612.四人
「エルミラ……大丈夫かい?」
「大丈夫……流石にこれだけ経てば涙も枯れるわよ……」
エルミラはベッドに横たわって、来訪者であるルクスに背を向けていた。
砂塵解放戦線によるアブデラ勢力討伐から数日。
アルム達は今回の戦いの功労者として王城セルダールに用意された客室に招待されていた。
アブデラ討伐によってダブラマ国内には激震が走り、アブデラ派閥にいた何も知らない貴族達がルトゥーラやマリツィアを反逆者として糾弾するも、呪法から解放されて目覚めたラティファがこの百年アブデラが国家転覆のためにこの国に何をしてきたのかを公にし、第一位『女王陛下』であるラティファがマリツィア側についているという事もあって今回の戦いにおける正統性が証明された。
なにより……生贄にされかけた民衆がマリツィア達を支持しており、力の無い地方貴族もアブデラによる不当な貴族処刑に怯えていたのもあって、次々と空位となった王位をラティファに任せる事に肯定的な声明を発表。
今までアブデラに怯えて黙っている事しか出来なかった鬱憤を晴らすようにラティファを推す声は大きくなり、アブデラ派閥にいた貴族達は次々と口を閉じていくことになる。
王城セルダールに残った資料を基にアブデラの計画を知っており積極的に協力してきた家も複数あった事も判明しており、ダブラマ国内が落ち着きを取り戻せば相応の裁きを受けることになるだろう。
百年間支配されていたダブラマの悪夢は終わったのだ。
真の女王は百年ぶりに玉座に戻り、これから本当のダブラマが始まる。
その悪夢を見事塗り潰した……少女の姿だけが消えたまま。
「ほら、食堂に行って食べないと……せっかくラティファ様が用意してくれたダブラマ料理だ。怪我もよくならないよ?」
「……いい」
「そっか……」
エルミラが使う客室の部屋はカーテンを閉め切って暗いまま、悲哀で埋まっている。
ルクスはとりあえずと窓に歩いていって、そのままカーテンを開けた。
「……眩しいわ」
「眩しくていいんだよ。夜が明けたんだから」
「……」
「ベネッタは、今みたいに僕達が……普通を迎えるために戦ったんだから。せめてこうやって朝を迎えないとね」
ルクスは窓の外を一瞥する。
民の治療と復興が始まる王都。眩しい日差しの下で始まる日々の営み。
ベネッタが守ったものはこうした普通の中にこそある。
ルクスが窓からベッドのほうに振り返ると、エルミラは枕を抱きしめたままだった。
目とその周りは赤く腫らしていて、昨夜も泣き疲れて眠ったのだろう。眠れていないのか目の下には薄っすらと隈も出来ている。
「……ブサイクでしょ」
「君はいつも綺麗だよ」
「うっわ……よくそんな台詞言えるわね。恥ずかしくないの?」
「大切な人に言う本音はいつだって恥ずかしいもんさ」
ルクスはにこっと笑いかけてから、ベッドに腰を下ろした。
「だから、何でも聞くよ。少しでも、君が軽くなるならね」
「…………」
「何も聞く必要がないなら、隣にいるよ。隣にいるのが邪魔だったら出て行くよ」
「何それ……出てけって言ってもいいわけ?」
「一人になる時が必要な時もあるさ」
嫌味もなくそう言ったルクスの服の端をエルミラは小さく掴む。
それだけで、ルクスがどうすべきかは決まっていた。
「あいつ……すっごい頑張ったのよ」
「ああ、頑張った」
「あいつ……滅茶苦茶恐かったと思うわ」
「ああ、僕だってあの場にいたらきっと恐い」
「あいつ、あんな、あんなに……ボロボロになって……」
「ああ、凄かった」
枯れたと言っていたエルミラの目から涙がポロポロと零れ落ちる。
思い出すその光景は血塗れなベネッタの姿。
非力を自覚し、恐怖を乗り越え、敵わなくても折れる事無く、その先に辿り着いた少女の奮闘。
アブデラに勝てずとも、アブデラの理想を破壊した全霊を見届けた。
だからこそ――
「なのにこれじゃ……あんまりじゃない……!」
その頑張りを、勝利を喜びたかった。
喜んであげたかった。
こんな風に悲しむよりも、ベネッタのやり遂げた偉業を手放しに褒めてあげたかった。
けれど、死というのはあまりにも大きすぎる。
ベネッタの偉業も、頑張りも、勝利も、生きていてほしかったという気持ちの前では涙の中に霞んでしまう。
「抱きしめてあげたかった……! 頭を撫でてあげたかった……! くすぐったいって言われても痛いよって言われてもやめないで……口元緩めて誇らしくするベネッタに……! ベネッタ、に……生きでいて、ほしがっ……た……!」
「うん」
エルミラは抱きしめていた枕に顔を埋める。
ルクスは短く答えて、震えているエルミラの手に自分の手を重ねた。
「私、いやなやづだから……! 自分勝手で、嫌な奴だから……思っちゃうの……! こんな事になるなら、この国に来なきゃよかったって……!」
「……違うよエルミラ。それは違う」
「わがってる……! わがってるわよ……!」
「ベネッタは、正しい事をしたんだよ。この国の為じゃなくて、自分の大切なものの為に戦ったんだ」
「わがってるわよぉ!! う……うっ、あ……! うう……!」
客室を満たすエルミラの声。
黙って寄り添うルクスの手を握って、枕を抱きしめ続けて泣き続ける。
「…………っ」
その涙の混じった悲しい声は客室の外にまで漏れていて。
こもりっきりのエルミラに朝食を届けに来たマリツィアの耳にも届いていた。
マリツィアは涙ぐむも、耐えるように目をぎゅっと閉じて唇を噛む。
まるで自分に泣く資格は無いと言うかのように表情を悲哀で歪めて、朝食を部屋の前に置いて……その場を去った。
「……ごめんなさい」
客室を離れて、一人の廊下を歩きながら誰にも届かない謝罪を呟く。
胸を突き刺し続ける痛みが、表に出せない号哭のようだった。
「アルムはお強いですのね」
「ん?」
アルムとミスティは埋まった地下遺跡の発掘通路を訪れていた。
ここではルトゥーラ主導で日夜ベネッタの遺体を見つけるためにと地下遺跡を掘り出す発掘作業が行われている。
地下遺跡崩壊後の陥没などの影響も懸念されたが、地下遺跡の間と地上の間にはかつて栄華を誇った地下都市が存在しており、その遺跡に使われている鉱石や地質の影響もあってその心配は無いらしく、発掘作業は迅速に進んでいた。
ルトゥーラはせめてベネッタの遺体をマナリルに送る為にとここ数日休む事無く発掘作業の指揮をとっており、限界が来る前に休ませようと今は王城の一室に強制的に休まされている。
そんな今は静かとなっている場所を、アルムとミスティは見つめる事しかできない。
「ベネッタが亡くなったのを知った時もですが、涙も流さず気丈に振舞っておりますから……」
「ああ、いや……」
途端に、アルムの顔に影が落ちる。
ミスティは自身の発言を後悔するも、アルムはすぐに顔を上げた。
「悲しいけど、涙を流す資格が無いんだ。みんなと違ってベネッタの最後を見届けられなかったし……なにもできなかったから」
「そんな事は……」
「今回の俺は助けられてばかりだった。アブデラ王に狙われている俺をみんなが助けてくれていて……ハリルさんも、スピンクスも、そしてベネッタも俺を助ける為に動いてくれた。こうやって何もできなかった俺のために」
「アルム……」
「だから、俺はベネッタが見つかるまで泣く資格すら無い。何もできなくて、見届ける事すらできなかったから……死んだあいつと向き合って、お礼を言ってからじゃないといけないんだよ」
アルムはすでに自分の感情に整理をつけているようだった。
だが、その横顔はひどく悲しそうに見えて……頬に降り注ぐ温かい日差しさえミスティには涙に見える。
そんなアルムの腕に、ミスティはそっと寄り添いながら発掘通路のほうに目をやった。
「あなたが助けられたのは……今日まで頑張ってきたからですよアルム」
「そう……かな」
「ええ、あなたが頑張ってきたから、あなたを助けようと他の人達が頑張ってくれたんです。これから先、大勢の人間を救う人だと誰かが信じてくれるまでにあなたが頑張ったからマリツィアさんはあなたに助けを求めて、私達はそんなあなたに力を貸したくて着いてきたんですから」
「そうだと、いいな」
「あなたがずっと頑張ってきたから私達とも、ベネッタとも会えたんです。だから何もできなかったなんて悲しい事は仰らないでください。あなたがしてきた事に、私達は心を動かされたのですから」
「ベネッタも、そう思ってくれただろうか」
「はいきっと……ベネッタがあんなに頑張れたのはきっと、アルムと出会えたからだと私は思いますよ」
自分がしてきた事が誰かの心を動かして、誰かがしてきた事が自分の心を動かす。
そうやって人と人とが繋がっていく事を、もうミスティは知っている。
その背中にずっと力を貰ってきた。その胸に受け止めて貰っていた。
だからこそ、アルムの言葉であってもこれだけは否定しなければ。
――なにもできなかった。
それだけは断じて、断じて違うのだと。
「そんな事を言ったら、ベネッタも怒りますよきっと。エルミラやルクスさんだって何言ってるの、って」
「……もって事は……ミスティも怒ってるのか?」
「ええ、それはもう。ベネッタの前で頭を下げさせたいくらいには怒っています」
「なるほど……やる事が増えたな……」
「はい。ですが……まずはありがとうって言って、それで頑張ったなって褒めてあげてください。ベネッタは本当に、頑張って……いましたよ……頑張って、いたんです……」
「ああ……わかってる」
ベネッタの最後の姿を思い出して、ミスティの目から涙がポロポロと零れ落ちる。
ベネッタが何のために戦っていたのかを改めて思い出して、耐え切る事ができなかった。
国を救うためではなく……少女はその翡翠の瞳に映る友人達といる光景を守るために戦っていた。
なのに。
「あなたがいなくなって……どうするんです……!」
「…………」
涙を流すミスティの肩を抱き寄せる事しかアルムにはできなかった。
どれだけ探しても、ベネッタの姿は記憶の中にしかいない。
どれだけ耳を澄ましてもベネッタの声が聞こえる事は無く、そよ風だけが耳元を過ぎ去っていった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここからエピローグに向けての更新となります。




