616.頼もしき背中
「はっ……! はっ……! ごほっ! ごほっ!」
「フィンくん! まずい……まずいよ!!」
深い森の中……干上がった喉の悲鳴を無視して草を踏み、枝を折る音がする。
春先だというのに空気は冷たく、朝靄に包まれた森の中でこの場に溶け込めない生き物が二人走っていた。
どちらもベラルタ魔法学院の制服を着ており、片方は疲労が色濃く顔に出ている紺色の髪をしたフィンと呼ばれている少年、そしてもう一人は同学年で茶色の髪をしたリコミットという少女だった。
今年入学したばかりの白を基調とした制服は泥に汚れて、どれだけ森の中にいたのか草の緑が滲んでいる。ズボンの裾は特に泥に塗れて茶色に染まり、引っ掛けたのか裂けている。
「かっ……! だ……! ぐ……げほっ! ごほっ!」
「まだ追いかけてくる! 追い掛けてくるよぅ!!」
「……! ぢ、ぢぐじょう……!」
疲労と寝不足で染みついた隈が目立つ目は肩越しに背後を見た。
朝靄の中でゆらりとぶれる風景。その中に一瞬だけ見る馬型の魔獣のシルエット。そして混じって聞こえてくる大勢の猿型の魔獣の声。
ここはマナリル東部のとある山の中だった。春になって生い茂り、日差しも半分しか届いていない深い森。
人間の支配が及ばぬ自然の中、異物である人間二人は必死にこの山の住人から逃げている。
一体はユニコールという大型の白馬の魔獣。森の中に白馬? と違和感を持つかもしれないが……この魔獣は周囲の風景を偽装したり、周囲の景色と同化できる能力を持つ魔獣である。
率いているのは小型の猿のような魔獣であり、数はそれなりに多かった。
ユニコールは本来他の魔獣を率いる事は無いが、過剰魔力によって力が増した結果他の魔獣を従えているようだった。
「足が止まるのを待ってる……! 待ってるんだ……! 今日まで何もしてこなかったのは私達が動けなくなるまで体力を削ってたんだよぅ……!」
「っ……! ぞ……!」
発端はベラルタ魔法学院のポピュラーな課題でもある実地任務をフィンが難易度の高いものを選んだからだった。
過剰魔力によって暴走する魔獣の調査報告……それ自体は一年生にも任される実地任務としてはおかしくない。人里での被害状況、農作物を狙っているのか人を狙っているのか、人里に姿を現すルートなどを調査して報告する。
一年生に任されるのは調査までだ。いくらエリートが集う魔法学院に入学した人材だからといって、過剰魔力で暴走した魔獣を討伐させる事は無い。それほどに暴走した魔獣は危険であり、だからこそ事前の調査が必要になってくる。
だがたまに実力を過信し……調査の延長を行おうとする愚かな生徒もいる。
その結果がこれだった。
四人で任務にあたっていたフィンのグループは被害の少なさから相手の戦力を過小評価し、魔獣を討伐すべく山に入った。
その結果、標的である魔獣ユニコールの能力によって山を迷わされ、四人だったグループは分断され、あっけなく遭難した。
助けを求めて叫び続けたフィンの喉は枯れ、一緒にいたリコミットの体力も残り少ない。機を待っていた魔獣達はその疲れ切った人間二人に止めを刺すべく追いかけてきている。
「他の二人もやられ……! やられちゃったのかなぁ……!」
「……」
涙ぐむリコミットに何も言えないフィン。
彼の喉は干上がっていて自身の独断が招いた残酷の結末を否定する声すら残っていない。
これは狩りだ。
自分達が狩る側だと思い込んでいた愚かな人間が憐れな獲物にされている。
……魔獣の目は物語っている。
何を勘違いしている人間共。文明という盾に隠れ、ひたすらに数増やして繁栄した矮小な生き物が……知識も無しに自然のフィールドで生き残れると思ったか?
「あぐ!」
「げほっ!」
蔓に足を取られて走る勢いのままに転ぶ二人。
山中を走る事に慣れておらず、疲労が蓄積した二人にはとどめとなった。
泥塗れになり、立ち上がる体力も無い。
追い掛けてきた魔獣達の声が大きくなっていく。その声には獲物を捕らえた優越感が混じり、どんどんと大きくなっていく。
「あ……あ……!」
「おえ……!」
絶望を感じながら起き上がったその瞬間、二人の視界に閃光が走った。
「見つけた」
「ひっ!?」
「……!?」
目の前に現れたのは白く輝く獣だった。
その姿に脅え、リコミットは目を閉じる。もう一度目を開けて人間だと気付いた。フィンはただ見上げる事しかできなかった。
その人間は日差しすらほとんど届かない山中で光り輝いていて、自分達と同じく白を基調としたベラルタ魔法学院の制服を着ている。
両腕に走る魔力の線から伸びる光は爪となっていて、獣を纏ったようなその姿は二足歩行でありながら本物の獣と見間違えるような迫力があった。
「よかった、無事みたいだね」
「ええ、間一髪という所でしょうか」
「やっぱベネッタの目に頼って正解だったわね。大丈夫なの?」
「うん、見る時間短かったし全然大丈夫ー」
周囲の全てが敵だと感じていた自然の中、起き上がるのすら諦めかけていた二人の下にぞくぞくと到着する白い制服。
どこから現れたのか自分達とは違って落ち着いていて、その佇まいには余裕があった。
「ベラルタの制……服……! うっ……うああ!!」
来るはずの無い助けが五人……突如現れた人間に安堵したのか、リコミットは泣き出してしまう。
「もう大丈夫ですよ。あなた方のお仲間も救出済みです」
「わ、わたし……! わだじぃ……!」
「よしよし……恐かったですね」
自分を抱き締めてくれた相手の素性も知らず、その声に安心を覚えてリコミットは泣きじゃくる。
水色の混じった綺麗な銀髪に自分より小柄にも関わらず海のような雄大さを感じる落ち着く声、自然の中ですら輝きを持つ美貌と落ち着く花の香りがする少女にリコミットは子供のように抱き着いていた。
「ミスティのほうはその様子なら大丈夫だな。まずいのは男のほうだ。声も出せなくなるほど衰弱してる」
「水飲ませるねー!」
「駄目だベネッタ、急に飲ませるな。布に染み込ませて口元に当てるんだ。そのまま飲ませると誤嚥して窒息するかもしれない」
「任せてー!」
ベネッタは起き上がれないほど衰弱した泥塗れのフィンを躊躇なく抱き寄せ、冷えた体を温めながら言われた通りにハンカチに水を染み込ませて口元に当て始める。
突然増えた五人を警戒してか、小型の猿のような魔獣は木の上で様子見をしていて襲い掛かる事はしない。
しかし、風景を歪曲させて自然の中に隠れていた魔獣ユニコールだけは増えた獲物に目を血走らせていた。蹄は何度も地を蹴り、怒り狂ったように嘶いている。
「馬のような魔獣と聞いていたがユニコールか。なるほど、遭難したのも頷ける」
「知ってるのかい?」
「ああ、カレッラにもいる。もう少し小さいがな。あれは過剰魔力で明らかに肥大化してる。二メートルはあるな」
「なるほどね。それで、どうすんのアルム?」
ルクスとエルミラが指示を仰ぐ。
アルムは頭の中で状況を整理し、冷静に口を開いた。
「ミスティとベネッタはそのまま遭難者の護衛と治癒、ルクスは猿の魔獣を。過剰魔力になってないからなるべく殺さず、人里に下りてこないように少し痛めつけてくれ。エルミラは全体の警戒だ。状況に応じてフォローを頼む」
「お任せ下さいアルム」
「守るのは得意だよー!」
「ちぇ、森の中だから仕方ないか」
「アルムは?」
ルクスが問うとアルムは景色の中に同化しているはずの魔獣ユニコールを見据える。
知ってか知らずかアルムと魔獣ユニコールの目が合う。
過剰魔力の暴走の中、アルムの目を見て魔獣ユニコールは気付いてしまった。
自分達がしていた一方的な狩りは今終わった事に。
「『幻獣刻印』を使ったからな。丁度いいからユニコールは俺が請け負う」
「了解。任せたよ」
「ああ、すぐに終わらせよう」
爆ぜるように地を蹴る白い獣。光の軌跡が暗い森を描いて走る。
自然という優位なフィールドで自分達を嬲っていた魔獣達が蹴散らされていく様子を、今年入学したばかりのフィンとリコミットは守られながら目に焼き付ける事となった。
自分達の先輩……ベラルタ魔法学院の三年生となったアルム達の姿と共に。
いつも読んでくださってありがとうございます。
お待たせしました。第九部『呪われた魔法使いとお姫様』の更新開始となります。
アルム達も三年生になりました。




