プロローグ -来訪に備えよ-
「まずい事になったね……」
激動の冬が過ぎて顔を出すは春。
春寒の残る空気を陽気な日差しが暖め始め、柔らかい風が幼い芽吹きを揺らす季節だ。
動植物が生き生きと活動し始めるこの季節は人間であっても例外はなく……冬に比べてここ研鑽街ベラルタの人々もこころなしか通りの賑わいが一層目立つ。
そんな季節だというのに、ベラルタの中心であるここベラルタ魔法学院の学院長室の空気はぴりぴりと緊張が走っていた。
学院長オウグス・ラヴァーギュと教師ヴァン・アルベールの表情は険しい。
ヴァンのほうはともかくいつも余裕の薄笑いを見せているオウグスのほうまでこの表情は珍しい。
「ええ、非常にまずい事になりましたが……これは国王直々の通達です。無視するわけにはいきません」
「わかっているさ……くそ、私が手塩に掛けて育ててあげたというのに何故こんな面倒事を丸投げしてくるような性格の悪い人間になったんだか……」
「そのせいでは……?」
訝し気な視線を向けるヴァンを無視してオウグスは続ける。
「しかし何故このタイミングで訪問してくるんだろうねぇ……? ダブラマでの一件がようやく片付きそうだというのに……。心当たりはあるかい? ヴァン?」
「……これは学院長が求めてる答えと若干外れているかもしれませんが、向こうの学院を卒業した事での時間的余裕が一因であるかと」
「ふむ。なるほどねぇ……そうか、去年まではタトリズの三年生だったから今年はもう卒業してるのか。今まで学業にあてていた時間が空くから直接視察っていう名目で訪問できる、と。
ああ、面倒臭いなぁ……。頼むから普通に王都に行ってほしいよ……ほんと勘弁してほしいねぇ……私王族の相手とか苦手なんだから……」
「いや、あなたカルセシス様の元教育係でしょう」
「カルセシスはまだ子供だったからさぁ……こーんなちっちゃい時だったから」
オウグスは床から一メートルほどの高さで手の平を置いて、何もない場所をわしゃわしゃと激しく撫でるように動かす。
オウグスの記憶の中で幼少の頃のマナリル国王カルセシスの髪をぐしゃぐしゃに乱れさせているのだろう。
そんな事したら投獄されるぞ、とヴァンは苦笑いを浮かべた。
「目的まではやはりわからないねぇ……今年の留学メンバーの視察という名目だが、それだけなはずはない」
オウグスは机の上に置かれた王都からの命令書を手に取る。
内容の面倒臭さに、先程まで穴が空くほど見たものだ。
「"ガザス女王ラーニャ・シャファク・リヴェルペラによるベラルタ魔法学院の視察訪問"……こんなイベントを何故許しちゃうのかねぇ……。必要に応じて王都から人材を支援するとは書いてあるけれど、実質お前らだけで頑張れって言ってるようなもんだよこれは」
「ですが、邪険にするわけにもいきません。ガザスとの関係は維持しなければ」
「わかっているとも。ガザスとの関係を崩すのはデメリットが大きすぎる……なんとしても気持ちよくここに滞在して貰って、気持ちよく帰ってもらわなければいけない。これは絶対だとも」
真剣な表情をしたままオウグスは億劫そうにため息をつく。
「だが問題はここが接待に向かないという点だ」
「当然といえば当然ですが、ここは教育機関……そして健全な学生の育成の為にと作られた町ですから」
「そうなんだ……遊び心や娯楽がベラルタには圧倒的に足りない……。いわゆる夜の街も用意できるが……色にかまけるようなちゃらんぽらんな人柄は無いんだろう?」
「そもそも女王ですし……しかも学院を卒業したばかりの十八歳なはずです。品行方正と言うに相応しい振る舞いでしたし、国の為なら汚い手も使えるのでそれを理由に色々マナリルが要求されれば……」
「間違いなく……私達のクビはとぶ。最低でも左遷は免れない……!」
オウグスはいつものような余裕ある表情を浮かべているが、本人に余裕は無い。
今回のミッションはオウグスにとって魔法使いや魔獣との戦闘よりも難題だ。貴族でありながら貴族同士のコミュニケーションをてきとうにやってきたオウグスにとって他国の王族の接待というのは苦手中の苦手分野である。
「んふふふ……! どうやらやるしかないようだねえ……」
「では……例の計画を実行するということで?」
ヴァンが尋ねるとオウグスは頷く。
訪問中、常に自分が応対し続ければいずれボロが出る。
ならば自分以外が応対するに自然な状況を作り上げる。そう、学院全体を巻き込んでしまおうではないか。
「そう……やるしかない。他の学校なるものでは当たり前に行われているという幻のイベント……"学園祭"なるものを!!」
オウグスは命令書をぐしゃっと握りつぶしながら、覚悟を決めたような表情を浮かべた。
全ての生徒を巻き込み、イベントの為にと忙しなくさせる事によって多少の無礼に目を瞑ってもらおうという汚い魂胆を決行する決意をする。
「いや、学院だから学院祭になるのかな……?」
「その点も含めて……資料をかき集める必要がありそうですね」
「頼むよヴァン。私達にとってはあまりに未知数だ……なにせ私達は一度もそんなイベントに参加した事が無い。迅速な情報収集が命運を分ける」
至極真面目な表情で二人は今後を話し合う。
「では……生徒の誰にエスコートさせましょう?」
「愚問だよヴァン。当然、あの子しかいないだろう?」
オウグスとヴァン、共に頭に思い浮かぶのは心強い味方の顔。
当然、出自に不安は残る。
しかし、女王の相手に相応しい実績をガザスで残し、信頼されている少年がベラルタには一人いる。
いつも読んでくださってありがとうございます。
更新開始は次の月曜日からになりますが、予告を兼ねたプロローグとなります。
ここからは第九部『呪われた魔法使いとお姫様』となります。
読者の皆様、どうか応援のほどよろしくお願い致します。




