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【書籍化】白の平民魔法使い【完結】   作者: らむなべ
第一部:色の無い魔法使い
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65.侵攻二日目14

「誰か、いるの?」


 私は闇の中に問いかけた。

 いつも歩いている廊下。

 その先に何かがいる気がして問いかけた。


【――】


 誰かが答えた。

 聞いたことがある声のような気がした。

 けれど、この家の誰のものでもない。

 その夜、父上は泣き疲れてすでに眠っていた。


【――】


 もう一度、声が聞こえた。

 父上の声でも無い、亡き母上の言葉でもない。

 勿論、幻聴でもない。

 確かな形が闇の中に浮かび上がった。

 犬のように見えた。

 私は恐がりだ。

 それでもその何かに恐怖はしなかった。

 それもそのはず、私がそれに恐怖するはずがない。

 私は自分が恐くない。

 恐怖するのは私以外の何かに対してだ。

 私はその声が何を言っているのかわからず、そのまま寝室へと戻った。

 それが名を名乗っていたと気付いたのはもう少し後、数度の夜を経ての話。

 二年前の、夜だった――。

 














 リニスの隣に現れたその影を見た瞬間、エルミラはごくりと生唾を飲み込んだ。

 わかる。

 あれは血統魔法だ。

 今までの魔法の比ではない。

 リニスの隣に立つ黒い塊。

 それは水のように流動し、姿を変えながら蠢いている。

 まるで定型が無いかのように。

 しかも、夜属性の弱点を言い当てて勝機を見出したにも関わらず、その黒い塊は日の光を堂々と浴びている。

 その姿が消えるような様子も弱っている様子もない。


「私達、と言ったものの……これは私も制御ができていなくてな。能力も単純だ、君のような優秀な者には些か退屈かもしれない」

「血統魔法を制御できないなんて持ってる属性は希少でも使い手が未熟だと台無しね」

「返す言葉も無い。勝手がわからないのでね」


 勝手がわからない?

 エルミラはわかりやすく疑問を表情で表す。

 血統魔法はその家が代々継いでいく魔法。

 例え継いだ本人がわからなくても、今まで血統魔法を継いだ魔法使いたちの記録が発動を助ける。

 血統魔法そのものに刻まれた記録は変換をより確かなものにして、血統魔法の現実への影響力を高めるのだ。

 だが、リニスはわからないと言った。


「何せ」


 その言葉が何を表しているのか――答えはすぐにリニスの口から聞かされる。


「この血統魔法は、私の代で創られたものだからな」

「!!」


 言葉とともに、消えた。

 リニスの横に立っていた黒い塊が。

 瞬きの間に一瞬で。

 そしてリニスに起こっている異変に気付く。

 影が無い。

 ベラルタに降り注ぐ日光がまるでリニスだけ無視しているかのように。


「っ!」


 リニスに注視していると不意にエルミラの左肩が痛む。

 さっきの攻防でどこかぶつけたか。

 エルミラはちらりと肩を見る。


「なっ――!」


 左肩の状態を確認してすぐにリニスに視線を戻すつもりだったが、それから目が離せなくなる。

 何故なら、リニスの隣に立っていた黒い影は今、吸い付くようにエルミラの肩にいた。


「あ……ああああぁ!!」


 それは口だったのか。

 水のように吸い付いているかと思えば、肩には獣に噛まれたかのような鋭い痛みが走っている。

 不揃いの牙は肩に突き刺さり、黒い塊とエルミラの間から赤い液体が顔を見せた。


「この……!」


 噛まれた肩とは逆の手で拳を握り、その黒い塊に向ける。

 しかしエルミラがその拳を黒い塊に命中させることはない。

 その時にはもう黒い塊はそこにはいなかった。


「どこ……」


 次に、足に痛みが走る。

 まさか、とエルミラが視線を下にやる。


「な、な……!」


 予想通り、エルミラの下腿に吸い付くようにして黒い塊はそこにいた。

 肩にいた時とは大きさも違う。

 少し大きめのヒルのようにへばりついていた。


「あ……ぐ……!」


 だが、痛みはそのままに。

 その箇所を食い千切られるような感覚が足から伝わってくる。

 だが、左肩程のダメージはない。

 肩と同じ大きさであったのなら半分くらいが食い千切られていたはずだ。

 そしてまた黒い塊はその場から消えた。


「影……!」


 今までの魔法からこの血統魔法の能力をエルミラは予測する。

 今、日光はエルミラの右側から来ていて影は左に作られていた。

 エルミラは向きを変えて影を正面で捉えられるようにする。

 それを見たリニスがぱちぱちと拍手した。


「流石だな」


 リニスからの賞賛などエルミラには届いていない。

 瞬間、エルミラの影から人間大の犬のような塊が飛び出してくる。

 飛び出してきたその塊には音も無く、そして声も無かった。

 ただ生き物のような形をして襲い掛かってくるそれをエルミラはかわす。


「だが、それはしつこいんだ」


 体を横にし、飛び掛かってくる黒い塊をかわした瞬間。


「なん……ですって……?」


 今度は脇腹に痛みを感じる。

 見てみれば、今かわしたばかりのはずの黒い塊がその痛みの場所に再び吸い付いていた。

 黒い塊が今飛び掛かったはず先を見てみれば何もいない。


「『火炎掌(ブレイズ)』!」


 唱えるとともにエルミラの左手に炎が集まる。

 自分の腹ごと燃やす勢いでエルミラは黒い塊に向けてその掌を押し当てた。

 だが――


「この……反則属性め……!」


 すぐにその魔法も消える。

 燃えるように炎に包まれていたエルミラの掌はただの小さな手に。

 黒い塊も脇腹から消えはしたが、完全に消えたわけではない事が一目でわかってしまう。

 リニスの隣にその黒い塊が何事も無かったかのように戻っていたからだ。

 今まで一緒に消えていたただの魔法とは違う。

 それが血統魔法。

 通常の魔法から昇華された魔法使いの切り札。

 立て続けに訪れた痛みでエルミラはその膝をついた。


「はぁ……はぁ……!」


 膝をつきながらもエルミラは自分の体をなるべく小さくするようにする。

 三度負わされた傷は一応無意味では無く、リニスの血統魔法の法則には気付いていたからだ。


「そう、影の大きさだよ。やはり君は優秀だ」

「そりゃどうも……」


 影を正面にした時に人間のように黒い塊が大きくなったのをきっかけにしてエルミラは気付いた。

 その部位の影の大きさがこの黒い塊の大きさになる事に。


「【小さな夜の恐慌(ジェヴォーダン)】は影の中を移動してその時の影の大きさに応じてその姿を変える。

それともう一つ……ターゲットが影にいると認識している時はただそれを殺そうとする獣へと。影を見ていない時はただ血肉を貪るだけの謎の生き物に変化する。後者は殺傷力は低いが不意打ちとしては絶大だ……痛いだろう?」

「ええ、おかげさまでね……」


 正面でその黒い塊を認識しようとした時はエルミラそのものを襲い掛かる獣に。

 影に視線がいっていない時はどこかの部位に飛びつく謎の生き物に。

 エルミラもなんとなく影に対してどういう状態であるかで姿が変わるのかはわかっていた。

 リニスはそれを捕捉したに過ぎない。

 この血統魔法がどういう魔法かはわかった。

 だが、だからといって普通の魔法で対抗しようがない。

 エルミラがどの魔法を使ってもあの黒い塊には消されてしまう。

 リニスの隣に立ち、欠伸をしたかのように口を広げた黒い塊に。

 後は時間の問題だ。徐々に体を食われてエルミラは死ぬ。

 失血死か、それとも黒い塊に直接手を下されるか。

 どちらにしても結果は同じだ。


「なんで……」

「ん?」


 だからこそ、エルミラにはわからない事が一つあった。


「なんで……あんたダブラマの内通者なんかやってるのよ……?

こんな希少属性持ってるなら将来安泰でしょうよ……裏切る必要なんかなかったでしょうに……」


 リニスが何故裏切ったのかがエルミラにはわからなかった。

 普通の魔法使いならばあり得ない、光の特性を持つ魔法を消す夜属性。

 日の光が弱点とはいえ、その属性の名の通り夜間ならばほぼ無敵の力だ。

 順当に行けば卒業とともに王都に呼ばれるほどの魔法使いになり、アーベント家の名前をマナリル中に轟かせていただろう。

 だというのに、そんな未来を捨ててまで他国の内通者になった理由とは一体何なのか。


「将来か……私の家に将来など無い」

「は……?」

「私の家はな、もうとっくに限界なのだ。治めている領地での財政などまともに機能していない。

父上は優しい人だ……平民が辛いといえば税を下げ、納める税が無いといえば無理には取らぬ。ある家で病気になったものがいれば薬を買い付け、働き手が亡くなった家には食事まで届ける。

父上は自分の領地に住む平民を愛していた。誰も虐げないそんな優しい父上を誇りに思っていた、二年前まではな」

「二年、前……?」

「そうだ、二年前にアーベント家は完全に破綻した。噂を知った平民は他の領地に逃げ、徴収できる税などほとんどない。国に献上する金などあるわけもなく、周りの領主からは足元を見られた交渉をされ、国からは領地とともに財産を取り上げる通告まで届いた。

その日の夜、私は父上が泣くのを見た。母上を亡くした日以来の涙だったよ」


 淡々と話すリニス。

 ずしん、と【原初の巨神(ベルグリシ)】の足音が聞こえる。

 街と共にエルミラの立つ屋根が揺れた。


「そんな父上と話をしに来たのがダブラマの刺客だった。トナと言ったかな。協力すれば金を用意するとね……断ると思っていた。父上は金が無くなっても誇りあるマナリルの貴族だと信じていた」

「受け入れたのね……」

「そうだ、人形のように応じた。うわ言のように"なんでもやるなんでもやる。失ったものを取り戻せるなら何でも差し出す。私が貴族である為の証明を取り戻せるなら"、とね。うわ言のように何度も何度も。

そして……私を売った。その時に知ったよ、父上は愛しているから平民に優しくしていたのではなく、貴族で無くなるのが恐かったから平民に優しくしていたのだとね」

「貴族に向いてないわ」


 エルミラは慰めるわけでもなく、素直な感想をリニスに伝える。

 リニスもそれを聞いて小さく笑った。


「私もそう思う。結果、全てを失っているからな。だが、私も父上を笑えない……私もまた失いたくなかったのだ。優しい父上を失いたくなかったのだ、娘を売るような……そんな父上であってほしくなかったのだ」


 遠く、リニスは西のほうを見つめる。

 すでに西野城壁からは【原初の巨神(ベルグリシ)】の頭が見えていた。

 もうベラルタを破壊し始めるまで時間がない。


「領地をとられ、財産をとられ、ただ貴族という名前だけがある没落貴族になりたくなかったのだ。優しくする相手がいないのなら父上はきっと終わってしまう。私は父上を娘を売った貴族で終わらせたくない。この作戦が終わればダブラマが用意した土地をアーベント家を任される……優しくする相手がいれば父上はまた戻ってくれる、アーベント家は元に戻る。このどん底から……私達はきっとやり直せる……!」


 リニスが【原初の巨神(ベルグリシ)】を見る目はまるで救いの神を見るようで。

 その神の審判がベラルタに下るのを今か今かと待ち望んでいるように見えた。

 それがきっとアーベント家が新しい一歩を踏み出すきっかけになるのだと、リニスは信じていた。


「だっさ」


 リニスの声をエルミラはうずくまりながら一蹴する。


「あー、聞いて損した……大層な事情があるかと思えばただ単にあんたの家が無能で没落するの恐いよーってだけの話じゃない。

元に戻る? 最初っからあんたの父上とやらが馬鹿なだけよ。やり直したって結局同じことになるだけだわ」

「……君にはわかるまい。失う事の怖さが」

「わからなくて悪かったわね、こちとら没落済みのロードピス家の一人娘。わかるわけないでしょ!

生まれた時からあんたより下! 先祖がやらかして貴族の繋がりも、土地も、領民もいない、私が生まれた時からなーんもない!

それでも! 私がどん底だなんて思った事は一度も無い!」


 エルミラはいまだ痛みの残る体で立ち上がる。

 制服を濡らす血は赤く、ぽたぽたと屋根に落ちていた。


「やっぱ貴族ってむかつくわ……私よりいっぱい持ってるものがあるのに、いざ失ったら他に縋ってだらしない!

失いたくない? まずはその貴族に向いてない無能を何とかしてから言いなさいよ!

私は他に縋ったりしない! 自分の力を認めさせてまたのし上がる!」


 エルミラの体に魔力が走る。

 充填し、変換し、放出までの段階を順に踏んでいく。

 魔法までのカウントダウンを心臓の音が刻む。

 そんなエルミラにリニスは問う。


「どうのし上がるというんだ?」


 エルミラの言葉はリニスには負け惜しみにしか聞こえなかった。

 リニスの目からすれば勝敗は決している。

 影がある限りエルミラを追う自身の血統魔法。

 エルミラはその血統魔法にダメージを与えられない火属性。

 今までの夜属性魔法と違って【小さな夜の恐慌(ジェヴォーダン)】は、例え光の特性の魔法を消したとしても消えたりしない。

 ただリニスの下に影として戻り、そしてまたエルミラの影から再び襲う。

 その繰り返しだ。

 【原初の巨神(ベルグリシ)】が来る以上、リニスが急ぐ必要も無く、いずれリニスが勝利する。


「決まってるじゃない」


 だというのに、リニスの問いをエルミラは鼻で笑った。


「目の前の敵を倒してよ」


 大胆な宣言。

 今までボロボロにされていた人間の台詞とは思えず、リニスはあきれてため息をつく。


「やってみたまえ」


 急ぐ必要は無いが、長引かせる必要も無い。

 終わらせようとリニスは合図する。

 リニスの横にいた黒い塊はその合図とともに消えた。

 またエルミラの影へと潜る為に。

 だが、黒い塊が消えるのより早く、エルミラはその名を唱えた。

 エルミラの体を赤い魔力が纏う。

 自身が貴族であるという証の一つ。

 領地を無くし、領民を無くし、金を無くし、それでも――くそったれの先祖が繋いだ唯一の贈り物を。


「【暴走舞踏灰姫(イグナイテッドシンデレラ)】」


 ベラルタの街に響く合唱。

 エルミラだけでなく、今までこの血統魔法を唱えた者達の声が魔法を奏でる。

 積み重なった記録がエルミラの姿を一瞬にして変えた。


「何だねそれは……?」


 それは今までと違う魔法だった。

 一言で表せば"ドレス"。

 今までベラルタ魔法学院の制服を着ていたはずのエルミラはいつの間にか灰色のドレスで着飾っていて、ふんわりとした大きなシルエットが印象を様変わりさせる。

 舞踏会用の床まで届くロングドレスだが、その色は灰のみ。

 ドレスはもちろん、手袋までが灰色。髪飾りも灰色だ。

 あのドレスが魔法であるというのなら火属性の特徴である赤い魔力の光はどこにも無い。


(あれが魔法……?)


 怪訝そうに見つめるリニス。

 そして、姿の変わったエルミラは不服そうに吐き捨てる。


「ったく……あの中に没落させたやつの声も混じってると思うと反吐が出るわ」


 血統魔法を唱える際の先祖の声。

 エルミラは聞こえてきたそれに文句を言いながら、灰色のヒールをかつんと鳴らした。

すいません、最近忙しくて昨日は更新できませんでした……。

今週は毎日というわけにはいきませんが頑張っていこうと思います。

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― 新着の感想 ―
面白い。 どっちの意見も正しくてどっちも間違ってるね。まあ口論なんてだいたいそんなものだけれども。
無能なパパの話はともかく、売られた娘は平民絶対殺すウーマンになるのが優先順位が気が(笑) いや、バカなのかそれとも壊れちゃったんですね、心が。
[気になる点] 血統魔法を作るのは難しく作られた魔法を何百年も受け継いで強化しているって設定なのに小さい子供が夜が怖いよってだけで血統魔法が出来てしまうなら他の血統魔法を受け継いでいる家でも途中で沢山…
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