638.口だけはごめんだ
「ちょっと……あなた達に付き合っていたらこんなに遅くなっちゃったじゃない……!」
夜に映える金髪を揺らして、ベラルタ魔法学院一年生の少女セムーラ・マキセナは実技棟から出てきた。
空を見上げれば真っ暗な空と眩い星々が迎えてくれる。
綺麗な夜空に何か思うほど余裕はなく、動いて火照った体を夜風が冷ます実感だけがあった。
帰り時を知らせる夕暮れの気配はすでにどこにも無い。
「こいつに言ってくれよ! 何回も何回も防御させてくれ防御させてくれってうるせえんだからよ!」
「いや、ほんと悪かったって……テンション上がっちゃってよ……」
その後に続いて同じく一年生の少年フィン・ランジェロスタとカルロス・ディオラコスの二人が出てきた。
三人は授業終わりにアルムに指導を受けていた一年生であり、アルムがいなくなった後も実技棟に残り続け、各々の課題を協力しながら訓練し続けていた。
十二人いた一年生の中で時間も忘れ、こんな時間まで残り続けていたのである。
「先輩が防御魔法についてめっちゃ褒めてくれるからよ……まじかよってなっちゃうじゃんか!?」
「限度があんだよ!」
「限度があるでしょ!」
「ごめんて! 怒鳴んなよ! 二人だってノリノリだったじゃねえか!」
通常、ベラルタ魔法学院に入学してきた一年生は入学当初はぎこちない事が多い。
魔法儀式という生徒同士の模擬戦の制度が、互いの魔法を探らせないようにと生徒達の警戒度を上げるからだ。
しかし、三人は互いにずっと訓練に付き合い続けていたからか……そんなぎこちなさはとっくに無くなっていた。
上級貴族に下級貴族という組み合わせだが、気兼ねない口調で会話をしているのもいい証拠と言えるだろう。
「で、どうだったよ? 俺の防御魔法は!?」
カルロスはふふん、と自信満々に二人に感想を求めた。
得意気に胸を張っており、ガタイの良さがさらに際立っている。
「わからん」
「わかるわけないでしょう」
「あれぇー!?」
しかし予想外の返答にそんな自信満々な様子もすぐに無くなった。
カルロスは何で? と言いたげな顔で二人に交互に顔を振る。
「いくら俺がランジェロスタ家に生まれた天才だからってそんなんわかんねえよ!」
「誰かの魔法の良し悪しがわかるほどの目はまだないわよ……。四大貴族でもあるまいし……」
「でも先輩は平民なのにわかってたみたいだぞ!? あっちが間違いなのか!? 俺防御魔法やっぱり下手なの!?」
「ちげえよ馬鹿!」
「アホねぇ……。そうじゃなくて」
ショックを受けたようなわかりやすい表情をしたカルロスにフィンは苛立ち、セムーラは呆れた表情でため息をつく。
「あれが化け物なんだよ」
「あの人が凄いの」
カルロスの疑問への答えが二人の口から同じ意味を持った賞賛で重なる。
プライドは否定しろと叫んでいるが、理性は認めなければいけないと納得する。
出自は平民。属性魔法を使えない時点で才能なんかまるで無し。
それは変わらない。そこが変わるはずもない。
それを認めた上で、アルムが他と一線を画していると言わざるを得なかった。
「三年になるまでに膨大な経験を積んだんでしょうね。私達程度の魔法は見慣れているのよ。だから細かい違いでも理解して、私達に何が足りないのかまで把握できてしまう」
「むかつくけどな!」
「私達は未だに心のどこかであの人は平民だと見下している。けれどこの学院の三年生になることがどれだけの困難かを知っているからそんなのが関係無いって理解して敬える……でも、学院に入った時に彼と同級生だった貴族からの目はそれはもう冷ややかで、それでいてカモだと思われていたと思うから」
「ど、どういう事だ?」
「だから、他より遥かに魔法儀式の相手に選ばれてたのよきっと。少なくとも一年の間は魔法儀式の戦績を増やすためのカモとして狙われていたんじゃない?」
そこまで言われてカルロスはようやく納得したのか手を叩いた。
「なるほどな! 魔法儀式しまくったから見慣れてるってことか!」
「それだけじゃないでしょうけどね」
「リコミットに聞いたけどあの平民、魔法儀式だけで二百戦してるって話だからな」
「単純に計算しても一年に百戦……アルムさんは留学メンバーだったはずだから学院に居られる時間も他より短いはずなのに……」
フィンからの情報を聞き、セムーラはつい想像して生唾を飲み込む。
その戦績に加えて、耳に届く功績の数々。他にも真偽が疑わしい噂まで聞こえてくる。
在学中に何が起こり、乗り越えてきたのかが想像がつかなかった。
三人は学院の門を抜けて、寮に向けて歩き出す。
……幾度これを繰り返せば、理解できる日が来るのだろう。
「言うまでもねえけど、あの平民の周りにいる四人も化け物だぞ」
「当たり前でしょ。四大貴族が二人もいるのよ」
「いーや! あのエルミラとかいう女のやばさは俺が一番わかってるね! 魔法もメンタルもそれはもうボコボコにされたからな!」
「そんな事で張り合わないでよ……」
「あの"聖女"って呼ばれてる人はフィンくん的には?」
「あれは違う意味でいかれてるだろ。潰れた目を自分で作っちゃえって……こえーよ……」
「ニードロス家ってカエシウス家の元補佐貴族よね……? 本当は危ない研究をしている家系なのかしら……」
でも、とセムーラは口元で笑う。
そんな怪物みたいな先輩達が学院にいて、自分達のような経験の浅い新入生を指導してくれるお人好しであるという幸運。
利用しない手はない。
敬意は払っている。そう思いながらも利用できる状況は貪欲に利用しなければ……自分達より才能の勝る連中の上はいけない。
「セムーラ……さんって西部のマキセナ家だよな?」
「セムーラでいいわ。あんな人達見てたらこの学院だと上級やら下級やらの区分なんてとりあえず忘れたほうがいいでしょう」
言われて、カルロスの表情がぱあと明るくなる。
「おっと、気楽で助かるー! 俺実家じゃあ礼儀がなってねえって注意されまくるから……」
「ええ、本当になってないわね。本当に貴族? アルムさんのがまだきっちりしてたけど」
「ぐ……。悪いって……どうしても堅苦しいのが苦手でよ……」
「冗談冗談。それで? 私がマキセナ家だから何?」
「お、おお……ほら、マキセナ家って上級貴族だろ? なのに普通に平民に教わるのって抵抗ねえのかなって。セムーラ俺と一緒で一番最初から先輩に教わってるじゃん?」
「…………」
カルロスが悪気無く問いかけて、一瞬空気が冷える。
夜風とは別の温度。セムーラの周りの空気が凍った気がした。
夜のベラルタは人通りが少なく、目撃者がいないのをいい事にこのまま何かが起きてしまいそうな気配さえする。
フィンはそれを感じ取って自分は関係ないと聞こえない振りをする。
問いかけてきたカルロスの目を突き刺しそうなセムーラの眼光がギロリと睨んだ。元々の真面目そうな顔付きが険しくなり、圧が増している。
「……何で?」
「他の上級貴族ってまだ馬鹿にしてる奴等多いからよ。そいつらと違って柔軟だなって思って」
カルロスはそれだけだけど? と言いたげな何も考えてない顔でセムーラの問いに答える。
その表情が功を奏したのか、セムーラの表情から険しさが消える。ピリピリとした空気も同じように緩んでいった。
(一瞬喧嘩売ってるかと思った)
フィンはカルロスをちらっと見る。
カルロスは何のことかわかっていないようで、その様子から天然を感じ取る。礼儀がなってないと注意されたのはこういう部分ではなかろうかと。
「……柔軟というより意地かな」
「意地?」
セムーラは頷く。
「マキセナ家はね、次の当主の決め方が古いというか……要は一番最初に生まれた子供に継がせるのよ。才能とか関係なく」
「へぇ、そんな家まだあるんだな」
「そう思うでしょ? 私もそう思ってる。だからマキセナ家は兄が継ぐし、姉はそれを疑問にすら思っていない。私だけが納得いかなかった……兄は怠惰で、特に才能が秀でているわけでもないのに魔法の訓練なんてまともにしない。何もしなくても当主になれるからとだらけていて、三番目に生まれた次女というだけで私は持って生まれた才能で兄と勝負する事すらできなかった」
セムーラの脳裏に家族の姿が思い浮かんで、苦い顔に変わる。
先に生まれただけで席にふんぞり返れる恥知らず。才能を認めた上で伝統だからと思考停止する愚かさ。
伝統という言葉は現状維持を言い訳にするための言葉じゃない。守らなくていいものだってあるとわかっているはずなのに。
「兄はベラルタどころかローチェントにも落ちたわ。なのに、兄は落ちた事をショックにすら思っていなかった。それでも、自分が当主になるのは変わらないから……"惜しかった"とか"俺のほうがお前より上なんだけどなぁ"とかへらへら笑って言ってくる」
歩きながらセムーラは力強く拳を握る。
冷える夜風の中、その握られた拳だけが燃えて熱を持っているようだった。
「だから私は、兄のような口だけの人間にはなりたくない。他の世界は知らないけど、少なくとも魔法使いの世界は実力であるべきだと思ってる。だから実力主義のベラルタ魔法学院を選んだし、そこでのし上がったアルムさんには平民だろうと一定の敬意を払う。そしてのし上がった人から教わるのは幸運な事だと思っているだけよ」
「セムーラ真面目だなぁ……」
セムーラの言葉にカルロスは感心する。その隣ではフィンがうんうんと頷いていた。
横から口出しはしないが、セムーラの考え方には同意できるらしい。
「私からすれば、この機会に教わろうとしない他のやつのほうが信じられない。利用できるものは利用するべきだと思わない? 平民なんかに教わる事なんかない、って小さなプライドを掲げて実力が上がるわけないでしょう?」
「ま、確かに幸運だよな。ベラルタの三年生って普通なら学院にあんまいないんだし」
「癪なのは変わんねえけどなあ」
「そう思ってもいいとは思うけど、機会を逃す理由にはしないほうがいいと思うってだけよ」
「そりゃ俺も賛成だ。最初はちゃっちいプライド守ってた馬鹿だったけどよ」
そんな話をしながら、三人は寮までの帰り道をゆっくりと歩く。
暗い。けれど、魔石の街灯が三人の帰る道を照らしている。
何で自分の話をしてしまったのかとセムーラは冷静になる。
この二人とは会ってまだ大した時間は経っていない。それなのについ家の事情を喋ってしまった。
同じ学年。同じ目標。そして同じ時間を過ごしたからか……つい口が緩んでいたらしい。
自分の事だけを話してしまったのが悔しくもむず痒くて、二人にも何か喋らせようと頭の中で話の切り口を探っていた。
そしてフィンに対しての話題を一つ思い付いて、セムーラはついにやける。
「そういえば、あの茶髪の……フィンの彼女のリコミット? さん? 一緒に帰らなくてよかったの?」
「はぁ!? ば、馬鹿言うな! か、かか、彼女じゃねえ! ただの幼馴染だ!」
「そうなの? 仲がいいからってっきり」
フィンの憎たらしい顔が赤く染まり、年相応に見える。
この話題で正解だったなとセムーラはほくそ笑んだ。
「幼馴染だから仲いいだけだこらぁ!」
「顔赤いぞフィン」
「まぁ、確かにあなたみたいな乱暴な人の恋人にはもったいないわね」
「うっせ! 二人共うっせ!」
「うはは……あ?」
笑っていたカルロスは真顔に戻り立ち止まる。
そのガタイの大きさからか、真顔に戻ると妙な頼もしさがあった。
「なんだよ? どした?」
「おい、聞こえないか……?」
「聞こえるって……?」
「どうしたのカルロス」
「いや……どっかから……子供の声がしたような……」
カルロスがそう言うと、セムーラもフィンも耳を澄ます。
「……けて…………」
小さく何かが聞こえた気がした。
届く声はどこからか。三人はじっと静かに次の声が聞こえてくるタイミングを待った。
「……だれか…………けて……」
今度こそはっきり聞こえてきた。
カルロスは声が聞こえてきた方向に駆け出す。
「あっちだ!」
「おい!」
「待ちなさい! ちょ、ちょっと!」
「待てるかよ! 子供が誰かって呼んでんだ!!」
カルロスが向かうのは大通りの広さとは比べるべくもない普通の路地。
三人が並べるくらいの広さはあるものの、夜闇が路地を細く見えさせる。
大通りよりも広い間隔で並ぶ魔石の街灯が妙に弱く見えて、その明かりはどこか心細くて。
聞こえてくる子供の声と合わさって、まるでこちらにおいでよと誘う……不気味なトーテムのようだった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
一年生から一番こわがられてるベネッタくん。




