621.極める
「あれ? あんた……?」
「……っ!」
ベネッタの魔法儀式が終わり、エルミラが一階に下りると……知っている顔が下りてきていた。
現れたのは数日前に過剰魔力で暴走した魔獣から助けた二人組の片割れだった。
紺色の髪をしたエルミラより少し背の高い男子生徒。確か名前はフィンと言ったか。睨むその目は何故か敵意に満ちている。
エルミラが観客席のほうを見ると、本来魔法儀式の相手になる予定だった女子生徒が申し訳なさそうに頭を下げてきた。
「はーん……なるほどね、随分つまんない事するじゃない?」
大方、無理矢理魔法儀式の相手を代わるように言われたのだろう。
あの女子生徒の家よりも、このフィンという男子生徒の家のほうが家柄が上で断れなかったといった所か。
「それで助けられたお礼でもしにきたの? それとも愛の告白でもしにきたのかしら?」
「馬鹿言うな……! 俺を助けたくらいでいい気になるなよ……!」
「何であんた助けていい気にならなきゃいけないのよ。それに私何もしてないし」
「あ、あの時は……魔獣相手に慣れてないからああなっただけだ。俺は魔法使い相手をずっとやってきたから……本来ならあんたらみたいなのに助けられなくても、大丈夫、なんだ……!」
「で? 言い訳なら依頼主に言えば?」
「う、ぐ……!」
うんざりしたようにエルミラはため息をつく。
そしてある事に気付いた。フィンは強い言葉をエルミラに投げつけているものの、その視線はちらちらととある人物を見ていた。
観客席に座る、アルムのほうを。
「ふーん、なるほどね……本当はアルムに言ってやりたかったけど、アルムの魔法儀式の相手がロベリアだから仕方なく私に言いに来たってわけだ?」
「――っ!」
「ロベリアはパルセトマ家で四大貴族……代われなんて言えるわけないものね」
図星だったのかフィンは一瞬怯む。
「だ、黙れ! 俺は輝かしい才能を持って生まれたフィン・ランジェロスタだ! 今は四大貴族には届かない……だが、四大貴族と同じように才能を認められてこの学院に入った! 魔法使いを目指す者が憧れるこの学院に!」
「だから何? おめでとうとでも言ってほしいわけ?」
「俺を一回助けたくらいで図に乗るなよ……あの日はただ……そうだ、油断しただけだ。魔法使い相手ならあんな風にならなかった。俺が魔法使いとして未熟だからじゃない……。じゃなきゃ、あんな平民に、この俺が助けられるなんてあるものか……! 俺は魔法使いになりたいんだ、魔獣を相手にしたいわけじゃない……!」
観客席から一階を見下ろすアルムをフィンは睨む。
朦朧とした意識の中、あの日の事は鮮明に覚えてしまっている。
もう駄目だと足がもつれた泥だらけの自分。颯爽と駆け付けたのは白い閃光。
自分達が追い詰められた状況を軽々と打破したアルムの姿をフィンは認められなかった。
挫折なんて無かった。歴代でも突出した才能と認められた。
家の期待を背負った。ランジェロスタ家の発展は間違いないと。
魔法なんて一度教えて貰えばすぐに覚えた。家庭教師を何度も入れ替えて新しい事を学んだ。
そう。あの日の醜態は何かの間違いだった。
魔法なら負けない。魔法使い相手なら問題ない。この学院だってそうだ。魔法儀式という生徒同士の模擬戦が成績に反映される。結局、魔法使いは魔法の事についてが一番重要なのだ。
魔法使いとは魔法を使う者。より魔法を使いこなせる者。
――無属性魔法しか使えない欠陥などたとえ功績を積み重ねても魔法使いにはなれはしない。
「だっさ……」
「……っ!」
「あんた……殺される時もそんな言い訳するわけ?」
そんなフィンをエルミラは呆れるように一蹴する。
悔しさからか感情を抑えるためか、フィンは引きつった顔をしながらエルミラを鼻で笑った。
「だ、ださいのはどっちだよ。平民に指示出されて動くやつが言うことか? 貴族の誇りはどこいった? 没落した時に金と一緒に落っことしたか?」
「誇り、ね。あんたのは誇りじゃなくてただの見栄よ。得意な奴に得意な事を任せるのは当然でしょ。アルムのほうが魔獣狩りが得意だし、戦闘経験も豊富だわ。魔法好きなのもあって私達全員の得手不得手も理解してるし、指示も早いわ。
私もベネッタも、ミスティもルクスもあいつが私達を引っ張るのが一番効率いいってわかってるからああいう形にしてるのよ。そんで、あいつのやってきた事は私達を引っ張るに値する。だからあいつについてってるのよ。
もっとも……貴族とか平民とかでしか物事を判断できない馬鹿には理解できないかもだけど」
可哀想な人間を見る目をしながらエルミラが逆にフィンを鼻で笑い返す。
フィンは肩を震わせたかと思えば、怒りのままに魔法を構築した。
「黙れ没落……! 【魂喰らう竜の沼】!!」
怒りのまま唱えられるは歴史の声。
重なる声は重苦しい湿地の空気のように辺りを支配する。
使い手であるフィンを中心に展開される黒い泥沼。
闇属性かと勘違いしそうだが、地属性の魔力光を纏っている。
「へー……世界改変っぽいけど、微妙に違う? っと……わっ!」
血統魔法の影響はエルミラの足元まで。
地属性の魔力光を纏う泥がエルミラの足を絡めとり、エルミラは宙へと吊り上げられた。
泥沼は一回に広がり切ったかと思うと何かのカタチを目指して蠢く。
一塊に集まって現れたのは四メートル程の大きさの泥の竜。そうなってようやくエルミラの足を絡めとっているのが竜の腕だという事に気付いた。
エルミラは足を掴まれ、ぶらぶらと逆さまに吊り上げられており……慌ててスカートを押さえた。
「……変態。私のパンツを公開して恥かかせようってわけ?」
「ち、違う! そこは誤解だ!」
「あ、そうなの。ならいいわ」
「は……はっ! 余裕なフリしやがって! 血統魔法を使うとは思わなかったか!? どうだ、これがランジェロスタ家の血統魔法だ! そして俺の才能によって極められた血統魔法だ! 足を折られたくなかったら許しを乞え!」
突如唱えられた血統魔法に観客席から聞こえるざわめき。
ランジェロスタ家は南部ではそれなりの地位を持つ名家。その血統魔法を見れたのだから他の一年生にとっては収穫と言えるだろう。
今年の魔法儀式をしばらく不利にする事すらいとわず、フィンは使った。ただ目の前の相手に、そしてその相手の先にあるアルムを認めたくない一心で。
高らかに勝ち誇るフィンの笑い声。
指導の名目をした魔法儀式において開幕に血統魔法を使うという奇襲を成功させて、勝利を確信していた。
「……?」
しかし、吊り上げられているエルミラの表情はフィンが望むものではない。
足が折られるかもしれないという恐怖ではなく、ただ怪訝そうな表情を浮かべている。
そしてフィンの血統魔法である泥の竜をじっと観察したかと思うと、静かに口を開く。
「あんたに少し、授業をしてあげましょうか。私は先輩だからね、それくらいはしてあげる」
「は……はぁ!?」
「血統魔法は先祖が積み重ねた歴史そのもの。最初の先祖の時から唱え続けられて、その積み重ねによって"現実への影響力"が底上げされる魔法使いの切り札であり……血統魔法を受け継いだ末裔は一生の中で"変革"を目指して次代に繋げる」
フィンの声を無視してエルミラはつらつらと血統魔法についてを解説する。
今エルミラが口にした血統魔法についての知識は常識だ。
しかしその内容は常識であって当たり前ではない。血統魔法の変革は血統魔法に愛され、そして魔法使いとしての在り方を示し、その才能を開花させてこそ可能となる。
明確な条件は存在せず、血統魔法によって違うとまで言われているほど再現性の無い現象だ。
「変革には二種類あるわ。先祖が行った"変換"を歴史から引っ張ってくる"抽出"……そして受け継いだ末裔が新たな"変換"によって既存の血統魔法より遥かに"現実への影響力"を底上げする"覚醒"。
どちらも血統魔法を極めた先にある変化であり、魔法使いとしての明確な成長よ」
エルミラは軽蔑するような目でフィンに視線を向ける。
その視線にフィンはびくっと一瞬肩を震わせた。
「その血統魔法を極めた? あなたが? この程度で?」
フィンの背筋に悪寒が走る。
逆さまで宙吊りになっている間抜けな体勢なはずのエルミラの表情は余裕に満ちていて。
そこには恐怖は無く、こちらを見る目は血統魔法を通じてこちらの何かを見透かしているよう。
この程度で? と言われた時……自分の血統魔法がこの程度だと思ってるのか、と問われた気がした。
「勘違いしてるようだから教えてあげる――極めるとは、こういう事よ」
閉ざしていた魔力がエルミラの体から噴き出す。
これが回答だとでも言いたげに、エルミラは自身の歴史を唱えた。
「【暴走舞踏灰姫】」
燃え上がるように重なる歴史の声。竜の腕を踏みつけ高らかに鳴り響くヒールの音。
魔力を灰燼に変えて、エルミラはその身に魔法を着飾る。
纏うは灰のドレス。大きさは泥の竜と比べるべくもない。
しかし、魔法に宿る"現実への影響力"は――
「"炸裂"」
呟く声とともに建物を揺らす爆発音。
エルミラを掴んでいた竜の腕に灰が張り付き、エルミラの声とともに爆散した。
「きゃあああああああああ!!」
「うああああああああ!!」
その破壊力と轟音に観客席の一年生達は壁の陰に隠れたり、逃げ出したりと身の危険を感じて逃げ出す。
観客席のあちこちから悲鳴があがり、まるで敵でも来たかのようだ。
そんな悲鳴の中、エルミラは宙吊りから解放されて着地する。
「ぐっ……! いけ!」
片腕を失った泥の竜がエルミラに襲い掛かる。
定形の無い泥の特性を活かし、口を大きく開けてエルミラを逃がさぬように覆いかぶさった。
「よ、よし! これで――」
瞬間、泥の竜の口の辺りが赤い魔力光で包まれて――
「"炸裂"」
「うああああああ!?」
もう一度轟音を響かせて、エルミラを呑み込もうとした泥の竜は爆発四散する。
泥の竜だったものは弾け飛んで、魔法の形を失ってただの魔力となって霧散していく。
爆風でフィンは吹っ飛ぶが、灰のドレスで着飾ったエルミラは当然無傷。
誰が見ても文句のつけようのない格の違い。
本当に血統魔法を極めたからこその圧倒的な"現実への影響力"。これでも自身を炎に変えていないのでエルミラは手加減している。
それでも、目の前のハリボテを破壊するには十分だった。
「うっ……! げほっ……!」
「どう?」
「あっ……! ひっ……!」
爆風で吹っ飛んだフィン向けて歩くエルミラ。
歩いてくるヒールの音が死刑までのカウントダウンに聞こえる。
自身の血統魔法を跡形もなく破壊され、フィンは腰を抜かしていた。
エルミラはフィンと目線を合わせるようにしゃがんだと思うと、
「あのね、極めたなんてのが嘘かどうかなんて見るやつが見たらばれるわよ。魔力すっかすかで見てくれだけ整えようとしてもすぐにわかっちゃうんだから」
「え……な、なんで……?」
「わかるわよ。私達がどれだけ色々見てきたと思ってんの?」
観客席には聞こえないくらいの声量で、エルミラは優しくフィンにアドバイスする。
そう、フィンは血統魔法を極めてなどいない。
まだ血統魔法を使いこなせておらず、なまじ器用なために見た目や大きさだけを立派に取り繕う事ができるだけだった。
「何かアルムを敵視してるみたいだけど……まずはちゃーんと自分の事を頑張んなさいよね」
「うぐ……」
「才能を誇るのもいいけど……その才能とやらもここじゃ最低限かそれ以下なのよ」
フィンの髪をぐちゃぐちゃっと撫でるとエルミラはルクスに手を振る。
うなだれるフィンと笑顔で手を振るエルミラ。決着は着いた。
ここは研鑽街ベラルタ。
魔法の才能を磨き続ける為だけに作られた町。
才能などあって当たり前。迫られるのは終わる事無き自己の研鑽、そして魔法使いに相応しい精神の成長。
才能を過信した者、家名に溺れる者、貴族という階級にしがみ付く者、そしてプライドだけが高い者に座れる席はない。
ベラルタ魔法学院の三年生。それは今日までに自身を磨き上げ、学生でありながらすでに魔法使いに相応しい精神と功績の両方を併せ持つ……本物だけがくぐれる狭き門である。
フィンのプライドが間違った肥大化をする前に、エルミラは完膚なきまでに叩き折ったのであった。
「あー……楽しんでるとこ悪いんだが、少しいいかな?」
「あれ? ヴァン先生じゃん、どしたの?」
決着が着いたのを見計らったかのように、ベラルタ魔法学院の教師であるヴァンが実技棟に入ってくる。
「アルムはいるか? どうせいるだろ、公開魔法儀式なんてあいつにとっては趣味と実益を兼ね備えてるからな」
「ええ、いるわよ。アルムー!」
「ん? なんだ?」
エルミラが呼ぶと、アルムは急いで観客席から下りてくる。
「アルム……学院長の呼び出しだ。急ぎの用件だ」
「学院長が……? わかりました」
ヴァンからそう聞くと、アルムは観客席にいるロベリアのほうに目をやる。
「すまないロベリア。学院長に呼び出された。次は俺達の番だが、急ぎだそうだ」
「え……」
「残念だが、日を改めてやることにしよう」
「あ……わ、わかりましたっす……」
アルムはロベリアにそう言うと、ヴァンと一緒に実技棟から出ていく。
ロベリアはアルムが見えなくなるまで精一杯の笑顔を見せていた。
「そ、そんなぁ……」
そしてアルムとヴァンが見えなくなると、肩を落としてうなだれる。
先程までうきうきと楽しみにしていただけに沈み方も凄まじかった。
「アルムだけ……? 何でしょうか……?」
「アルムくんだけって珍しいねー」
「言われてみればそうだね」
「ネロエラ、あの件かしら……?」
《恐らくそうだろう。アルムは関係が深いからな》
急に呼び出されたアルムにミスティ達が不思議がっていると、何か知っていそうなフロリアとネロエラの会話に振り返る。
「ネロエラさんとフロリアさんは何か心当たりが?」
「はい、恐らく。王城にいると噂話が色々聞こえてくるので……多分アルムくんはベラルタ魔法学院の視察の件で呼び出されたんだと思います」
「視察……?」
誰が? と言いたげにミスティ達は疑問を浮かべながら顔を見合わせた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
不憫なロベリアちゃん。




