599.愛国の女王3
"この世界には、私を助けてくれる"魔法使い"なんて……いないんですよ……"
ラティファから出たその言葉にミスティは一瞬はっとする。
自分の記憶に触れるような声にくすぐられる。
ダブラマ最強の魔法使い……呪法によって支配された悲しき女王。
作戦開始から今まで必死に食らいつくのに精一杯だったというのに、ようやく本当の意味でラティファと向き合えたような感覚になる。
「まるで……」
私みたい、と。
ミスティに訪れる既視感。
一人で泣いていた自分とラティファの姿が重なる。
――助けてくれる誰かがこの世界にいますように。
誰も助けてくれないという恐怖と、助けられるべきではないという魔法使いの頂点の家系ゆえの……寒い夜にずっと祈っていたかつての願望。
砂漠と一体化し、人間を超越した砂漠の女王。その本質をミスティは見た。
「"呑み込め"」
ラティファの声と共に砂漠がうねり出す。
ミスティの下に見える砂漠が大きく窪み、砂がミスティを引きずり込む手のように蠢いた。
自然現象とは程遠い、空にある命すら奪う砂漠の動き。それもラティファが口にすれば砂漠の現象として現れる。
それこそが"現実への影響力"。幻想を現実に変える魔法のイメージ。
浮かぶミスティに砂の手が迫りくる。そんな状況だというのに――
「何が……おかしいのです……?」
ミスティは微笑んでいた。
先程まで苦しそうに息を乱していたというのに。
砂の手がミスティを掴んでも、ミスティはそのままだった。
恐怖で諦めたわけでもない。死を前におかしくなったわけでもない。
その表情にラティファは疑問を抱いた。
「あなたにも、いますよ。ラティファ様」
「……?」
「あなたを救おうとする魔法使いがいるんです。いるんですよラティファ様」
ミスティを引きずり込もうとする砂の手がぴたりと止まる。
「でなければ……こんな騒動になりませんでしょう? 私はそんな……あなたを救おうと魔法使いになった方々の願いでここにいます」
「苦し紛れの……嘘を……」
「嘘ではありません。でなければ、マナリルの貴族である私がダブラマにいる事がおかしいではありませんか」
彼女は知るべきだとミスティは思った。
恐らく、彼女は何も知らない。
いや、知っていてもどうしようもできない所にまで追い詰められてしまったから。
だから、誰かが伝えなければいけない。
あなたにもいるんだよと。
あなたを救おうとしていた人達がいるんだと。
ラティファは百年近く待っていた。耐えていた。
愛する国の異変に気付いてくれる人を、そんな国を救おうとする魔法使いを。
そう。ダブラマを救うならば、まずは彼女から。
あなたの声に応えてくれた人達がいるんだと……誰かが教えなければ、彼女の心は救われない。
「あなたとアブデラ王の真実を知り、幼少から全てを捧げた三人の魔法使いがいたんです。一人は討たれましたが、二人は未だ戦っています。この国の為に、あなたのために」
「嘘」
「この戦いはただの反逆ではありません。わかっているでしょう? 今日この時、このタイミングで戦いが起きたのが偶然ではないことくらい」
「嘘……これは……マナリルが起こした戦い……」
「いいえ、これはダブラマの魔法使いが起こした戦いです」
「ただアルムが……あの"神殺し"が……アブデラを討ち取りに来ただけ……だから、あなたもいるんでしょう……カエシウス……」
初めて、ラティファがミスティから目を逸らす。
やはりラティファには真実が伝えられていない。
反逆したダブラマの魔法使い――マリツィアとルトゥーラ、そして戦死したシャーリーのことさえも伝わっていない。
「少しは期待しました……けれど……アルムの魔力を消費させたのは他でもない私……もういいの……。私には……ダブラマだけあればいい……」
「そのダブラマに住む貴族が戦いを挑んだのです。偽りの平和だと気付き、幼少の無垢を犠牲にして……今日の時に牙を研いでいた。この国を本当のダブラマにするためにと! 私はダブラマの民ではありませんし、あなたが苦しんでいたという事も聞いただけに過ぎません……それでも、彼女達の思いはわかります」
「それが……?」
「あなたの恐怖を拭おうとしていた人達は確かにいるんですよラティファ様……あなたのために魔法使いになった人達が。ダブラマだけあればいいと仰るのであれば、彼女達の思いを知ってください。今日の戦いは、そんな思いを繋いで起きたのだということを」
届け、とミスティは願う。
呪法によって疲弊し、絶望した心にせめて希望を。
……自分もそうだった。
恐怖に縛られた心に希望を灯してくれたのはそんな、自分を助けてくれる誰かがいると知った時だった。
呪法は解けなくても、その心にだけは届かせなくてはいけない。
自分の言葉は、あの人のように暖かくないかもしれないけれど……それでも――!
「それが……? 何……?」
「ぁっ……!」
返ってきたのはラティファの冷たい声。
ミスティを掴む砂の手の力が強まる。浮かぶミスティを砂漠に引きずり込もうと、ゆっくりと下がっていく。
「言ったでしょう……無駄なんですよ……。アブデラは倒せない……いや、それどころかアブデラの所に辿り着くことすらできない……。無駄だとわかっている戦いの中……私のために動く魔法使いがいた……そんな事を言われて、希望を持てるとでも……?」
「う……ぐ……! ラティファ様……!」
「全て、無駄なんです……。この戦いも……あなた達の戦いも……」
砂の手がミスティの体をへし折ろうとドレスの上から締め付ける。
ミスティの声はラティファには届かない。
「私は永遠にアブデラの傀儡……であればせめて……。ダブラマの名だけは……ここに在り続ける……。そう願うことだけが……幸福……」
「アブデラ王は、ダブラマの民を生贄にしようとしているのですよ!? そんな事をすればダブラマは――」
「それでも……ダブラマという国は残る……」
「何を……言って……」
「民が生贄になろうとも……ダブラマという国は残り続ける……。私はそれだけでいい……ダブラマが、在ればいい……。どうせ救われないのならせめて名前だけでも……私が望むのはそれだけ……」
ラティファの瞳の奥に暗い闇がある。
百年近い支配によって、すでにラティファは諦めていた。
アブデラの狡猾さと魔法生命アポピスの存在を唯一知っているがゆえに。
民を生贄にするという事実にすら、もうその心は揺れ動かなかった。
この戦いすら彼女にとって消化試合。水面下で行われる無駄な足掻き。
ならばせめて……せめて絶望の中にほんの少しの救いを。
ラティファの心はダブラマという国の名が残ることを望んだ。自分の愛する故郷が……名前だけでも残っていることに喜びを見出そうと――
「ふざけないでください!!」
その諦めにミスティは初めて怒りを露わにする。
先程までの子供の心を癒すような優しい声色とは違う厳しい声。
ラティファもミスティの変わりように驚いたのか目を剥いていた。
「名前だけ残ればいい……? よくも……よくもそんな事が言えましたね……!」
「そんな事……? あなたには……わからないでしょう……? 自分の国が……奪われる恐怖など……」
「ええ、あなたがどんな恐怖を味わっているかはわかりません。ですが……私は、カエシウスですよ……!」
「……? それが――」
言われてようやくラティファは気付いた。
カエシウス。それはかつてマナリルに吸収されたラフマーヌという王国の王族の家名。
つまりミスティは……国を失った一族の末裔。
主の感情に呼応しているのか、ミスティの頭上にある白い冠がさらに強い輝きを放った。
歴史が怒りに震えている。千年に刻まれた記憶の中から、王族の血が顔を覗かせる。
「あなたはこの国の王だったのでしょう……? それなのに、一番大切な事すら忘れてしまわれたのですか……? 王だけではなく今の貴族すら理解している本質を……! そこまで、あなたはわからなくなってしまったんですか!?」
「なに……を……?」
「国を作っているのが名前などと……! 先程まであなたを救わなければと思っていた自分の甘さにも、あなたに『女王陛下』の名がついていることすら……今は腹立たしい……!」
言葉と共にぶつけられる怒りと悲しみ。
ミスティから向けられる視線に軽蔑が混じる。
今までとは打って変わって叩きつけられる変化がラティファの胸を刺す。
「王でなくなったカエシウスすらわかっていますよラティファ様……国を失った先祖の願いを受け継いで今もそれを守っています。いいえ、カエシウスだけではありません。他の貴族だって、どんなに弱くても今のあなたよりは遥かに立派に今を生きている。
それなのに……未だ王であるべきあなたが何故そんなくだらない結論に至るのですか!?」
「くだらない……? あなたに……なにがわかるの……? 百年縛られ続けたこの地獄を……その地獄の中で見出した希望をくだらないと言う権利など……」
「その口で希望を語るなど! あなたはただ諦めただけでしょう!!」
遮って叫ぶミスティの声に、びくっ、とラティファの肩が震える。
ミスティを引きずり込もうとしている砂の手が止まった。
砂漠にミスティを直接引きずり込めば、それでラティファの勝利は決まるだろう。疲弊したミスティは砂漠から脱出できまい。長い戦闘も決着がつく。
その決着が目の前にあるというのに……何故かラティファのほうが気圧されている。
「あなたは強い。カエシウスの名を持つ私が手加減もできない使い手です……けれど、今のあなたは王どころか魔法使いと呼ぶことすら私達への侮辱となりましょう!
今を戦っているアルム達やマリツィアさん達よりも、いや……今もただの日常を生きている人々にすらあなたは敵いません! マリツィアさん達は可哀想です……こんな、こんな人間を救おうと人生を捧げていたなど!」
「知った……口を……!」
『「こちらの台詞です! 国が人であることすら忘れたか! ラティファ・セルダール・パルミュラ! ダブラマの女王よ!!」』
ミスティの瞳が青く輝く。戴く白い冠は威光の如く。
二つの声が重なり、静かに増す"現実への影響力"。
空気は冷たく変わり、再び雪の花が空に咲き始める。
『「人無くして国は国足り得ない! 王の血が流れているというのにそんな事もわからないのですか!? 今この地に住む民が消えればあなたの言うダブラマは死に絶えましょう! 名前だけ残れば……? よくもそんな事が言えましたね……! 国が名前や土地の形を示すと!? 地図でも見ているつもりかあなたは!!」』
「ぁ……わ、私……は……」
ミスティを締め付けていた砂の手が凍り付き、そして崩れる。
解放されたミスティはラティファの目の前まで飛んで、そのまま地に降りた。
ラティファの前で砂漠に立つなど自殺行為だが……近付いてくるミスティの迫力にラティファは一歩退いた。
『「私の……カエシウスの先祖は国の名よりも民を選んだ。ラフマーヌの名は消えても、ラフマーヌの民の子孫は今も北部に生き続けています。私の先祖はマナリルに負けても国を守った。この血統魔法に刻まれた歴史を私は誇りに思っています。
私の先祖は王であることを捨てても、王の矜持だけは捨てなかった! 民こそが国そのものだという事を理解していた!」』
「カエ……シウス……」
『「目を覚ましてくださいラティファ様……あなたのそれは希望などではありません。
思い出してください。そこに住む人々の営みそのものが国の形であることを」』
厳しい声色でラティファの眼前まで迫るミスティ。
瞳に宿るは強い意志。目の前の女性に必要なのは救いではなかった。
必要なのは自分が何者なのかを思い出させ、立ち上がらせる事。
ラティファは眼前まで迫るミスティに気圧されて、そして頭上をゆっくりと見た。
ミスティの頭上には白い冠。だが自分……砂漠の女王の頭上には、あるべきものが無い。
いつも読んでくださってありがとうございます。
後数話で第八部最終章です。




