615.貴殿の名をここに
「よく来てくれた三人共」
ベネッタの生還から数日経って……アルム、ルクス、ベネッタの三人は玉座の間に招かれた。
マリツィア達の戦闘によって壁や床のあちこちが破壊されていて部屋というには少し風通しが良すぎるが、玉座に座るラティファが醸し出す高貴さだけで十分だった。
ラティファは初めて会った時のような生気を失ったような雰囲気はどこにもなく、凛とした表情で玉座に座る姿は別人のようだった。むしろこれがラティファの素なのだろう。
三人は自然と、切り刻まれたカーペットの上に膝をつく。
「まだ修復もすんでいないのにお呼び立てして申し訳ございません。ですが、お時間がないということでご容赦ください」
玉座の隣にはマリツィアがおり、側近として補佐についている。
記録用魔石を手に持っており、記録を取る準備をしているようだった。
「ダブラマが落ち着くのを待ってからではいつまで経っても君達が帰る事ができないであろう? ベネッタ殿の体の検査も終わった事だし、カルセシス殿からも帰国命令が出ているはずだ。ダブラマの次期王としてダブラマを救った礼を公的にしなければと思ってな」
「何で三人だけなんだ? あ、いや、何でしょうか?」
「そのままでもよいぞアルム。言いたい事はわかる……だが、公的な場で礼をするとなると君達三人だけにするしかないのだ」
ラティファの答えにアルムは首を傾げる。
すかさずルクスがアルムに耳打ちした。
「アルム……忘れてるんだと思うけど、マナリルの使者として公式にダブラマに来ているはずなのは僕達三人だけなんだ。ミスティ殿とエルミラはマリツィア殿の手引きでこっそり入国しただけだし、ヴァン先生やサンベリーナ殿達に至っては不法入国だから……」
「あ、そうか」
「貴殿らがダブラマにしてくれた善行に外部からケチをつかせない為にも君達三人だけに礼を述べる事を許してほしい。他の者にはダブラマが落ち着いた頃にでもカルセシス殿と連絡を取り合って個人的な礼をさせてもらうつもりだ。すまない」
「ラティファ様……!」
そう言ってラティファは頭を下げる。
玉座に座る者が絶対にしてはいけないが、謝罪と感謝の混じったその行いはマリツィアも咎める事はできなかった。
出来る事といえば、記録用魔石の魔力をカットする事だけだった。
ラティファが頭を上げるとマリツィアは再び記録用魔石に魔力を通して記録を再開する。
「それなら、自分達も今何かを頂くというのはちょっと……」
「うん、そうだね」
「ほう、欲が無いな」
「それに自分達は大した事はしていません。マリツィアの熱意でここに来たようなものですから」
「だそうだぞ? マリツィア?」
ラティファがくすっと笑いながら隣のマリツィアを見ると、マリツィアは無言でぶんぶんと首を横に振った。
視線が集まって俯いたマリツィアは珍しく頬を赤らめている。
「あ、じゃあボクは欲しい褒美があるのですが……」
そんなやり取りを聞いてベネッタが恐る恐る手を上げた。
「ほう、言ってみよベネッタ殿」
「そのー……マナリルとは敵国ですけど、休戦が終わってもマリツィアさんと会えるようにしてほしいなぁって……だ、駄目でしょうかー?」
「べ、ベネッタ様……!」
およそ褒美とは思えないベネッタからの微笑ましい要求と慌てるマリツィアにラティファはつい笑みが零れる。
呪法で支配されていた時には決して見られない表情だった。
「ふふふ、愛されているなマリツィア。敵国の人物と友好的になれるのは丁寧な交渉を繰り返して信頼を得た手腕によるものだろう。誇るといい」
「勿体ないお言葉です……最初は普通に戦っていたんですが、何の縁かこのようになっていまして……予想外でした……」
「ふむ、叶えてやりたいが……その件はマナリルの事情も絡んでしまう。今はマナリルに使者を送る際はなるべくマリツィアを指名するという事で納得して貰えないか? 逆にベネッタ殿がダブラマに来る事があれば、望むならマリツィアの時間を空けさせよう」
「はい! ありがとうございます!」
満面の笑みを見せるベネッタを見て、ラティファは目を閉じる。
元々、ダブラマに恩を売ろうと動いたわけではないだろう。そんな浅はかな願いでアブデラと魔法生命に立ち向かえるわけがない。
しかし、こうして褒美を与えるという場ですら欲を出そうとしない。
成し遂げた偉業からは想像もつかない無垢な願いにラティファは自然と頭が下がりそうになる。
(このような少女が……私の愛する国を救ってくれたのか)
そして羨ましくもあった。このような魔法使いの芽がマナリルにいる事が。
「時に……貴殿らは知っているか?」
「え?」
「何をでしょう?」
「ダブラマ王家に仕える魔法使い……マリツィアやルトゥーラのような王家直属の面々に二つ名が与えられる理由だ」
マリツィアやルトゥーラにはそれぞれ魔法使いとしての在り方を表すような二つ名が付けられている。
まるで魔法のヒントを与えているようでメリットは無いように思えるが、名前よりも印象の強い存在の流布。つまりは他国への威嚇、強力な魔法使いがダブラマにいるという事を強く認知させるという意味で有効だ。
しかし、それ以外にも理由がある。
「少しでも、忘れない為なのだ」
「忘れない為……?」
「そうだ。人の名は記録の彼方に消えていく。王族であればそのまま残るだろうが……王族に仕える魔法使いは本来ただの貴族。目立った功績が無ければ忘れ去られてしまう。ただ記されただけの名前は遠い未来で必要無いと消されてしまうかもしれない。
だから、我々はダブラマの為に生き、ダブラマ王家に仕えた魔法使い達にもう一つの名を付けて記録するのだ。遠い未来にも、この魔法使いは偉大だったのだと一目でわかるように」
そう言って、ラティファは玉座から立ち上がった。
「ら、ラティファ……様?」
「ベネッタ殿。ダブラマを救う義理も無い貴殿が見せた姿は我々ダブラマの民に愛を与えてくれた」
「あ、愛だなんて……ボクは自分の為に……」
「それでも、我々は貴殿の行動に愛を感じている。貴殿の行動が私達を救った。私を救ってくれた。たとえ貴殿にそんな気が無かったとしても、私達は貴殿の姿から受け取ったのだ」
ラティファはベネッタの前まで歩いてくると、自ら膝をついてベネッタと目線を合わせる。
ベネッタからラティファの姿は見えないが、目の前にいるという事は何となくわかっていた。
「だから、私からも贈らせてほしい。この場は公的と言ったが、これは私の我が儘だ。私の愛するダブラマを救ってくれたベネッタ殿に……どうか精一杯の敬意と感謝を受け取ってほしい」
「は、はい……」
「ダブラマ国王の王権をここに。かの者に名を贈ろう」
ラティファは言いながら、ベネッタの手をとった。
少し緊張しているのかベネッタはラティファの手をきゅっと握る。
「ラティファ・セルダール・パルミュラより……魔法使いベネッタ・ニードロスへ。
かの者に贈るのは『聖女』の名。国を救い、民を救い、正しき行いによって巨悪を退け、無償の愛を人々に届けた偉大なる魔法使いの証をこのダブラマに永劫残そう。
『聖女』ベネッタ・ニードロス。ダブラマ国王ラティファ・セルダール・パルミュラの名に於いて、その名をダブラマの歴史に刻むことをここに誓う。異国より訪れた偉大なる魔法使いとして、そして我らの愛する尊き友人として。その偉業を未来にも届けよう」
玉座の間に響くラティファの宣誓。
他国の魔法使い、しかも現時点では敵国の魔法使いの名を必ずこの国の歴史に残すという王からの約束。
そしてベネッタに贈られた二つ名がしっかりとマリツィアの持つ記録用魔石に記録された。
アルムはよくわかっていないようだったが、ルクスはその異例のはからいに驚愕を隠し切れない。
「本当に、ありがとう……! 貴殿のお陰でここは、私の愛したダブラマでいられる……! ここからまた、始められる……!」
自身の持つ権力を使って、ラティファは最大限の感謝を贈った。
百年の支配からダブラマを解放してくれた、ラティファ達にとっての本物の聖女へ向けて。
その宣誓が終わって、女王らしい振る舞いは湿った空気と共に消えていく。
ラティファの口から聞こえるのは涙に震える声。ベネッタの手が強く、強く握られる。
出てきた言葉は女王としてではなく、恐怖から解放された一人の人間の声だった。
「ほ、ほら……困った時はお互い様ですから……、だから泣かないでください。ボクは当たり前の事をしただけですから」
照れくさそうにそんな一般論を口にして、ベネッタはラティファの手を握り返す。
震える肩に威厳は無い。落ちる涙は自分達が流す涙と変わらない。
小さな子供にもう終わったんだよ、と伝えるようにベネッタはゆっくりとラティファに体を寄せる。
百年間、呪詛に体と精神を蝕まれた女王は解放の安堵を改めて実感して……涙を流しながらベネッタに感謝の言葉を伝え続けた。
何度も。何度も。何度でも。
どれだけ伝えても伝えきれない感謝をベネッタは頷いて、ラティファが落ち着くまで受け止め続けていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
次の更新でエピローグになります。




