幕間 -呪詛のなれの果て-
落ちていく。
落ちていく。
黒い穴の中に留まっていた我の魂が、落ちていく。
この異界にしがみついていた最後の残滓が呑み込まれていく。
生命の理すら操る我だからこそ繋いだ一五〇〇年が無に帰る。
「だずげ……! だず……! だずげで……! だずげでぐだざい!! アボビズざまああああ!!」
『おやおや、助けを求められておるぞ? せっかく契約した人間の助けの声を聞かぬのか? 遠き異国の神とやら?』
無に帰りながら見上げれば、黒い穴の周りにいまだ留まっている毒虫に契約者の……いや、元契約者であるアブデラの魂が食われていた。
足の先から果汁の詰まった果実を貪るように、そして味わうようにゆっくりと。
アブデラの魂は輪廻の輪に組み込まれる事も無く、ただの余興として消費されていく。
ここは我らの生と死の狭間。伝承の中に生きた生命が行き着く伽藍の境界。
ここに人間が来る事は珍しいが、アブデラは我と契約したからであろう。
アブデラは我の呪いと共に現世で生命としての死を迎え、今ここで魂の消滅に至るだろう。
人間という弱き生命には一度目ですら耐え切れない死の時間を奴はこれから体感する。
あろう事か、あの女――大百足に捕まったのが運の尽きだ。
よほど、あのアルムという男を徹底的に排斥したのが癇に障ったのだろう。
あれは神すら餌として喰らい捨てる最悪の生命の一つ。我ですら扱えぬ東洋の魔。
わかっていただろうアブデラ。だからこそ貴様は最初の四柱と敵対しようとしなかったのだから。
「やだ……! ごんな、ごんなぁあ!? いだい……いだいいいい! ごろじで……殺しでぐれ!!」
『だから今殺してやってるではないか。ゆっくりゆっくり……何年かかるかのう……? 手足だけ喰らって儂の横に飾ろうか? 腸をぶちまけて永劫眺め続けようか? 安心するがいい、ここに肉体による死は存在しない。魂が消滅しない限りは蘇る機会があるぞ? よかったではないか……人間にしては大層な野望があったのだ。アポピスと同じように一五〇〇年でも二〇〇〇年でもここにいるがいい。儂がいくらでも貴様が人間であった事を忘れないよう食ろうてやる』
「ひっ……! あ……ああ……!」
赤黒い眼がアブデラの魂の底を見つめる。
肉体としての死が無いことの残酷さを大百足は人間の精神に突き付けていた。
貴様が望んだ結末だアブデラ。
貴様の望んだ永劫は確かにここにある。
貴様の魂を死なない程度に食らい続けている怪物の口の中に。
『貴様は儂の星と対峙するでもなく……排斥した。儂が楽しみにし続けている儂の星が作り上げる伝承の場を奪った……。最後に殺して貰えるだけありがたいと思うがよい』
「いっだぁ……! ひ……! ぐじじゅあああァああアア!?」
『ほうれ、その黒い穴に落ちればとりあえずは消えられるぞ? アポピスは一足さきに消えるそうじゃ』
大百足は悪趣味に、アブデラを口に咥えながら我を呑み込んでいる黒い穴を見せる。
人間の精神ではここを直視しただけで気が触れるような場所だが、大百足に食われる激痛とそれが千年以上続くのではという恐怖がアブデラの魂を叫ばせていた。
「!! アボビずざま!! 我も! わだじも! わだじも……ひぎゅ!? ぎ、ぎえ……ぎえざぜで……! ぎえざぜでぐだじゃい!! やだ! ごんな……ごんなバゲモノにぐわれだぐないいいいい! いだいんでず!! どれだけ、どれだけいだぐでもじねないんです!!」
当然だ。ここに肉体の死はなく魂の在りようだけが最後を決める。
「わだじも! わだじもぞぢらにいいい!!」
無理な話だ。その女の怒りに触れたのは貴様だ。
「いやだああああああああああああ!! ごんな……ごんなごとまぢがってる!!」
いいや、間違ってなどいない。
貴様が選んだ必然だ。
「あじ! あじをだべないでぐざい! ても、てもいだいんでず!! 「ぐるわぜでぐれ! しねないならぐるわぜでぐれえええ!!」
無理な話だ。ここは魂が訪れる場所。
精神は生前の在りようを保ったまま。
肉体の死がなければ精神の崩壊も存在しない。
その女の呪詛は粘ついた執着だ。貴様の魂が消滅するまでその痛みは続く。
「だれが……だれがああああああああああああ!!」
周りに助けを求めでも無駄だ。
牛頭の怪物も、本の上の悪魔も。
貴様の言葉には耳を貸さぬだろうよ。
「がみざま! がみざまおねがいでず!!」
……奇跡はもう一度起こしている。
貴様は我――アポピスという奇跡を手にしていた。
奇跡を起こせる契約を結んでいた。
貴様は敗北した報いを今受けている。ただそれだけだ。もう、神が介入する場面はない。
「らでぃふぁ……! ラティファああああああ!!」
貴様の声は永劫届かぬ。
欲深き元契約者よ。
貴様はもう分岐点から先に進んだ。後戻りはできぬのだよ。
『甘露甘露! これだから人の悲鳴とやらは甘露な蜜そのもの! 琴や横笛の音色よりも心地よい! しばらくは儂の星を眺めるだけで満足できるかと思ったが、いい玩具が手に入った! 暇な時にでもその魂を啜って奏でてやろう! 儂に音楽とやらの趣味が出来るとは思わなんだ! 愉快! 真に愉快じゃのう!!』
呪いとはそういうものだ。
契約とはそういうことだ。
貴様は生前に代償を払うことなく、我の力によって理想を目指した。
ならば、死後に相応の代償を払うことくらい当たり前だと思わないのかね。
「ご、ごろじでぐれ……ぎえさぜてくれええええええええええええええええええええ!!」
『くくく……ふふふ……! フハ! アハハハハハハハハハハ!!!!』
大百足の笑い声が闇の中に響き渡る。
全く、我が消滅するというのに静かに送り出してもくれぬとは……やはり魔法生命というのは自分勝手な生命の集まりというわけだ。
………………いや。
あの少女もそうだったか。
つい笑みが零れてしまうほどには、あの少女は欲深かった。
アブデラがやろうとした事は今を生きる生命にとっては不都合だったが、確かに人間の進歩ではあった。
あの少女は種の前進だと理解した上で……我の魔法式を躊躇なく破壊したのだ。
それも、あのような小さな願いで塗り潰すとは欲深いと言う他無い。
友人と一緒にいたい。たったそれだけの思いにアブデラの理想は破られた。
これだから人間は面白い。これだから人間は度し難い。
もう俗世を見守れぬのが少し残念と思うのは、我も人間に毒されていたという事か。
アルムという男に執心しているあの大百足や悪魔といい……これこそ、まるで呪いのようではないか。
――ならば、最後にこれくらいは言祝ごう。
愚鈍な歩みに祝福あれ。ひたすらに欲望を享受せよ。
貴様らのような限りある生命には、後悔こそが最も身を蝕む呪いであろうよ。
おめでとう。矮小で愚かで、神よりも欲深い人間達よ。
少女の瞳の先にあった太陽は、この地に憑いた呪詛の片翼――魔法生命アポピスを見事打ち破った。
いつも読んでくださってありがとうございます。
本編更新は月曜日となります。




