エピローグ -夢見た明日-
「残念です……。もう少しご一緒したかったのですが……」
「まぁ、仕方ないな。観光をしに来たわけじゃないから」
「というか、いつまでもダブラマにいるから不安なんだろあちらの王様は」
アブデラ討伐から三週間が経とうとした頃。
ベネッタの体の検査も終わり、ラティファからの話も終わったアルム達はリオネッタ領にいた。
これから大変になるダブラマでいつまでも部外者の相手をさせてはいけないというのと、マナリル国王カルセシスからの帰還命令が出たからである。
ヴァンやサンベリーナ達はすでにヴァルフトの血統魔法によってマナリルへと帰ってしまっている。
マリツィアとルトゥーラが見送りに来ているが、本来なら今のダブラマでこの二人を見送りのために来させるというのがすでにダブラマにとっては損失だ。
しかし、アルム達の見送りとあらばと仕事を溜めたまま着いてきてくれたのである。
「あんたら大丈夫なの?」
エルミラが聞くと、マリツィアとルトゥーラは光を失った目で遠くを見る。
「大丈夫ではありません。これから大丈夫にするんです」
「帰ったら気合いが物を言うな……やらなきゃいけない事が多すぎる。王家直属の後任も決めなきゃいかんわ、部隊の整理、異動手続き、被害地区の復興、霊脈調査に関係者の洗い出しも終わってねえ……戻ってきた女王様の下でこき使われる人生が待ってる」
「あはは、あんたらが選んだのよ。諦めなさい」
ルトゥーラは自分の未来を哀れに思って両肩を落とす。
しかしそれは絶望からではない。その忙しさの全てが、闇に包まれていた故郷に、ようやく差し込んできた光を拾い上げる一歩なのだとわかった上でのことだ。
「じゃあなマリツィア。あんまり役に立てなくてすまなかった」
「とんでもございませんアルム様。この御恩はまたいずれお返しさせてください」
「マリツィアさん、ラティファ様にはどうぞ無理をなさいませんようお伝えください」
「はい、ミスティ様。ラティファ様も後日ミスティ様とももっとお話ししたいと仰っておられましたので必ずやお時間を作れるように粉骨砕身……お仕事を片付けようと思います」
「うふふ。楽しみにしております」
「ルトゥーラ殿、また会う時があればダブラマの雷属性の使い手を何人か紹介できないでしょうか?」
「ボクもボクもー! 魔法教えてー!」
「教えるわけねえだろ! 一応敵国なんだぞ俺らは! 今回の共同戦線が異例なんだっつーの!」
「あ、そっか……忘れてたー」
「僕もつい……」
「ベネッタはともかくルクスまで……ほら行くわよ」
「はーい」
二人に見送られながら五人は順番に馬車に乗り込んでいく。
全員が乗り終わり、マリツィアが御者のハハに合図を送った。
「マリツィアさん! ルトゥーラさん!」
「どうしたのでしょう……?」
「あん?」
馬車が動き始めたかと思うと、馬車の小窓からベネッタが身を乗り出す。
その目が開かれる事はないが、ベネッタは二人に向けて手を振った。
「ボクね……ダブラマに来てよかったー! 本当に後悔してないよ!」
「ベネッタ……様……!」
「お世話になりましたー! また来るねー!」
馬車の走る音と共に遠ざかっていく満面の笑み。
マリツィアが涙を流している事など知らず、ベネッタは手を振り続ける。
小窓の端からベネッタに釣られるように、アルム達もマリツィアとルトゥーラ向けて手を振っていた。
ダブラマを救った英雄とは思えない……あまりに近しい人間同士のような別れ。
少女はただ等身大の自分のまま自分が救った国を去っていく。
「両目を失って後悔してねえだとよ……小娘に見えて、でっけえ嬢ちゃんだったなおい」
「ええ……本当に」
遠くを見れば小さくなっていく馬車。
地面に走るは英雄の轍。
砂塵吹く地は呪詛から解放されて聖女を見送る。
「それにしてもマリツィア……お前、泣くようになったなあ……」
「別にいいでしょう? もうこの国で張り詰め続けている必要はないのですから」
ようこそダブラマへ。
遠くに聞こえるは活気あふれる民の声。
近くに見るは美しい砂の国。
ここは多くの自然が守られる国。砂漠も渓谷も海も、全てが国を守ってくれる。
ここにいたのは誇り高き魔法使い達。巨悪に立ち向かう聖女とその友人達。
最高の王様の下で、この国は一から始まる。語り継がれる物語を一つ増やして。
さあ、ようこそダブラマへ。
今日も暮らそう。この国で。
毎日を生きよう。この国で。
ここは呪いから解放された安住の地。
狂った歯車が元に戻った国。
絶望する真実などどこにもない。
慌ただしい毎日は本当の理想への一歩。
吹く砂塵は女王の鼻歌。
幸福に向けて始まっていく楽園の土台。
「見ていますか? シャーリー? あの方々が、私の新しい友人です」
さあ、ようこそ砂塵要塞ダブラマへ。
どうかまたいつか。この国はいつだって友の来訪を待っている。
「ほら、起きなさい」
「んんー……?」
「着いたわよ、ほら」
「んあ……?」
エルミラの声で目を覚ます。
あ、そうだ。目を開けても見えないんだった。
長旅で疲れた体はまだ睡眠を欲している。
「えうみあぁ……?」
「ったく、ベネッタったら何ぼーっとしてんのよ」
そこで頭がはっきりと目覚めた。
揺れが無い。馬車が走る音も無い。
そして、どこか知っているような声がボクの意識を覚醒させる。
ここはどこ?
どこに着いたっていうんだろう?
次々と近くにいる気配が離れていく。
でもそれはボクが一人ぼっちになるわけじゃなくて、ただ順番に帰ってるだけな気がした。
「ギリギリまで寝てたのかい? ベネッタらしいね」
「ルクスくん……?」
「うふふ、ベネッタったら寝ぼけてますの?」
「ミスティ……?」
知っている声だった。
知っている会話だった。
見えていないはずなのに、ボクの瞼の下にはっきりと映るあの光景。
ボクはみんなの声に釣られて、よろよろと立ち上がった。
ああ、行かなきゃ。
ボクがあの日夢見た明日がここにある。
「大丈夫か? ベネッタ?」
ボクはその声と一緒に差し出されたであろう手をとって馬車を降りる。
知っている匂いが漂ってくる。知っている喧噪が聞こえてくる。
たとえ目が見えなくても、ボクたちの日常がある場所だと確信してつい頬が緩んでしまう。
そうだ。そうだった。ボク達は帰ってきたんだ。
ダブラマの日常を取り戻して、ボク達の日常の中に。
「アルムくん……?」
「ん? ああ、そうだ」
アルムくんに手を引かれて、ボクはゆっくりと馬車を降りる。
ダブラマから王都に報告に行って……それで、ボク達は帰ってきたんだ。
今日までの長旅で体のそこら中が痛い。
けれど、胸の中で湧き上がる喜びだけは止まらない。
「んー……! ベラルタに帰ってくるのめちゃくちゃ久しぶりね!」
「そうだね、大分離れてたから部屋を掃除しないとなぁ」
「うふふ、まずは体を休めるのが先決ですわ」
「ミスティはいいわよねぇ……ラナさんが管理してくれてるだろうし」
「ラナは掃除も完璧ですから」
「寮暮らしの辛いところだわ……まぁ、うちに使用人なんていないんだけど」
ボクが欲しかったものがここにはある。
ボクが貰った光景がここにある。
他愛無い会話をしながらきっと、ミスティ達は城門をくぐるのだろう。
「帰ってきたんだ……」
無意識に口元が緩む。
今のボクには見えないけれど、それでも十分すぎるくらいわかる。
研鑽街ベラルタ。
ボクがみんなと出会った場所に、ボク達はようやく帰ってきた。
ここに来たから、ボクは誇らしく今を生きられる。
ここに来たから、ボクはみんなと友達になれた。
今までずっとみんなの背中が見えない場所で隠れていただけだったけれど……今はもう違うんだ。
「行こう、ベネッタ」
アルムくんのその声を聞いて、ボクの口元はもうこれ以上無いってくらいに上がっていた。
ボクが見たあの日の光景は幻想なんかじゃなく、自分で叶えた現実だったんだって。
「うん!!」
「おっと……! お、おい、大丈夫なのか!?」
ボクの手を取ってくれていたアルムくんの手を引っ張って、ボクは先を歩くミスティ達に向かって走り出す。
目が見えない不安なんかどこかに忘れて、ボクは駆け出す事ができていた。
「ちょ!? あんた危ないでしょうが!」
「何でアルムがベネッタに引っ張られてるんだい!?」
「いや、なんかこうなってて……」
「べ、ベネッタ! お気を確かに!」
「えへへー! 大丈夫大丈夫ー!」
ボクがいたい場所、ボクが失いたくない人達がいる場所にボクは走っていく。
きっとこれからもずっと。
胸を張って、大好きな四人の隣へ走っていく。
みんなの隣に立つ翡翠色の幸福に向けて。
――今日もボクは走っていく。
第八部『翡翠色のエフティヒア』完結となります。
長いこの作品において五部に続く長さにお付き合い頂きまずは読者の皆様に感謝を!
第八部完結という事でまだブックマークされていない方、評価をしていない方はこれを機にしてくださると嬉しいです。
そしてよろしければ感想のほうを頂けると嬉しいです。感想では質問も受け付けておりますので是非お願い致します。
次の更新からは何個か番外を書いた後、第八部についてあとがきを改めて更新します。
第八部もこの作品における一区切りの一つであり、それについて少し書くだけですので本編だけを読みたい方は飛ばしてしまっても構いません。
その後、予告がてら第九部のプロローグを更新致します。例のごとくまだお話は終わっていませんが、残すは第九部と第十部の二つとなりました。どうぞ応援してやってください。
これからも白の平民魔法使いをよろしくお願い致します。




