637.侵入者は何だ?
「何故だ……? 何故見つからない?」
学院長室のソファに座りながら、ファニアは眉間に皺を寄せる。
感知魔法で感じ取っている複数の魔力反応。
点いて。
消えて。
また点いて。
また消える。
明滅する反応は徐々に苛立ちを募らせて、感知魔法の使い手の精神を削っていく。
「ふむ……ファニア殿の感知魔法を弄んでいるみたいだねぇ」
「オウグス殿の感知魔法には反応していないのですね?」
「うん、少なくとも学院に近寄る気はないらしいねぇ」
ファニアはベラルタの街に、オウグスは学院とその周辺に感知魔法を張り巡らせている。
現状点いたり消えたりする魔力反応はファニアの感知魔法だけにあり、オウグスの張っている感知魔法は生徒以外の反応は一切無い。
「つまり、オウグス殿は警戒しており……私のは潜り抜けられると思われている」
「んふふ。そういう現実を受け止められるのはいい事だ。時にはプライドを傷つける事実だってある……若くして宮廷魔法使いに選ばれるだけはあるねぇ」
「ありがとうございます。しかし、屈辱なのは変わりありません」
「そんなに重く考える必要はないさ。私の魔法は闇属性……感知されれば"浸食"で情報を引っこ抜かれる可能性もある属性だ。単純に属性の特性を考慮している可能性だってあるんだからねぇ」
「……はい」
オウグスは二人にとってはわかりきった事を口にして慰めるが、ファニアはやはり納得がいっていない。
これも若さだねぇ、とオウグスは感心するように呟いた。
「……ベラルタに感知魔法を展開してから今までの最大感知人数は?」
「八です」
「最低感知人数は?」
「二です」
「なら、侵入者は最低二人かもしれないねぇ?」
「……!」
「八に増やしているのは二人という少人数を知られたくないからかもしれない」
ファニアはばっとオウグスのほうを見る。
オウグスはその視線をいつもの胡散臭い笑顔でにこっと返した。
「確実な情報を拾うだけが感知魔法じゃない。拾い上げた情報を元にして推論する。可能性を挙げる。可能性を排除する。君の感知魔法を何故攪乱しに来ているのか。それは君の感知魔法が相手にとってどうでもいいものではないからでもあるわけだ。どうでもいいものをわざわざ攪乱させには来ない。攪乱せざるを得ないのだと思考を切り替えて見なさい。そうしたら、なんとなく苛立ちがましになるだろう?」
「オウグス殿……」
「気負ってもいい事ないよっていうおじさんからの助言さ」
助言を受けてファニアは深呼吸する。
流石だ、とオウグスに感心して。元宮廷魔法使いは伊達ではない。
助言を基にファニアは推測する。
明滅する反応はこちらの感知魔法に対しての攪乱。
であれば、最大人数である八人はほぼ有り得ない。わざわざ全員分の反応を敵に把握させる意味はないからだ。
オウグスの言う通り、少数での行動を知られたくない可能性。
小隊以下の人数だという事を誤魔化そうとしているのなら確かに状況の辻褄は合う。
(敵は二人……多くても四人か)
しかし、反応があった場所に言って誰も見つからないという謎はやはり解けない。
感知の情報を貰って急行したヴァンや衛兵が不審な人物は影も形も見えないと言っている。
「何だ……私達は一体何の可能性を見逃している……?」
状況は先程と変わらない。立てられたのは推測だけ。
明滅する反応はファニアにずっと謎を投げかける。
だが先程よりも思考はクリアで、ファニアの表情から苛立ちが消えていた。
冷静さを取り戻せば感知魔法は長く持続し、情報は正確であり続ける。
ファニアの様子を見れば一先ずは安心だろう。大がかりな事態を起こそうとすれば確実にファニアが察知する。
「まだラーニャ様の来訪には時間がある……何が目的だい? 侵入者?」
ここはベラルタ。ベラルタ魔法学院で学ぶ生徒達のためにある街。
目的が生徒へ危害を加える事ではありませんように、とオウグスは祈っていた。
「君達はいつ動く……?」
ベラルタの歴史は古い。
元々は南部の四大貴族ダンロード家の領地であり、そのままであれば今頃は歴史ある古都として観光名所の一つとなっていただろう。
今の形になったのは近年の事であり、学院とその周囲の建物は新しいものに建て替えられていて白を基調としている。その様式の違う建築物が並ぶベラルタの街がベラルタ魔法学院のための街となった分岐点を示す変化でもあった。
しかし、変わらないものもある。
元々が古都だったゆえの複雑さ。大通りから繋がる路地が多く、分かれ道も多い。
日が傾けば暗がりになり、住民達も通らなくなるのだ。
ゆえにベラルタに住む親は子供に口を酸っぱくしてこう言う。
「危ないから入っちゃいけないよ」
「んんん! んんんんんん!!!」
日が傾き、闇が訪れる前の時間帯。
暗がりの路地裏で口を塞がれ体を縛られた子供が、その傍らに立つ女に悪意に満ちた忠告を投げかけられる。
いつも通り帰るだけだった。
少し遅れちゃったから近道をするだけ。
お昼にはここを通って友達と遊ぶ事もある。
だから、大丈夫。暗くなったら危ないから入っちゃいけないって言われているけど。
いつも大丈夫だったから、今日もいつも通り家に帰れる。
そんな子供の思考を絶望に叩き落すのは不幸な事故か大人の身勝手な悪意のどちらかなのだ。
「何をしている!!」
「あれ、巡回のルートがいつもと違うね」
「んんんんん!!」
「こ、子供を――!!」
その不幸な現場に運良く巡回の兵士が居合わせる。
剣を抜いて女に向ける兵士の登場に子供は目を輝かせた。
かっこいい。助けてくれる兵士さんだ。
ああ、お母さんの所に帰れる。
「ああ、恐いね。剣なんて抜いてとても恐いね」
「――!?」
子供を拘束した女は迷いなく駆け出した。
自分に向けられた切っ先に向けて体を勢いよく走らせて。
「刺さったら死んじゃうもんね。斬られたら痛いもんね」
「えあっ!!」
「――ぁ」
兵士は剣を振り、向かってくる女に勢いよく一太刀浴びせる。
女は肩から腹にかけてを切り裂かれて、夕暮れよりも濃い赤色をばら撒いた。
それは縛られている子供には酷な光景であったが、これから起きる惨劇を考えれば仕方ない。
「はぁ……。はぁ……」
殺してしまったという思いと子供を守れたという思いが入り混じる。
倒れた女が何者だったのか。兵士なら生きて捕らえたほうがよかったのではないかとも思ったが、子供を守れないよりはましだろう。
何にせよ、脅威が排除された事に安堵はした。
ベラルタの平和を脅かす悪人から子供を守れたことに。
兵士は深く息を吐いて昂った精神を落ち着かせながら、縛られた子供を解放しようと駆け寄る。
「大丈夫か、坊主」
「んん!? んんん!!!」
「どうした? 俺は――」
ごん、と兵士の頭に強い衝撃が走る。
気付いていたのは縛られていた子供だけだった。
子供の瞳には映っていた。
斬られた女と全く同じ姿形をしたもう一人の女が、兵士を背後から襲うその瞬間を。
かくして、縛られたこの子にとっての希望は絶たれた。
助けに来た兵士は目玉をぐるんとさせて気絶し、自分を縛り上げた女は平気な顔をして立っている。
「早く応援を呼べばよかったのにね。子供が縛られててかっとなっちゃったんだね。
私をたった一人殺したくらいで勝ったと思って油断しちゃったんだね、もう大丈夫って安心しちゃったんだね」
「むー! んんんんんん!!」
子供は、起きて、と叫ぼうとするも口は塞がれて大きな声は出ない。
路地裏の先にある大通りの喧騒を払えるほどの声量は無く、届くことも無い。
「可愛いね、子供みたいで。素敵だね。いい子だね」
女は倒れた兵士の頭を慈しむように撫でる。
殴られた箇所から出たであろう血が付いた髪を柔らかく触れて。
「誰も彼もがかけがえのない存在なんだって、信じちゃってるんだね」
そんなわけないのにさ、と嘲笑って女は大通りのほうへと歩いていく。
一瞬助かったと思い込んだ子供は、どこからか現れた今大通りのほうへと歩いていったはずの女と同じ顔をしたもう一人の女に抱えられた。
倒れている兵士に斬られた女。自分を抱えている女。大通りに行こうとしている女。
その全てが同じ顔。同じ見た目。混乱しながらも子供は悟る。
悪い魔法使いがきたんだ。
「んんん! んんんんんんん!!!」
「大丈夫だよ。君の命はちゃんと有効活用するからね。だから私と仲良くしてね」
「じゃあ私とお別れして私と一緒に行こうね」
「んんんん!!」
同じ姿形をした女は互いに手を振って、一人は大通りに、一人は子供を抱えて路地裏の奥へ。兵士に斬られたもう一人は霧散して何もなかったように消えていく。子供が助けを望む声は、ついぞ誰にも届かなかった。
大通りに出たほうの女は先程兵士を殴り殺していながらも、平気な顔をしてベラルタを歩く。
「うん。いい街だね。こんな所で魔法を学べるなんて素敵だね」
眩しいほど温かい夕暮れと帰宅し始める住民達の平和な様子が、誰にも気付かせないほど女の悪意を塗り潰す。
猫のような目が、遠くに見える学院を見つめていた。




