602.奇跡は起きない
『ダブラマの民よ! 我が国の民よ! 死に震え、恐怖に歓喜するがいい! 君達の魂は我が理想の為に消費される!!
いずれ訪れるだけの死ではない! 偉大なる存在への対価となって! この国の為の尊き犠牲! 平民などという才無き命にこのアブデラが意味を与えよう! 喝采を! 君達の犠牲に喝采を!!』
マリツィアが絶望する中、国中の霊脈のある土地に映し出されるアブデラの映像そして声は止まらない。
どれだけ鈍くても、その映像と声が民達に気付かせてしまう。
自分達が得体のしれない黒いものに追われるのを、アブデラ王は喜んでいる。
自分達をこんな目に合わせているのはこの国の王なのだと嫌でもわかってしまう。
「なんで……? アブデラ王が、そんな……」
「嫌だ……! こえ、声が聞こえる……! 変な声が……! 黒い穴が……!」
「寒い……! さむい……! 凍る……!」
黒い魔力にとって精神に無理矢理押し付けられる死者達の恐怖。
理不尽に味あわされるその脳内での臨死体験が民達の気力を奪っていく。
そして行き場の無かった恐怖が、自分達の混乱を見て笑っているアブデラに集中する。
何故記録用魔石を通じて自分の本性を現したか。
無論、自身に憑く魔法生命アポピスの"現実への影響力"を底上げするため。
どうせこのまま殺すのならば……死ぬまでに恐怖を与え、これから復活するアポピスの糧にしたほうが効率がいい。鬼胎属性は人の恐怖にとってその力を底上げされる。
いわば民の命を消費する前の有効活用。これは復活の前に行われる恐怖の蒐集だった。
「間に……合わない……。そんな……所に……」
聞こえてくるアブデラの声と各地から聞こえてくる民の悲鳴。
最悪を聞きながら悲愴な表情を浮かべるマリツィアの肩をヴァンが掴む。
「折れるな! 地下遺跡への入り口は!」
「地下遺跡に繋がる発掘通路はあります……王都の郊外に……。ですが……ここから……どれだけ急いでも一時間は……」
「マリツィア! 転移魔法だ! ハリスさんの死体を使って!」
ルトゥーラが言うと、マリツィアは首をゆっくりと横に振る。
「無理です……転移魔法は……使い手の行った事のある場所か、目視している場所にしか……使えません……」
「じゃ、あ……じゃあ……! っそおおおお!!」
ルトゥーラはそのくすんだ赤い髪を引きちぎるような勢いで頭をかきむしる。
必死に思考を回すが、どれだけ考えても時間が足りない。
『そしてこの光景を見ているだけの我が敵達よ。惜しかった……実に惜しかったな』
映像から聞こえてきたのは明らかにマリツィア達への声。
映像を通じて、ダルドア領のエルミラや王都の中央広場にいるルクス、そして砂漠にいるミスティにもその声は届いていた。
これから始まるのは勝利が決まった勝者が、敗者に向けて勝ち誇る時間だった。
『我が手駒を全て制圧したのは見事という他無い。だがその輝かしい強さが無い事こそが我の勝因だ。
我は本来、貴様らのような歴史に名を刻む者達とは違う。我はラティファの栄光によって歴史の闇の消えるはずの弱者だった……だからこそ、我は油断しなかった。異界の神という理から外れた者の協力を経て、その力を得てもだ』
アブデラは映像の中で歩いているようだった。
今どこを歩いているのか。それは後ろの背景が明るくなり始めて……ルクスだけがその場所に心当たりがあった。
地下遺跡に落とされて、自分達がしばらく過ごした地下遺跡の広間。
暗闇の中、骨ばかりが転がる広間の壁には魔石が配置され、その魔石が放つ光はアブデラの勝利を讃えるように輝いている。
『貴様らは強者ゆえに合理的過ぎた。だから、我の賭けにも気付かなかったのだ。貴様らが何故この場所を失念していたのか……わかるとも。我が百年の悲願である魔法生命アポピス様の復活の場所に、わざわざアルムを落とすわけがないと踏んでいたのだろう?』
「……!」
マリツィアは真を突かれて言葉が出なくなる。
そう……可能性を考えなかったわけではない。だがアブデラは百年もの間ダブラマを平和に統治し続けることで国民を騙し続け、常世ノ国での魔法生命の動きをマリツィアに監視させ、ダブラマが標的にならないように立ち回っていた慎重な人物。
そんなアブデラが魔法生命復活の場である地下遺跡……その存在をわざわざ天敵であるアルムを落とすことで存在を示唆させるとは思わなかったのである。
ゆえに、王都に潜伏すると予想した。念のために王都からの出入りも監視させた。
王都以外の場所に行こうものなら当然守りも手薄くなり、王城にいないとあればさらに自分の身を守れる可能性も低くなる。
ばれていようといなかろうと、アブデラが最も安全に時を待てる場所は王城なのだ。
だがその思考が……可能性を排除させてしまった。
『我は強者となった今でも弱者であった自分を忘れない。弱者が勝つ手段は研鑽と思考、そして予想を覆すための予期せぬ賭けだ。アポピス様を受け入れた時のように……我は賭けた。貴様らを出し抜くために、あえてアルムを王城まで来させ、そして魔力切れまで追い詰めさせるためにはあの場所に落とすしかないと……この
生贄を失うリスクを背負っても、必要なことだった』
アブデラは映し出された映像の外で何かを掴み、そして映像に映るように引っ張り上げた。
『か……あっ……』
『メドゥーサさん……!』
アブデラに頭を掴まれている血塗れのメドゥーサが映像に映り、思わずルクスの声が漏れる。
アルム達が地下遺跡で出会った魔法生命メドゥーサ。
マリツィアやルトゥーラにとっては親友の仇だが、ルクスにとっては地下遺跡から脱出できるルートを教えてくれた恩人だ。
『アポピス様と同じく伝承にて蛇を司るこの女……アポピス様が復活された時に素体となるこの生贄を失うリスクもあったが、勝算もあった。アルムは魔法生命の天敵だが、魔法生命だからと殺す少年ではない。
我は賭けに勝った! この広間は無傷! そしてこの女も生きている! そしてアルムは脱出のために魔力切れとなった……余波でラティファが動けなくなったのは計算外だったがな。おかげでその後の足取りは追えなくなってしまったが……今となっては些末な事だ』
ここまで聞いてアルム本人の声が未だ聞こえてこない事にミスティ達は不安を覚えた。
アルムも当然通信用魔石を持たせている。妨害用魔石が無くなったというのに、何故連絡をしてこないのか。
『ああ、無駄だとも。あの男にはこの国の民とは比べ物にならない呪詛を送り込んでいる。ラティファの呪法が緩んだのもそのせいだとも。
我はあの男に一瞬の勝機すら残さない。あの男の魔力を削り、スピンクスの裏切りを知っても利害の一致を優先し、そして普通ならばここに間に合わなかったとしても、排斥するための策を緩めない! あの男がこちらに一歩でも歩いてくるというのなら、その一歩すら近付けさせないよう全力を尽くそう!!』
『アルム! アルム! 返事をしてください!!』
ミスティがアルムに呼び掛ける声が聞こえてくる。
だが声は返ってこない。アルムの声が聞こえてこない事にアブデラは満足そうに口角を上げた。
『我はアルムを甘く見ない。歩む道こそ違えど奴もまた我と同じ弱者だった者。その研鑽と思考を積み重ね、そして常識を超えた者。
ゆえに……最も恐れた。その人間らしい恐れが貴様らを出し抜く一手となった! 怪物では抱かぬこの恐れが我が人間である証であり、この分岐点に立った勝因である!
我の勝ちだ。我が敵達よ。光の塔はこの国にもう建たない! この場を覆す――"魔法使い"は現れない!』
ただ聞いているしかできないアブデラの勝利を誇る声。
ここから全速力で向かっても間に合う者はいない。
マリツィアが希望として連れてきたアルムでもどうにもできない。
最後を決定付けたのは魔力も魔法も関係ない現実……物理的な距離がアブデラの勝利を確固たるものにする。
『恐怖に怯えて言祝ぐがいい。ただ一人の神がこの世界に誕生する。
名はアポピス……混沌と復活を司る生命の理を崩す者! 平民の命をあなたに捧げ、我が願いをここに!
この国は転生する! 才無き者の命を生贄に、才有る者だけの世界へ! 誰もが神秘をあまねく理想郷! 人類が辿り着くべき地平の先! 創始者が作り上げた舞台をここに閉幕させる! さあ世界よ……新しき緞帳を上げよ! 我が作る次世代の歴史に向けて!! ハハハ……! アッハッハッハッハアアア!!』
たった一人の笑い声が、この国を支配する。
今日の為に戦った者達の敗北を決定付ける。
「う……っ……ああああああああ!!」
「っそ……! くそ……! くそ! くそ! くそ! くそおおお!!」
「……」
マリツィアは涙を流しながら悔しさを滲ませ、ルトゥーラは苛立ちに任せて机を破壊するしかなかった。ヴァンはその二人を見ていることしかできない。
『ルクス! あんた王都にいるんでしょ! 何か手はないの!?』
『無い……! 無いよ……! どうやって……』
『っ……! アルム……!』
通信用魔石から聞こえてくるエルミラやルクスにも手はなく、ミスティすらアルムの名を呼ぶしかできない。アルムの声は未だ聞こえてくることすらない。
聞こえてくるアブデラの笑い声が国を恐怖で包み、逃れるように空を見た人々はさらに絶望する。
閉ざされた太陽の光は彼らを照らすことはない。
「私達の……負け……」
この世界に神はいない。
神秘とされる魔法さえ人の技術に過ぎず。
『お願い……何か……何か無いの……!?』
奇跡など起きるはずがない。
魔法とは奇跡からは程遠いただの現象ゆえに。
『このままだとアルムまで呪詛で……!』
『いや……! そんなの駄目です!!』
奇跡とは星と神の特権。
神はおらず、星は人間如きに奇跡など与えない。
人に与えられた権利は現実を生き、幻想を抱くことだけ。
自分が浮かべる幻想を、よりよい未来のためにと動く事だけが現実を変える手段。
ゆえに――祈った所で奇跡など起きるはずがない。
…………。
『…………』
………………。
『…………』
……………………。
『…………』
…………………………。
『…………』
………………………………………………。
『………っ………』
………………………………だからこそ、これは奇跡などではなく。
『……? 何だ……? ネズミか……?』
人間の行動が引き起こした現実。
人間にはその力がある。時に自然すら踏みにじる行動力。
自分にとってのよりよい未来を引き寄せようとする欲望が生む現実。
『……っ……! っ……!』
『いや……これは……!?』
さあ……聞こえてきただろう災厄の結末よ。
『馬鹿な……! そんなはずが……!』
お前に抗う為に走ってくる、最後の足音が――!!
『ぜっ……! ぜぇっ……! み、見つけた……!』
アブデラとは違う声が、映像を通して人々の耳に届く。
記録用魔石が映すアブデラの映像に、息を乱した一人の少女が入り込む。
その翡翠色の髪と瞳が、ダブラマ中に映し出された。
『べ、ベネッタ!!』
『ベネッタ!? 何でそこに……!?』
『ベネッタ!! 何やってんのあんた!?』
「べ、ベネッタ様……!」
「……ニードロスの嬢ちゃん!?」
「おい……ベネッタお前……」
映像に映し出されたその姿は王都にいるはずのベネッタ・ニードロス。
先程まで敗北を悟っていたミスティ達の驚愕の声が魔石からベネッタにも届く。
『はぁっ……! はあっ……!』
……少女はただ走っていた。
浮かび上がった危惧。通信の妨害によって共有できなかった可能性。
アルムとルクスと一緒に落とされたベネッタだからこそ浮かび上がった一つの"答え"。
敵と戦う役目が無く、アルム達と一緒に脱出した発掘通路を迷わず目指せる唯一の少女。
自分の行動が無駄になってもいいからと、役立たずだと言われても構わないと……少女はただこの地下遺跡に向かって走り続けた。
最悪の結末に辿り着かないために……この結末を変えるために――!
『おま……お前……は……一体……一体誰だ……?』
アブデラの動揺が声色にも現れる。
この女は誰だ。こんな女は知らない。何故ここに来れる。
そんな疑問が頭を駆け巡る。
アブデラはベネッタを見てなどいなかった。アルムとルクスと一緒に玉座の間に来たことすら覚えていない。
取るに足らぬ弱者。警戒する必要の無い者。弱き貴族を蔑ろにするダブラマの貴族の在り方がベネッタの存在を視界に入れさせていなかった。
そんなベネッタの存在と行動が、アブデラが予想していなかった不測の事態へと現実を変えた。
『ボクは……ベネッタ・ニードロス』
ベネッタはアブデラに名乗ると……深呼吸をして、乱れた息を整える。
対峙しているのは元凶。ダブラマを百年支配し続けた王。異界の神――魔法生命の魔力残滓を宿す者。
まともに戦って……勝てる相手ではない。
(助けは来ない)
わかってる。
そんな事はわかってる。
(ボクしかいない)
それでも、逃げるわけにはいかない。
(ボクしか……いない!!)
心の中で、してきたはずだった覚悟を決める。
普段見せない凛々しい表情で、ベネッタはアブデラ王と向き合う。
翡翠の瞳は恐怖を振り払い、アブデラの奥に蠢く闇を見据えた。
『ボクが相手だ――アブデラ王』
静かな宣言は一縷の希望となってダブラマ中に響き渡る。
アポピスの瞳まで後十分。少女は世界の分岐点に辿り着く。
終わってない。終わらせない。
ここに主人公はいない。
英傑の器も弱者の味方も最強もいない。
――それでも少女は、ここに立つ。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ここで一区切りとなります。
次の本編更新から第八部『砂塵解放戦線ダブラマ』改め――第八部『翡翠色のエフティヒア』の最終章の更新開始となります。
ここまで付き合ってくださっている読者の皆様に感謝を。そして最後まで応援よろしくお願い致します。




