626.彼の事2
「驚いたわ。あなたって結構面倒見がいいのね」
「そうか?」
「そうよ」
一年生達と別れて第二寮に帰宅したアルムを待っていたのはグレースによる取材だった。
共有スペースに座るグレースはガリガリとノートに向かって何かを書き殴っている。
アルムはただ対面に座って待っていた。どんな事を書いているんだと聞いても答えてくれなかったので静かに待っているのだ。
しばらくグレースが書き終わるのを待っていると、グレースのペンが止まる。
「待たせたわね。後今日一日ストーカーみたいな事をしていたのも謝るわ」
「別にいい。朝俺がいいっていったんだからな」
グレースが朝にした今日から私に付き合いなさい、という提案はほとんど何も知らないアルムの人となりを知る為の提案だった。
アルムに誰かを演じる経験があるとは思えなかったため、少しでも違和感が無くなるようなるべく近付けようとする試みだ。
しかし近付けようにもアルム自身の事をグレースはほとんど知らない。
その為今日一日アルムの行動や言動をグレースは逐一メモしていた。
登校から授業、昼休みの会話から授業後の一年生に対する指導、そして帰り道に至るまでを。
「今日一日ついていって思ったんだけど」
「ああ」
「やっぱりあなたでも普通に過ごしている時は普通の人間なのね」
「俺を一体何だと思ってるんだグレースは……」
「普段からぶっ飛んだ事してるのかと思ってね。だからあなたについて回るよりもあなたの話を聞いたほうがいいと思うのよ」
グレースはそう言うと新しいノートを取り出した。
大きな眼鏡をかけ直して気合いを入れるかのように髪を縛ると、真剣な表情でアルムを見据える。
「だから、色々話してほしいの。私はあなたの身に起きた出来事をほとんど知らないわ。あなたの人生を少し教えて。それを元にあなたが演じる役を作ることにするわ」
「どこから話せばいいんだ?」
「最初から」
「最初からってのは……」
「最初からよ」
「……わかってきた。グレースは結構凝り性だって事がな」
アルムがそう言うと、グレースは少し驚いたかのようにぴくっとまゆを動かす。
そしてすぐにむっとした表情に変わった。
「私の事がわかっても意味ないでしょ。早く話して」
「わかったわかった。えっと、生まれはわからないがシスターに拾われたのが知ってる最初で……」
グレースは否定することなくただアルムを急かして、アルムは自分の事をグレースに語り始めた。
「お気に入りの場所で泣いていた時に師匠が話しかけてくれた。魔法の技術もほとんど師匠に教えて貰って……」
グレースはたまに相槌を打ちながらアルムの話をメモしていく。
共有スペースに差し込む橙色の夕暮れの明かりがどんどんと傾いていくのも気にしなかった。
「最初にミスティと出会って迷子になってたのを助けて貰って……ああ、そうそう。あの時のルクスは今じゃ想像もつかない表情だったな。互いに第一印象は大してよくなかった」
「……」
「でもあっちが何か思う所があったみたいで今じゃ友達なわけだけど、この関係も相手がルクスだったからだな」
話を聞き続けて、グレースは妙な違和感を感じ始めていた。
「核を破壊したのはベネッタなんだ。当時はまだ『シャーフの怪奇通路』があったから」
「エルミラがミレル湖と霊脈と魔法生命を繋ぐ尾を破壊してくれて、誰の力が欠けても間違いなくあの百足は無理だった」
「ルクスは俺がトランス城に入るのを止めてくれた。俺にはああいう思慮深さは無い。それでも協力してくれるとこがみんなの凄いところだ。そのおかげでミスティを助けられたから……でも敵の魔法生命は否定できても、同じ敵のはずのグレイシャを否定はできなかった。理解できない道を進んでるやつって感じだったな」
「師匠は最後まで俺の母親で、俺の師匠でいてくれた」
これは付き合いが浅いゆえの違和感なのか。
グレースはその違和感が気になって時折メモするのを忘れそうになる。
夕陽も完全に落ちて、寮長のトルニアが照明用魔石を点けに来た。
トルニアが淹れてきてくれたハーブティーで休憩をして、アルムは残りを話しきる。
その頃にはグレースもわかっていた。
自分が感じる違和感の正体を。
「それで三年生になって今色々やってるって感じだな。すまん、長くなったけど……これでいいのか?」
「……」
「グレース?」
グレースは何故か憂いを帯びた表情を浮かべている。
夕陽が落ちたからだろうか。
橙色の光が薄っすらと残した暖かさに春を感じる。
けれど、夜になったらまだ冬のように寒くなる。
静けさを残した共有ルームはまるで狭間にあるかのよう。
グレースはアルムを少し見つめた後、ノートを閉じてペンをしまった。
「……よく、わかったわ。悪かったわね」
「あ、ああ……台本を書くなんてグレースだけ負担が重いんだ。これくらいなら全然いいが……どうした? な、長く話しすぎて体調でも悪くしたか?」
「いえ、そういうわけではないけれど……」
グレースは今度はアルムから目を逸らし、少し考えるようにして立ち上がる。
「何はともあれ、聞かせてくれてありがとう。とはいっても話した事が全部台本に関係するとは限らないからそこは今から断っておくわよ」
「ああ、何か参考になればと話したんだ。グレースがどういう形にするかは任せるよ」
「言われなくても……こんな面倒な役回りある程度自由にしてもらわなきゃ投げてるわ。それじゃあ部屋に戻るわ」
「ああ、カップは片付けておくよ」
「そう? ならお願いするわ」
グレースは荷物をしまって席を離れる。
アルムもカップを両手に持って台所に向かおうとすると、グレースはアルムのほうを振り向いて呟くような小さい声でこう言った。
「あなたは……自分の話をしないのね」
アルムは何か話足りなかったのだろうか、と首を傾げた。
「……? 今したと、思うが……?」
不思議そうにそう言うアルムにグレースはため息をつく。
今回は呆れたようなため息ではなかった。
「いいえ……そうね。ええ。あなたは、そういう人なのね」
そう言ってグレースは女子寮側の階段を上っていく。
「おやすみなさい」
「おやすみグレース」
男子禁制の女子寮側の階段を上がり、グレースは震え始める。
夜の寒さから?
違う。グレースは寒がりではあるが、震えは寒さからではない。
話を聞いて感じた違和感。それはアルムの中に見えた歪な認識。
自分の視点とアルム自身の視点がこれほどまでに違うのかと怒りさえ覚えた。
何故こんなに怒っているのか。
彼はただの知人。たまに帰り道が一緒になる程度の知った顔。
それでも――
「……ふざけるんじゃないわよ」
感情がこらえきれずグレースは声にして吐き出した。
ずかずかと廊下を歩く姿は淑女とは程遠い。
大きな眼鏡の奥に見えるその瞳には火が宿っていた。
自分の部屋を通り過ぎて、グレースはとある人物の部屋の前に立つ。
「なにやってるのかしら……私」
他国の王族を接待するための演劇の台本。
エルトロイ家が演劇方面の支援に厚いからと投げられただけの役割。こんなもの面倒なだけで何の身にもならないと思っていた。
……どうせ面倒なら利用してしまえ。
こらえきれない怒りのまま扉をノックする。
中からノックに応える声がして、その扉はゆっくりと開いた。
「こんばんは。挨拶する以外で直接話すのは初めてかしら? 早速で悪いけれど、協力して欲しい事があるの」
「……は?」
出てきた部屋の主は唐突なグレースの頼みに驚いて間の抜けた声を上げる。
「力を貸してエルミラ・ロードピス。あなたの仲良しなお友達には内密にね」
「どういう……風の吹き回し?」
「春だもの。新しい風くらい吹かせてもいいでしょう?」
部屋でリラックスしていたネグリジェ姿のエルミラは事態を呑み込むことができず、訳も分からないままキョロキョロと辺りを見渡すしかできなかった。