641.目の前の男は
「偉いね。流石だね。魔法を選んでるんだ」
「守り切れるかな? 頑張れるかな?」
二人となったチヅルは手に持つ短刀でひたすらアルムへと斬りかかる。
ただ斬りかかるだけなら防ぎきれたかもしれないが、投擲を交えた猛攻はアルムの体をだんだんととらえ始め、アルムの体に傷が増えていく。
魔鏡を操ってチヅルを引き離そうとするが、一定以上の距離を空けることが出来ない。
魔力を通しきっていない魔鏡はひび割れ、一枚はすでに砕け散っていた。
「ふひゃ! 意外に脆いね」
そしてもう一枚が砕かれる。
二人のチヅルのどちらにも強化がかけられているのだろう。まだ"現実への影響力"が十分に上がっていない魔鏡は為す術無く割れていく。
最初の猛攻をしのぐために使ってもう三枚。
すでにチヅルを完全に引き離せる枚数ではない。
強化された肉体と二人に増えた事による圧倒的手数。
一人が投げた短刀がアルムの肩や頬をかすり、血が噴き出す。
「三枚で粘れるかな?」
「凄いね。夜明けまでそのまま踊れるといいね」
「っ……!」
二人のチヅルによる猛攻を魔鏡を使って何とかしのぐが、アルムはその場で釘付けになってしまう。
敵は魔法を唱えているわけでもなく、二人が交互に攻撃を繰り返す為反撃のタイミングも掴みにくい。
斬りかかる剣閃や投擲を何とか防ぐものの、防ぎきれない攻撃がいくつか増え、徐々にアルムの傷が増えていく。
そんな中でもアルムは思考を止めない。
(どっちも実体……! 魔法じゃなくてただの双子……? いや、違う。声も動きも一緒だ。この二人は同一人物なんだ。それが逆に読みにくい……!)
チヅルがどうやって二人になっているのか。
普通に考えれば血統魔法。だが唱えた様子は無かった。
魔法の常識とルールが目の前で起きた出来事を難解にしていく。
「凄いね。本当に凄いね」
「こんな状況じゃなかったら、私二人くらいには勝ててたかもしれないのにね」
「この状況でも勝つとも」
アルムは余裕を示すように口元で笑みを浮かべる。
「「できたらいいね。誰かさん」」
「油断していいのか? 逆転された時の言い訳にはできないぞ」
体力の底がないのかと思うほどチヅルの動きはより鋭敏に。
その動きを捉えるアルムの集中力も増していく。
しかし、徐々に防ぎきれない攻撃は出てくる。
アルムの制服はどんどんと赤く染まっていく。
それでもアルムは表情を崩さない。二人となっているチヅルの動きを追い続ける。
「お、おい……様子がおかしくないか……?」
後ろから見ていたカルロスはそんなアルムの様子がおかしい事に気付く。
確かに相手は強いのだろう。路地という狭さもある。
だがそれを差し引いてもアルムに動きが無さすぎたのだった。敵であるチヅルは地を蹴り、壁を蹴り、自由にアルムに襲い掛かっているというのにアルムはただそれを受け止めているようにしか見えない。
「な、なんだよ……俺達と戦ってた時はもっと避けまくってたじゃないか……!」
「た、確かに……初日に私達の攻撃を避けてたはずでは……」
セムーラは、アルムが初めて自分の訓練に付き合ってくれた時の事を思い出す。
五人がかりで攻撃してもアルムには一度も当たらなかったのだ。
その日からアルムの実力に驚嘆し、放課後に教えを乞いに行っていたというのに……今のアルムは攻撃を受けっぱなしだ。
致命的な一撃は全てしのいでいるのは流石だが、あまりに一方的と言えるだろう。
「そりゃ……そうだろうよ……!」
セムーラとカルロスが疑問に思っていると、フィンは体を震わせながらぎりっと歯を鳴らす。
その表情からは悔しさがにじみ出ていて、まるで恨むかのようにアルムとチヅルの戦いを睨んでいた。
「後ろでびびって腰抜かしてる足手纏いが三人もいるんだぞ……! 動けねえんだよ……!」
「え……」
「あの女が何度もこっちに視線を送ってんだ……! かわせないんじゃなくて、かわそうとしてねえんだよ……! どの攻撃が俺達に飛んでくるかわかんねえから全部わざと受けてんだ……!」
「そ、そんな……先……輩……」
カルロスは目の前の光景を焼き付ける。
二人となったチヅルの猛攻をしのぐアルムの背中。
自分達を庇いながら戦っているがゆえに飛び散る鮮血。
フィンに言われてから、アルムが一瞬こちらを見たのもわかった。
そして次の瞬間、攻撃がアルムの腕をかすってしまう。
後ろの様子を確認している。後ろの三人が無事かどうか、どんな様子かを確認しながら戦っている。
「なにを……やってんだよ……!」
この立派なガタイは見せかけかとカルロスは自問する。
特別鍛えているわけではないが血筋なのだろう。カルロスの体つきはがっちりとしていて背も高い。
そんな外見だから立っているだけで男らしいと言われて浮かれる時もあれば、馬に乗る姿を頼もしいと言われる時だってある。
そんな自分が……今何をしている?
アルムの動かす魔鏡に、カルロスは自分の姿が一瞬映ったのを見た。
地べたに座り、耳を押さえるセムーラを支える振りして自分の腰が抜けたのを誤魔化している臆病者。
これが貴族?
これが自分?
これが俺?
これがカルロス・ディオラコス?
改めて見た自分の姿はあまりに情けない。
何が男らしい? 何処が頼もしい?
前に立って自分達を守るアルムの背中を見て、カルロスは自分を恥じる。
恵まれた体つきで得た賞賛を受け取る資格は自分なんかにありはしない。
「この人の、足を……! 引っ張るなよ……!」
恐怖でぐちゃぐちゃにされた精神を立て直そうと、震える足を殴りつけた。
情けなさで自分の唇を噛み切って、カルロスは自分を奮い立たせる。
今の自分はださい。認めるべきだ。かっこよくなるのは未来の自分に譲ってやろう。
抜かした腰が元に戻らなくても、ださくてもやれる事を探せと恐怖に縛られた思考を必死に動かす。
"防御魔法はかなりしっかりしてる。意識的にイメージできれば間違いなく武器になる"
そんなださい自分が褒められた記憶が頭をよぎった。
俺達を守るかっこいい人に、自分は褒められていたじゃないか。
「ヒーローは大変だね、あんな雑魚も守らないといけないもんね」
「大変だね。大変だね」
「俺はヒーローじゃないし、あいつらは雑魚じゃない」
がぎいん、と鈍い金属音が鳴り響いた。
残った三枚の"現実への影響力"は高まり、強化された肉体でも破壊できないまでになる。
しかし、路地という狭い環境では満足に動かせない。
分断しようと一枚を自分の周囲から離そうものなら背後の三人を守り切れるかどうかがわからなかった。
三人を逃がそうにも動けそうにないのは目に見えている。三人中二人が恐怖で腰を抜かしてしまっているのだから。
「なら何でそんなに必死に守ってるの?」
「あの三人を守らなければ勝てるよね? あなたはそれくらいの力があるよね? 雑魚じゃないなら守るのやめたほうがいいんじゃないかな?」
「あんたクラスを相手させるのはまだ早いだけだ。いずれ追い抜く」
アルムは投擲された短刀を弾きながら真っ直ぐにそう言い放つ。
その言葉は慰めなどではないとチヅルにもすぐにわかった。
この男の言葉からは取り繕ったり誤魔化したりという建前になるものが感じられない。
だからこそ、揺さぶりにくい。精神を揺るがせないから崩れない。
話術から崩すのは難しいかもね、とチヅルはひっそりと難色を示す。
「そうかもしれないね。楽しみだね。でも今守っていたらあなたのいずれがないかもしれないよね。それでも守るの?」
チヅルが言うと、アルムは答える。
「同じ夢を見ている後輩を守るのに……大層な理由がいるのか?」
迷わずそう言い放ったアルムに二人となっているチヅルは目を見張った。
取り繕いや誤魔化しが無いと理解してしまった後に聞かされる綺麗事。
目の前の男は危険だとチヅルの経験と本能が警鐘を鳴らす。
この男と本当の意味で敵同士になってしまえば取返しがつかなくなってしまうのではと。
「ああ、これだから本物は恐いね。厄介だね」
チヅルの表情から薄ら笑いすら消える。
この男は何者なんだろう?
気付けば、チヅルの興味はアルムにだけ向けられていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次で一区切りとなります。




