604.翡翠色のエフティヒア2
「特訓してほしい?」
「う、うんー……駄目かなー……?」
半年以上前……南部にてトヨヒメの起こした事件解決後、マナリルに帰ってきたベネッタはお願いがあるとルクスとエルミラをベラルタ魔法学院の実技棟に呼び出していた。
ルクスとエルミラはベネッタらしからぬお願いに顔を見合わせる。
「い、いや、その……あれだよ? 急に何だってなるのはわかるし! 帰郷期間も近いから、ラブラブな二人のお邪魔になるのはなーって思ったんだけどー……ふぎゅ!」
早口でまくし立てるベネッタの頬をエルミラは顔を赤くしながら両手でつまむ。
「からかおうとしてるのか! お願いしようとしてるのか! どっち!?」
「え、エルミラ……落ち着いて……」
「お、おにぇ、おにぇがいでふ……」
「よろしい」
エルミラがぱっと頬から手を離すと、ベネッタは解放された自分の頬を擦る。
少し間を置いて、エルミラが聞く姿勢になってくれるのに気付いてベネッタはごくりと生唾を飲み込む。
いつもの調子でからかってしまったが、ルクスもまた急かす事無くベネッタの言葉を待っていた。
「その、今までも……思ってたんだけどー……ボクは力不足だから……」
「はぁ?」
「僕達はそんな事思ってないけど、ベネッタ自身はそう思ったんだね?」
ルクスが聞くとベネッタは頷く。
「今まで……治癒魔導士になるから、ボクは魔法儀式もやってなくて……その分知識だけはって勉強してたけど……それだけじゃ駄目なんだって思ったんだー」
「うん」
「ここに来てからずっと勘違いしてたんだボク……。ボクは弱いけど、それが戦えない理由にはならないし、戦わなきゃいけない時があるんだってわかった。だから……弱いからって理由で、何もしないのは間違いなんだなって……。結局南部でクエンティと戦った時も最終的にアルムくんに抱えられて足引っ張っちゃったし……」
「まぁ、あいつは絶対思ってないけどね」
「そ、そうなんだけどー……」
ベネッタは弱弱しく笑って続ける。
「友達なら、その優しさに、甘えるべきじゃないなって思ったんだ……だから、二人にお願いしたいの。ボクをできるだけ、できるだけ引き上げてほしいの。お願いします」
エルミラとルクスに向けて、ベネッタは深々と頭を下げる。
その行動に驚いたのか、エルミラとルクスは目を丸くした。
ベネッタがこんな風にお願いしてくるのを見て、本気なんだと悟る。
エルミラはそんなベネッタの様子を見て小さく息を吐くと、
「じゃ、やりましょうか」
「え!? そんな軽く!?」
「いや、別に大して重いお願いでもなかったし。ベラルタ魔法学院の学生が強くなりたいってだけの話じゃない。普通の事をそんな深刻にする必要無いでしょ」
「そ、そうかもだけどー……」
「いいでしょルクス?」
「うん、特に断る理由も無いよ。むしろ応援したい」
エルミラとルクスが自分が気負い過ぎないように軽く言ってくれているというのがベネッタにもすぐにわかった。
その優しさに、ずきり、と心が痛む。
さっき言った理由は嘘じゃない。けれど、自分は本当の理由を話せていないとわかっているがゆえに。
「けど、何で僕達だけに? アルムとミスティには?」
「ミスティにはお願いしようと思ってるけど、今ちょっと大変そうだからー……もうちょっと後で……。アルムくんにはその……秘密にする必要はないけど、あんま話さないでほしいっていうか……」
手をもじもじとさせるベネッタにルクスは首を傾げる。
「ん? なんでだい? アルムの魔法はともかく戦法はかなり参考になると思うけど……」
「はぁ……ルクス……。あんた意外と鈍感ね……目標にしてる人を驚かせたいって乙女心が何でわかんないのよ」
「ああ、なるほど……」
「そ、そんなんじゃ……そんなんじゃないよう!!」
その日から帰郷期間を除く毎日、ベネッタの特訓は続くことになる。
学院終わりにそれとなくアルムにばれないようにする……ちょっとした秘密の時間となった。
「思考を止めない。動くのをやめない。そんで、折れない。私達みたいな弱い奴にできる一番簡単で一番やるべき事よ。格上と戦う時には特にこの三つが必要だわ。戦うにしろ逃げるにしろね。
まずはこれができないとどれだけ訓練したってイメージ通りに動けないわ。何も考えずに戦ったら実力差でそのまま押し潰されるだけだし、逃げるのだってびびって逃げるのと考えて逃げるのじゃ生存の確率は変わってくる。技術以前にまず自分が敵とどう向き合うかの心構えが必要よ」
「うん!」
「魔法使いの戦いは精神力の勝負。魔法だけじゃなくて自分の動きすらイメージできる余裕を持つの。そうすれば自分の動きもしっかり見えるようになるわ。私達はただ漠然と体を動かしてるんじゃなくて、イメージした動きに沿って動くのよ。魔法と一緒でね」
エルミラは主に格上と戦う上での心構えと体の動きについてを教え続けた。
没落貴族から這い上がり、魔法生命との接触が多いエルミラの教えの説得力は特に強かった。
「エルミラは凄いなぁ……そんな事考えてるんだ……」
「まぁ、私だからね……っていう自信を持つことも大切よ」
「うう……出来るかなぁ……」
「何言ってんの。あんたならできるに決まってんでしょ」
訓練の後で優しく撫でてくれる手がベネッタは好きだった。
自分の背中を押してくれる言葉とその手は、自分の夢を応援してくれている母親を思わせる。
エルミラに言ったら怒られるだろうな、とベネッタは口に出す事は無かった。
「大事なのはイメージですよ。ベネッタ」
「わ、わかってるんだけどー……うまくできなくて……」
帰郷期間後はミスティもそこに加わった。
特にネレイアの事件解決後は積極的にベネッタの訓練に付き合ってくれるようになる。
主に魔法技術についてをミスティは担当しており、魔法儀式という名の指導を続けていた。時に本気で戦い、時に導くようにゆっくりと時間を使って。
「はぁ……! はぁ……! 負けました……!」
「はい、ありがとうございました」
「ミスティ強すぎるよー……」
「うふふ。それでは忘れないうちに一度、考え直してみましょうか。魔法にとってイメージはとても大切です。ベネッタはしっかりと作り上げる魔法をイメージできていますか?」
「しっかりと……見た目とか形とか使い方とか……」
ミスティは首を横に振る。
「それだけでは足りません。例えば水の剣を作る魔法を使うとして……剣の形状や見た目は当然ですが、重さなどもイメージしなければなりません」
「え……? お、重さー……?」
「はい。重いのか? 軽いのか? 空を切った時の風切り音は? 刃の冷たさは? ちゃんと研がれているでしょうか? 刃は何で出来ていますか? 硬い? 柔らかい? 柄を握る感触は? 柄に使われている素材は? 装飾はありますか?」
「そ、そこまで……!?」
「そこまで……そう仰られるのもわかります。ですが、現実の剣には当たり前にある事だと思いませんか?」
「う……」
ミスティに言われて、確かに、とベネッタは言葉が出なくなる。
自分が得意とする治癒魔法も、人体を仕組みを詳細に理解してこそその効果は大きくなる。それを理解しているからこそベネッタは医学書なども読み漁っているのだ。
ならば他の魔法もそこまでのイメージをしなければならないのは必然。自分が他の魔法をどれだけ曖昧にイメージしていたのかを思い知らされる。
「魔法の基本を改めて持ち出しますが、何故魔法の効果が"現実への影響力"と呼ばれるのか。それは魔法が幻想を現実に変える人間の技術だからです。幻想の時点で妥協しようものならば……"変換"して現れた現実がどうなるかは容易に想像がつきますよね?」
「う、うん……ボクの考えが甘かったよー……」
「考えが甘いだなんて……そんな事はありませんわ。ベネッタの治癒魔法の腕前は私もよく知っています。治癒魔法に関してはきっと、ベネッタも当たり前にやってる事なんですよ。ベネッタは治癒魔導士志望ですからね」
落ち込むベネッタにミスティはにこっと笑いかける。
愛想笑いではなく、励ます為の方便でもなく……ミスティはベネッタの治癒魔法の腕前の素晴らしさを手放しに褒めた。
「その当たり前を他の魔法にも分けてみてください。あなたはできていないのではなく、気付いていなかっただけなんです。難しい事かもしれませんが……きっと、すぐに出来るようになりますよ」
「うん……ありがとミスティ」
尊敬しているミスティにそう言われて、ベネッタは何か体がくすぐったくなる。
嫌な顔一つせずに懇切丁寧に付き合ってくれるミスティを見て改めて、凄い人と友達になったんだなとベネッタは思い続ける日々になった。
「うーん……僕から教えるような事はほとんど無いんじゃないかな……。心掛けとかはエルミラが教えるほうがいいだろうし、技術はミスティ殿のほうがいいだろうし」
「そうなのー? ルクスくん魔法儀式してくれた後にここはこうしたほうがよかった、とか教えてくれるから他にも言いたい事あるのかなってー……」
「あまり色々な考え方を押し付けるとどれが正しいとかを判断できなくなっちゃいそうだからなあ……自力を上げるならあの二人に教えて貰いつつ、僕と戦うのを繰り返すのがいいと思うんだよね」
ルクスは主に戦闘における経験値を増やすために、ひたすらベネッタの魔法儀式の相手になった。
ベネッタと一番多く戦い、二人に教えて貰った事を実践するいわばベネッタの練習台。
オルリック家の次期当主を練習台にするなどという贅沢を出来るのだからベネッタにとってはそれだけでもありがたいどころの話ではない。
「ちなみに……やっぱルクスくんでもミスティには敵わないのー?」
「うーん……実際に対面して競うならともかく、一つ一つの技術の精度だと流石にまだ届かないかな」
「うへえ……」
「四大貴族って一括りにされてるけど、なんだかんだカエシウスの一強だからね。ミスティ殿は特に天才だし……血統魔法使われたらもっと無理だよ」
自分からしたらルクスくんも天才の分類だよ、とベネッタは言いたくなる。
ミスティから技術について教わったからこそ、今まで以上に実力が肌で感じられるようになってきたのだ。
「だから、僕が教えられるのは技術とは関係ないイメージかな」
「どういう事ー?」
ルクスの言葉の意味がわからず、ベネッタは首を傾げる。
「魔法使いにとっての一番の力はやっぱりイメージする事だと思うんだ。けれど、僕が言いたいのは技術面とかじゃなくて、自分の憧れや理想をイメージする事だと思う」
「憧れ……」
「自分がイメージする勝利をもたらす誰か……自分にとっての理想の勝利者。こうなりたい自分。それは成長した未来の自分でもいいし、他の誰かだっていい。憧れに自分を重ねて、よりよい動きを導き出すんだ。そうすると自分が思い浮かべた選択肢よりも、もっと自分の選択肢が広がると思ってる」
「誰かならこうするかな、ってのを想像するってことー?」
「うん。僕一人じゃ思いつかない事も、エルミラなら思いついたりすると思わないかい? 人との関わりが自分だけじゃ思いつかなかった発想に結び付くことだってきっとあるんだ」
「人との関わり……そんな事戦いに関係あるなんて考えたことも無かった……」
「ベネッタにはいるかい?」
「へ?」
聞かれて、何の事か一瞬わからなかった。
「ベネッタにはいるかい? 勝利を思い浮かべるような憧れる誰かが」
ルクスにそう問われて、ベネッタは俯いた。
ルクスは考えていると思い込んでそれ以上聞こうとしなかったが……ベネッタはただ口から漏れ出そうになった感情に耐えていただけだった。
――君達だよ。ボクの憧れは君達だよ。
そう言いかけて……けれどベネッタは言葉にする事はできなかった。




