598.愛国の女王2
「…………粘りますね」
砂嵐の中から放たれる青い魔力光。
そして徐々に勢いが止む砂嵐を見て、ラティファは呟く。
自身の引き起こした"現実への影響力"が停止していく感覚が全身に伝わるが、ラティファ本人に届くほどではない。
「はぁっ……! はぁっ……!」
突風は止み、砂は氷の粒となって弾き飛ばされ、日差しを浴びてきらきらと光りながら落ちていく。
砂漠の空に起こった幻想的な光景だが……その光景を作った本人の疲労は目に見えて進んでいく。
取り繕うことができないほど息は乱れ、肩で呼吸をする姿は全力疾走を終えたランナーのよう。
鬼胎属性の影響が無いため精神力に余裕はあっても、体力が限界に近かった。
(今ので……限界かと思ったのですが……)
ラティファはミスティが生き残った事が解せないのか自身の体を確認する。
地下遺跡から脱出するアルムの魔法の余波による傷は完治している。
確かに"現実への影響力"は削られたが、全体からすれば些細なもの。
この局面に影響が出ているとは思えない。
であれば、敵であるあの少女が予想以上なのか。
「創始者を倒したというだけあるということですか……」
初めて出会う……自分と同じく星の神秘を宿す魔法使い。
ミスティが止めていなければ水属性創始者ネレイア・スティクラツと戦うのはラティファだっただろう。
殺したくないと思うのは感謝かそれとも共感か。
呪法によってボロボロにされた自我の中に小さく、ミスティに対しての感情が湧く。
「"凍れ"!!」
「"溶けよ"」
ガギュ、と空間をねじり切ったような鈍い音と共に"現実への影響力"がぶつかり合う。
凍結された砂漠が次の瞬間には元に戻る。
目まぐるしい自然から逸脱した異常現象。
水属性と地属性の衝突が不可視のエネルギーとなり、人間では観測できない場所で音へと変わる。
乱れすぎた魔力と氷漬けになるほどの冷気、そして氷を一瞬で溶かす熱気が光を屈折させ、一瞬の蜃気楼を生む。
ここに別の誰かがいれば、一瞬現れた謎の景色に困惑するだろう。
その前に……生きてこの場に立つのが難しいかもしれないが。
(通じない……! どれだけ世界改変しても砂漠の事象として書き換えられる……! まるでアルムの……)
ラティファの血統魔法とアルムの魔法が重なる。
グレイシャの【白姫降臨】を受けても止まらなかったあの姿が。
そう……ラティファは自身の血統魔法によって砂漠と一体化する生きた魔法。
存在そのものが"現実への影響力"を持つ、アルムの【一振りの鏡】と同じく世界改変魔法へのカウンター。
砂漠を打倒するなどという想像できぬ世界は作れない。
ラティファの相手をできるのはミスティしかいない。だがそのミスティですら相性が悪い天敵だった。
「諦める気に……なりましたか……?」
「まだ……まだです……!」
「どちらにせよ……妨害用魔石を壊した所で……間に合いませんよ……」
まるでアブデラ王がどこにいるのかを知っているような口ぶりにミスティは反応する。
「あなたは……知っているのですか?」
「ええ……アブデラが何をしようとしているのかも……。アブデラの居場所も……全て知っています……。アブデラと私は呪法で……繋がっている……」
乱れる息を無理矢理整えながらミスティは問う。
「あなたは……アブデラ王の敵のはずでしょう……?」
「さあ……そんな時もありましたが……今はどうなんでしょうか……」
ラティファはゆっくりと太陽を見上げる。
日食によって半分以上が陰る太陽を見て、眩しそうに目を細めた。
「もう……疲れたのです……私は、ダブラマさえあればいい……」
「ダブラマさえ……ですが、ここに住む人々を生贄にしようとしているのですよ……?」
「それでも、ダブラマは残りますから……」
「何を、言って……それも、呪法で言わされているのですか……?」
ミスティの声に、ラティファは影の落ちた表情のまま……視線をやる。
空に浮かぶミスティとラティファの視線が合う。
「いいえ……昔はそんな時もありましたが……。今の私は完全に呪いを受け入れた抜け殻……。かつて金色だった髪も灰に変わって……かつて玉座に座ると信じていた未来も消え……私の百年に残ったのは、魔法と使命だけ……」
「ラティファ……様……」
「あなたには……わからないでしょうね……私は疲れたのです……この世界には、私を助けてくれる"魔法使い"なんて……いないんですよ……」
――決戦の日から数日前。
マリツィア達がセルダールに出立する前日、マリツィアの私室にミスティは招待されていた。
部屋の中にいるのはマリツィアとルトゥーラ、そして招待されたミスティのみ。
用意された紅茶の茶菓子の置かれたテーブルの前に案内される、ただのお茶会でないことは想像に難くない。
「お時間を頂いて申し訳ありませんミスティ様」
「いいえ、私はここに残るわけですから皆様のように忙しいわけでもありませんし……ラティファ様のことですね?」
「はい……」
ミスティは用意された紅茶を口に運ぶ。
対面するマリツィアの申し訳なさそうな表情が何についてかを物語っていた。
ミスティは用意されたミルクを紅茶に入れると、静かにスプーンで混ぜる。
「お二人がどんな思いでダブラマのために動いていたかわかっているのは私達のみ。このまま開戦すれば、マリツィアさんとルトゥーラさんはただ国を混乱させた反逆者に過ぎません……こういうお話でしょうか?」
「仰る通りです……事情を知らない平民や地方を守る貴族達から見れば、私達にはただの暴徒です……」
マリツィアの後ろに立つルトゥーラが神妙な面持ちで口を開く。
「悔しいが、アブデラ王の統治は平民と一部の貴族にとってはいいものにしか映らねえ……化け物の力のために生かされてるなんて妄想激しい馬鹿の言葉にしかならねえんだ」
「積み重ねてきた歴史が違います……目的のためにと百年ダブラマを統治し続けたアブデラ王とぽっと出の魔法使いでは権力も説得力も違います。私達は大半の魔法使いから妬まれていますし……」
「国全体が皆様の反逆に納得できる大義が無い……ですが、ラティファ様を救うことさえできれば、相手がどんな手を打って来ようとこちらの正統性が示されます」
ミルクティーを一口飲んでミスティがそう言うと、マリツィアは力強く頷いた。
「ラティファ様を救えぬままアブデラ王を倒してもダブラマは混乱の一途を辿るだけになりますでしょう。ミスティ様には負担ばかりかけさせてしまうことになりますが……」
「つまり……そのだな……」
言いにくそうにするルトゥーラに代わって、ミスティは続きを語った。
「ダブラマ最強の砂漠と一体化した魔法使いラティファ様相手に、カエシウス家とはいえ血統魔法を使いこなせるようになったばかりの小娘である私が……命も意識も奪わないように手加減をし、かつ作戦終了まで砂漠にとどめなければいけない」
口にして、あまりに無謀な内容にミスティは自分で言っておきながら苦笑いを浮かべた。
本気で戦闘した結果魔力が枯渇すれば、マリツィア達の所にラティファが行けば戦力がギリギリのこの作戦は破綻する。
本気で戦闘した結果ラティファの命を奪えば、作戦が上手くいってもダブラマという国の未来が破綻する。
手加減し続け、ミスティが負けても……作戦は破綻する。
その条件下の中で、さらには妨害用魔石を破壊しなければいけない。一体何の罰ゲームなのかと笑いたくなってしまいたくなる。
「仰る通りです。無茶は承知ですが……途中でラティファ様の意識が途絶えようものなら呪法で繋がっているアブデラ王にもそれが伝わってしまう……。そうなったらラティファ様を見限る可能性もゼロではありません」
「それに呪法を使ってんのは魔法生命のほうだ……そっちが何考えてるかなんて人間の俺達にはわからねえ……」
カップを置くミスティに、マリツィアは深々と頭を下げる。
「私達はラティファ様を救うために魔法使いを目指しました……。ですが、私達の力ではラティファ様を救うことも、留めることもできません……だからこそ、この状況は奇跡のようなのです。ラティファ様を抑えられるカエシウス――ミスティ様が協力して下さっているこの状況が」
「ま、マリツィアさん……頭をお上げください」
「ミスティ様には関係の無い私達の我が儘なのは重々承知です……私達が差し上げられるものはほとんどありません。ラティファ様を救う対価など、私の人生を懸けても用意できませんでしょう」
それでも叶えてくれと、マリツィアの下げた頭が語る。
それは魔法使いとしての、人間としての我が儘。
どの口がと謗られてもおかしくない。何で私がと拒否されるのが道理。
「ですがこの国は私の故郷……諦めたくないのです……! 正しき統治者を玉座に、そして正しき国の形を目指したいのです。百年の間偽りの楽園であったこのダブラマを、本当の国に……! 生贄のためにと民を守るのではなく、この国の民として本当の明日を! どうか、どうかラティファ様をよろしくお願い致します……!」
顔は見えずとも涙ぐむマリツィアの声に、ルトゥーラも静かに頭を下げた。
普段の乱暴な口調からは想像もできない真摯な様子が雄弁に語る。
自分達が救いたかった。
そんな口に出すこともできない"魔法使い"としての本音を。
「頭をお上げくださいお二人共」
そんな二人の頭上に、ミスティは雪のように優しい声をかける。
「私はミスティ・トランス・カエシウス。古き国の王族カエシウス家の末裔にして……マナリルで魔法使いを目指すベラルタ魔法学院の二年生」
ああ、きっと彼なら迷うことなく助けるのだろう。戦うのだろう。救うのだろう。
きっと二人に頼まれるまでもなく、百年縛られ続けた女王を助けるためにと走る。
砂の海を越えて、涙も流せなくなった女王に手を差し伸べる姿が容易に想像がついた。
「そしてアルムに救って貰った彼の友人です。アルムの隣に立つならば……国の一つくらい救わなければ、釣り合うことなどできませんわ」
ミスティは堂々と二人に言い放つ。
無謀かもしれないけれど、それでも自分はやらなければ。




