と上っていく。
「逃げるのか」
「悪いね。少し事情が変わったからね」
「そうか。まぁ、俺が追う事は無い」
「……?」
壁を蹴りながら、チヅルはアルムの諦めの良さに違和感を抱く。
しかし、もう遅かった。
「お前を捕らえるのは俺じゃない」
声が届くとともにチヅルは屋根の上へと。
開けた視界の中に、いるはずのない人物が向かってきているのを見た。
「待っていたよ」
「――!?」
屋根に着地しようとするチヅルを待ち構えていたのは月光に照らされる金髪の少年。
チヅルはその姿が情報と一致している事に即座に気付いた。
屋根の上にいたのは四大貴族のルクス・オルリック。まるでチヅルが逃げる場所がわかっていたかのように今の今まで潜伏を続けていた。
「何……故――!」
「最初に話したろ。ルクスと一緒に帰ってたってな」
全てはアルムとルクスの策通り。
アルムだけが下に降りたのも魔鏡で路地を封鎖したのもこの為の布石。
アルムから逃げ切ったと油断させ、逃げ道を上に誘導して確実な隙を作り、ルクスが確実に捕らえる為の――!
「『鳴神ノ爪』」
「……甘く見てたね」
唱えられた凶悪なまでに鍛え上げられた攻撃魔法。
屋根に着地する前のこの数瞬、対抗できる魔法を唱える時間すらありはしない。
チヅルはこの攻撃魔法を耐えられない未来を受け止め、諦める他無かった。
「か……はっ――!」
雷の爪がチヅルの身体を捉える。
いくら強化がかけられていても、奇跡的に防御魔法が間に合ったとしても関係無い。
"現実への影響力"によってその上から使い手の意識を確実に刈り取る一撃。
普通の人間であれば殺してしまいそうな雷撃が夜闇を引き裂き、チヅルの体に迸る。
「殺しはしない。情報を――」
ここにきてようやく勝ちを確信したアルムとルクス。
しかし、ルクスの目の前でその異変はまたも起きた。
「……!」
「なに!?」
ルクスの目の前で意識を無くしたチヅルの体が崩れ、白い魔力の塊となって消えていった。
先程アルムが倒したもう一人のチヅルもまた同じ。倒れていたチヅルの体の形状が解けたように崩れていき、そして何もなかったかのように消えていく。
チヅルの体を捉えていた雷の爪は空を裂き、飛び出した勢いのままルクスは屋根へと着地した。
「どちらも偽物……!?」
「やられたな……」
アルムだけが堂々と乱入し、ルクスの潜伏を隠す。
退路を塞いで誘導し、確実に侵入者を捕らえられる算段だった。
だが、それでも結果は痛み分けに終わってしまう。
まさかどちらも偽物だったなどと誰が思おうか。
ルクスは周囲を見渡して、念のためにチヅルの姿を探す。
だが当然屋根の上に立っている人物などルクス本人しかおらず……諦めてアルムと合流すべく路地裏へと降りた。
「大丈夫かいアルム?」
「ああ、よく信じて待ち続けてくれた」
「君だからね、当然だよ。それにしてもまさかどっちも本体じゃないとは……ファニアさんの感知魔法に反応してたのもこれの仕業かな?」
「だろうな。そりゃ反応がある場所に急行したらいなくなるわけだ。接敵する前にあんな風に消えられたら見つけられるはずがない」
現にアルムが切り伏せたチヅルも、ルクスの雷の爪を受けたチヅルもどちらもそこにいた痕跡が全くない。
いつの間にかチヅルが何度も投擲していたはずの短刀すら消えている。
「厄介な魔法だね……諜報に向きすぎているし、万能だ。本体は隠れてればいいわけだから発見は骨が折れるな……」
「……それでもこいつは逃げようとした。どちらも本体ではなかったのに」
アルムはチヅルが消えた場所をじっと見つめて言う。
「逃げなければいけない理由があった」
戦って勝利してもなお正体はわからない。
何も残さず消えていくまるで亡霊のような魔法使い。
少しの手がかりと最後の行動に魔法の正体の糸口だけを掴んで、謎の侵入者との戦いは終わりを告げた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。




