627.集まる
「三年生全体で演劇とは……全く、私達の意思は無視ですの?」
「だるすぎるし……」
ベラルタ魔法学院の三年生の教室は二年生の時までとは違って一つしかない。
理由は単純だ。毎年教室を二つ用意するほどの人数が三年生に進級できないからである。
学院祭の開催が発表された翌日……サンベリーナとフラフィネが一日遅れで帰ってきた事によってベラルタには三年生十一人が教室に全員揃った事になる。三年生は例年であれば帰郷期間になるまで外部での実地依頼をこなし続ける為、この状況は稀だ。
サンベリーナとフラフィネは学院に登校するとベネッタから聞かされた学院祭についての話に思い思いの反応を見せていた。
サンベリーナは文句を言いつつもうきうきと勢いよく扇を広げ、フラフィネは心底から辟易している。
「グレースさんどうですの? どんな台本を書いておりますの?」
「書き終わったら見せるから待ってなさいな」
「うふふ、秘密にしてこの私を焦らそうだなんて……中々にエンターテイメントをわかっているではありませんか!」
「そういう意味じゃないわよ」
待ちきれないと言わんばかりにテンションの高いサンベリーナに対してグレースは集中して書いているのか目にもくれない。そんなグレースを見てサンベリーナは一層笑顔を見せた。
「私達のやるものを良きものにしようという集中! 嫌いじゃないですわ!」
「サンベリっちめっちゃ塩対応されてるし……ほら、丸投げされて大変なんだし、邪魔しないほうがいいし」
「あ、でもルクスとかいう男とは出来れば一緒にしないでくれると……」
「サンベリっちってば……」
「あ、あら私ったら。ごめんなさいね、悪気はないですわ」
サンベリーナはグレースに謝罪すると静かにフラフィネの隣に戻ってくる。
相変わらずだなあと見るアルム達の視線の中、ルクスと目が合った瞬間嫌そうに視線を逸らした。
グレースはそんな様子を気に留める事無く頭を悩ませている。
「グレースってば私達とも話さないんだもの」
《そうだな》
グレースの近くにはグレースの友人でもあるフロリアとネロエラが座っているが、グレースと談笑しているなどという事も無い。
ネロエラはグレースの様子を見て筆談用のノートにペンを走らせる。
《よほど集中しているんだろう》
「そうね」
《それか怒っているんだろう》
「……それもね」
グレースの心中はよくわからないが、その様子から楽し気ではない事はわかる。
学院長からの丸投げがよほどグレースの神経を逆撫でしたのか、それとも単純に寝不足なのか。
だがフロリアは知っている。グレースは何だかんだと頼まれた事には本気で取り組むのだ。
「グレースさん頑張っていますわね……」
「ああ、昨日も俺に話を聞いてきた」
アルム達五人もまた集中するグレースの様子を見ていた。
「アルムとエルミラは彼女と同じ第二寮だったね……エルトロイ家の事は知っているけど、彼女自身の事は僕もあまりよく知らないんだよな……」
「グレースさんと話したのボクも留学した時からだよー」
「俺もたまに一緒に帰るくらいしか接点が無いな。普段は挨拶するくらいだ……エルミラは?」
エルミラに話を振ると、エルミラはぼーっと宙空を見つめていた。
普段のエルミラを知るアルム達からすれば珍しい。
「エルミラ、寝不足かい?」
「え? ああ……うん、ちょっとね……ふぁ……」
エルミラは口に手を押さえて小さく欠伸する。
珍しいな、とルクスは内心少し気になったが何をしていたかを聞こうとすると隣のベネッタに色々とからからわれそうだったのでやめておく。
「ヴァルフトみたいに寝るか?」
「いや、やめとく……」
教室の端ではヴァルフトが豪快に寝息を立てている。
生徒達に丸投げされた演劇の事などどうでもいいと言わんばかりのマイペースだ。
「そういえばネロエラさんは何故いつも筆談ですの?」
「うちの隊長はサンベリーナさんと違ってシャイなの。大事な用件はこのフロリアちゃんを通してくださいな」
《話すのが苦手なんだ。不快なら謝罪しよう》
「そうそう、誰もかれもがサンベリっちみたいな心の壁ガン無視ズカズカデリカシ-ないないお嬢様じゃないし」
「私フラフィネさんにそんな風に思われてるんですの!? 流石の私でも聞き捨てなりませんわ!?」
「これをこうすれば主人公の……いや、直球すぎるくらいが丁度いい……」
「ぐごぉ……むにゃむにゃ……」
空席の目立つ教室は五十人以上が在籍していた時よりも騒がしい。
ここにいるのは進級試験を突破した本物であり、この光景を見ただけではこの教室に集うのが次世代を担う魔法使い候補とはどうにも信じ難い。
――纏まりがあるようなないような。
それぞれ深い交友関係があったわけでもなく、貴族特有の上っ面の会話をしているわけでもない。それでも互いが互いにある程度踏み入ってもいいような妙な空気がある。
それは各々が大なり小なり修羅場を潜り抜けているからこその信頼感なのかもしれない。
この教室にいる者で己の弱さを恥じなかった者はいない。
誰かの為に駆けださなかった者はいない。
互いを知らずとも、同じ在り方を持つ者の連帯感。
かつて原石でしかなかった才能を精神で磨き上げ、成果を出した同志である。
「お前らそんなにうるさかったか?」
そんな騒がしい教室に学年担当であるヴァンが入ってくる。
普段三年生の授業に教師はつかないため、特別な報告があるというのは明確だ。
何だかんだと貴族であり場を弁える者しかいないため、騒がしい教室はヴァンが入ってきたと同時に静かになった。
「んご……」
平気で寝ている一人を除いては。
「……『魔弾』」
「あいでぇ!?」
ヴァンは無属性魔法をヴァルフトの頭向けて放つ。
乱暴な目覚ましにヴァルフトが体を飛び上がらせ、なんだなんだと周りをキョロキョロしていると、何事も無かったかのようにヴァンは用件を伝え始めた。
「帰ってきたばかりのサンベリーナとフラフィネも聞いていると思うが、ガザス女王ラーニャ・シャファク・リヴェルペラ様の来訪に際してベラルタでは学院祭という催しが行われる事になった……グレース、台本はどのくらいで出来る予定だ?」
「資料不足なので後三日はかかります」
「あー、自分のペースでいいぞ。学院長の丸投げについては申し訳ないと思ってる。無理そうならもう少し時間を……」
「では念のため四日で」
「そうか、頼もしいな」
グレースはヴァンと話す間もノートと睨めっこしている。
しかしその事を責めるわけもない。ああさせているのも目の下に隈を出来させているのも他でもない学院長なのだから。
「ヴァン先生、私達は演劇をという事ですが……他の御役目はありますか?」
「いや、お前らは基本演劇以外はふんぞり返ってろ。一年生は会場の設営、楽団の手配やら魔法使いというよりも貴族としての技能を優先させる。二年生はもっと余裕があるから学院長と一緒にパーティの企画、一般市民の出店を募ったりともう動いてる。こっちはありがたいことにパルセトマ兄妹が主導で二年生を纏めてくれてるから問題無いだろ」
「四大貴族の伝手なんて色々あるでしょうからね」
「三年生は基本的に演劇に集中していいんだだが、アルムだけは当日ラーニャ様を迎えに行く学院長と同席してくれ。ガザス王家から勲章を贈られてるお前が出迎えないなんて事があったらそれだけで心証が悪いからな」
「わかりました……ですがマナーとか全くわかりませんが……?」
アルムは珍しく不安そうに眉を顰める。
どれだけ魔法使いとして自分を磨き上げ、功績を残したとしてもアルムは平民。
この学院に通う他の生徒のように社交界のマナーなど会得しているはずもない。
「失礼な言動をせず、丁寧に受け答えしてくれればそれでいい。あちらもアルムの事情は知っているし、そもそも堅い振る舞いを求めてないはずだ。基本的なエスコートは学院長がする。それでも不安なら隣に聞け。俺なんかより遥かに適任だ」
ヴァンはアルムの隣に目をやる。
隣に座っているミスティは意図をくみ取ったのかにこっとアルムに笑いかけた。
ミスティはこの国の顔の一つでもある四大貴族カエシウス家の令嬢本人。マナーを教わるのにこれ以上の人物はいない。
「問題は演劇のほうだ。次世代を担う魔法使いであるお前らがこれからもマナリルと付き合いがあるであろうガザスの女王ラーニャ様を直接楽しませる……これに全力を注いでもらいたい。この意味がわかるな?」
「多分わからないのが一人いそうだけど」
エルミラはちらっとアルムを見る。
アルムはその通りだとこくこくと頭を上下させていた。
「どういう事ー?」
「……ごめん、二人だったわ」
あんたはわかりなさいよ、と憐みの視線でベネッタを見るエルミラ。
ベネッタは首を傾げるばかりだったが、その首を元に戻すべくルクスが端的に答える。
「つまりは魔法使いらしくしなければいけないって事だよ。留学した時のように、僕らの力を改めて見せるのさ。今度は模擬戦ではなく、舞台の上でね」
「あ、なるほどー! 演出とかを魔法でやるって事かー!」
「そういう事だ。ただ視察されるだけってわけにはいかない。ラーニャ様に限って軽率な決断をするってのは考えにくいが……権力者ってのはいつ変わるかわからないからな。ガザスに改めてマナリルの層の厚さを知らしめる機会になる。それに後輩達の中にはお前らをなめてるやつもいるだろうからな」
ヴァンの表情が途端に険しくなる。
最後の言葉の声色だけがやけに重い気がした。
身の程を知らないひよっこに対する怒りがこもっているような。
「死線を潜った技術を見せつけろ。魔法をつかいこなすという意味を教えてやれ。それでいて舞台を成立させろ。難易度は高いし役者じゃないお前らに演技は難しいだろうが……少なくとも魔法において不足な面子なわけはないだろう?」
戦いで培った技術と経験値を応用しろという事。
魔法を戦闘に持ち出すのは簡単だが、魔法使いとは本来人助けにこそ力を発揮すべきもの。
敵を斃し、破壊するだけが魔法ではない。救助作業の際には"現実への影響力"をわざと弱めなければいけない時だってある。
戦闘以外で魔法を上手く扱えない、などとのたまう輩は三流だ。どんな場面においても魔法を持ち出し、手足のように扱える万能であらなければ。
「そして不足してる演技方面には助っ人に来て貰った。入っていいぞ」
ヴァンが声をかけると教室の扉が開いた。
教室の外で待っていたのだろうか。扉を開けたその人物は遠慮なく教室に入り、金の髪を揺らしながらアルム達の前に姿を現した。
「あー!?」
「いや助っ人って……」
ベネッタが声を上げ、エルミラは苦笑いを浮かべる。
教室に入ってきたのはアルム達も知っている人物だった。
「ラーニャ様の来訪は王城とベラルタ内部だけの情報だ。一般の講師に知られて漏洩したらそれこそ大ごとになる。そこで……漏れても問題ないやつを呼んだってわけだ。お前らも顔は知ってるだろ」
「この度カルセシス陛下の命によって貴殿らの演技指導を担当する宮廷魔法使いのファニア・アルキュロスだ。短い間だが……よろしく頼む。次代の魔法使い達よ」
普段の射殺すような鋭い瞳は少し柔らかく、宮廷魔法使いの制服ではなく男装の麗人のようなきっちりとした衣服を纏っている。
いつもとは違う姿で現れ、アルム達に自己紹介をするとファニアはにっと笑顔を見せた。
「講師が来たと思ったら……演劇オタクが来た……」
「聞こえているぞエルミラ」
「すいません」
二属性を操れる天性の特異体質と厳しい鍛錬を経て、最年少宮廷魔法使いとなったファニア・アルキュロス。
魔法使いを目指す者ならば誰もが知っているその名前。煌めく功績を持つ女魔法使い。
そんな彼女の趣味は演劇鑑賞である。
いつも読んでくださってありがとうございます。
最近暑くなってきました。みなさまどうか体調にはお気を付けを。




