番外 -会いに行こう-
「おいおいあんたぁ! どこ行くんだい!?」
ラクダに乗って通りすがった旅人のような男性に声をかけられた。
一人歩く私を見ながら心配そうな表情を浮かべていて、市井を探せばいるようなありふれた善人だというのがわかる。
いえ……破れた服のまま血を流した女が一人、周りが自然に囲まれた渓谷を歩いていれば悪人でも気になるでしょうか。
「盗賊にでもやられたのか!? それとも魔獣がこの先にいるんかい!?」
「いいえ、もう誰もいませんよ」
サルガタナスの子は去っていき、日食の中に浮かぶ悪神の瞳も消えた。
この先にあるのは激しい戦闘の跡だけ。
馬車では難しいかもしれませんが、馬やラクダであれば問題なく通る事ができるでしょう。
「じゃ、じゃあその怪我どうしたんだい!?」
「御心配には及びません。あなたの旅路を遮るものは、きっと何もありませんよ」
気まぐれに見た"答え"にはこの旅人が無事王都に着くのが見える。
仕事を求めているようだが、今の王都なら仕事はいくらでもあるだろう。
破壊された城壁の再建や戦いの余波で崩れた家屋の修理などいくら人手があってもいい状態だ。
「私はもう、旅人の前に立ち塞がるのはやめましたから」
「は、はぁ……?」
「それでは。よい旅路を」
私は旅人に笑い掛けると、再び歩き始めた。
これ以上会話する必要もない。
けれど、最後の会話が旅人相手というのは何とも私らしい。
私はつくづくそういう怪物だと実感した。
「それもこれも、王の理想が敗れたからこそですが」
日食の中に浮かぶあの瞳が消滅した。
世界は転生しなかった。
不安定にゆらめく"答え"の先に、まさかこのような結末が待っているとは思いませんでした。
彼女は分岐点に立つ者ではなかった。
アオイのような、アブデラのような、アルムのような。
その在り方と生涯の先で、この世界を変える"答え"の前に立たない生命のはずだった。
それがまさか、最後の最後で走り込んでくるなんて。
「これだから……人間というのは面白いものです……」
オイディプスと出会わなければこんな事を思う事すら無かったでしょう。
最初の生は、ただ神々に命じられるだけの人形だった。
崇められる神獣では感じなかった。
恐れられる怪物ではこうは思わなかった。
ただの伝承のままでは何もできなかった。
彼の死を嘆いた時に、私はようやく一つの生命として始まったのだ。
第二の生で……魔法生命になってようやく、自分の信念と意思をもって動けたのだ。
人間に平等でありながら、後悔の無い生涯を今度こそ。
旅人の死に嘆く怪物はもういない。背中を見送った事に後悔する女は、もういない。
スピンクスという名を、彼に呼ばれたこの名を持った一つの生命はここにいる。
「この渓谷は……私がいた場所に似ているかと思ったら似ていませんね」
谷底に流れる川のせせらぎ。
恐れて逃げた鳥達が渓谷に帰ってくる羽ばたきの音。
そんな自然に囲まれながら私はただ歩き続ける。
呆としながらただ歩いた。
番人としてあの山頂にただ居座っていた時には無い心地よさがあった。
彼と過ごしていた日々のような、心地よさが。
「……この辺でいいでしょうか」
私はある程度渓谷の道を上っていくと、安全の為に建てられた柵を跨いで崖のほうへといった。
誰も見ていない事を確認して、谷底のほうへと目をやる。
「ええ、これなら大丈夫でしょう」
もう私にやれる事はない。
喉が干上がりそうな渇きと飢えに耐えてきましたが、これ以上は限界が来るでしょう。
鬼胎属性の衝動が人を喰らえと、人を殺せと鼓動し続けている。
理性を失った怪物に成り下がり、人を襲って恐怖を浴び、人肉を喰らって血を啜れば私はまだ生き残れる。
……冗談ではありません。
私はスピンクスという生命のやるべき事を為しました。
最初の生に無かった己の道を見つけ、そして進んだのです。
私は魔法生命となって誓った。
オイディプスに恥じない友で在り続けると。
それこそが、私が誓った唯一の不公平。
今更ただの怪物に成り下がるなど私自身が許せない。
だからこれは自然な選択。
私の道の先にあった終点に辿り着いただけの事。
第二の生におけるスピンクスという生命が選ぶ結末。
方法は最初から決めていました。
中途半端に生き残れば理性を失う可能性がある。なので、確実に。
今も伝わっている伝承のように……私はまた飛び降りて、岩に叩きつけられて死ぬのが相応しい。
「人に討伐されるわけでもなく、英雄に首をかかげられるわけでもない……思えば何と地味な怪物でしょうか」
二度目となる怪物らしからぬ自分の最後が少しおかしくて、私はくすっと笑いながらその身を崖から投げた。
死ぬのも悪くない。
死ねば彼の魂に会いに行けるかもしれません。
あの山頂に彼が来た時みたいに、今度は私が彼の下に行ってみよう。
「さようなら皆様方。どうか、悔いのない旅路をお送りください」
これがスピンクスという魔法生命の最後。第二の生で選んだ結末。
オイディプス……私はあなたの友に恥じない生き方ができていたでしょうか?
"答え"はもう浮かばない。だから、直接聞きに行こう。
あなたという星に会いに行くために私は第二の生を閉じる。
あの日あなたと一緒に見上げた――流れ星のように。
ぐしゃりという音が渓谷に響いて、すぐに消えていった。
まるで次の目的地に胸を躍らせて旅立つ……旅人の足音のように。
いつも読んでくださってありがとうございます。
番外その1です。




