595.有り得ぬ再会4
『マリツィアもルトゥーラも、そんなに、私を、一人に、したいの?』
シャーリーは背から生える闇で羽ばたき、飛行する。
翼の形は伊達ではない。風属性でも難しい"飛行"の特性を有する血統魔法。
彼女の魔法の原点は夜明けと朝の狭間。黎明の空への羨望。
当然であるかのように彼女は飛んだ。
美麗な天井画と重なるそのシルエットと空中に広がる金の髪はさながら天からの使い。
『やめて、よ。やめて。頑張った、よ。私、頑張った、のに』
その姿に反して、シャーリーは幼子のように駄々をこねる。
鬼胎属性の魔力が乗った声は嫌でもマリツィアとルトゥーラの精神を揺さぶっていた。
『どうして、一緒に、いてくれない、の』
闇の中、金色の瞳が映える。
見つめる先は二人の姿。
本当に、そうだろうか。
これはシャーリー本人の意思なのか、それともシャーリーの死体を操っている者が記録から抽出したただの声なのかがわからない。
本人の意思ではないと切り捨てたいが、それで解決するほど人の感情は簡単ではない。
理屈で声を拒絶しても、隙を縫うようにその声は二人に届く。
『どうして、一緒の、所に、来てくれないの』
「随分と……寂しがりやになったものですね、シャーリー」
「やめろマリツィア……!」
ルトゥーラの制止を無視して、マリツィアはシャーリーと視線を合わせる。
見上げる桃色。見下す金色。両方の視線が交差する。
その瞳の奥に意思はあるのか?
マリツィアは飛び上がったシャーリーに笑いかける。
『だって、寂しい。石の中は、冷たい。砂漠の、日差しも、夜の闇も、感じない。暗いよマリツィア』
「はい。私はここにいますよシャーリー」
『誰も見えない。何も聞こえない……! 恐いよ! 死ぬのは恐いよ! 一人で死にたくない!』
「ええ……」
無理矢理繋ぎ合わせたように途切れ途切れだった声が、流暢な口調に変わる。
死体を操作する血統魔法を持つマリツィアだからこそわかる。
これはきっと繋ぎ合わせた言葉ではなく……石化して死んだシャーリーが死に際に思った叫びなのだろう。
『どんどんと冷たくなっていく……足の先から、手の先から、時間が止まったみたいに感覚が無くなっていく……。辛かった……二人もいない、パパもいない……! 私だけが置いて行かれる……!』
「ごめんなさい。駆けつけてあげられなくて」
『溶けていく。私の命が溶けていく。言葉しか残せない……! 泣くこともできない……! 私はただみんなと一緒に過ごすこの国を守りたかっただけなのに!!』
叫びながら、シャーリーの表情が歪む。
これもただの記録の再生なのだろうか。
操られているだけとは思えないその声の一つ一つがマリツィアの心に針を刺す。
マリツィアがどう判断しようとも、シャーリーの声には鬼胎属性の魔力が乗っている。
シャーリーが声を発する度に、その精神は消耗していた。
『でも、私にはできなかった!』
「いいえ。あなたは立派な"魔法使い"だった」
『だって、そうしないと、いけなかったから』
「いいえ、あなたは自分で選んだ。正しき道を」
『私は英雄じゃない』
「いいえ、あなたは英雄です。家族のために国を守った」
『パパの自慢の娘にもなれない』
「いいえ。あなたはハリルさんにとっての一番でした」
『でも、二人の隣に……胸を張って並べる魔法使いになりたかった!!』
死してなお響き渡る感情のこもった絶叫。
それは国のために戦った魔法使いのお話。
呪法の眼で生命を石化する魔法生命メドゥーサと戦い、戦死した英雄の叫び。
親友達、そして家族と一緒にいたかった女性の、凄惨な戦いの結末。
いつだって人間が勇気を振り絞るのは、誰でもない誰かの為ではなく……近くにいる誰かのために。
「はい。私もです」
目尻に涙をためながら、マリツィアは花のように微笑んだ。
その姿は金色の日差しを浴びて咲いた一輪の桃色。
意味は訣別。
親友の死への手向け。
国の為に暗躍を続け、親友の最後を看取る事すらできなかった心残り。
最後まで自分と親友の志が同じだった事を確認し、マリツィアは心からの笑顔を向ける。
「私も、あなた達に恥じない魔法使いで在りたかった」
生まれた時から向けられていた悪意ある声。軽蔑の視線。
ただ受け継いだ魔法のせいで人格を否定される人生の中、二人と過ごす時間はマリツィアにとってのひだまりだった。
――だから、もう迷わない。
『なら一緒にいてよ! マリツィア! 誰か、私の隣にいてよ!! 一緒にいてよ!!』
シャーリーの叫びと共に玉座の間に闇が広がる。
闇属性の"浸食"が床に壁に、魔石に至るまでに"現実への影響力"を伸ばしていく。
「マリツィア! こい!!」
マリツィアはルトゥーラの防壁の中へと走る。
これから始まるのは恐らく最後の攻撃。
マリツィアとルトゥーラ、そしてシャーリーは幼馴染。そして魔法使いになるために研鑽し合った者同士。
だからこそわかる。シャーリーの最後の攻撃……最も逃げにくく最も確実に敵を屠る一撃が。
「よし、俺の声が聞こえるってことはまだまともっぽいな」
「誰に言っているのですかルトゥーラさん。お腹を殴りますよ」
「終わったら殴られてやるよ。それで? お別れはすんだのか?」
「はい……切り札を使います」
「……いいのか?」
「アブデラ王の所に行く前に死んでは本末転倒ですから」
言いながらマリツィアは背中に背負っていた二つ目の棺を下ろした。
「私の命のストックは後一つ。タイミングはこちらが。ルトゥーラさんは――」
「わかってる。俺はいつだって耐えるだけだ」
「はい、それでこそです」
マリツィアは深呼吸して、天を仰ぐ。
天井も黒く染まっていて……まるで星の無い空のよう。
「聞いているかどうかは知りませんが……アブデラ王、あなたの肺を潰し、目玉を抉り、四肢を切断してから心臓を潰したいくらいに恨んでおりますが……。
最後に一つだけシャーリーとまた会えたことだけは……感謝してさしあげましょう。おかげで、シャーリーとの別れを済ませることができました」
たとえ、それがただの死体でシャーリー自身で無かったとしても。
叫んでいた言葉の数々はきっと、シャーリー自身が生前に抱いていた思いだとマリツィアは信じている。
年相応の笑顔を見せていたマリツィアの表情は後悔を吹っ切り魔法使いのものへ。
ここにいるのは死を司る魔法使い。死者に敗北するなど許されない。
ましてや親友に自分を殺させるなど、あってはならない。
「自己満足だと笑いますか? 結構。死者との別れはいつだって、生者の自己満足なんですよ」
次の一手がおそらく戦いの最後。
最後の手向けを送るために、マリツィア・リオネッタは短剣を抜いた。




