625.彼の事
「こんなもんでいいか」
「はぁ……はぁ……」
「全然当たんねえ……!」
授業が終わった後、アルムはベラルタ魔法学院の実技棟の一つに来ていた。
今朝、オウグスからガザスの女王ラーニャの来訪が全生徒に通達され、学院祭を開催する事が発表された。
学院祭という名前ではあるものの、その本質は接待だ。この学院に通う者にとっては魔法の分野以上に得意分野であり、最初こそ困惑していたものの慣れている分早く話は纏まったようだった。互いに警戒し合う一年生が打ち解けるいいきっかけにもなったのかもしれない。
そしてこの事態に目を付けた一年生達が何人かいた。
ラーニャが来訪するまでの間、普通なら各地で実地をこなし、滅多に遭遇しなくなる三年生が学院に留まるのだ。
これはチャンスとばかりに、一部の一年生達は昼休みにアルムに接触し……授業後に公開魔法儀式の時には見れなかったアルムの実力を知ろうとしたのである。
その結果がけろっとした表情のアルムと床に座り込む一年生達五人。
五人がかりでも攻撃が当たらない事に一年生達は愕然としていた。
「お疲れ様ですアルム」
「ああ、ありがとうミスティ……何か嬉しそうだな?」
「うふふ、そんな事ありませんよ?」
アルムと一緒についてきたミスティは当然の結果と言わんばかり。
五人の中にアルムを侮っていた者がいるのも見抜いている。ついてきたのはその誰かが逆上してよからぬ事を起こそうとさせない為だった。
もっとも……アルムの相手を少ししただけでもうそんな気も失せたようだが。
「あ、あの……何で攻撃が当たらないんでしょうか……?」
五人の中で息を整えた一人の女子生徒が少し緊張した様子でアルムとミスティに話しかけてくる。
美しい金の長髪を揺らし、真面目そうな顔つきをした女子生徒だった。
この女子生徒は西部のとある上級貴族の次女だ。魔法の才能は姉と遜色なく次女というだけで当主になれない事に不満を持ち、箔をつけるためにとベラルタ魔法学院の試験を受けて入学した。
しかし入ってすぐに突き付けられた現実がこれだ。相手は平民。魔法の才能は皆無。
こちらが下位から中位の攻撃魔法を使ったのに対し、アルムが使った魔法は『強化』という子供の頃から使える強化の補助魔法だけ。
ちゃんと狙った。"追尾"の性質を持つ魔法も使った。それでもなお当たらない。
馬鹿にされるかもと恥を忍んで質問したのだが、アルムはそんな女子生徒の疑問を馬鹿にする事無く答える。
「"放出"が遅いんだ。もっと言えば"充填"も遅い。だから相手に余裕が出来てしまう」
「お、遅い……? そ、そんなはずは……」
「五人がかりでの攻撃だったが俺は一呼吸おける時間が何回もあった。だからこうして息も切らしていないんだ」
自分の技術が劣っていると突き付けられ、咄嗟に反論しかけるが目の前の現実が否定させてくれない。
自分達が消耗しているのにも関わらず、アルムは全くそんな様子が無い。
「無意識なのかもしれないが、"変換"に重きを置きすぎてる。"変換"は魔法の三工程の中でも最も重要な工程だ。それは合ってる。だが他の二つを疎かにしていいというわけじゃない。全員魔法の練習をする時に"変換"だけに集中してるんじゃないか?」
「う……」
「お、俺それだわ……」
図星を突かれる一年生達。
その様子に気付いたアルムは補足しながら説明を続ける。
「ああ、でもそれが悪いってわけじゃない。魔法を覚える時はそれでいい。ただ実際に使えるようにしたいならそれ以上が必要なんだ。覚えるのと使えるようにするは天地の差なんだよ」
「私達の技術はまだ実戦に堪えうる段階ではないという事ですか?」
「魔獣相手なら当たったりもするだろうけど魔法使い相手だとまだ厳しいと思うな」
「どうしたらいいすかね……?」
「ひたすら基礎練習だな。これは俺が使ってるからとかじゃなくて無属性魔法で……」
最初に質問してきた女子生徒含め、いつの間にかアルムの説明を真面目に聞く一年生達。
アルムの一歩後ろでその様子を眺めるミスティは少し安心していた。
最初は少しプライドもあったようだが、性根は勤勉な少年少女だったようである。
「無属性魔法は補助魔法以外、実戦にはほとんど役に立たないが、練習として使うなら優秀だ。役に立たないって馬鹿にする貴族も多いそうだが、基礎技術の向上にはかなり役に立つ」
「俺のとこの家庭教師それだわ……覚えなくていいって……」
「実際覚えなくていい魔法があるのも事実だからなぁ。攻撃魔法の『魔針』とか弱すぎて俺も戦闘で使ったことない。一応覚えたけど無駄……あ、料理する時に肉に穴開ける時に使ったな……」
「うふふ、それ怒られなかったんですか?」
「他のとこにも飛んでいってめっちゃ怒られた……真似はオススメしない……」
「ははは! 了解っすわ!」
ユーモアを交えて解説してくれるアルムに心を開いたのか一年生達の表情も豊かになっていく
アルム本人はユーモアを交えたつもりはなく、シスターに怒られた実体験なのだが……相手を逆撫でしそうな無表情と親しみやすさのギャップと丁寧な教え方に貴族にありがちなプライドや階級意識は完全にどこかに飛んでいってしまったようだった。
(アルム……もしや先生とか向いているかもしれませんね……?)
そんなアルムを一歩後ろから見つめながら頬を染めるミスティ。
一年生達の信頼を徐々に獲得していくアルムが自分の事のようで誇らしかった。
そんなアルムに遠慮も減ったのか、女子生徒がさらに質問を重ねる。
「ちなみに、アルムさんが見た一年生の中で魔法の構築技術が高いと思った一年生とかいらっしゃいましたか?」
「うーん……」
「あ、その……嫉みとかではなく向上心を高めるためにもと……」
「はは、そんな事疑わないよ」
アルムが不意に微笑んで、女子生徒は虚を突かれたように目を丸くする。
無表情からの子供のような笑顔に少し驚いたようで、ミスティはその表情に何かを感じて反応してしまう。
「なあミスティ」
「へ? あ、な、なんでしょう!?」
そんなミスティにアルムが突然振り向く。
慌てて笑い返してきたミスティにアルムは自分ではわからない疑問を問う。
「血統魔法の構築速度って普通の魔法より早くなったりするのか?」
「い、いえ! 歴史から"変換"の形を引っ張り出すので過程は少し変わりますが、基本的には使い手の技術に依存しますね」
「そうなのか、ありがとう。ならあの子かな……公開魔法儀式の時にエルミラの相手してた男の子」
「フィン・ランジェロスタさんですね」
「そう、そのフィンって子だ。様子見していたとはいえエルミラ相手に真正面から不意打ちできるのは結構凄い。言動が荒れている割に構築技術はかなりしっかりしてる印象があったな」
「確かに……エルミラは視野が広い上に対応力が高いですからね」
公開魔法儀式で荒れに荒れていた一年生フィンの事は他の一年生達も把握しており、あのような醜態を晒した割に評価が高い事実に少しざわつく。
「あの泥の竜って地属性だよな? どうやってるんだろう?」
「恐らく水属性の"流化"の特性を魔法の性質にアレンジして軟化させてるのではと」
「ああ、なるほど。血統魔法はそういう器用な事もできるのか」
「良くも悪くも歴史の中にある記録に"変換"が依存しますからね」
「そこら辺が魔法式の補強になって"現実への影響力"が上がるんだもんな。暴走とかもそれが要因になってそうだな。使い手の意識が"変換"に追い付いていないのかも」
少し脱線して話すアルムとミスティをぽかんと見る一年生達。
そんな視線に気付いたミスティが話を切り上げようとするが、それよりも先に女子生徒が再び疑問を投げかけてきた。
「あの、ふと気になったのですが……アルムさんはどうやって魔法を?」
「ああ、師匠がいたんだ。その人に全部教えて貰った。後はひたすら本読んだり練習したり」
平民に無属性魔法を教える変わり者とは一体どんな人だったのだろうか。
恐らくは子供に血統魔法を継承できなかった憐れな貴族だろうかと一年生達は思う。
アルム本人は普通にしていたが、一歩後ろに立つミスティの表情が暗くなったのを見て一年生達はその部分に深入りするのをやめた。
「いつ頃から無属性魔法を使えるようになったんですか?」
「初めて使えたのは七歳で、使いこなせるようになったのは十四歳だな。学院に入る二年前だ」
「え……」
「七歳の時に偶然成功した時は結構いけるとか思ったんだけどな……そこから七年くらい使えなかったから本当に偶然だったなあれは」
当たり前のように自分の境遇を話すアルム。しかし聞いている一年生達五人は絶句していた。
そう、有り得ない。彼等にとって無属性魔法を使いこなすのにそんな年数は必要ない。
無属性魔法などたとえ出来の悪い貴族でも遅くて一年あれば習得できる。四大貴族クラスになれば数日だろう。
聞いていた一年生達は目の前で自分達を圧倒したアルムには本当に才能が無いのだと実感した。
いや、それよりも。
どうしてという気持ちのほうが強い。
「折れ……なかったんですか……? 無駄かも、しれなかったのに……」
「魔法使いになりたかったから。無駄になるかどうかなんて考える暇も無かった」
何年もの間ひたすら無駄かもしれない時間を過ごす空虚。
積み木を積み上げて、こうじゃないと崩され続ける。そしてまた積み上げて、崩される。いわばその繰り返し。
積み木をする時間に意味があるのかすらわからないままやり続けるその数年を、目の前の人はどんな思いで過ごしたのか想像もできなかった。
「それに師匠が励ましてくれたからな。何度も出来損ないと言ってくれた」
「いや、それは悪口なんじゃ……」
「それでも俺は嬉しかったんだ。出来損ないってことは少しは出来てるって事だから」
「……」
「それに嘘は言わない人だった。師匠は俺に、お前には絶対できない、とは一度も言わなかった」
そう話すアルムは心の底から嬉しそうだった。
日記に残した思い出を一つ一つ絵に描いて飾っていくような、温かい微笑みを浮かべている。
その語り口と見せる微笑みがあまりに感情豊かで、一年生達にも伝わってしまう。
ああ、きっとその人はもういないんだと。
「だから俺は嘘が滅茶苦茶下手だ。嘘のつき方を教わらなかったからな。嘘ついたり誤魔化そうとするとすぐばれる……こんなとこまで似てしまった……」
「似てくれてよかったです。アルムが嘘つく時すぐにわかって楽なんですよ」
「最近はもう諦めてる」
「あははは!」
ミスティがいた事も相まって一年生達と普通に打ち解けていくアルム。
観客席にはそんなアルムをじっと観察するグレースがいた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
第五部の最後ら辺でも触れていますが、アルムが無表情なのは師匠譲りです。
そして更新時間遅れてごめんなさい!