表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】白の平民魔法使い【完結】   作者: らむなべ
第八部:翡翠色のエフティヒア -救国の聖女-

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

694/1051

606.翡翠色のエフティヒア4

「王都周辺の平民達が倒れていきます!!」

「王都だけじゃありません! 各地で同じ事が起きてます!!」

「おいラルトルが気絶した! 誰か通信用魔石の受信確認変われ!!」

「頭がくらくら……する……」


 王城セルダールの通信室は送られてくるダブラマ各地の情報と叩きつけられた恐怖に混乱に陥る。

 アポピスの力が顕現したと同時に送られてくるのは意識を失った平民達の報告。

 そんな事があるのかと言いたくなるが、全く同じタイミングで送られてくる状況報告が現実を伝えていた。

 映像の先にいるアブデラ……いや、あの何か(・・)は、現れるだけで人間を害する事ができる災害なのだと。


「精神力の弱い人間はあいつが現実に存在する事すら耐えられねえって事かよ……」

「通信室にも被害が……生命への恐怖に特化している魔法生命……!」


 何もできない自分達の不甲斐無さにマリツィアとルトゥーラは歯噛みする。

 こうして各地からの情報を得る事しかできない。

 映像の中に映るベネッタに、何もすることができない。


『ベネッタ! ベネッタ!!』


 声を荒げるようにベネッタを呼び掛けるエルミラの声が通信用魔石から響く。

 壁に叩きつけられ、崩れ落ちたベネッタはすぐにふらふらと立ち上がった。


『た……立った……!』

『ですが……あの傷では……!』


 ルクスとミスティの声には悲痛の色。

 ミスティ達だけではない。

 各地で気絶したのもあって減っているが、各地でこの映像を見ているダブラマの民からの声もまた届いている。


「危ない! 早く立って!」「来てる! 来てるぞ嬢ちゃん!!」「娘が……娘が息をしてないんです!」「もう、駄目だ……」「立った! 立ってくれた!! け、けど……」「逃げろ!」「息子より小さい子があんな血だらけで……」「何言ってんだ! 逃げても……!」「頼む……! 頼む……! 頑張ってくれ……!」


 アブデラによって強制的に繋がる魔石が、国の声を共有する。

 近付いてくる終わりに恐怖しながら、映像の中で戦っている少女に全てを託すしかない無力感を……貴族も平民も関係なく全員が味わっていた。

 映像に映るアブデラが人間からかけ離れた姿をしていても……自分達の行く末を決めるその映像から目が離せない。

 アポピスの力に恐怖を感じながらも、目を逸らせない。

 映像を通じて、人々の恐怖はアポピスの力を底上げしていく……。












「ぅ……ぁ……」

「ふむ、流石に信仰属性……アポピス様の御力をまともに受けても、その程度か」


 立ち上がらなければこれ以上痛い目に合う事も無い。

 そんな事は承知で、ベネッタはおぼつかない足取りで立ち上がる。

 はっきりとしてきた意識が、ぬるりとした血の感触と遅れてきた痛みをしっかりと受け止め始めた。

 頭を押さえると、手には生暖かい血の感触。口内には鉄の味が広がっている。


(かわせ……なかった……)


 映像越しではわからなかったが、ベネッタ自身は何をされたのかがはっきりと見えていた。

 自分の負傷箇所を確認しながらアブデラから目を離さないように注視する。

 アブデラの姿は人型の怪物へと変わっている。

 黒い瞳は蛇のように。黒い髪は殺意のように。

 全身を守るは闇の中で輝く黒よりも深い黒の鱗。羽根のように広がり、刃のような鋭さがアブデラを別人たらしめる。

 アブデラの周囲には黒い靄のようなものを纏っており、その靄もまたアブデラの一部なのではと感じられた。

 ベネッタの視線の先にいるのは依り代であるアブデラの人間の形を保っているだけの怪物。

 ゆらりとアブデラは一歩前に。

 そのまま闇の中に溶けて、また現れる事すらできそうな――暗闇の具現。


「あのまま人間の枠組みでの戦いに興じてもよかったのだが……時間が無いのは互いに同じ。一足早く、アポピス様の御力をこの場に降ろさせて貰った。

だが、まぁ……安心するがいい。我はアポピス様の力を宿しているだけであって神ではない。アポピス様のように生命の(ことわり)を操る権能を持っているわけでもなし。この姿になったからといって、ダブラマ中の平民の命を握りつぶすような事はできん」


 ベネッタは自分の負傷を確認し、まだ戦える事を確認しながら……五月蠅いくらいに鳴る自分の心臓の鼓動を聞いていた。

 鼓動を刻む度に、胸を串刺しにされているかのよう。

 相対しているだけで、心臓が苦しい。生きるのが苦しい。

 それはベネッタという個が作られる前に存在する、人間という種が持つ原初の悲鳴。

 どれだけの決意で固めても、眩暈と吐き気が自分がちっぽけな一つの生命に過ぎない事を自覚させる。


「だが……貴様を握りつぶすのはわけない」


 鱗に覆われた手をアブデラは中空にかざす。


「【浄化(ウァブ)】」

「!!」


 ダブラマ中に映し出された映像が乱れる。

 気付いたのはベネッタだけだった。

 先程自分を壁に叩きつけた正体。

 アブデラの背後から氾濫する闇の濁流がベネッタを襲う。

 広間に散らばる()を押し流して、ベネッタをその仲間に入れんと押し寄せる。


 アポピス――それは原初の水より生まれし者。

 太陽という舟の運行を邪魔する闇という大海そのもの。

 その力は周囲の闇を水の如く操り、魂を飲み込む。


「『守護の加護(シールド)』!」

「ああ、認めよう。貴様の防御魔法は一級品だ。だが……知るといい」


 ベネッタの周囲に展開された防御壁に波打つ闇が触れる。

 それだけでベネッタの防御魔法はひび割れる。砂浜に作られた砂城のように脆く。

 ただ静かに割れる音だけが鳴り、次の瞬間にはもう砕け散っていた。


「人間の枠組みでは、どうしようもできない現実がこの世界にはあるのだと」


 水のように押し寄せる闇。黒い魔力。死の影。

 自身の魔法を砕かれ、目前に迫るその圧倒的な力に対してベネッタは――


「『治癒の加護(ヒール)』!!」


 戦う意思を捨てなかった。

 自身の致命的な怪我だけを即座に治癒し、重ね掛けしている強化の身体能力で床を蹴る。

 一瞬アブデラとベネッタの視線が合う。

 その瞳の中には諦めなど無く、気丈な意思が宿っていた。


「なお折れぬか」

「折れない!!」


 床を踏み抜き、壁に足をめり込ませて更に蹴る。

 押し寄せていた濁流が壁に打ち寄せると、呑み込むべき命を見失ったのかアブデラのほうへと引いていった。


「苦しむだけだ。どれだけ足掻いても、凡人の域を出ない者は」

「それが……どうしたー!!」

「助言だよ。年長者からのな」

「『聖翼の散刃(グロリア・ヒュヌス)』!!」


 ベネッタは壁を蹴り、中空を舞う。

 背中には一対の翼。飛行できるわけではない。

 翼は次の瞬間には羽根と散り、光の雨のようにアブデラに降り注ぐ。


「ああ、先程までならこれも……防がねばならなかっただろう」

「!!」


 降り注ぐ光の雨。正確には羽根の斬撃。

 それを意にも介さず、アブデラを覆う黒い鱗は全てを弾く。

 ベネッタが使ったのは中位の攻撃魔法。降り注いだ羽根はその全てが無情にも床に突き刺さる。


「今はこの通りだ」

「っ……!」

「ではこちらの番といこう」


 再び、アブデラが一歩前に。

 同時に消える。その姿が霧のように。闇の中に消えていく。


「――!!」


 しかしベネッタもその移動を見逃さない。

 一瞬、揺らめきが右に動いたのを見る。

 体を反転させて、接近を察知した右に。

 だが――!


「遅い」


 黒い鱗が拳に……否、拳などという生易しいものではない。

 鋭い鱗の処刑具と変わったその手がベネッタの首を狙う。

 背筋に走る寒気。先程壁に叩きつけられた時のダメージが、ベネッタに首をへし折られる未来を幻視させた。


「【魔握の銀瞳(パレイドリア)】!!」


 ベネッタの右手に巻かれた十字架に銀色の魔力光が走る。

 そよ風のような歴史の合唱が広間に響き渡り、翡翠の瞳を銀が纏った。


「む……動きが――!?」

「――っぁ……?」


 異変を感じ取ったのはアブデラだけではなく両方だった。

 アブデラは突如動かなくなった体に困惑し、ベネッタは顔を青褪めさせていた。


「うぎ……! ぎゃああああぁああああああアアアああアあああ!?」


 強化された身体能力を使い、自分で横に跳びながらベネッタは悲痛な声を上げた。

 自分で跳んだにも関わらず着地はおぼつかず、両目を押さえながら床に転げ落ちる。

 両目に突如走った激痛。そして流れ込んでくるアポピスの死の記録。

 その両方がベネッタに悲鳴を上げさせる。

 自身に走る痛みと、記録によって植え付けられた死が混ざり精神はぐちゃぐちゃにかき混ぜられた。

 口の端で血泡を吐きながらも、ベネッタはその痛みに耐え切り意識を手放さない。


(恐いから、何だ……! 痛いから……どうした!!)


 生きたまま耳の中を刃物でほじくられるような、おぞましい記録を受け止め、その精神力によって立て直す。

 両目はじくじくと痛み続けているが、脳みそをかき混ぜられたような激痛は引いていった。

 【魔握の銀瞳(パレイドリア)】は維持こそできているものの、これ以上アブデラの体を封じるのは逆に危険だと判断してベネッタは血統魔法を解除する。


「ほう……貴様の血統魔法は拘束の類か……。不憫なものだな。我の重力魔法のような空間干渉であれば苦しまずに済んだものの……。存在干渉とあってはアポピス様の魔力に触れざるを得ない」

「うる……さい……!」

「アポピス様は異界の神……手を伸ばしても届かぬ。これで身をもってわかっただろう? 届かぬものに手を伸ばしても……その身を焦がして、いずれは死に絶えるだけなのだと」

「!!」


 アブデラが手を翳してベネッタは気付く。

 自分の左手に不自然に纏わりつく黒い靄に――。


「【光絶(デケレウ)】」


 アブデラの声を合図に、ボキボキボキ、と鈍い音が響き渡り黒い靄の中から血が滴り落ちる。

 何が起こったのかを理解する前に、それは行われた。

 黒い靄の中がどうなっているかなど見るまでも無い。


「ぐ……!? ぎぃ……ぁああ!!」


 ベネッタが悲鳴を上げる共に黒い靄がベネッタの腕から霧散していく。

 強化の上からいとも簡単に行われる音も無い破壊。

 黒い靄が無くなり、見えた左手は真っ赤に染まって醜く潰されていた。

 それでも、先程の痛みよりはましだとベネッタはアブデラを睨み続ける。

 アブデラはそんなベネッタの姿を見て青筋を立てた。


「何度も無駄だと言っているはずだ。アポピス様に憑かれているだけのアブデラ・セルダール・アルミュラならば……なるほど、僅かながらの勝利も貴様にあっただろう。だがアポピス様はどうにもできない。それが貴様という人間の限界だ」


 残りわずかな時間。ここからの逆転は有り得ない。

 ベネッタに対してアブデラは無慈悲に現実を突き付ける。

 これから始まる自身の理想。永劫の未来を前にした些事に対するお遊びのようなものだった。

 だが、目の前の少女が折れる事はない。


「ボクの限界を……あなたが勝手に、決めるな!!」


 アブデラの言葉を否定して、ベネッタは前へと駆けだす。

 愚者が、とアブデラは苛立ちに急かされるようにただ呟いていた。


「うあああああああああああ!!」


 血塗れになり、腕を潰されながらも向かってくるただの少女。

 彼女にも、譲れないものがある。

 ダブラマの為に戦っているのではない。彼女もまた彼女自身の為にこの場に立っているのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ