603.翡翠色のエフティヒア
(馬鹿な……! 馬鹿な馬鹿な……!)
全てが順調だった。
アポピスが憑いた日から人生の全てが好転する日々を作り上げた。
不老となり、ラティファを呪法で縛り、ダブラマの頂点に立ち、反抗する勢力を徐々に潰し、処刑し、殺し、民の支持を得続けていた。
偽りの王位、偽りの均衡、偽りの理想。
真の理想――神を崇め、魔法使いだけを率いる真の強国。マナリルすら蹂躙する世界の頂点。国同士の煩わしい関係にすら終止符を打つ完全なる統一を目指して、彼は今日までを生き続けた。
全てはラティファを超える為。ラティファに夢見た民の理想すら超える為。
アポピスという神を崇めて勝利を手にしたこの世界で最も偉大な王に至る為に。
その理想の為に。アブデラは石橋を叩き続けた。
慎重に事を運び続け、敵の心理を読み、誘導して出し抜いた。
アポピスを倒す可能性のある強者の行動を完全に手玉に取り、自分の所に辿り着けないように、全てを動かすことができていた。
スピンクスが裏切っていたのも知っている。
それが、アルムを引き離すには都合がよかった。
グリフォンは冷酷であるものの戦士に惹かれていた。
ルクス・オルリックを相手させるのに丁度よかった。
ジュヌーンという第二位の魔法使いを無視できないのはわかっていた。
敗北こそ予想外だったが、消去法でエルミラ・ロードピスが戦うと確信していた。
ラティファの相手は決まっている。
ミスティ・トランス・カエシウス以外に止められる者はいない。
マリツィアとルトゥーラの相手には一年前に回収していたシャーリー・ヤムシードの死体をあてがって消耗させた。
ヴァン・アルベールやマナリルの他の増援の存在は予定外でこそあったが、計画を逸脱する程の影響は与えないと判断するのは難しくなかった。強者ではあるが魔法生命を単独で撃破できる実力に及ばない。
案の定、スピンクスが語る"答え"にヴァン達の存在は無く、アブデラの思考とも一致していた。
自分の計画を乱し得る強者の存在は全て……完全にマークしていた。
(それが……そのはずが――!!)
使者として訪れたアルム達のおまけ。
こちらを過度に警戒させないために選出されたであろう未熟者。
ただの弱者と捨て置き、名前すら把握していなかった存在が今――自分の計画の最後に、立ちはだかっている。
その事実にアブデラは心が波立ち、平静が遠のいていく。
(王都から発掘通路までは普通に馬を走らせても一時間程はかかる。映像が映し出されてから向かったのでは確実に間に合わない……という事は、この女は一時間以上前からこの場所を目指していたというのか……!? 何故ここを目指せた!? 感知魔法も届かないこの地下遺跡に!!)
弱者であるからこそ、ベネッタはダブラマのマークから完全に外れていた。
玉座の間で見た時にすら、アブデラはベネッタの名前を呼んでいない。
警戒されていなかったベネッタが起こした行動が、凱旋の道を進みかけていたアブデラの予定を覆す。
「有り得ぬ……! 有り得――!」
"誰かがあなたを挫くとすればそれは特別な者ではなく、普通の人間だと……最後の答えが見えています……"
動揺を振り払おうと叫びそうになったその瞬間、スピンクスに言われた最後の"答え"を思い出し……アブデラはベネッタを見据えた。
見るからに平凡な少女。強者特有の佇まいも無い。
……どれだけ走っても、至上の領域に辿り着けない者。
目の前に立っているのは確かに特別ではなく――
「いやそんなはずはない……!」
あの答えが示していたのはアルムのはずだ。
才に嫌われ、研鑽と思考で天敵にまで至ったあの男のはずだ。
――断じて……断じて目の前にいるこの女のはずがない!!
アブデラはその否定をもって動揺を収める。
この少女に未来はわからない。この少女に自身の理想は変えられない。
目の前に立つ最後の敵は、ただ勝利の道に転がってきたただの石ころに過ぎないのだと。
「『天翼の加護』!!」
「そんなはずはない……!」
アブデラの背後の闇が蠢く。
ベネッタの強化には目もくれず、ただ目の前に立ち塞がる最後の命をアブデラは呪う。
「呪いあれ……呪いあれ……我が道を邪魔する者に呪いあれ……」
口から漏れる地の底から這い出るような呪詛。
アブデラは掴んでいたメドゥーサを放り投げると……黒い魔力をその瞳に湛えた。
背後の闇が形を成していく。
霧のような曖昧から、生命のカタチを模して牙を剥く。
どこからか聞こえてくる蛇の威嚇音。
そしてその全てがアブデラの中に吸い込まれるように消えていく。
「『抵抗』!」
「呪いあれ……呪いあれ……人間の進歩を邪魔する邪魔者に呪いあれ……」
地下遺跡の広間が徐々に明るくなっていき、魔石の光が強まっていく。
広間に散らばる骸骨すらも目視できるようになっていた。
アブデラの手によって処刑された人間の骨の数々が映像として映し出され、見ている民達の恐怖を更に煽っていく。
地下遺跡の薄暗さは消え、記録用魔石が映す映像に地下遺跡の壁すらはっきり映るようになった。
まるで……アブデラが暗闇をその身に集めたかのように。
ベネッタの周囲の変化に気付きながらも、補助魔法で身を固めていく。
少しでも怠れば、自身の精神を蝕まれる事を理解して。
「死に絶えよ才無き者よ。ベネッタ・ニードロスだったな……死後からこの世界を見つめるがいい」
ぴたっ、と地下遺跡に蔓延する魔力の動きが一瞬止まった。
互いに準備が整わせて――
「『鉄槌の十字架』!」
「『星の枷』」
同時に攻撃魔法を放つ。
構築速度は互角。互いに敵の頭上に中位の攻撃魔法を出現させた。
銀色の魔力光を纏う巨大な十字架をアブデラは仰いで――
「ちっ……! 信仰属性……!」
身を退いてかわす。
忌々しそうに歪める表情はベネッタの属性に対してのもの。
信仰属性は唯一、鬼胎属性の"現実への影響力"が通りにくい属性。
この場に普通に立っていられるのはそのせいかと舌打ちをする。
いくらアルムへの呪詛に力を注いでいるからと、アポピスの魔力の圧力は他を超える。
平民がこの場に立とうものならアポピスの魔力にあてられて自害するか意識を失うか。
だが、目の前の敵は戦う意思を持っている。震える様子すら無いその精神力には賞賛を送らざるを得ない。
「っ……重……!? 地属性……!」
アブデラの魔法を受けて、ベネッタもまたすぐにその場から離れる。
自身の体が急に重くなり、すぐさま地属性だと看破する。
闇属性における転移魔法のように、地属性の中でも難しい魔法群である重力魔法。
本の中でしか見たことが無いものの、その存在は知っていた。
重力という目に見えない現象を魔法に落とし込み、"現実への影響力"を保つその難易度は並ではない。
侮っていたわけではないが、ベネッタは改めてアブデラへの警戒度を上げる。
相手は魔法生命の力に頼るだけの相手ではない事を実感して。
『いっけえ! ベネッタ! 見せてやりなさい!!』
『ベネッタ!!』
『そうですベネッタ! あなたはずっと頑張ってきたんですから!!』
記録用魔石を通じて届く声援がベネッタを後押しする。
ミスティ達の声を聞いて、ベネッタは冷静に頭の中で言葉を反芻していく。
「うん!!」
力強く答えて、ベネッタは広間を駆けた。
重力魔法は人ではなく空間にしか作用できない。知識を生かして狙いを定められないように動き回る。
ここには自分しかいない。けれど、一人でもない事を彼女は知っている。
どれだけアブデラが、闇の奥にいる怪物が呪詛を唱えようとも……声援より大きくなることはない。
いつも読んでくださってありがとうございます。
お待たせしました。ここからは第八部『翡翠色のエフティヒア』の最終章となります。
応援よろしくお願い致します。




