600.愛国の女王4
いつからだろう諦めたのは。
いつからだろう死んでいいと思ったのは。
遠い記憶ではない気がする。数年前まで、私はこんな風じゃなかった。
いつからだろう――ダブラマの名だけ残ればいいなどと、愚を思い始めたのは。
奴は……アブデラは私を手に入れたがっていた。
だからこそ、私はアブデラと呪法による契約を交わした。
私を縛る百年の呪い。アブデラに支配され、ダブラマを外敵から守り続ける契約。奴に憑く魔法生命復活の先延ばし。
――私はいつから本来の意味を失っていた?
私が百年もアブデラの傀儡となっていたのは、ダブラマを守るためだったはず。
ダブラマの民を守るためだったはずだった。
ダブラマの民を守るために、百年を長引かせたはずなのに。
本当にいつからだろうか……私はそんな事も忘れてしまっていた。
そんな事にも気付けないほどに、私は折れていた。
出口の無い闇の中、体中を這いまわるおぞましい呪法の痛み。
砂漠に居続ける孤独。いつまで続くかわからない苦しみ。
ダブラマ最高の魔法使い。王家に生まれた最高傑作。
そんな風にもてはやされた所で……私は一人の人間に過ぎなかった。
私には、あったはずだ。
朝カーテンを開けて始まる一日。
今日は休みだと二度寝する誰か。
駆け回る子供。
汗水流して働く大人。
雑談をしながら昼を食べる人々。
夕方に子供を迎えに来る母親。
ただいまと帰宅する父親。
テーブルを囲む家族の団欒。
寝静まるまでに過ごす夜の時間。
明日が来ることを疑わない静かな寝息。
暗闇を照らす太陽はまた、そんな彼らの明日を照らしに昇るのだ。
私が守りたかったのは、そんな当たり前の日々。
王位に就いて守ろうと思っていたのはそんな当たり前を誇れる国。
断じて、名前のためなどではない。
そんな事を、誰かに言われなければ思い出せないほど……孤独が辛かった。
……けれど、もう違う。
私を救おうと戦う誰かがいる。
この国の為にと走ってくれている誰かがいる。
少なくとも、私の諦めを否定して……声を荒げてくれる者が前にいてくれる。
ならば……私が、この国を諦める権利などどこにあるだろうか。
他でもない私以外がまだこの国を諦めていないと言うのに……女王たる自分がいつまでも暗闇を見つめているわけにはいかない――!!
「私の百年に……意味があったのなら……」
なんて、私は幸福なのだろう。
苦痛に耐える日々は今、目の前にいる古き王とその仲間によって報われているのだから。
『「!?」』
ラティファが俯くと同時に、地響きが鳴り響く。
徐々に大きくなり、その音は雪が咲く砂漠を揺るがす。
揺れで体勢を崩すミスティはすぐさま飛び上がった。
(届かなかった……! もうラティファ様には……)
感情を叩きつけた声でさえラティファには届かなかったのかとミスティは落胆する。
また戦うしかないのかと覚悟を決めた矢先――ラティファがミスティを見上げた。
『「え……?」』
その瞳には光がある。
目付きは優しく、それでいて強く。表情も気怠そうなものから、凛々しい女性のものへ。
戦いの中では見られなかった明らかな変化だった。
「礼を言おう。古き王の血を引く者よ」
地響きが大きくなっていく。
ミスティは広がる砂漠の一点、ラティファの背後にある砂が盛り上がったのに気付く。
砂の盛り上がりが大きくなるにつれて、揺れも増しているようだった。
地震? いや違う。
『「ラティファ様……!? 何を……?」』
「全く、私とした事が……このような、痛みで……! 我を、失うとは……ごぶっ……!」
突如、ラティファは吐血する。
ラティファの体がぐらつく。それは揺れによるものではない。
見ればラティファの体中には黒い魔力が浮かび上がってきていた。
這いまわる呪法がラティファの体に苦痛を与えている。
つまりそれは……アブデラと結んだ契約をラティファが破った証。
『「ラティファ様!」』
「来るでないミスティ殿。しばし冬の空で待ってほしい。私なりの……けじめを、今……ここに……! 私は、待っていた。アブデラが作るこの偽りの平和に気付く誰かを、その為にこの呪いを受け入れた。ならば、貴殿らが戦っている今……私がこんな呪いに縛られている理由は無い!!」
ラティファの右腕が破裂するように裂ける。
裂けた皮膚からは血が噴き出し、ぶちぶち、と血管を破る音がする。
呪法という契約を奪った罰がラティファを蝕んでいく。
だが……その表情から凛々しさが消えることはない。
痛みなどで、もう彼女は止められない。
「このような痛み……女王にあるまじき願いを口にしてしまった恥に比べれば、っぶ……安いもの……! 王か。一人では何と脆弱な地位よ、だが一人でないのであれば……!」
ラティファの背後で盛り上がってきた砂の中から巨大な魔石が現れる。
それこそラティファが守っていた妨害用魔石。アブデラとの契約で守らされていた魔石を砂漠の奥からラティファは引きずり上げた。
砂漠に落とされる巨大な魔石。その周囲を先程ミスティにしたように手の形をした手が取り囲み、砂の手は拳を作る。
『「ラティファ様! それは私が破壊します!!」』
「いいえ、これは私が破壊しなければならない。貴殿と貴殿の仲間を遮る……この魔石の破壊をもって、私の帰還を知らせましょう」
呪法に蝕まれることで右脚の皮膚も裂け、血塗れになる右半身。
内臓が傷つけられ、喉元までせりあがってくる血を吐きながらもラティファは微笑んだ。
呪法を破る者の末路はミスティも知っている。
今味わっているラティファもまたその痛みを誰よりもわかっているだろう。
だがそれでも止まらない。
ラティファの背後で……妨害用魔石に向けて、砂の拳が叩きつけられる。
「聞けダブラマよ! 我が名はラティファ・セルダール・パルミュラ!!
この国に真の繁栄をもたらす砂漠の女王にして……この国の玉座に座る者! 我が友ミスティ・トランス・カエシウスの呼び声により、呪いの闇より今戻った!!」
一撃で砕け散る魔石。
魔力に反応して輝くその一瞬は女王の帰還を示す威光。
吐き出す血すらその在り方の前では美しく、一滴一滴が宝石のよう。
呪いと苦痛で縛れぬその輝きこそ女王たる証。国の頂点としての"存在証明"。
敗北と呪いによって折られた心は今蘇った。
呪法を振り払い、悪辣な意思を跳ねのけ――血統魔法が呼応する。
ラティファの頭上に浮かび上がる砂の王冠。
ここにいるのはダブラマの魔法使い『女王陛下』ではなく、ダブラマを統べる砂漠の女王。
国への誓いをもってようやく、彼女は真の女王となった。
『「ラティファ様!!」』
地響きは止み、ラティファの体を這いまわっていた鬼胎属性の魔力が消える。
砂漠にできあがった血の水溜まりはラティファが削った命そのもの。
呪法こそ跳ねのけたがラティファの体が無事ですむはずもない。ラティファがふらついたのを見ると、急いでミスティは砂漠に降り立った。
先程まで災害のような戦闘が起こっていたとは思えないほど砂漠は静かになり……雪の花が咲く砂漠の真ん中で二人は血統魔法を解除する。
砂と冬。自然の神秘を取り込んだ魔法使いの戦いは王の在り方を取り戻したころで終わりを告げた。
「ミスティ……殿……。すまない……本当に、すまない……私の所に来てくれたのが……貴殿で、よかった……」
「ラティファ様しっかり! 死んではなりません! あなたがいなくなればあなたを救いたいと戦う人々が悲しみます!」
「私は……大丈夫です……。これでも、血統魔法と一体化して……いますから……。少し休めば……死ぬ事はありませんよ……。流石に……戦うのは……無理ですが……」
ラティファの言葉にミスティは安堵で息を大きく吐いた。
妨害用魔石も破壊し、ラティファも生存したまま。
ラティファ自身の力もあったが、これ以上無いほどの戦果である。
「それよりも……アブデラを……!」
「そうです。もしかしてラティファ様はアブデラ王のいる場所をご存じなのですか……?」
戦いは終わっていない。
ラティファは頷いて、太陽のほうを見る。
ミスティも釣られてそちらに視線をやると、もう太陽のほとんどが影に隠れ始めていた。
「時間が……ありません……。すぐに通信用魔石を……」
「は、はい!」
「あいつの……アブデラの場所は――!!」
ミスティが通信用魔石を取り出してラティファの言葉を伝えようとしたその瞬間。
二人の周りに散らばる砕けたはずの魔石が突如輝きだして……二人の前に、映像が浮かび上がった。
いつも読んでくださってありがとうございます。
ラティファ戦決着となります。




